ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■ザ・掲示板4
H7・9月度御教示「今より2500年前ゴータマブッタ釈尊は〜」H15・7釈尊、ゴータマ・ブッダは2500年前に「一念三
千」と説かれた」とあり、一方で釈尊が「正法説く者在家より三千年後に現る」と教えています。
2500年前といえば紀元前500年、3000年前といえば前1000年。
この二つの教えから、釈尊は500年も生きてはいないでしょうか?

教団は、組み手がよく御神書を読まないことを良いことに、騙していませんか?
組み手は騙されていませんか? 主神の地上代行者が辻褄の合わない教えを述べるでしょうか?
教えに詳しい方がいましたらぜひお答え下さい。


[655]あーあ 04/10/28 23:28 rDwL4mp1D7X
あの「私見です!」でおなじみの源伸くんが注目する、
ブッダを超人化させている「大本経」や「大般涅槃経」などは、
原始仏教と呼ばれる経典の中でも成立が遅い経典です。
それら原形がつくられたのは、西紀前二世紀あるいはそれ以後と
いうことになり、これらの経がさまざまな形で、やがてくる
大乗仏教の仏身観に向かう第一歩と考えることができます。
その他の経典が触れているブッダの明知なども、すくなくとも
その部分が、ブッダの死後かなり経ってから出来上がった伝承を
伝えるものであることがわかります。


[659]あーあ 04/10/29 23:49 2vjXs.p1D7X
ブッダの教えは極めて理路整然としています。
苦の原因を追及し、それを取り除くことによって苦からの
解放を得るというものであって、それゆえに、ブッダは祈祷
やまじないなどを否定し、また神々への信仰については、
「これを捨てよ」とはっきりと教えているわけです。

<<<大乗仏教と呪術>>>
しかし大乗経典は、この大衆の迷信を受容し、後代に移るほどその傾向
は大きくなります。仏舎利塔信仰だけにとどまらず、やがて、仏像をつくり
それを拝むことが受け入れられ、最後期の大乗教典(密教)では、ブッダが
明白に否定したさまざまな迷信、呪文(真言)や護摩焚等々、さえも受容
されることになります。
「釈尊は呪術を禁じた」という伝承は多くの律蔵に認められ、呪術否定が
根本仏教の基本的な態度であることを、疑う余地はありません。

<<<大乗仏教と"空の思想">>>
大乗経典「般若心経」は空の思想を説き、大乗仏教の思想的基盤と
なったといわれますが、末尾では真言が盛り込まれています。
そして「般若経」は、空の思想とはまったく逆となる「真如」などといった
言葉を用いて「有の思想」の傾向を見せ始めます。
大乗仏教がさらに進展すると、ヒンドゥー教のアートマン(霊魂)論を積極
的に公言するかのような主張も顕れてきます。
大乗仏教の思想というものが、基本的には、「空から有へ」と変化する非仏教化、
ヒンドゥー教化の道をたどったことは、紛れもない事実です。

おおくの新興宗教の教祖たちが、原始仏教に触れたがらないのも無理はありません。


[706]匿名K 04/11/09 9:33 YhYZxKppsue
宗教とは信仰するもの。私は基本的に無宗教ですが、いろいろな宗教の知識を得る事で、自分独自の宗教的
価値観を持っています。だから無信仰と言う訳ではないし、もしこれを誰かに語りそれが広まるようなこと
があれば、これも宗教の体を成すことはあるでしょうね。

問題はその人にとっての神がそこにいるか否か。救われるのか、心の平安を得ることが出来るのかが大切だ
と思う。残念ながら、真光のやり方にはあまり救いや平安を与えうる要因が少ないように見受けられる。
霊障で脅し、奇跡でひきつける、ある一組み手さんの語っている考え方はとても私にとってわかりやすいし、
それが真光の根本にある信念であるというならば私も真光を見直すかもしれない。

私には、崇教真光に入っている友達がいるが、入る前と今と比べて、心の平安を得ているように見えない。
旅行にも行かず、服やアクセサリーに興味を示さず、買ってきた惣菜に手をかざし、ご近所に対するボラン

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03月14日(月)
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