ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■情報メディアと人間の不安
毎年年末には「心の家路」のWebalizerのデータをまとめているのですが、昨年末は忙しくて手が回らなかったので、今頃になってまとめです。

2011年一年間の統計データ
送出バイト数 54.6Gbytes
訪問者数 63万2千
リクエストページ数 298万
リクエストファイル数 445万
リクエスト数 510万

一日あたりの訪問者数は、以前は2,000人/日ぐらいだったのですが、昨年は1,700人/日ぐらいまで落ちています。日々雑記の更新頻度がすっかり落ちてしまったのと、FC2ブログに同じ内容を載せているので、そちらを見ている人はカウント数に入ってないことも影響しているのでしょう(スマホから見るのであればFC2のほうが見やすいし)。

ただ今年に入って少し増えて、また2,000人/日ぐらいに戻っています(謎)。

(人/日といっても、検索エンジンのロボットも含まれており、実際の人間を数えているわけではないので、それは割り引いて考えてください)

さて、話題を変えて。昨年3月11日以降、多くの人が感じたことのひとつは「マスメディアへの失望」ではないでしょうか。政府や電力会社が情報を隠蔽しているのではないか、そして新聞・テレビ・ラジオなどのマスメディアは、その隠蔽に加担しているのではないか、という疑いが生まれました。いわば、メディアの公平性への失望でしょうか。

多くの人たちが見落としているのは、新聞であれ、テレビであれ、企業が運営しているということです。営利である限り、売り上げが必要です。毎年8月15日になると戦争反対の論陣を張る新聞ですら、第二次大戦中には翼賛体制の中に組み込まれていました。百人、千人単位の雇用や、会社やメディアの存続を考えたとき、それ以外に選択肢はありませんでした。

新聞は購読料だけでは成り立たないので広告主が必要です。ましてテレビ・ラジオの民放ともなれば、収入の大部分を広告料が占めます。メディア各社にとって「大事なお客様」とは購読者・視聴者ではなく、広告主です。コンテンツに広告主の意向に従ったバイアスがかかるのは当然のことです。

では民間企業ではない国営メディアはどうかといえば、当然政府の介入があります。

純粋に購読料や視聴料だけで成り立っているメディアがあれば、もっと公平性が担保されるかもしれません。しかし、ニュース専門チャンネルの加入数が伸びないところを見ると、どうやら人々は公平性に金を払うだけの価値を認めていない、ということになります。

フィルターのかかっていない情報が見たければ、2ちゃんねるやTwitterがあります。ただし、そこにある情報は玉石混淆で、真偽は受け取る側が判断しなければなりません。基本的な情報リテラシを養う教育も施されない中で、人々に自己責任ばかり求めるのは酷だと感じます。

反原発デモがニュースに取り上げられないことを、酷い話だと言った人がいましたが、公平性を期待すること自体が間違っているという視点は持っていないようでした。そもそも公平性とは何か。反原発デモがニュースに取り上げられないと言っていた人も、某宗教系政党が行った人数がより多いデモがメディア各社にまったく無視されたことには憤りを感じないだろうと思います。

そもそも、人はフィルターのかかっていない情報に価値を認めていない側面があります。最もフィルターの少ない報道として挙げられるのが、NHKの国会中継です。あれはフィルターやバイアスが皆無とは言いませんが、他の番組に比べれば格段に少ない。しかし、国会中継の放送が面白くて、好きで好きでたまらないという人にはお目にかかったことがありません。

人々はフィルターを経てバイアスがかかった情報を欲しがっています。ただ、そのバイアスのかかり方が自分好みであるかどうかが気になります。だから昨年起きたことは、大手メディアの信頼性への失望ではなく、大手メディアが自分の好みのバイアスがかかった情報を提供してくれない事への失望だったと言い換えることができます。


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02月09日(木)
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