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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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「教祖誕生」 上之郷利昭著 新潮社 1987
7-26頁 陸軍中佐岡田良一を襲った「真光」の啓示
伊豆・修善寺から車で二十分ほど山中に入ると、忽然と大殿堂が聳(そぴ)え立っているのが見えてくる。高さ六十メートル、四周六百メートル。
宗教法人「世界真光文明教団」の大本殿である。
玉砂利を敷き詰めた前庭に立つと、眼下に修善寺の町を配して、雪を頂いた富士山を眺望することが出来る。その敷地約三百三十万平方メートル。辺りの山をほとんどそっくり、この教団は買い取ったのである。
飛騨・高山。
ここにも、昭和五十九年十一月三日、天を突くばかりの大殿堂が姿を現した。高さ五十メートル、四周五百メートル。総工費三百億円。
宗教法人「真光」の世界総本山である。
三階建て吹き抜けの大ホールには世界有数のパイプオルガンが聳え、瀟洒(しようしゃ)な国際会議場は六カ国語の同時通訳装置を備えている。
噴水の湧き出る、総本山の小高い庭に出ると、一面雪に覆われた日本アルプスの連山を背景に、小京都と呼ばれる高山の街並みが静かなたたずまいをとどめているのを眺めることが出来る。
この二つの教団は発祥を同じくする。
教祖は岡田光玉。
光玉が一教を立て、布教に乗り出したのが昭和三十四年。わずか四半世紀の間にこれだけ巨大な殿堂、広大な土地と、国内は勿論、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、南米、オーストラリアなど世界各地に、両教団合わせて五十万人になんなんとする信徒を擁するに至った。
岡田光玉が案出した「真光」教団の特徴は「手かざし」である。
教祖、あるいはその後継者から「御み霊」と呼ばれるペンダント様の信仰の印を与えられた「神組手」と呼ばれる信徒が、病に苦しむ者、心に悩みを持つ者に向かって、主として右手の掌を相手に向け、手をかざす。この、一見まことに単純に見える所作によって、病は去り、心の悩みは癒されるというのである。
にわかには信じ難い、と信徒以外の人びとが思うのは当然である。今日、神組手になっている人びとに尋ねてみても、彼らのほとんどすべてが、最初は、奇蹟としかいいようのない手かざしの効用を信じなかった。だが、その彼らが、自分自身が病を癒されるという体験を通して手かざしの効用を信じるようになり、今度は神組手として、病にさいなまれながらまだ信じようとしない人びとを説得し、手かざしによって救おうとしている。
こうした人たちが日本ばかりでなく、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカへと広がり、その数五十万人に達しょうとしている。そして、強要されることなく感謝に満ちて彼らが奉納したはずの寄金によって巨大な殿堂が建立され、視察の日には、明るい表情の神組手たちが自分でお金を出して、バスを連ね、飛行機に乗って、遠くはパリやニューヨークから馳せ参じて来る。
この事実は、奇蹟を信じない者でも認めないわけにはいかない。
「真光」の技には、岡田光玉が編みだしたそれなりの、論理ともいうべきものが存在する。
森羅万象は神の配剤によって成り立ち、動いている。病や不幸は何らかの理由によってその配剤に反したことによって起こるのであるから、神が出される「真光」を、かざした手から受けることによってあやまちが正され、病や不孝から救出される――。
わかりやすく言えば、これが「真光」の技を支える論理である。
信じる者の側から言えば、これは「岡田光玉が編みだした論理」ではない。神の道を究めた「救い主」岡田光玉が神と出会い、神から授けられた真理なのである。
岡田光玉は明治三十四年二月二十七日、岡田稲三郎、登実の長男として、東京・青山に生まれた。俗名は良一であった。上に三人の姉、下に三人の妹があり、良一はその真ん中にはさまれる形で、ただ一人の男児として生まれた。
岡田の家系は、名家と呼んでもさしつかえはないだろう。
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01月26日(月)
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