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リュカの日記
by リュカ
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奴は「そんな事は無い」と言葉で否定するだけで、「何故そうではないのか」の根拠を示す事など絶対しない。何故なら俺の指摘を覆せるような根拠を一つも持たない。つまり、俺の奴に対する軽蔑は全て的を得たものであるのにも関わらず、奴は意味を持たない単語のみで否定を繰り返す。それを通そうとする。通らなければ、「何が〜言うてみい」と、延々同じ事を説明させて。
そんな腐った茶番に今回も付き合ってしまった自分自身に、悔しくて悔しくてたまらなくてキレそうになった。
結局は、俺を異常者扱いする事で自分の矮小なアイデンティティーを保とうとするような糞ばかり。
俺はキレるとかなり感情的になる。それに神経症だ。
だけれど、俺の指摘する内容そのものには、それらは一切関係ない。
なのに、俺の意見に全く関連性の無い俺の感情等を都合良く引き合いに出し、「精神異常者の言う事だから」とご都合主義に自分を保つ下衆野郎。
子供の頃から、ずっとこんなパターンが続いた。
俺が所属してきたグループの中で、俺に味方が居た事なんて一度も無い。
家族だろうが、学校だろうが、部活だろうが、遊び仲間だろうが。
確かに、二人きりである時は俺の話に耳を傾けてくる奴も何人か居たには居たが、大勢の中になると必ず手の平返して、その他の奴らと一緒になって俺の事を批判しまり罵り倒す。
全部「都合」「都合」「都合」「都合」で事実を歪めて欺瞞を押し付け周囲にそれを蔓延させる。
ふと、あの子だったら自分を理解し味方になってくれそうだったな、なんて事を考えた。
俺は、あの子がそういう目に遭わされていた、という事にとても強い不満を感じる。納得しない。
俺はタイプの男の子に対して、「その子に関わる物や事だったら、どんな事でも特別だ」なんて思っていたけど、そういう目に遭わされていたという事実によって、「その子に関わる物や事」が、全て意味を持たないものになってしまう。また、無理やりにでも、自分の中で意味を持たないものに変えてしまう。「どうでもいい事」「認めない事」に変えてしまう。
そうしなければならないような強迫がある。
それにより、結局何も叶わない。全ての可能性は潰される。
それが、何だかとても悲しいな、と。
ここまで考え、叶わないどうこうで悲しいよりも、そういう目に遭わされているという事実そのものの方が、俺にとってはずっとショックな出来事だったし、そうであるべきなのだ、という意識が蘇る。
まずは、そちらを気にするべきだ。叶わない、関われないなんて事に悲しむよりも、そっちに痛みを感じるべきだ。そうでなければ至らない。
なんて強迫意識がまた沸いて。
その後、あんな腐った糞ジジイなんて矮小な存在から、その子についての思考に移行してしまった事に、強い不快感を感じてしまった。
意識の中だけとはいえ、あんな糞豚野郎なんかと接点を持たせてしまう事自体が汚らわしい。
授業中、何もかもが厭過ぎて、叫んで怒鳴って喚き散らしたくなるほどイライライライラ募っていった。
授業は続いて、「友達でも何でも、どうしても相手に対して許せない事があり『お前のこういうところが許せへんねん!!』みたいな感じで喧嘩になる事は多いと思うけど。これって、実は自分の内面に多く含まれてるものが多いんだよ」みたいな説明をしていた。
もちろん、俺はそれを充分過ぎる程自覚している。
汚い欺瞞、誤魔化し、詭弁等。
「こういう風に言えばこういう風に誤魔化せるだろう」なんてマニュアルは、俺の中にも存在している。
だからこそ、他人の欺瞞や詭弁にすぐに気がつく。それが絶対許せない。そいつが、それを「通るものだ」と思い込んでいる事が許せない。
俺はそういう奴らを強く嫌悪している。
なので、自分自身は詭弁や欺瞞を弄さないように勤めてる。
根拠も示せず、言葉だけで「違う」と押し切って見せるような事も絶対しない。(かつては、自分の性癖や、それらを否定する社会に対する憎しみを合理化しようと、勝手な理屈を捏造しようと必死になっていた時期もあったが)
キッタネェ奴のキッタネェ理論のどこに欺瞞が隠されているのか、厭と言うほど見えてくる。それがとことん許せない。
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06月05日(月)
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