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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■038 pseudoscience
 日本では世阿弥元清が81歳の生涯を閉じ、アルバニアではスカンデルベクの指導下でトルコに対する反乱が勃発して独立政府が樹立された1443年、朝鮮半島でひとつの文字が“創案”され、その言語システムが“編纂”された。
 すなわち李氏朝鮮第四代の王・世宗(セヂヨン)による国字――<訓民正音>(フンミンジョングム)として1446年に公布―-がそれである。世宗という言う強大な権力によって制定され朝鮮国字は、子音字母が17(現在は14)、母音字母が11(現在は10)からなる音素文字だ。
 当時までに朝鮮半島は大陸の豊かなさまざまな文化を享受していた。そのなかには同じく音素文字であるパスパ文字やモンゴル文字もあった。訓民正音はパスパ文字やモンゴル文字の原理にならって考案されたと考えられる。
 進化した――いわば文字の極北にするとの声もある朝鮮国字だが、もっとも、制定された李氏朝鮮時代は正字である漢字に対する民間文字――<諺文 (オンムン) >であり、あくまでも従の文字であった。
 それが主の文字となるのは、1894年の甲午改革によって公用文にも採用されるようになってからのことだ。この改革は、じつは日本という他国からの外圧による、甲午農民戦争を契機に出兵した日本は、日清開戦の口実として朝鮮近代化に者手、さまざまな改革法令を発令した。
 日本資本主義進出の道を広げた甲午改革によって訓民正音が主の文字となったのは、なんとも皮肉な現実だ。この頃になると訓民正音は<国文>と呼ばれるようになり、さらに日本の完全統治下に入ってからは<ハングル>という名称が与えられた。
 ハングルとは、<大>を意味する古語<ハン>+<文字>を意味する<クル>――であり、すなわち<大いなる文字>という
 この大いなる文字ハングルが、日本にじつに不思議な形でもって伝えられている。<阿比留(アヒル)文字>――神代文字の代表的なものとして知られる異端の文字がそれだ。東京の日枝(ひえ)神社にも、阿比留文字で書かれた神号額が掲げられていた。
 ハングルと神代文字……その奇妙な関係はいったい何を意味し、その背後には何が隠れているのだろうか。

<謎の阿比留文字>
 阿比留文字は阿比留草文字とともに、対馬のト部・阿比留(あびる)家において発見された。江戸後期の国学者である平田篤胤(あつたね)は阿比留文字を神代文字の楷書体、阿比留草文字をその草書体としている。また篤胤によれば楷書体である阿比留文字は肥人之字(肥人音)であり、日本固有の文字である。
 篤胤は文政二年(1819)に著わした『古史徽開題記』の春之巻のなかに、「神代文字の論」なる一節を設けて、幻の文字をめぐる特異な論理を展開する。
 篤胤は述べる――『古語拾遺』に「上古之世未有文字」とあるが、『日本紀私記』や『釈日本紀』に散見される異体文字をどう理解したらよいのか、それらこそ神代文字ではないのか。空海の製(つく)った以呂波(いろは)文字にしても神代文字の書法を用いたのではないか……。
 本居宣長と並ぶ国学者であった篤胤は、同時に鬼神学・暦学・易学・医学・数学にも通暁する博学者であった。広範膨大な知識を駆使して、彼は歴史の闇の彼方――神代文字の深層へと迫っていく。
  『古史徽開題記』において日本に“漢字以前の文字”が存在する可能性を示唆した篤胤は、その後およそ五年を費やして古文字と伝えられる文字群をフィールドワークしてゆく。彼のフィールドワークはそして、文政七年(1824)に著わされた『神字日文伝(かむなひふみのつたえ)』に結実する。
  『神字日文伝』に「日文四十七音(ひふみよそちまりななこえ)」として紹介されたのか阿比留文字であった。この阿比留文字はハングルに、阿比留草文字は梵字に似ている。かつて吾郷渚彦氏はこの二種類の異体文字について、篤胤の指摘について、次のように解説された。
「篤胤は、アヒルモジを肥人之字(または肥人書)、アヒルクサモジを薩人書と記している。彼は生存中、豊国文字を知ることがなかったので、『神字日文伝』において、この両種神字こそ、わが国固有の文字として、大いに強調し、その存在を力説した。
 けれども篤胤が、アヒルクサモジをアヒルモジの草書体と見なしたことは、彼の瑕瑾として訂(ただ)されなければならぬ。

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11月25日(火)
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