ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■受容と承認
よく「自分の意見が否定されたとしても、自分という存在が否定されたわけじゃない」と言います。意見を否定されることと、所属と承認を拒否されることは違うということです。しかし、意見が言語的コミュニケーションで否定されつつ、同時に所属と承認が非言語的に伝えられるとしたら、自閉圏の人たちはどう受け取ってしまうでしょうか。意見を否定された以上、自分という存在はここでは望まれていないのだ、と捉えてしまうことが十分あり得るでしょう。
「仲間作りの欲求(companionship)」というのは、とても強いものです。しかし自閉圏の人は、その欲求を満たそうとする努力に見合っただけの成果を受け取れない(受け取っているのに感じられない)という困難を抱えているのではないか、というコンセプトです。
感度が鈍いんだったら、強く刺激すりゃいい、っていう考え方もあります。AAグループの中にも、大変真面目で、なおかつホモソーシャルな雰囲気のところもあります。妙に体育会系のノリだとか。そんな風に文化を単一化すれば、それに合わせることができる人は、所属と承認を十分に感じることで安心感を得られます。ある依存症施設では、「愛」や「仲間」という単語が使われ、ハグをして仲間意識を高めあっています。アイコン的単語を繰り返し、ハグというオーバーアクションの分かりやすい所作によって、疎外感を取り除く努力とでも言いましょうか。なるほど、そういうやり方もあるのか、と納得です。
じゃあ、ひいらぎ、お前はなぜそういう戦略を取らないのだ、と言われるかも知れません。
ホームグラウンドに戻ればいつでも仲間が分かりやすく受容してくれる、ってのは素晴らしいことに違いありません。けれど人はそこだけで生きているわけではなく、ふつーのメッセージが飛び交う世間の中で生きていかなければなりません。たとえ感じられる受容と承認のシグナルがか細くても、確かに自分は受け入れられているという確信を持って進んで欲しいと思うからです。その為には、人は誰でも基本的には信頼できる、という人間存在に対する根源的な信頼を身につけて欲しいし、その為に12ステップは有効だと思うからです。つまり環境を変えるばかりではなく、本人が変わって欲しいわけです。(ま、だいたいAAはハグの文化じゃなくて、握手の文化だしね)。
受容と承認のメッセージは、おそらく親から子に向けられて発せられるものが最も強いのだと思います。「私は親から愛されなかった」という人は、それがアダルト・チルドレンとしての自覚につながっていることがしばしばあるのですが、その「愛されなかった」というのは果たして本当だろうか、と僕は疑いを持ちます。客観的に見れば、存分に愛されていることもしばしばだからです。となると、親が発するシグナルの絶対量が不足していた可能性ばかりでなく、子どもの側が信号を受け取る能力が弱い可能性にも目を配らなければならなくなってきます。
いずれにせよ、受容と承認は人間にとって大事な欲求だということでありましょう。
02月14日(火)
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