ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
[964420hit]
■巨人の肩に乗る
このニュートンの言葉を引くのは、オープンソースソフトウェアLinuxの中心的存在、リーナス・トーバルズです。僕から見れば彼は十分天才ですが、彼はこの言葉を使って自らの天才性を否定し、人の業績の上に積み上げることの大切さを説いて多くの人たちをオープンソースの世界に巻き込みました。そして彼は巨大な潮流を起こすことに成功しました。
依存症である僕らが助かったのは、先人たちの業績あってのことです。P神父やM神父、R神父やダルクの近藤さん、あるいは彼らに続いた人たちの巨大な実績があってのことです。その実績の積み重ねこそが「巨人」です。それらがなかったら、僕らは今頃灰になって散らばっていて、生意気な言葉を吐く口すら持っていなかったはずです。自分がつながるべきグループも施設もなかったら、どうなっていたか考えてみればわかることです。確かに彼らの時代には情報が足りず、間違いもあったかもしれませんが、その恩恵を被って僕らの命があることは否定できるものではありません。
ビッグブックムーブメントの中で跳ねとんだ発言をしていた人たちは、自分が遠くを見渡せたのは、自分が巨人になったからだと勘違いしていました。彼らは巨人の肩に乗っていることに気づけませんでした。僕もその一人でした。自分が肩に乗るちっぽけな存在だと気づけたのは幸いでした。
さて、そのような自省が行われた後も、相変わらず巨人気取りの発言が後を絶たないのはなぜなのでしょう。それは単純なことです。ステップが次から次へと手渡されていく中で、いきなり遠くが見えるようになった人たちが、次々と巨人になった勘違いをするのでしょう。しかし彼らもやがては、自分がちっぽけな存在であることが分かるようになり、そうした発言が影を潜めていきます。つまりこれは、回復の過程で出る症状、通過儀礼みたいなものなのでしょう。どうやらステップを伝えられて1〜2年ぐらいに、この症状が出やすいようです。
リカバリー・パレードで歌われる歌、You Raise Me Up の一節に、僕は特別な感慨を持ちます。
I am strong, when I am on your shoulders.
You raise me up... to more than I can be.
感謝を忘れたところに回復はないもの。病気の症状だと分かっていても、うんざりさせられることもあります。
12月13日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る