ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■032 KD
最終更新日:2001年8月13日
http://home.earthlink.net/~delogan/others.htm
ローガン夫妻に寄せられた体験談のうちの一つです。ロサンゼルスで真光隊員が道場の窓から飛び降りて自殺を遂げたことなども書かれています。
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ニューヨーク小道場 元真光隊員 K.D.氏の体験談
初めまして、グリーンウッドさん。
あなたが世間に重大な情報をもたらして下さったことに感謝しています。僕自身は6年間、組み手でした。 私は真光隊隊長として全身全霊で御神業に打ち込んで来ましたし、主座で行われた真光隊国際修練会にも参加したことがあります。私は"VERY SUNAO"といわれるような、献身的、模範組み手だったと思います。入信して以来、真光にのめり込んでいましたし、集中して御教えなども研鑽してきました。鸚鵡(オウム)のように御教えをそらで言えるほどでしたし、どの幹部と談話するときもそんな感じでした。組み手になって最初の一年間は教えに対して疑問も感じていましたが、僕はただそれらすべてが真理であればと刹那に望む日々でした。 神から与えられた壮大な御経綸のために、自分は神から選ばれたんだと思うことで期待に満ちていましたし、特別に思えたのです。だから疑問からは目をそらしていました。
僕は心の中にある疑念は、自分の霊的な曇りのせいだと機械的に考えて、押さえつけてきました。特に僕の場合は何年もの間、霊動がでていましたからね!!その一方で、自分は読書家でもあったし、生活への探求心を持ち続けていました。だから奉仕活動に明け暮れる日々も、自分や身の回りにに起こった出来事に対する即席の霊的解釈にも嫌気がさしてくることもありました。 他の精神世界や、哲学の本を読んで、真光以外のそれらの情報が御教えと矛盾がないかどうか、思いめぐらすことに時間を割いたりしました。
こんなことで自分を納得させて、再び真光に没頭して行くことになるのですが、結局それは、自分が本で読んだことを、いつも御教に結びつけて考えるようになっていたからであって、加えて、もちろん曇り消しのための真光の業や、人救いなどの名目があったこともあります。こういうことの繰り返しで私は他の組み手や幹部からは献身的な組み手のように見られていたようです。 ところが、あることがきっかけで私は真光の業について疑念を強く持つようになりました。
私の妻はやはり組み手でした。彼女は妊娠したのですが、お互い真光隊であったこともあり、当時はとても熱心な組み手でした。妊娠中は妻はお浄めは毎日めいっぱい受けていましたし、御奉仕も多くこなしていました。出産の際には、他の組み手さんに立ち会って貰ってお浄めしてもらったりもしました。しかし、妻は大変な苦痛を伴った長時間の難産をすることになり、その後も痛みがしばらく抜けなかったのです。彼女や、赤ん坊にとっては非常にトラウマの残る体験だったと思います。私も、あれほど御奉仕して、手かざししてきたことが、意味がなかったことにすっかり打ちひしがれてしまいました。しかし結局は、大難が小難になったという御教えで、頭の中ですぐに正当化してしまいました。 普通であれば、ひょっとしたら命を落としていたことかもしれない、などと考えてしまったんですね。振り返ってみると、如何に自分の心が、御教えに忠実に教え込まれていたか、如何に"地上代行者、OSHIENUSHISAMA(真光隊信条でさんざん唱えさせられた)に献身的な奴隷であったかがよくわかります。その後、3年間ぐらいは真光について疑念を抱き続ける一方で、強烈な洗脳を受けていたため、只々それが真実で本当の天国行きの切符であってほしいと願い続けていました。
そして僕の疑念はまだつづくことになります。ある事件がきっかけで疑惑が強くなったのです。ロサンゼルスのある熱心な真光隊員が、道場の3階(4階?)の窓から飛び降り自殺を遂げたのです。彼はその時期、精神的に参っていて、(幹部はそのことも知っていましたが)、天変地異のおりに危険にさらしてはいけないと先祖の位牌まで彼は持ち歩いていたほどでした。
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10月31日(金)
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