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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■036 pseudoscience
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危険な歴史書「古史古伝」 別冊歴史読本 54号新人物往来社 2000.10
――“偽書”と“超古代史”の妖しい魔力に迫る!

P102-117 「古史古伝」は新興宗教にどのように取り込まれたか―オウム事件まで―
日高恒太郎(作家)

(前略)
 私は見聞きしたなかで、「日本最古の史書」といわれる古史古伝という一群の史料が宗教の側にどのように取り込まれていたかについて記憶のままに綴つてみることにしよう。

 換骨奪胎は宗教の得音技である。古今東西の歴史、哲学、文学書などからエッセンスや逸話を引き抜き、それをかき混ぜ厚化粧した新しい物語や逸話が堂々とまかり通っているし、既成宗教の教典が矮小化されそのまま使われることも多い。

 古史古伝はいわゆる教派神道系の教団との関わりが深い。紙幅の都合もあり、私も大ざっぱに換骨奪胎してみる。「手かざし」で知られる真光を、最初に取材したのは、伊豆天城山中に総工費三百億という大神殿が完成した頃で、この伊豆の世界真光文明教団と飛騨高山の崇教真光が分裂後の正統争いを裁判で争っていた時期である。

 末端組織である道場に出向くと、二世帯分のマンションの壁をぶち抜き三十畳ほどの和室にしつらえた道場のあちらこちらで、二人一組の信者たちが対座していた。一方は両手を合わせて目をつむり、片方はその額に向かって手をかざす手かざしが繰り広げられていた。道場に案内してくれた男性に薦められるままお浄め料三千円を納めると、掛け軸を拝まされ、道士と呼ばれる二十代の美女がやってきた。

 お浄めの施術が始まった。

 顔に似合わぬ野太い声でお祈りを唱え始めた美女は、やがて手かざしをはじめた。手かざしは、通常「霊能」のある者が手のひらから出る霊波によって病気を治すことをいうようだ。しかしこの秘儀はなにもこの教団独自のものでなく、大本教の「み手代」や世界救世教の「御浄霊」にもある。

 十分、二十分と経過し正座の足がしびれ、合わせた両手がだるくなった頃、突如として「オシズマリー、オシズマリー」の声が響き渡った。それが終わりの合図らしかった。

 午後六時を過ぎ中学生、高校生、そして会社帰りのサラリーマンたちが次々に来場してきた。彼らは初級から上級までの研修を受け超能力者になる競争をしているのだと案内者が教えてくれた。研修ではこの中級者以上のものに『竹内文書』関連のハンドブックをテキストにしていた時期があった。

 起源の不確かな古代文書の中でもっとも有名な『竹内文書』を、私が最初に知った日であった。

 その後、真光の二代目教主関口栄と岡田光玉の養女岡田甲子改め岡田恵珠の二代目争いは、崇教真光という別教団を設立した岡田甲子側が敗訴したが、教勢は逆転した。崇教真光は飛騨高山に世界総本山を建立。その奥宮は高山の近くの山中、位山の山頂近くにある。

 位山は『竹内文書』では天神七代天照日大神が降臨した聖地とされている。飛騨を日玉と称し、日の神の元地という意味である。位山には天の岩戸や祭壇石などの巨石遺構が多く、近くには神々が天空浮舟で降臨したと伝えられる舟山もある。また位山の一位の木は、天皇即位の時の笏の材料として知られ、神武天皇時代から天皇に「位」を与えるという伝承があった。

 位山の天の岩戸前には、生長の家の影響を受けた五井昌久が立教した白光真宏会の平和観音もあった(現在は撤去。また本部は千葉市市川からオウム富士サティアンがあった富士市人穴に移転)。真光は岡田光玉が始めた神道系教団だが、崇教真光、世界真光文明教団、そしてス光光波世界神団などに分派した。

 岡田光玉は、岡田茂告が創始した「世界救世教」の幹部であったが、昭和三十四年に分派して真光を設立した。世界救世教からは、真光系教団のほかにも神慈秀明会、救世真数など十以上の分派が発生している。

 その岡田茂吉は元々は大本にいた。つまり救世教も真光も、みな大本の「艮の金神」の系統である。


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11月27日(木)
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