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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■035 pseudoscience
 それによると、わずか二千六百年の神武日本は「最近において幾千年振りに世に公開された『竹内文献』」の証明するところによると、「神武天皇は実は皇統第千百六十九代」になっており、日本建国は少なくとも一万年以上遡源させて、「万国に先達つ世界の本家親国(神国)たる」位置におかれる。かくてモーゼは、天皇から「万国の総王」という印綬を授けられて来日し、崇神天皇の三博士派遣、キリストの十字架後の「父祖の故郷、魂の故郷たる神の国日本」への渡来等々が、確認されないまでも論定されるのだろうという(『救世主の出現と地上天国』1972年・霞ヶ関書房)。奥所は在野にあって真言密教および古神道の研究を深め、兵庫県洲本市に在住、地上天国建設を祈念する宗教法人安養寺住職である。
『竹内文書』の人びとは堀田の指摘する宣長や篤胤のような満身創痍で悲痛なまでの知的な努力を傾けたかどうか。その内面はともかく、論理においては「この項外秘」どころか、世界に認知されたユダヤ、キリスト教の教理と歴史に公然と擦り寄って、それどころか、これを超古代にいとも簡単に飛躍させる道具=神代文字に依拠して処理してしまったのではないか。俗流の国学思想の歪んだ変形にとどまり、残念ながら結局、「記紀」のようには日本人の共有する古典にはなっておらず、また宣長、篤胤にも及ばないことは間違いない。
 このような検証不能というべき信仰的世界に遊ぶことなく、日猶同祖論を説こうとすれば、たとえば小谷部全一郎(1867-1941)の彼我の対照による民俗、習俗の類似や川守田英二のユニークな言語学的研究によるヘブライ語・日本語一致の発見などに頼ることになる。しかし、これらもその多くは信仰人によって、かつ古史古伝の世界にさかのぼってなされてきたのが実態である。
 小谷部の場合を見てみよう。彼は「十九歳意を決して外国帆船に便乗し、赤裸紐育(ニューヨーク)に上陸して以来、異郷の学窓に螢雪の苦を嘗めて春秋を迎ふること十有三年、而も其間一銭の邦貨を費やさず、最後の名残に世界五大学の一に列するエールを卒業して帰朝」した。「西教の原理は我神道とその趣を同ふすと信ずる自説を確めんが為」の神学研修でもあったという。いまその経緯は省略するが、結局「従来の神道は旧習に囚はれて世と進歩を伴はざる嫌ひあるが故に、之を革新して世道民心を益する機関たらしめんと欲し」、「内外史家に難問とせられ居る我大日本の起源に就て筆を執り以て本書を成すに至ったのである」
 内外における苦節を経て、日本の基礎民族は「英邁の資、卓越の才を懐く希伯来(ヘブル)選民の正裔なり」と「立証」し確信することができたとき、それは宗教的体験に似た回心であったに違いない。こうして彼の同祖論は神道的な「独自の宗教」を創出したのであった。
 このような自負に支えられた日本人観に立って、「東方に金甌(きんおう)無欠三千年の神国日本の毅然卓立する事を知らず、屋上更に屋を架せんとして神国建設の運動に盲動しつゝある猶太(ユダヤ)の子孫等よ覚醒せよ」といましめ、「卿等須く大悟徹底し」、「我日本と唇歯輔車(しんしほしゃ)の和親を保ち徐(おもむろ)に神の道を天下に弘布し、物質文明に陶酔して前後を弁へざる現代人に覚醒の機を与へ、世界を真の平和に導く仲介者たれよ」と訴えた。
「我等と同じく罪なくして排斥せらるゝ、猶太民族に同情を寄せ、彼等を光明に導き希伯来の理想にしてまた日本の使命たる神国樹立、四海同胞、乾坤一家の天業に共力する所あらしめよ、是即ち皇祖の所謂八紘を掩ふて宇(いえ)となさんとせる聖旨に合し、併せて父祖に孝を神に忠なる所以也」
 かくて「今は正に日本人の一大覚醒を要するの秋にあり」と認識されていた。1929年における時局のなか、日本至上を説く日本主義であり、現実には近代国家としてのルーキーであり、国際的にも困難ななかで、世界を恣ア(きょうどう)すべき使命をもつという民族的指針を構築したのであった。

<現代の稗史としての同祖諭>

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11月28日(金)
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