今日はガーゼ交換に。 縦の傷はほとんど癒えて、あとは歯の形に空いた穴。これもだいぶ塞がりもうすこし。抗生物質の投与もダメ押しであと三日分。 ただまだ穴があるので油断は禁物。ガーゼと消毒は毎日続ける。
待合室で読んでいるのはチャンドラー/村上訳の「ロンググッドバイ」。今半分を過ぎたほど。
夜になって雨が降り出す。 猫の餌を病院で買う。PhコントロールとSD。ともに病院でしか売っていないドライフード。 うちはルルの疾患のこともあり、これ以外のフードは与えていない。小さい頃からずっとこれ。よく食べてくれる。ルルだけ水でふやかしたものを食べる。
雨の音を聴きながら、金曜日の連載の原稿書き。ツバメノートに書き込んでいって一応最後まで書いた。
明日、打ち込みながら直していく。
話は昨晩から始まる。 午後九時半。ハナを寝かしつけ、猫たちのもとへ。
水を替え、トイレを清掃し、遅い晩ご飯を食べるルルのトレイを整えていると、どうも様子がおかしい。 猫たちがいない。でてこない。 そこで一匹ずつ捜索していった。
ベッドの掛け布団の下に潜り込んでいたのがルル。ダイニングテーブルの下に潜んでいたのがキキ。ところがこの雄たちが何かひどく緊張し、警戒のポーズをとり続けるのだ。
さて雌が二匹とも見つからない。 するとお客様用ベッドの下の隅にうずくまるピピを発見。血の付いた爪が落ちている。 喧嘩か? ベッド下からピピを引っ張り出すと、案の定、左前足の内側の大きな爪の根本から出血していて下腹部と足が真っ赤。床も。ベッドのシーツも。
いやがるピピを抱え洗面所に連れて行き、体を洗った。 血はもう止まっていて、乾いていたのだけれどタオルを何枚か真っ赤に染めてしまった。
それが終わり三匹がベッドルームに集合。 後もう一匹、チャチャがいない。
かなり探して発見したのは折りたたみ座卓の裏。かなり怯えていた。 傷はない。
さて何があったのか。
喧嘩なら猫の毛が舞うほどに散らばっているのだけれど、それがない。 四カ所に置かれた水を入れたトレイのうち二つがひっくり返っていた。 それを拭きながら原因を考えていた。
ピピが何かでパニックになったのは確かなようだ。部屋を見ていくと壁紙にきつい傷が付いていた。爪研ぎのようなレベルではなくしがみついたような跡だ。しがみつき、落ちていったような。
うーん、わからない。マーロウ氏に相談する訳にもいかず、ピピの身に何か起こったのだろうと想像するのみ。 猫は時として人知を超えた行いをすることがあるのだし、と。
翌朝、たぶんまだ血糊が体についているだろうとピピを見ると、見事に真っ白なおなかと足だ。 すばらしいグルーミング!! 何かに怯えていた猫たちも平穏に戻った。
ハナのところに戻り、排泄の世話と散歩をし、ベッドに寝かせて落ち着いたところで、ぼく自身の指の治療に出かけた。 老先生によるガーゼ交換る腫れはだいぶ退き、痛みもないのだけれど、傷を開放しているので時々ひりっとする。
ほんの少しだけ膿が残っていて、それを掻き出す。痛。 だけどかなり快方に向かっているという自覚がある。 「もう少し毎日くるように」「先生、明日は休みです」。
帰宅してから、ハナの定期診断へ。前回、これで指を噛まれたのだ。
体重微減。体温少し低め。 点滴とビタミン注射。そして問題の腸の具合…。 「あ、今回はいいです。少ないし、柔らかい」 ということでおなかをごしごし「しごく」こともなく帰宅。
痛くなかったのでルルもご機嫌。 動物病身への行き帰りに、さわやかな風を満喫もしたし。
来週も治療。 その時にはぼくの傷がふさがりだしているといいのだけれど。
2010年09月24日(金) |
突然、秋の日になりました |
秋雨前線が通過して、秋がいきなりやってきました。 ベランダのゴーヤに、実がまだ三つほどついているんですが、もう収穫します。
指の傷は少しだけ「まし」に。 ずっとレイモンド・チャンドラー「ロンググッドバイ」・村上春樹訳を読んでいます。
今日ノートに抜き書きしたのは京都新聞の記事。イチローの10年連続2000本安打に関しての記事。そこから気になる部分。意識の中に潜り込ませたい部分を書きました。
「道具にこだわるイチロー」にも注目していて、それもすべて自らの感受性を研ぎ澄ましているからだと思うのだけれど、他人のバットやクラブに触らない、というのは凄い。自分の感覚が狂うから、と言うのがその理由なのだけれど。
特注のトレーニングマシンも「上半身用」はテレビで観たことがあったけれど、今年は「下半身用」もあるのだそうだ。 去年ふくらはぎを痛めたからだそうで、故障からの回復のためだけでなく足全体の機能強化、バランスを考えたものなのだという。
もちろんグラブ、バット、スパイクに対するこだわりも相当なもので、それは国内にいた頃、というより高校生の頃から続いているのでしょう。
「体の感受性」に曇りがなく、それに素直に従って行動できる。そしてその結果が間違っていなければ同じ事を続けていく。意識的であるから間違いがあればすぐに気がつき、すぐに修正する。 その細かな積み重ねなのだろうけれど。なかなかできることじゃない。
そのことを意識できるかどうか、ですね。
ルルが治療の痛さから逃れるようにぼくの指を咬んだのが土曜日。 傷は右中指の腹側と左人差し指の腹と爪の横の3カ所。 消毒して市販の傷薬で処置し、包帯を替えながら連休を過ごしたのだけれど、一カ所だけがまったく治まらず逆に傷口がひろがりだしました。
これはまずい、ということで旧五番町(「夕霧楼」の舞台になった場所)近くの外科医へ。 老先生、経口の抗生物質で様子を見るかどうか迷ったあげく、切開することを決定。その場で処置してもらいました。
傷口は深く、先生曰く「切開して正解。こんなに深かったら薬では治らんよ」。 膿やら傷んだ組織を掃除し、傷口にガーゼを挟んで包帯で留められた。
猫による傷はよく洗浄し、「開放」しておかねばならないのだとか。 脱脂綿やらガーゼで無理矢理塞ぐと内へ内へとウイルスがこもっていくのだそうです。(そういえばまったく逆の事をしていました。) したがって処置の後も傷口は縫っていません。
それでも残りの2カ所は傷が浅かったので日曜日には塞がっていたのですけれどね。
明日、包帯交換。ガーゼを取るとき痛そうだなあ。だけど悪いところをとったのでほっとしています。
今日は火曜日なので「新冷血」を読み、病院の待合室では「ロンググッドバイ」を読んでいました。
村上春樹訳の「ロンググッドバイ」もいいです。 47ページに気になるところがあって全部ノートに抜き書き。
「自明のものとして見過ごされてよいことなどそこにはひとつもない」
という結びになるブロックなのだけれど、これこそチャンドラーの、村上春樹の作品の細部の一つ一つに感じる事であり、この作家たちの、本質のある一面を言い当てている言葉だと思うのです。
それは村上訳のギャツビーでも感じた事でした。
しかしつらつら考えるに、優れた小説はすべてそうなのかも知れませんね。 高村さんの作品もそうだし。
そうそう新訳としては人文書院からでたサルトルの「嘔吐」の新訳の評判がとてもいいので読んでみようと思います。 思うに現代の小説はここから出発した、ともいえるのではないでしょうか。
今日はルルの定期検診。 結腸に障害があるので週に一度はみてもらっているのだけれど、また便がかちかちになっていた。 猫の腸はおなかの上から触診で状況がだいたいつかめるらしく、先生が指で解すことに。ぼくは後ろ首を持っていたのだけれど、ルルには相当過酷だったようで、右の中指と人差し指をカブリと噛まれた。
猫の体は柔らかいからくるりと後ろも向けるのだ。 いつもおとなしいから、と油断したのが間違い。首にカラーをつけるべきだった。
中指はたいしたことがなくて、もう全然痛くないんだけれど、人差し指の傷は相当深くて、今もずきずきする。 消毒と包帯の交換をさっき済ませたところ。日にち薬だなあ。
ルルは出るべきものが出たので一安心。
今月は文庫の新刊を二冊手元に置いている。「ロンググッドバイ」レイモンド・チャンドラー・村上春樹訳。「乳と卵」川上未映子。 かたやとても分厚い。かたや頼りないくらい薄い。
併読中で今日も動物病院に持参して読んでいたのは「ダブリンの人々」ジェイムズ・ジョイス。これは米本義孝さんの2008年の新訳。 こいつも分厚い。
「猫に噛まれる人」ってのも登場しそうだなあ。自分で書いてみようかな。 「暗稽は滑稽に通じる」…まさにそんな話を。
毎日何かを書きつけているので文房具に神経質になりがちなのだけれども、万年筆にあうノートとしてツバメノートを、ある方から紹介してもらった。 いやあほんとに万年筆にあう。ボールペンにもとてもよくあう。
紙面はつるつるというわけではなく、指で触ると引っかかる感じもするのだけれどインクが滲まない。ペンがよく滑る。 これはフールス紙というのだそうだ。
画像ではノートを沢山積んでいるけれど、抜き書きや原稿のメモをこれに書いている。
ペンは一番よく使う二本。 左がハワイ土産にもらったコナ材でできたボールペン。少し重めなのが気に入ってます。中味は今年になってパーカーをインストール。 右はプラチナの屋久杉万年筆。一度カートリッジの差し込み口が曲がってしまったのだけれど修理してからはトラブルなし。
ただいまノートカバーを発注しているところ。 紹介してくれたSさん、ありがとう。
背中が固いのが嫌で、ストレッチを毎朝していていたんだけれど、バタバタしていたので今朝やらなかった。
そしたらてきめん。 しんどい。 慌てて昼過ぎにやったら、やはり背中のしなりが鈍くなってた。 毎日やらないと駄目。
日々の暮らしを「パフォーマンス」だと大袈裟に考えれば、バレエダンサーやイチローのように日々同じ事の繰り返しをしないと、クオリティーの維持はできないんだと改めて自覚する。
そもそも人間の肉体はは座って仕事をするようには設計されていないと思うので、体を動かして調節するのは大切な事なのだろうな。
書く事だってそうだ。 たぶん。
夜になって「イングリツシュ・ペイシェント」のサントラを聴く。 曲と構成ははカブリエル・ヤレドによるものだ。
「善き人のためのソナタ」のサントラで興味を持ち、最近出たアンダーワールドとのコラボのサントラ「Breaking and Entering」ではまり、先月は「ラマン」のサントラをよく聴いた。
今月は「イングリツシュ・ペイシェント」で、来月は「ベティ・ブルー」を聴く予定。
一度聴き出すと、ある程度の期間、日々繰り返し聴く。
レバノン生まれのフランスの作曲家ヤレドのメロディは独特でどこかもの哀しい。
昼から書いていた原稿をとにかく最後まで書ききりました。 掲載は金曜日だから時間はあるし、草稿はあるし、分量もごく短いから明日に回してもよかったのだけれど、書いてしまわないと怖いので。
というわけで最後まで書きました。 最後のほうはカレーラスのテノールをがんがん流しながら。大袈裟な、と思われるだろうし自分でも思うけれど、偏在する「力」に助けてもらっています。 書いていないとその力も効かないし…。
2010年09月14日(火) |
ああしたからこうなった |
昨夜はThe Birthdayのロックン・ロールを深夜に聴きすぎてなかなか眠れなかった。 年甲斐もなく、か。
例えば矢沢永吉だったらアルバム「Don`t wanna stop」が好み。 ブルーズの匂いがするほうが好きなのだ。
金曜日の連載のこと。 一応最後までノートに書く。明日打ち込み。
最近はずっと紙に書いてからパソコンに打ち込んでいる。 指の動き、紙面の自由さからノートを離すことができない。 そんなノートに書き込む万年筆を全部掃除した。ぬるま湯につけて置いておく。 シェーファー、パイロット、ウォーターマンは問題なし。 モンブランと銀のシェーファーが相変わらず不調。修理に出した方がいいみたい。
ノートはコクヨからある方のアドバイスによりツバメノートに。 これはいいね。 万年筆には最高。 革のノートカバーをつけようかと思っている。
今夜もどうせロッケン・ロールを聴くんだろうから、さっさと聴いてさっさと寝よう。 ハナに深夜起こされるので寝不足。涼しくなったから朝が起きにくいしね。
人間というのは贅沢というか、ややこしくできてるね。
あまりにも日記の間隔が空いた。一つ前が四月二十六日。指折り数えて五ヶ月弱。一年前ぐらいまで少しずつでも書いていたから、(それ以前は毎日)、まるで何年も書いていなかったような気になる。
だけどネットには書きつづけていて、それは主にtwitter。短いけれど考える作業は続いている。 それと連載の小説は書きつづけている。(もうどれくらいになるだろう。)
で、四月の頃と変わったことはデスクトップ以外にノートパソコンが一台増えたこと。
そして(これに限らずなんだけれど)いろんなデータのほとんどを外部にアップして、つまりクラウドに放り込んで、パソコンそのものを軽く軽くしている。
開けて、すぐ起ちあがるように。 検索も早く動くように。 だからこのノートパソコンは気に入りの音楽を数曲入れている以外は、極力ソフトもインストールせず、ほとんどモノカキ専用になっている。書いたデータもすぐに外に出してしまう。
パソコンを追加した理由には愛犬ハナの老衰のこともある。機動性が必要になったから。でーんと座ってられないんだ。
とにかく寄り添っていないとどこで倒れるかわからないし、たとえ尻餅でも自分の力では起きあがれないものだから。
だけど、おかげでパソコンをどこでも使えるようになったのが日記を再開しようとした理由の一つ。
理由はもう一つあって、最近集中して読んでいる堀田善衛さんの「定家明月記私抄」の影響。 藤原定家の「日記」である明月記を堀田さんが丹念に追った著作。(続編も含めて文庫であります。)
平安末期から鎌倉時代にかけてかかれた定家の日記は漢文で書かれていて、ふつうとてもじゃないけれど読みこなせない。堀田さんは七年かけてスペインのバルセロナでこれに取り組まれた。
定家と同時代を生きた鴨長明の「方丈記」と、鎌倉幕府の「公式記録」愚管抄、そしてほかの公家たちの残した日記も傍らに置いて、だ。
平家滅亡後の、いわば「物語が終わった後」、テロの嵐が吹きすさぶあまりに凄惨な鎌倉時代の姿を、ぼくは生き生きと知ることができた。
そしてやはり書き置かねばなるまい、と思ったのだ。 時代に対する姿勢を自分で確認するために。たとえ毎日ではなくとも。 書く自分を創り出すために。
堀田さんも指摘されているけれど、この時代は「日記」がとにかくよく書かれた。今とよく似ている。 ただ誰もが公開を前提としていないだけで。
おかげで定家のような時代に対してディタッチメントを貫いた男もいれば、自由人であり続けた鴨長明もおり、この二人よりもあきらかにスケールの違う生き方をした西行がいたことを知ることができる。
「歌」を残そう。和する歌を。 さもなくば呟きを。 あの凄惨な時代をくぐり抜けた言葉残っているように、21世紀の「凄惨」をくぐり抜ける言葉が書ければ、と考えた次第だ。 (堀田さんは、定家の時代と自らの第二次世界大戦をくぐり抜けた時代とを重ね合わせても見せる。)
そしてネット上での再会もあった。 懐かしい名前。 ある日メツセージが置かれていて、ぼくはその人と何年かぶりに言葉を交わした。
まだ言葉は繋がっていた。
詩はイデーでは書けない。 詩は言葉で書く。 そんなマラルメとドガの話も「定家明月記私抄」には書かれていた。
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