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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■渇望という言葉
酒を飲みたい気持ちは、酒をやめる前にもあるし(渇望)、酒をやめた後もあります(強迫観念)。それを一緒くたにせず、明確に分けたところにシルクワース博士の功績があります。
自分の過去の飲酒体験に照らし合わせて渇望をよく理解すると、「なぜ再飲酒を避けなければいけないのか」が分かります。そうなると、酒をやめ続けたいという動機が生まれます。たいていのアル中には「次は違った飲み方ができるかも知れない」という妄想を、多かれ少なかれ抱えています。(でなければ、なぜ再飲酒するのでしょう?)
craving という言葉に「渇望」という日本語を当てたのは、あまり良くなかったのかも知れません。辞書で「渇望」という言葉を引くと、「のどが渇いて水をほしがるように、しきりに望むこと」とあります。これだけ読めば、最初の一杯を飲みたい飲酒欲求と区別がつきません。
シルクワース博士の説明や、それを受け継いだAAのビッグブックや12ステップでは、「渇望」はあくまで最初の一杯を飲んだ後にやってくるもので、最初の一杯に手を付けたい願望とは違います。しかし、渇望という言葉は、アディクションにまつわる精神医学全般でも使われており、そちらでは、飲む前と飲んだ後の区別を付けることなく使われていることが多いように思います。
どちらの使い方が合っているとか、間違っているとかの話ではありません。あくまでビッグブックの12ステップではこう使っているのですよ、という話です。
実は、その使われ方の違いは、僕も最近になるまで知りませんでした。ギャンブルへの依存が、アルコールや薬物の依存と同じであることを説明するのに、この渇望現象の共通性が言われることがあります。けれど、そこで使われている「渇望」が、必ずしもビッグブックでの意味と同じとは限りません。
もし、ビッグブックどおりの渇望の意味をギャンブルに適用すると、こんなストーリーが展開できます。
ギャンブルに問題を抱える人物がいます。彼はもう半年パチンコを断っています。けれど、彼の心の中には「もう一度パチンコを楽しみたい」という欲求が大きくなったり小さくなったりしています(これは渇望ではない)。ある日、彼はその欲求に負けてパチンコ屋に入ります。この段階ではまだ渇望は起きていません。
彼は、今日は五千円だけ楽しもう、そうすれば小遣いの範囲内だ、と考えます。しかし、五千円を使い尽くしても、まだ彼は席を立つことができません。彼の中に渇望がわき上がり、もっとパチンコをという強い欲求に彼は支配されてしまったのです。彼は財布の中身を全部使い切っても足りず、近所のサラ金で何万円も借りてきてパチンコを続け、閉店時間が来て店の外に出されたときには、大変な後悔に襲われています。
普通の人であれば、2〜3杯のビールで満足し、それ以上欲しがりませんし、次の用事をキャンセルしてでもパチンコを打ち続けたいとは思いません。けれど依存症の人は続けて「次」が欲しくてたまらなくなります。その背景には強大な「渇望」が存在します。この渇望の有無が、依存症の人とそうでない人を明確に分けるものです。
(ギャンブルで問題を起こしていても、どうみても渇望を備えていそうにない人もいます。もしビッグブックの考え方をギャンブルにも適用するならば、その人はギャンブルのアディクションではないことになります)
渇望現象、それから(この雑記には取り上げませんが)強迫観念、この二つで構成されているのがビッグブックのアディクション概念です。そして、アルコール以外の(例えば薬物やギャンブルも)このアディクション概念に当てはまるから、対象は違っても同じアディクションである、という主張があります。ならば、それらのアディクションも明確な渇望を備えているはずなのですが・・・、あまりそのことは理解されていないように思います。
AAの中ですら、飲酒欲求と渇望の区別がついていないことが多いのですから、こんな雑記も「とてもマニアックな話題」なってしまうわけです。
03月16日(金)
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