ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■キリストの墓の真実(11)-(15)
490 キリストの墓の真実(11)――別冊歴史読本1996(d) 2004/12/23 14:50

 さらに昭和9年(1934)、酒井は広島葦嶽でピラミッドを発見するにいたる。「日本にピラミッドがあった」とする説の根拠もまた『竹内文献』に求められる。ピラミッドを日本で発見した酒井は、さっそく『太古日本のピラミッド』なる著作を発表する。そこで展開されるめくるめく論理の飛躍は、じつはイギリスの「聖書学」的ピラミッド論の投影であった。20世紀初頭のイギリスで隆盛をみたこの奇妙な論理は、ピラミッドは建築化された聖書であり、そこに創世紀からハルマゲドンまでが立体化されている――というものだ。こうした理論がイギリスで隆盛をみた背景には、日猶同祖論と非常によく似た英猶同祖論の流行があった。
 さて、酒井が磯原でモーゼの十誡石を発見したとき、そして広島でピラミッドを発見したとき、傍らにつねに同じ人物がいた。そしてその人物こそが<キリスト伝説>に関わることになる。鳥谷幡山(とやばんざん)――それがその人物の名だ。

◇鳥谷幡山の(キリストの墓)発見
 酒井が広島葦嶽でピラミッドを発見した翌年――昭和10年(一説には同9年)、鳥谷は青森県戸来(へらい)村村長・佐々木伝次郎の要請を受けて同村を調査する。「日本でピラミッド発見」の報は、酒井が記しているように「青森県の奥山ですら之を話題となすまでに吹聴され」た。そのための要請だったようだ。もっとも酒井が青森でも講演会をかなり重ねていて、そこから派生してのもの――との指摘もある。いずれにせよ鳥谷は期待どおり、同地でピラミッド――大石神ピラミッドを発見する。
 同年、鳥谷は『竹内文献』のなかから「キリストの遺言状」が出現する現場に立ち会うことになる。さらに鳥谷は竹内巨麿らとともに戸来村に入り探査、その結果キリストの墓を発見する。こうした事態の連続は、やがて鳥谷をキリスト渡来の実証に赴かせることになってゆく。鳥谷の著『十和田湖を中心に神代史蹟たる霊山聖地の発見と竹内古文献実証踏査に就て併せて猶大聖者イエスキリストの天国(アマツクニ)たる吾邦に渡米隠棲の事蹟を述ぶ』などを読むと、迷ヶ平=眉ヶ平に太古の神都があったこと、ウガヤ三十七世の陵墓を発見したこと、イエス・キリストは八戸太郎天空神なる天狗であったこと……など、酒井に負けず劣らぬファナティック・イマジネーションが展開される。
 それにしても……この昭和10年の巨麿と鳥谷による戸来村探査に、なぜ酒井が同道しなかったのだろうか。どのような理由があったのか。鳥谷の説明によれば、巨麿が「特殊関係者だけで」と主張したためとなっているが、すでに熱烈な『竹内文献』のプロモーターとなっていた酒井こそ特殊関係者ではなかったか。鳥谷がイエス=猶太聖者とする点など、これは明らかに酒井の影響だと思われるのだが。
 ともかく、こうして『竹内文献』に導かれて、酒井のモーゼ十誡石とピラミッド発見を目撃し、ついにはキリストの遺言書と墓まで発見した鳥谷だったが、後に巨麿に対して批判的/懐疑的になってゆく。後年の著書のなかでは「己れが古文献を所蔵するからといって勝手に誤れる解釈をして平然たるものがあり……」などと激しい言葉をさえ投げるようになる。
 それでもまだ、鳥谷にとってキリストの渡来を保証する唯一の存在が『竹内文献』であることに変わりはなかった。巨麿に対して懐壌的になっても、『竹内文献』そのものを疑うようなことはなかったのだ。


491 キリストの墓の真実(12)――別冊歴史読本1996(e) 2004/12/23 14:52

◇最後の登場人物
 竹内巨麿、酒井勝軍、鳥谷幡山……とつづいて日本における<キリスト伝説>は形成されていった。そしてその事態の渦の中心点には、つねに 『竹内文献』があった。しかもこの伝説形成は酒井が『竹内文献』と対面した昭和4年以降に一挙に展開される。
 ところが巨麿らが戸来でキリストの墓を発見した翌年――昭和11年、新たな登場人物が舞台に加わることになる。萩出身の山根菊子である。山根は鳥谷からキリストの墓に関する話を聞き、そしてキリストの遺言書と対面した。これが契機となって昭和12年、山根は『光りは東方より』を著わし、キリストの墓伝説が広く流布することとなってゆくのだ。

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11月08日(月)
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