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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■035 pseudoscience
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日猶同租論と古史古伝

「古史古伝の謎」(別冊歴史読本 64) 新人物往来社1996.8

P120-127
[日猶同租論と古史古伝]
――日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つとする主張は客観的に実証できるものではなく、古史古伝の世界においてのみ展開できる議論ではないか――
宮澤正典(同志社女子大学教授)著

<日猶同祖論と古史古伝の接点>
 日本民族とユダヤ民族が祖先を同じくするというような議論は、騎馬民族日本渡来説や海洋民族の渡来説などのように学会に提起されて学問的な論争となるということはこれまでほとんどなかったし、今後もその可能性は乏しい。それにもかかわらず明治時代から幾ダースものバラエティに富む日猶同祖論が巷間に展開されていまも衰えてはいない。
 近年、ユダヤ問題で高名な宇野正美もついに「古代ユダヤは日本に封印された―「聖書」が明かす原日本人のルーツ』(1992年・日本文芸社)を著して同祖論者たちの群れにまた異色の主張を加えた。私はかつて同祖論を立てた人びとが聖書の知識を独特のかたちでもった人たちであったと言ったことがある(「日本・ユダヤ同祖論とは何か」『歴史読本』1991年9月増刊号)が、宇野も大阪聖書キリスト教会牧師でもあり、「『聖書』が解ると世界が見えてくる」(『歴史Eye』1992年6月〜1993年3月)の連載でもわかるように、その道の専門家である。

【『竹内文書』などを重んじる人々に同租論者が多いのはなぜなのか?】
 古史古伝の人びとの日猶同祖論も明治以来の聖書知識の普及をよりどころにして登場したと言ってよい.『古事記』以前の書とされる著名な『竹内文書』(磯原文書)をはじめ、『九鬼文書』『宮下文書』その他が、せっかく古い作成年代とされ、それによって日猶同祖論を説いてくれているのであるが、いずれも聖書知識が普及する以前の時代に公開されてそのように説かれることはなかったからである。それに、なぜ日本・ギリシア同祖論や日本・ラテン同祖論にならなかったのだろうか。日本もヘレニズム世界やシルクロードの東縁に文化的につらなる事実からすれば、より同祖の可能性に説得性をもたせ、あるいは実証性を増したかもしれないのに。
 日猶同祖論はユダヤ人の日本渡来説と日本からの分流説に大別できる。そして後者は、それが日本に再帰したとするものと、分流した「事実」を認識できないでいる現代のユダヤ人を問題にする立場をとるものに二分して集約できる。さらにヘブライの正系は日本とユダヤのいずれにあるかをめぐる論議にも展開した。ユダヤ人渡来説にはキリスト教にかかわる人びとが多く、分流説には「竹内文書』など神代文字による文献を重んじる古史古伝の人びとが多い。それらの文献の本旨は同祖論に置かれているのではないが、その方面に一人歩きして展開するに足る内容を含んでいるようである。
 元来、歴史的に実証不能とは断定しないまでも証明のきわめて困難な日猶同祖論は歴史時代において決着のつくところではなく、そこを避けて超古代の古史古伝の世界においてはじめて自在な展開が可能となる。むしろ、そこでしか論議ができないテーマなのではないだろうか。
 歴史時代と現在に関しては、およそ人間であれば時間空間をこえてよく似た風俗習慣をそれぞれ独自に創るものであるにもかかわらず、類似性をもつ諸文化現象を繋(つな)ぎ合わせ関連づける楽しい作業をしていけば同粗論が形成できる。


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11月28日(金)
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