ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■ザ・掲示板3
[955]あーあ 04/07/14 0:33 rDwL4mp1D7X
>>947
そうですね。
もし思想を語りたければ、思想を語るような方法をとればいいことです。
たとえば「思想」とは、その人が考えていること、思っていることです。
例1「ムー大陸があったように思うこと。(思うようにすること)」
「思想」や「思っていること」とは、その内容自体が、事実依存している
(事実であるか否かにかかわる)わけではないので、当然真誤の対象には
なりません。ですからもし、岡田教祖が思想だけを語っているのなら、
当然真誤を吟味される必要がないわけです。
しかし、教祖は、「ムー大陸があったように思っている」とか「−あって欲しい」
のような言語形式、つまり、思想や願望などを吐露しているわけではありません。
例2「ムー大陸はあった」と主張する教祖の態度は、明晰であり、
これは事実認識に基づいて言明していると言わざるをえません。
したがって、教祖の主張>>913 >>915 は、事実認識の問題として真誤の対象に
なるわけです。あなたの言うとおり、これは思想とはいえません。
思想の背後に歴史観、歴史観の背後に思想、真光についてそういった問題
を吟味するのも興味深いと思います。
[985]あーあ 04/07/15 0:41 rDwL4mp1D7X
>>965
>この「ザ」の他の掲示板を色々と見ていますと様々な方がいます。
>霊魂の実在など全く信じていなかった方が、何かをきっかけにして心霊現象を体験し、
>目に見えないが、確かに何か実在している事に気付き始めている方も多い様です。
>真光だとか、宗教だとか、一切関係ない人たちが。
われわれ人間はね、色や形を目という感覚器官(視覚)を介して感じ分けることができる。
熱い冷たい痛い柔らかいなどは、皮膚などの感覚器官(触覚)を介して感じ分けることができる。
味は、舌という感覚器官(味覚)を介して、匂いは鼻という感覚器官(臭覚)を介して、音は耳
という感覚器官(聴覚)を介して、それぞれ感じ分けることができるわけだ。
だけど、きみの言う「存在」は感じる(気づく)ことができないんだな。
なぜなら「存在」というのは、感覚器官が体験する対象ではなくて、「(あるものが)あるかないか」
という判断(思う)の対象に過ぎないからだよ。
つまり、きみの、「目に見えないが、確かに何か実在している事に気付く(感じる)」と言うのも、
感覚器官による体験とは言えないので、(かつて信じてようが信じてまいがに関係なく)たんなる
「霊がある(いる)」という思い込みである可能性が、十分に疑われる。
[986]あーあ 04/07/15 0:43 rDwL4mp1D7X
>>981
統一の宗教観を求めることは今急務なのです、とはどういう意味ですかね。
そういう差し迫った事情には、れっきとした理由があると考えられます。
教えてください。
[1007]あーあ 04/07/16 1:33 rDwL4mp1D7X
>>987
>同時に、宗教を馬鹿にしても良い、勧誘にくる人は「物売り」といっしょだ
>などという誤解が、社会的に絶対上位であるはずの(西洋、中国では当たり
>前)宗教観を下位に落としてしまったがための、連続性の喪失になった、と
>とらえています。勿論それが総てだとは言いませんが。
宗教は人間の実存的要請にもとづいて表出したものだと考えています。
神という存在を措定して、倫理問題の解答をこの存在から得る、という方法が
考え出され、宗教が生まれたと見るからです。
しかし、胡散臭い宗教はつい余計なこともしゃべります。
時として語られる主張の内容が、世界や歴史の事実に関する判断であるとき、
その主張の内容は、われわれの世界や歴史を共有するあらゆる人間にとって無視
することは出来ないものになります。
歴然とした事実の公共性に触れられたとき、その胡散臭い宗教が輪をかけたように
胡散臭く振舞うので、社会の反応(馬鹿扱い)が決定付けられると思います。
[1008]あーあ 04/07/16 1:40 rDwL4mp1D7X
>>989
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