ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■097 judge
〔参照条文〕裁判所法第三条

〔コメント〕1―10(本巻一三六頁)の控訴判決である。
 東京高裁第四民事部は、「原判決取消、請求認容」の仮処分判決を下し、Xに代表役員の仮の地位を認めた。Yは最高裁へ上告した。
昭和五二年九月二二日、最高裁第一小法廷はYの上告を棄却した(昭五二(テ)第三三号)。
なお、1―11(本巻一三九頁)の控訴審、東京高裁第七民事部の本案訴訟事件でYは「御神示」全文を提出した。
昭和五七年七月一〇日、東京高裁第七民事部で和解成立した。和解により「YはXの代表役員(教団規則上の教え主)たる地位確認し、控訴を取下げた。
昭和五三年、Yは岐阜県高山市に「崇教真光」を開教され、教え主・代表役員に就任された。

【判決文】
<判決理由>

 「神示なるものは、宗教団体の本質的な活動領域に属する事柄であるから、その取扱いにあたっては、当該宗教団体の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることのないよう留意しなければならないことはいうまでもない。

 そうした考え方から、本件神示が、被控訴人岡田甲子らの主張するごとく、六月一三日に啓示されたものであり、且つ、同日被控訴人岡田甲子が神意によって被控訴人教団の二代教え主に任命されたことを意味するものであるとすれば、 ――しかも、被控訴人岡田甲子ら主張のごとく、右被控訴人が同日初代教え主より直接右神示のような話を開かされて「ヨのみ霊」を授けられたものであるとすれば、なおさら、前記発表(注、六月二五日通夜の際の二代指名発表)は、一見、本件神示と矛盾することとなる。

 ところが、神示は、たとえ宗教団体の内部にあっては批判を許さない絶対的権威を有するものであるとしても、
司法裁判所の訴訟において、それが役員の任免その他地位に関する当事者の主張事実を裏付ける証拠となりうるためには、裁判所の判断に服さなければならないことは当然であって、単に神示であるという一事をもって裁判所の判断を排除しうるものではない。それ故、問題は、専ら、本件神示に前記発表の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠カが認められるかどうかの一点にかかっているものといわなければならない。

そこで、以下この点を検討するのに、

 1 仮りに、被控訴人岡田甲子らの主張するごとく、真実被控訴人岡田甲子が六月一三日被控訴人教団の二代教え主に指名されたものであるとすれは、右被控訴人は、同日以降、少なくとも本件神示の発見されたという八月一日以降は、自己の行なった前記発表が本件神示に反することを明確に認識していたはずである。そして、いかに同被控訴人が自己の過ちを認めるのに困難な立場にあるとはいえ、その発表の内容が教団の命運をも左右しかねないほどの極めて重大な事柄であり、しかも、前叙のごとく、すでに世間に正式に公表されているのであるから、同被控訴人としては、一刻も早くこれを訂正するのが当然であり、また、その機会も十分あり得たにもかかわらず、教団内部においてはともかくも、一般に対して正式に訂正を試みた形跡は全くなく、本件訴訟に現われた全資料に徹しても、この点につき合理的な説明を与える事情を見い出すことはできない。

 2 また、仮りに、前記発表で付加された「詳しいことは追って示します。」との発言が、被控訴人らのいうように、被控訴人岡田をもって二代教え主とする本件神示を意味するものであるとすれば、それは、控訴人が二代教え主に指名されたとする前記発表自体、全体として合理的な意味を有し得ないこととなる。そして、他に、右発言の合理的な意味を確定し得る疎明はない。それ故、右の発言も、また、前記発表の内容の真実性を合理的に否定する資料とはなり得ない。


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05月26日(水)
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