2002年10月14日(月)  四あわせの五円玉

■同僚Aちゃんの結婚パーティー。わたしの披露宴のとき人一倍張り切ってくれた彼女らしく、かわいいアイデアにあふれたパーティーだった。「出席者全員と話をしたい」を実行するために、新郎新婦と言葉を交わした人は首にレイをかけてもらえる仕組み。おひらきの頃には色とりどりのレイが会場をいちだんと華やかに彩っていた。レイに結びつけられた昭和四十四年の五円玉は、二人の生まれた年と御縁を引っ掛けた遊び。十四万枚の五円玉から出席者の人数分の四十四年ものを発掘したらしい。しあわせの年生まれのお二人さん、末永くお幸せに。


2002年10月13日(日)  新宿のドトールにいませんでした?

昨夜といっても日付けは今日の出来事。STRAYDOGの打ち上げが楽しくて時間を忘れているうちに地下鉄の終電が終わってしまったのでJRで帰ったのだが、巣鴨の駅を降りてタクシーを拾おうとしているところに見知らぬ男性が声をかけてきた。客引きか酔っぱらいかナンパか、と一瞬身構えると、「あのー、今日、新宿のドトールにいませんでした?」。

「はい、いました」と答えると、男性はホッとした顔になり、「胸のつかえが取れました。ありがとうございました」と立ち去ろうとする。今度はこっちが気になってしまい、「あのー」と聞く番になった。男性の説明によると、わたしの姿に強烈なデジャブがあり、いつどこで見たんだっけと記憶をたどったら新宿のドトールではないかと思い当たったということだった。同窓会のはじまる前の待ち合わせで店に居たのだと言う。「決して、新宿ドトールから後を尾けてたわけじゃありませんよ」と言われ、笑ってしまった。

同じ時間同じ店に居合わせた他人同士が6時間後にまったく別の空間で遭遇し、そのことにお互いが気づく確率というのはどのくらいあるのだろう。マーケティング関係の仕事をしていて普段から人を観察する癖があるらしい男性と、覚えられやすい格好をしていたわたしの組み合わせがもたらした不思議な出会いだった。その日着ていたのは、原宿の古着屋で買ったアメリカ生まれの手製ワンピース。裾にはパコダテ人の衣装に使われた小川久美子さんデザインのアップリケを縫いつけてあった。こんなの着て歩いている人、確かに他にはいないよね。

◆他にも一点ものいろいろ。いまいまさこカフェ fashion gallery


2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』

■偶然にも招待が重なって、昨日と今日で3本のお芝居を見た。脚本を書いていると観劇の機会が増え、それがまた脚本の勉強になるとは、ありがたいスパイラル。金曜夜は、『アクアリウムの夜』に多佳子役で出演された秋元紀子さんのひとり語り。安房直子さん作の『銀のくじゃく』とオレンジ色の自転車の話を朗読する優しい声と長村美代子さんの奏でるハープの響きがあいまって、心地よく物語の世界に引き込まれる。
■土曜昼は、PLAYMATE公演『隣のベッド』。作者の川上徹也さんは、コピーライターから脚本家になった人。六年ほど前に広告関係者のパーティーで知り合ったときには脚本を書く人だとは知らなかったし、わたしも脚本の書き方さえ知らなかった。お芝居のほうは、とにかく笑った。隣りあったワンルームに暮らす夫婦のもとに居候が転がりこむという設定だが、「隣のベッド」が重要な関心事となっているので、下心や駆け引きや嫉妬が見え隠れして面白い。会話がしゃれていて、うまく書くなあとジェラシーを感じた。出演の小林愛さんは、先日観た『くれよんしんちゃん』のお姫様の声の人。すごく印象的な声だったので名前を覚えていたのだが、台詞の第一声を聞いて「この人だ!」と思った。■土曜夜は、STRAYDOG公演『心は孤独なアトム』。幕が開いた瞬間からハイテンション。台詞はマシンガンだし、ギャグ連発だし、出演者は舞台狭しと走り回り、タップを踏み、これでもかというぐらいエネルギッシュ。いい意味で「腹に響く」感じ。書けなくなった脚本家の現在と小学生時代と劇団員時代が交錯するストーリーだが、同じ台詞つながりで別の時代へ移す工夫で、3つの時間軸をスムーズに行き来していた。このお芝居は、劇団の主宰者であり作・演出の森岡利行さんから直々にお誘いいただいた。月刊ドラマや月刊シナリオで名前を見ていたので、「あの森岡さんだ!」と舞い上がった。木下ほうかさんの友人という縁でパコダテ人を観て、わたしに興味を持ってくれたらしい。作品は絶好のプレゼン材料なのだ。舞台もまた役者さんたちのプレゼンの場。「彼女にこんな役をやらせたら」「今書いている話の主人公は彼のイメージかな」と想像をかきたてる人が次の仕事をつかんでいくのだろう。上演後、打ち上げに参加させてもらう。好きな道で頑張っている人たちには特有のオーラがある。それが合わさるから、お芝居を見ると元気になるのかもしれない。


2002年10月06日(日)  餃子スタジアム

■2週続けてナンジャタウンの池袋餃子スタジアムへ。『のんほお』の上海点心餃子、『華興』の東京餃子、『吉鳳園』の宮廷餃子、『歓迎』の羽根付き餃子、『上海酥餃房』のパイ餃子、『招福門』の海老揚げ餃子と水餃子、『餃々』の浪花ひとくち餃子、『古屋』の南京屋台餃子を制覇する。わたしのイチオシは『歓迎』。■今日は松田美由紀さんの誕生日。前田監督に連絡をもらい、パーティーにお邪魔する。『濱マイク』組や『青い春』組の人達に混じって、『パコダテ人』組はアシスタントプロデューサーの石田さんと松田一沙ちゃんと大蔵省君とわたし。目が悪いので誰か誰だかよくわからなかったけれど、輝いている人たちのオーラはビシバシ感じる。「わたしたち、こんなとこにいていいんでしょうかねえ」「プロデューサーが役者にビビってちゃいけないんだけど」と石田さんと話す。一沙ちゃんは「今日はいい夢見られそう」とミーハーしていた。女優なのに思いっきり普通の女の子してるのが愛せる。美由紀さんはあいかわらずかわいい服を着て、元気に動き回っていた。大森うたえもんさんのギターでハッピーバースデーを歌い、ロウソクをフーッする。到着が遅れた前田監督とは会えずじまいだった。


2002年10月04日(金)  平日の休日

■このところ残業と休日出社続きだったので、昨日の午後と今日、代休を取った。昨日の夜から今朝にかけて『風の絨毯』の日本語字幕を仕上げ、昼前にディレクターにメールする。ペルシャ語を翻訳したものを簡潔な表現にする作業。同じ意味を伝えられるなら、短い日本語にしたほうがいい「1秒に読めるのは3文字まで」を目安に何度もビデオを巻き戻し、タイミングを計った。■いつも観れないテレビ番組、ふだん行けない店。平日の休みはトクした気分になる。そうだ、銀行に用があったと思い出し、三井信託銀行を目指して家から20分歩くと、そこは三井住友銀行だった。20分かけて引き返す道中、クイーンズシェフ伊勢丹のベーカリーで、カフェオレとパンの昼食。『理由』(宮部みゆき)を読み、ゆったり過ごす。その少し先にある園芸屋で「1鉢300円セール」をやっていた。卸業者なので原価で売れるとのこと。通常なら千円以上するという立派な花鉢がずらり。「買わな損!」とばかり6鉢持ち帰ったら腕が千切れそうだった。■鉢植えをベランダに落ち着かせたら、もう夕方。春にオープンした近所の『Platinum』という美容院にはじめて行く。椅子を倒さないシャンプー台を初体験してビックリしてたら、「最近は多いですよ」と言われた。少し首を後ろに傾けるだけでシャンプーできる。「みなさん、目を開けてますか」と聞くと、「だいたい開けてますね」。わたしはしっかり閉じていた。■ダンナの実家にごはんを食べに行き、戻って『ロッカーの華子さん』を観る。会社の人たちが面白い面白いと言っていたのに、やっと観れたのが最終週。それでも十分楽しめた。華子さんの部屋とファッションがとにかく素敵。あの部屋に住みたい、あの服を着たい、とすっかり目がハートに。70年代の古着を買いに行こうかな。

2000年10月04日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)


2002年10月01日(火)  Mr.少林サッカーからのプレゼント

シナリオを書くようになってから、面白いように世界が広がっているが、またユカイな出会いがあった。7月29日の日記に感想を書いた映画『レイズライン』の監督・福谷修さんより「レイズラインを検索したら、今井さんの日記にヒットしました」とメールが届いた。

福谷さんとは同僚の友人のダンナさんという縁でつながったのだが、まだお会いしたことはない。メールは「日記を拝見すると、少林サッカーに大変興味があることを知り、その関連グッズをプレゼントさせていただきます」と続いていた。

「『レイズライン』で古雑誌回収業者を演じた西冬彦さんは、ギャガのアジア・オセアニアループの営業チーフであり、『少林サッカー』を輸入した立役者」なのだという。「もともとアクション俳優志望で、自らも主演アクション映画『WILD NIGHTS』を自主制作、インディーズルートではなく、昨年BOX東中野で正式に劇場公開、さらにクロックワークスよりビデオも販売、レンタルしています。そんな彼が海外で発掘し、周囲の反対を押し切って、映画買い付け人生をかけて輸入したのが『少林サッカー』なのです」とは知らなかった。

『少林サッカー』の爆発的ヒットで、朝のワイドショーに「ミスター少林サッカー」として紹介されるなど有名人になってしまったため、『レイズライン』の宣伝上は俳優・西冬彦の面をあえて強調しているとのこと。会社員をしながら監督や役者として活躍されている西さん、かなり興味深い人物である。

福谷さんによると「ふだんはとてもダンディで、アクション映画系の二枚目主演俳優の風貌ですが、『レイズライン』ではあえて『新境地を開拓したい』と汚れ役(?)に挑戦」したとのこと。撮影中はほとんど数日間断食をして、駅周辺に寝泊りするなどして、リアルで強烈な存在感を出したらしい。そういう裏情報を知って見ると、より興味深いかも。『レイズライン』は10月21日(月)深夜5:00-7:00衛星劇場にて放送、11月15日(金)からTSUTAYAなどでビデオレンタル開始される。

楽しみにしていた少林サッカーグッズは先週末に届いた。Tシャツとピンバッチ。それから『WILD NIGHTS』のビデオと手紙が添えられていた。スクリーンの向こうの世界がまた少し身近になった。

2000年10月01日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)


2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日

ダンナの妹とダンナの弟嫁と遊ぶために早起きする。池袋のサンシャイン劇場で『パニックルーム』を鑑賞。隠し部屋の中と外だけでどうやってスリリングな展開になるのかと興味半分に観てみたら、最後までドキドキさせられた。悪党を仲間割れさせたり、別れた夫を呼び出したり、助けを呼ぶ方法もあの手この手あり、なるほどこうやって話を転がしていくのかと勉強になる。さすが。

同じくサンシャインの中にあるナンジャタウンにこの夏出現した話題の『池袋餃子スタジアム』でお昼。長い列は1時間待ちの大盛況。「園内食べ歩き」で買った餃子を食べながら列に並ぶ。揚げ餃子、焼き餃子、蒸し餃子、水餃子、パイ風餃子……2時間で8種類を制す。9月末まで開催中の「アイスクリーム博覧会」もひやかす。うなぎアイス、手羽先アイス、そばアイス……。無難に抹茶アイスどら焼きにする。

3時過ぎに出社。夕食は、なか卯の親子丼を買い出しに行く。帰宅すると11時過ぎ。長い日曜日だった。


2002年09月28日(土)  料理の腕前

■大阪に住むダンナの弟夫妻が上京してきたので、ダンナの実家に集まった。義弟の嫁は結婚当時からの献立を日記につけている良妻。台所で義母を手伝えるようエプロンを持ってやってくるけなげさが義父母を感激させている。「エプロン持ってくるのが次男の嫁。タッパー持ってくるのが長男の嫁」とキャラクターづけがハッキリできているのをいいことに、「料理はタコ焼きとお好み焼きしかできません」と開き直っていたら、なんと今回、弟夫妻は電気タコ焼き機持参で現れ、相当レベルの高いタコ焼きを作ってくれた。東京出身の義弟と山口出身の嫁にタコ焼きでも差をつけられてしまったのだ。わたしのダメ妻ぶりは周知の事実なので今さらジタバタする必要もないのだが、「君も見習いなさいよ」と言うダンナの視線と「少しは頑張ってほしいわね」と本音を漏らす義母の手前、「まったくやってないわけじゃないんですよ」と主張せずにはおれなくなった。昼に作ったアサリのパスタをダンナがおいしいおいしいと喜んで平らげたのを思い出し、そのことを報告すると、「あら、やればできるじゃないの」と義母。わたしに甘い義父は「お、やるじゃないか」と目を細め、ダンナの妹は「へーえ」と意外そうな声を上げ、わたしの株は一時的に上がったかに思われた。だが、「え?あれ、マズかったよ。全然味しなかったし」とダンナの裏切りに遭い、ダメ妻返上計画は失敗に終わった。■「わたしにはおいしいって言っといて、家族の前ではマズいって言うの、二枚舌じゃない?」。家に帰ってダンナをなじると、逆に居直られた。「作ってくれたから悪いかなと思って、おいしいフリしてたけど、マズいかどうかなんて自分の舌でわからないの?」。ギャフン。


2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS

■前田監督に誘われて、MONSTER FILMS(モンスター・フィルムス)のオープニング・パーティーに顔を出す。「アオイの関係のパーティー」と聞いて、てっきり宮崎あおいちゃんかと思ったら、制作プロダクションの葵プロモーションのことだった。葵プロモーションと、同じく制作プロダクションのTYOの人達が初期メンバーとなって立ち上げた制作会社で、TYOのグループ会社らしい。葵プロもTYOも、わたしの勤めている広告代理店とはおつきあいが深い。行ってみると、パーティーには同僚やらCF制作でご一緒したプロデューサーやら見知った顔がたくさんいた。前田監督は映画を撮りながらCFの仕事もしている。一方、葵プロやTYOはCFだけでなく映画制作も手がけている。MONSTER FILMSもCFはもちろんショートフィルムなど映画をやっていく方針のようだ。■映画と広告は近いんだなあと偶然自分が置かれている二つの世界の共通項に感心していたら、前田監督に山本泰彦さんを紹介された。CF界では名の知れた演出家の方で名前は存じ上げていたが、『僕は勉強ができない』の監督さんでもあった。しかも「あなたの会社で一時期勤めていましたよ」。なんと先輩だった。山本さんの紹介でスタイリストの高橋靖子さん、キャスティングの百武恵美子さん、脚本家の藤田一朗さんとお話しする。脚本家の知り合いはほとんどいないので、ありがたい出会いだった。■映画と広告の両方に力を入れる会社が増えてきたら、映画界と広告界はもっと近くなるんだろうな。二つの世界の境界線があいまいになってくるのは、わたしにとってはうれしい傾向。


2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ

■このところ夜遅くまで残業することが多く、ampmのとれたて弁当をちょくちょく利用している。冷凍のお弁当をレンジでチンして出す仕組みだが、解凍時間が異なる食材が同時に食べ頃になるのは不思議。和風、洋風、中華とメニュー豊富なのがうれしい。今日はジャンバラヤを選ぶ。ジャンバラヤは思い出深い食べ物。学生時代にニューオーリンズを訪ねたとき、地元のクレオール料理の店で出会った。口にしたのも名前を聞いたのもはじめてだった。トマトと香辛料の絶妙な組み合わせにやみつきになり、ジャンバラヤミックスを買って帰り、何度も作った。名前の力強い響きが好きで、「気合いを入れる日の料理」と勝手に決めつけ、就職活動の頃はとくによく作った。会社の英語の試験の自由作文に「縁起を担ぎたい日にはジャンバラヤを食べる。今朝も食べたので、試験に合格するはずだ」と書いたら入社できた。ジャンバラヤミックスが底をついて以来、遠い存在になってしまっていたが、いつの間にかコンビニで買える身近な存在になっていたとは。感慨にふけりながら味わう。味はチキンライスに近かった。■小泉首相の北朝鮮訪問以来、食事どきの話題はもっぱら拉致問題。同僚たちはそれぞれ思うところがあり、雑誌や新聞やネットで仕入れた情報を分け合い、意見を言い合っている。朝鮮人学校が攻撃に遭い、休校が相次いでいるという話に心を痛める。国と個人がごちゃまぜになってしまっている。開けてしまったパンドラの箱の中身をどう整理していくのか、近くて遠い国との関係はこれからどうなっていくのか。最近は新聞をくまなく読み、考えさせられている。

2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙

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