ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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田園調布・梅林旅館の会合

中外日報という宗教に関心のある人なら誰でも知っている新聞に昭和57年というから1982年、二十年も昔に出ていたことが、なぜ知らされてなかったのか。過去の経緯を承知のうえで奉仕活動を団員はしていたのか・・・。

つまりどう見ても「崇教真光」の立教は、関口氏との裁判に負けて、そこにいられなくなったから岡田甲子は別教団を建てざるを得なかった。裁判さえなければ「崇教真光」なる宗教法人をつくる必要はありえなかった。神様が言ったからと、まさか教わっているわけではないと思いますが念の為。お告げじゃなくて裁判です。それは二十年も前にはっきり世間にこうして
公表されている。

宗教法学会第5号では、この経緯を次のように報告している。

「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。この御霊を受けてから一週間も経たない、7月1日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む5名の者が、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった。」

昭和57年9月3日中外日報では、そこが具体的に書かれている。

「ところが7月5日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦(裁判所資料では昌彦)経理局長、岡本洋明調査部長の4人は、『初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された』という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。」

*「遺言の如きもの」と恵珠氏側は言っているが、霊をかりにも扱っている団体であるのに「死人に口なし」とばかり教祖がのこした言葉を前言をひるがえして教祖が言ったのと違う意味にしてしまうとは、随分大胆なことよと思いました。しかもただの死人ではなく、霊能力あらたかと言われた教祖の遺言を、「どうせ化けて出てきやしないから」といわんばかりにねじまげるのは、無神論者でも、さすがにやらないことではないか。これはよほど、たとえ教祖だろうと死者など祟らないと確信してたのかもしれない。それならば、先祖の祟るを恐れ、そこで踊らされている信者とは何だろう。

中外日報は続けて次のように。

「関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、7月13日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)を迎える。その席上松平定堯事務局長から次のように発表されている。『恵珠様のおことばを謹んでお伝え申しあげます。救い主様(初代教え主)より二代教え主は関口さんにお願いしなさいといわれました。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします』(当日の録音テープから転記)」

*宗教法学会の報告は、虚偽登記とはいわず、単に登記という言葉で説明。

中外日報続き。

「13日の公式発表、14日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。」

「17日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に5日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。」

「議事録(議事録記責任者、松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、」


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04月21日(水)
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