ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■067 publicationsinJapan
 教育基本法改正問題でも、自民、保守新両党は「国を誇りに思う心」や道徳、規律、宗教心などが身につく教育の実現を盛り込みたい考えだが、公明党は、同法改正には一貫して慎重。解散前の通常国会で改正法案提出が見送られたのも、公明党が「愛国心」「宗教教育」などの盛り込みに強硬に反対したためだ。


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崇教真光と「日本を守る会」

「真光」誌(崇教) 400号 (平成8年1月) 41-43頁
お祝辞 「二十一世紀を迎えるにあたって」
日本を守る会初代事務総長 副島廣之

 昭和四十二年七月、戦後三十年も間近い当時の日本が、池田内閣の所得倍増政策によって経済的発展をみたが、精神的には占領政策の桎梏(しっこく)から脱却できず、国民の国家意識や民族としての連帯感を失い、物・カネと物質主義と利己主義に走り、学校教育も日教組の左翼偏向によって、次代を担う子弟の育成が危ぶまれる状態となった。
 かような日本の状況を憂慮する宗教界、社会教育会、学界、言論界などの長老たちが「このままでは日本危うし」という危機感から、東京の日本工業倶楽部で会談をおこなった。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源、神社本庁前総長富岡盛彦、明治神宮宮司伊達巽、全国師友協会会長安岡正篤、真光教団開祖岡田光玉、生長の家総裁谷口雅春、作家の山岡荘八の諸先生など、錚々(そうそう)たる人物が十数名、筆者が世話役をつとめて談論風発の一夕を過ごしたが、この集いを二回、三回とつづけるうち、おのずから日本を守る会の結成が申しあわされ、昭和四十九年四月二日、日本を守る会の結成総会が明治記念館で開催され、「わが国の伝統精神に則り、愛国心を高揚し、倫理国家の大成を期す」以下五か条の基本運動方針や役員を決定し、筆者が事務総長を仰せつかって運動を開始した。
 運動の始めは百人委員会の結成と随時開催によって同志的結合を深め、続発する諸問題に対処して時の総理に会見し、叱咤激励するなど果敢な発足であった。この中で真光の岡田光玉師も積極的に協力されたが、残念ながら程なく他界された。しかし幸いに岡田恵珠師が教団を「崇教真光」と改め、光玉師の志をついで日本を守る会の代表委員に就任され、今日に至るまで教団をあげて協力をいただいてることは、誠にありがたく、また今回機関誌『真光』が四百号を迎えられることに対し、心からお慶び申し上げる次第である。
 平成七年は二十一世紀を数年後に控え、また大東亜戦争終戦五十年の年であった。終戦後の六年間、日本は占領軍の支配下に置かれ、致命的な変革を余儀なくされた。神道指令を発し、大日本帝国憲法をアメリカ製の日本国憲法に変え、教育勅語を排除失効させるなど日本古来の信条や政治、教育の根幹を破壊したほか、極東軍事裁判(東京裁判)という勝者が敗者を一方的に裁く無法な裁判によって、多数の要人を戦犯として処刑し A日本悪玉論によってわが国を侵略国と断定し、マスコミや学校教育によって日本人を洗脳した。こうしてマインドコントロールされた日本人は、日本の伝統的良風美俗を失い、物欲的人間と化し去った。二十一世紀を目前に控え、”日本人よ目覚めよ“と叫ばざるを得ない。(以下省略)

注:
1) 明治神宮宮司の外山勝志氏が「真光」誌400号40−41頁に祝辞をのせているが、内容は省略する。
2) 崇教と悪徳国会議員の関係は、”真光関係者集合!!(10)”No.51-70に書かれてある。
http://life.2ch.net/psy/kako/1037/10376/1037673567.html
3) 陽光子の三大徳目『心の下座』に岡田恵珠師が、「日本を守る会」代表委員として昭和64年の「年頭のことば」を掲載している。

崇教真光二十六周年秋季大祭(宇尾好委員長)
「真光」誌(崇教) 279号(昭和60年12月) 41-42頁
お祝辞 十月十三日 「救い主様、教え主様のみ意顕現」
参議院議員 防衛政務次官 村上正邦

 私は今日この荘厳なる秋季大祭二十六周年を記念いたしましての式典に参列させていただきましたことを心より御礼申し上げます。真に有難うございます。

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01月20日(火)
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