ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■039 pseudoscience
これは明かに諺文に基づいて作つたもので、諺文は朝鮮の世宗の時はじめて作られたものであるから、日文はそれ以後のものである事疑無い。篤胤は、諺文との類似を認めながら、却つて、日文が古く朝鮮に傳はつて殘つてゐたのに基づいて諺文を作つたものとしてゐるが、さうで無い事は、諺文創定の歴史や、それまでの朝鮮の文字の歴史を見れば明かである。猶、日文は伊呂波と同じく四十七字であつて、濁音を除いて六十種の音節を區別した奈良朝の言語は勿論の事、四十八種の音節を區別した平安朝初期の言語を寫すにも不十分である事、もし日文が實際世に行はれたものとすれば、これで國語を書いたものが殘存すべき筈であるのに、さやうなものはなく、あらゆる違つた文字だけを集めた字母表といふべきもののみが存する事、その字母表の順序も「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」となつて、かやうな順序は古書にも所見なく、全く意味をなさぬ事、又、一般文字史上單音文字は最發達した段階に屬するものであるから、日文の如き單音文字は我國にはじめて出來た原始的の文字とは考へ難い事などの諸點から觀れば、日文は決して古く我國に出來て行はれたものではなく、ずつと後世に誰かが作つたものと考へられる。日文以外の諸種のb代文字は、更に一層疑はしいものである。さすれば、我國には、固有の文字は無かつたのであつて、漢字が早く渡來した爲、之を用ゐて日本語をも寫したものとおもはれる。

【解説】 橋本進吉氏の「國語学概論」は、当初1932年「岩波講座日本文學」として出版され、1946年に「橋本進吉博士著作集」として再刊された。国語国文学における歴史的名著であり、現在、数多くの図書館に収蔵されている。岡D晃Y氏は國學院大學で神道考古学を専攻したのなら、この名著の存在を当然知っているはずである。
<橋本氏の主張>
1) 文字発達の一般原則は、表意文字が最初にでき、次に音節文字ができ、最後に単音文字ができる。日文(ヒフミ)はハングルに似て、単音文字を組み立てて音節を表現しており、わが国に最初にできた原始的文字とは考え難い。
2) 篤胤は日文が古く朝鮮に伝わってハングルができたと称しているが、歴史上は考えられない。
3) 日文はイロハと同じ47字である。奈良朝期は60種、平安朝初期は48種の音節を区別していたはず。
4) 日文を用いて書いた文献がなく、字母表のみが残っている。
5) 結論として、日文はずっと後世に誰かが作ったものであろう。漢字が伝来するまで、我国に固有の文字は無かった。

 漢字が伝来するまでに我国に固有の文字が存在したなら、遺跡・古墳から出土した土器・副葬品・瓦・石碑などに文字が書かれたものが出てくるはずだ。岡D晃Y氏は、中国で亀甲や獣骨などに刻まれたのが発見されていると、はっきり述べている。『神代文字』なるものは考古学上証明されていない。また正倉院に数多くの古文書が保存されているが、神代文字で書かれたものは一つもない。もし神代文字の正当性を主張するなら、その学問的根拠を博物館に展示すべきであろう。
 国語・日本史の教科書や、広辞苑にも、「漢字渡来以前には我国に固有の文字は存在せず」と書かれている。S教M光推奨校の立S大学S南高校では、国語や日本史の授業でどう教えているのだろう。
 橋本氏は『上代特殊仮名遣い』の研究を大成し、奈良朝期には八母音であることをつきとめた。神代文字は五母音のため、合致しない。もっとも最近、金沢大・松本克己教授と奈良女子大・大森重敏教授により「母音の交代現象」という新しい説が出た。「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも五母音であったが渡来人の影響で八母音になった。」という説である。「漢字」を国語化する際の一時的な虚像であるというのだが、この議論はまだ決着は付いておらず、橋本氏による定説を覆すにはいたっていない。もしこれが認められれば、神代文字を否定する根拠の一つが崩れるわけだ。

『國語學書目解題』 亀田次郎
原文http://www.ne.jp/asahi/nihongo/okajima/Kameda2.htm#motosue
所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN11062672

神字日文傳 本文二巻二冊附録一冊

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11月24日(月)
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