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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■035 pseudoscience
 宇野正美が日々の国際政治経済社会にわたる現在的課題を精力的に説きあかそうとしているのは斯界に周知の事実である。とくに全世界のユダヤ人口のうち90パーセントを占める「ヨーロッパ系ユダヤ人はアブラハム、イサク、ヤコプの血統の本当のユダヤ人ではなく、ユダヤ教徒カザール人にすぎない」ことを知り、「親ユダヤを捨て、明確に反シオニスト」となって(『ユダヤと闘って世界が見えた』1993年・光文社)からの論鋒は一層顕著である。
 彼の同祖論もユニークではあるが、共通点さがし、およぴ旧約聖書に投影させた古史古伝的手法で始めている。前掲の『古代ユダヤは日本に封印された』によれば、「今日、イスラエルという国が建国されているが、そのイスラエルで常に下積みにおかれているスファラディ・ユダヤ人と言われる人たちこそセム系にしてアブラハムの子孫であり、本当のユダヤ人である。古代イスラエル人も日本人もその流れから出ている」そうである。そして「私たち日本人と、このスファラディ・ユダヤ人たちとの間には多くの共通点がある」という。
 いまその共通点さがしの紹介に深入りすることは避けるが、この書物に充ちみちているのは、「ならば」、「はずである」あるいは「ないだろうか」という構造の論理である。この「ならば」、「はずである」を反復して積み重ねたあげくに「ほかならない」ともっていく。
 たとえば、川守田のイザナギ、イザナミ=イザヤ・夫婦説を引用して、「もしこの説が正しいならば、日本に契約の箱が来ていることになる。来ていたならばそれはどこにあるのか」。「日本に古代イスラエルの十二部族が来ていたということの証明は、契約の箱をおいてほかはない」。「『旧約聖書』に徹底的に忠実でありたいとする人たちは、バビロンがユダを滅ぼす以前にイザヤとともにその国を脱出した。契約の箱を守るためである。したがって祭司集団も同行したと思われる。彼らははるか東の国、日本を目指して、海流に乗って出発したのではないか」。「『東方』とはどこか。『日出ずるところ』である」。「イザヤ夫婦の信仰を受け継いだ集団が、この当時の日本にいたのではないだろうか」。「『イザヤ書』を繰り返し読んでいたのではないか」。「おそらく今から二千年前、日本と古代イスラエルとの間に交流があったのではないだろうか」。「あるときはシルクロードという陸路、あるときは海流をたどる水道であっただろう」。日本に「古代イスラエル人がいるとするならば、『ヤコプの手紙』は日本人のうちの一部の人に送られるべき手紙そのものではないか。」
 かくて「イスラエル十部族、ユダ二部族の本体が日本にいると思われる」にいたり、「日本に古代イスラエル人の子孫がいるとするならば、世界情勢の激変の中、日本の役割はどのようなものとなるだろうか。「近い将来、古代イスラエル人が日本にいるかぎり、日本の時代がやって来る」。スファラディ・ユダヤ人のレビ前イスラエル外相と丁昔日の弁明も許されず退陣した海部元首相は、ともに古代イスラエル人の血を受け継いだ者であり、地面から芽を出したが、「しかしまだ本格的な活躍のときではなかった。彼らはともにその序曲を奏でたのであった。大みそぎの後、世界は変革し、日本も変革する。その中で古代イスラエル人の子孫たちは、聖書の予言どおり完全回復に向かい、新しい時代の担い手となるだろう」。「不思議な国、日本。この中で不思議な胎動が始まった」というのが、同書の結語である(傍点は宮澤)。
 客観的に実証できないで、仮定法を積み重ね、古史古伝に遊泳して現地の課題に結びつけて断定しても、それは稗史(はいし)的にならざるをえない。それを確信して強弁するとデマゴーグになるが、天津教などのような神秘的信仰の領域に及ぶことになる。

 稗史風といえば、昭和戦時下に同祖論をテコに反ユダヤ反天皇制を結合させた興味ぶかい資料がある。「大阪朝日新開」への「不敬投書」として記録されている(『特高月報』昭和十八年六月)。

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11月28日(金)
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