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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■082 gn
*関口氏側は、間違いなく甲子側の最大の敵を、友森清晴警衛警備部長と見ている。フィクサーと呼ばれる男とはどういう人間なのか。世界真光文明教団で警衛警備部長という地味なポジションについていたこの人物は、かつて国の作戦の中枢、陸軍省軍務局ー軍政の中心的部署と並ぶ陸軍省兵務局ー昭和11年軍務局から独立新設、の兵務局兵備課長をつとめた人物である。兵務局兵務課高級課員であり、そのポストの前任は、柳田元三・小松光彦・山崎正男・菅井武麿(武略字にて失礼)ときて友森清晴に至る。国を動かす中枢にいた男であり、兵務局長は阿南惟幾から始まり、友森の当時の上司は、田中隆吉の後をうけた那須義雄となる。
以上は動かしようのない事実であるが、ここから私の想像であるのでお間違いのなきよう。
このような経歴の男が、一介の民間人、関口氏の部下として警衛警備部長として使われることを自分に許せるだろうか?もし嫌なら無一文で出ていかねばならない。岡田だったら平気だった。それは同じ陸士34期の同期の男だから。岡田、通称光玉、本名良一が遺言として「二代は関口さんに」と伝えられた時、友森氏はどう受け止めたのか。「岡田、戦友を裏切る気か、俺達より関口を信用してたのか。俺達のことは考えもしなかったのか」と敗戦で軍歴のすべてを失い、巣鴨にまで入り、出てきたときは浦島太郎。ありついた教団という摩訶不思議な世界に身をおく他は行くところもなし。この安定した世の中で、もう一度放り出されるか、恥辱をうけるのか、もう御免だねと、だったらひと勝負と、通夜の席から岡田の遺言などクソクラエと反撃に出たのか。まったくの想像の域ですので誤解のないよう。友森氏は兵備課長であったが、合い並ぶ同時期の軍務局軍務課長は真田穣一郎であった。後の作戦部長真田少将である。ガ島将兵の撤収を主張し、インパール作戦の杜撰を指摘、反対した。真田元軍務課長は戦後一介の農民となってしまった。少将までいった人である。戦争については語らず、亡き部下の霊を慰める祈りの日々を静かに過ごしていたという。真光が説く皇国史観まがいはニセモノである。皇国愚弄史観である。こんなことを岡田は頭の中で考え続けていたのか?なぜ天皇とユダヤをエタに関連づける教義を上級メンバーの研修会で外人に説くのか。なぜだ?
http://ozemail.com.au~skyaxe/origins.htm
「ムー アンド エンペラー オヴ ジャパン」なんなのだ。この教説は。元帝国軍人の幹部が友森氏他大勢いるのに、なぜこのような教義を平気で説けるのか。そこに戦後失意のどん底に落ちた元将校たちの非常に屈折した思いを見るべきなのか否か。教団真光は、日本人の精神史を、中空になった戦後の「負」の部分を論考するうえで非常に興味深い題材である。戦後の激変に紛れ、日本人がみたくない日本人の姿をこの教団のすべての問題が語っているように感じる。
そのなれのはてが、「暴かれた真光」で既に知られる如く神経ガス殺人集団、オウム真理教とのリンクである。
防衛研究所図書館にある軍名簿には勿論、友森清晴の名はきちんと記載されている。防衛研究所資料に拠り、フィクサー友森のオフィシャルな経歴で、世界真光文明教団裁判の資料を補強する材料が1つある。それは教団の預金名義変更に関するものだ。
中外日報・S57・9・8
「犯罪事実(二)(三)については、教団の銀行預金を多額払い戻し、あるいは預金名義を変更するなどし、あわせて会計帳簿、重要文書類を隠匿したうえで、これら払い戻し金を費消したり隠匿し、あるいは第三者へ送金する等して領得されたものの中から明白なものに限って(二)の三井銀行の二億六千万円(三)の東京都民銀行の二億百六十八万三千六百五十八円について告訴(東京地方検察庁に)しており、これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴名義の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座へ送金されている。」
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04月22日(木)
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