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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■025 mcinmahikari
霊査の最中には、霊査を受けている人が見知らぬ外国語でしゃべるということがあり、それは憑依霊の仕業ということになっています。小さい子供が母国語でないドイツ語をしゃべったり,オーストラリア人が流暢な日本語やラテン語さえ話したという報告があります。しかしながら、私の14年間の経験の中では、そのような例を聞いたことがありません。私が霊査を受けたときは、殆どの反応は言葉によるものではなく、うなずいたり、首を横に振ったりというものでした。一度だけ私は日本語で返答したことがありましたが、それは「はい」のように、私がすでに知っているとても簡単な言葉でした。
f. Singing or humming
歌うこと、あるいはハミングすること
特にこれが真光の中で使われているということはありませんが、日本語のみ歌はみ祭りの席では歌われます。しかし、それらは極めて短いものです。より長い祈り、すなわち弔霊(ちょうれい)といわれるものがあり、それは人々が額に光を受けているときに歌われることがあります。それは、人々を半催眠状態に導くものです。
5. No critical questions about leader, doctrine, or policy seen as legitimate
指導者、教義、正しいとされる方針に対して批判的質問は許されない。
神の教えや救い主様、教え主様、道場の幹部、真光の書籍に対して批判をすることは、信者の罪や穢れ、あるいは邪霊に操られていることの明らかな証拠と見なされます。このことは真光の教えの色々なところで繰り返し述べられており、御聖言、祈言集、月々の教え、初級研修テキストブックに載っています。
「想念の中に間違いが起こったとき、すなわち、それと気づかないうちに我と慢心が湧き起こってきたとき、または、神の絶対性に対する徹底した無条件の信頼が弱まり始めるとき,人は常に神の教えに対して不平を言ったり批判したりするのです。これは想念の中にギャップを生み出します。これは人間の弱点なのです。このときに人は操ろうとしている霊に憑依されやすくなってしまうのです。この理由により、常に「霊(の障り)と戦うという精神的態度」を持つことが重要なのです。」
[Extract from Teachings of Sukuinushisama, Pioneering the Age of Light & Gap in Sonen, given June 1986. Published in Mahikari Australia Journal, Volume 4, No 9, Sept 1986, pg 16]
「人々はしばしば次のように言います。「これは金儲け宗教だ。宗教はいいことしか言わない。あなたは愚かだ、騙されている。働いて、お金を稼いで好きなように使うことはあなたの権利だ。もし神が大きな愛であるならば、神が救ってくれるのは当然のことだ。」」
「これらの言葉は,正しい方法と間違った方法、あるいは正しい神と邪悪な神との区別を知らない人の言うことです。さらには、神秘なことを体験していない人々でもあります。もしあなたがこれらの人々に言いくるめられて、真光−最高の神の救いの場−の入口から遠ざけられてしまったとしたら、なんとかわいそうなことでしょうか。それは、幸せの門から去ることであり、自分自身で地獄への道を歩むことを意味します。あなたはまだ真光の中をほんのちょっと覗いただけです。気をつけてください。これは、邪悪な霊による混乱が再び現れる兆候なのです。」
[Mahikari Primary Kenshu Reference Textbook, Do Not Listen to Dangerous Words of Evil Deities, pg 84]
6. No alternative belief systems viewed as legitimate, good, or useful
他のどんな信仰も、正当であるとか役に立つとはされない
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07月29日(火)
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