ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[88141hit]

■028 Dlogan
最終更新日:2001.08.08

http://home.earthlink.net/~delogan/expstory.htm

1. MAHIKARI - Search For The Truth
  真光 − 真実を求めて


--------------------------------------------------------------------------------

注: これは、アメリカ在住のディーン&ジーン・ローガン夫妻が、○○真光に出会ってからやめるまでの体験を綴ったものです。真光の教義に疑問を持ちつつも、手かざしに魅力を感じて教団から離れられない方も多いと思います。そういう方たちを勇気づけてくれる体験談です。

--------------------------------------------------------------------------------

真光は1959年に日本の軍需工場経営者だった岡田良一(よしかず)氏によって創設されました。彼が主張するには、彼は神から「あるメッセンジャー役の神」を通して啓示(神示)を受けたといいます。岡田氏はまた、神からメシア(救世主)に選ばれたといいます。この神示において、彼は来るべき世界についての神の計画を与えられたといいます。同時に、負のカルマ(罪)を取り除き、毒を取り除き、癒しを行うとされるあるユニークな霊的浄化法に関して、指示を受けたといいます。

1959年より、この組織は世界に広がっていきました。組み手さん(信者)は御み霊(おみたま)と呼ばれるペンダントを与えられ、それによって現在の指導者と霊的につながり、故岡田良一氏の霊を通して神とつながるとされています。そして、「光を与える」という、霊的浄化を行うことができるとされます。組み手さんたちは、このつながりを保つために月々の料金を支払い、もしその支払いを怠ったり、御み霊を落としたりすると、神と繋がった霊的なコード(霊線)が切れると教えられます。組み手さんたちは、この御み霊がないと、「光を与える」ことが出来ないと教えられます。

私たち夫婦が最初に真光について耳にしたのは1987年、テレビの小さな特集からでした。最初は非常に疑っていましたが、私たちはその"癒しの業"に強く惹きつけられました。毎月25ドルの御奉納と月並み祭に参加することを含む同意書にサインして、 1993年に120ドルを払って入信しました。 真光の教義に不安を感じながらも、健康上の問題が改善されるにつれて、疑う気持ちは頭の隅に追いやられていきました。

ある時、私たちが所有しているノースカロライナのブルーリッジマウンテンにある土地をめぐって真光の幹部から話を持ちかけられました。 それは"すこしでも肥沃な土地があるなら、陽光農園をやってみないか?"という提案でした。そして日本に行き、陽光農園での研修をかねた御奉仕や、主座での秋季大祭への参拝が許されることになったのです。日本に来てその間、私たちは、通りを行進する真光隊を見学する機会があったですが、それはまるでナチスドイツの軍隊行進のようでした。私たちの来日グループの間では、それがナチスのパレードに似ている、という一致した感想でした。

"どうしてナチスのようなひどい組織の真似をさせるのだろう"とグループ全員が困惑しました。それから総本山にスワスチカ(カギ十字)のマークが飾ってあることにも不安を感じてしまいました。"スワスチカはナチス以前から存在する古代のシンボルである"という説明のをうけて結局私たちグループは不安を頭の片隅に追いやり、帰国の途につきました。

組み手さん達の関心が集まれば私たち夫婦は土地の一部を陽光農園のために御奉納するつもりでした。真光隊の若者達や組み手さん達が、準備のために手伝いに来てくれることに期待に胸を膨らませました。 ところが、私たちはあることに気がつき、大変な不安を感じ始めたのです。幹部や御役者達は徹底的に若者達を統制していたことです。 ある時、みんなで農園の小道を掃除していたときのことですが、ある若い女性に"水を飲みませんか?"と誘ったところ、"幹部の許可がなければ、水を飲むことはおろか、何をするのも許されていません"と断られてしまったのです。彼らの間では素直さが強調され、個人の考え方というものは否定されていました。 これらいくつかの統制的された現状を見て不安を感じたため、私たち夫婦は、教団による農園の指導を断ることにしたのです。


[5]続きを読む

08月31日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る