2009年09月22日(火) |
庄野さん、ありがとう。 |
本日、庄野潤三さんが亡くなりました。 大好きな作家が亡くなって、とてもさみしい気持ちでいます。
庄野さんの小説を初めて読んだのは「庭のつるばら」です。 芥川賞を受賞された「ブールサイド小景」ではなく、その後の「家族」をテーマにした作品群により親しみをおぼえ、次々と本は増えていきました。若い頃の著作へ、イギリスのエッセイストたちの作品へとひろがりながら。
その頃ぼく自身は創作作品のすべてを詩で書いていて、小説は時たま。本格的に書き始めたのはネットに発表を初めてからです。 それまでは、そして今でも吉行淳之介さんの「驟雨」「暗室」など、「その場の空気が、心の中も含めて浮かび上がるように見える」作品が最もひかれる作品だったのですが、庄野さんの一連の「家族小説」はある種、「衝撃」でした。
それまでも作品の中にサスペンスと苦渋と殺人ばかりが何故こうも必要なのか、何故、難病と孤独ばかりが作品になるのか悩んでいたこともあります。
ゆったりと、たおやかで、「うれしい」という言葉が何のてらいもなく実感として響いてきた小説は初めてでした。 …こういう人がいたんだ…。 まさに静かな「衝撃」でした。その「衝撃」がさらなる執筆へと背中を押してくれたのは間違いありません。
庄野さんがこのようなスタイルへと向かっていく「決意」は、エッセイ集「自分の羽根」に書かれています。恩師、伊東静男の影響もあるのでしょうが「自分の羽根で飛べばいいんだ」という決意は、家族と共に生き、そのことをしっかりと見つめ、そこから掬い上げられたものだけを作品にするという決意であったと理解しています。
人は関係の中でしか自分をつくることはできない、とぼくは考えています。その「場」が、家族なら、家族のなかで自分をつくればいい。 それをベースに「自分の羽根」で飛べばいいんだ、と。 そのように庄野さんの姿勢がぼくを変えました。「そのように倣おう」と。
「光函」「音函」「街函」とつくった作品群、ゴザンスで、アメブロで。メルマガで書き続け、今は「おとなのコラム」で書いている作品のすべての基礎は庄野さんにあります。
時として文体が重くなり出したら庄野さんの作品を読んで、考え抜かれた、無駄の一つもない文章に触れることもあります。
感謝。 ただそればかりです。
今日、このニュースをネット上で知り、MIXIの記事にすぐに反応しました。 TWITTERでもすぐに書きました。MIXIではいままでにない数の「あしあと」が記されました。
庄野さんの作品群はこういう多くの、そしてたぶん静かな読者たちに愛読され支えられてきたのだと思います。 そして、みなさんずっと読み続けられる人たちだと思います。年月とともに色あせる作品たちではありません。むしろ読者たちの心の中で灯火のように光り続ける作品だと思います。
心よりご冥福を祈ります。 庄野さん、ありがとうございました。
2009年09月15日(火) |
「自分は弱い」と語る男 |
朝、目が覚めたとき雨の音がした。久しぶりのこと。 午前中、外での用事があったついでにコンビニへ。某コンビニのドーナツが好きで時々買うんですが、そこでついでにコミックスをチェック。
何故かいつも本屋ではなくコンビニで買い、ずっと集めている「バガボンド」の31巻がでていて即座に購入。 コミックスで求めてるのは数年前からずっと浦沢直樹と井上雄彦の二人だけになってしまいました。もう少し他の作者のものも読みたいんですが…不勉強です。
この二人の中でもどちらかというと井上さんのほうを、その井上作品の中でも「バガボンド」を繰り返し読んでいます。
「バガボンド」には武蔵ともに故郷を出奔した、幼い頃からの友人、本位田又八が登場します。 31巻は又八が病に倒れた母を背負って国へ帰ろうとし、その途上で母が亡くなる物語が、再び柳生へと向かう武蔵の物語とともに描かれています。
又八は老いた母を背負い、自分の来し方を振り返り、出世欲と色と金の欲に溺れ、才能と努力のなさを嘘で塗り固めて生きてきた自分をとうとう悟るのでした。本当はとても心の優しい男なんですが…。
そのあたりは読んでもらった方が数百倍わかるのだけれど、武蔵という強烈な存在に「あてられた」故の、弱さを隠し通すための嘘地獄を生きてきたことを母に告白したのでした。そして、いまわの際の母とともに死のうとして泣くのです。 「俺は弱い…」と、とうとう呟いて。
結局、又八は崖から飛び降りることができず、さらに「弱い! 弱い!」と泣きながら転げ回りながら叫ぶのです。(これも絵を観てもらった方がその迫力が凄いんですが…)
それに答えて母が「よう言うた」と。 「弱いものは 自分を弱いとは言わん。 おぬしはもう弱いものじゃない。 強くあろうとするも者。もう一歩目を踏み出したよ」
曰く 「この世に強い人などおらん 強くあろうとする人 おるのはそれだけじゃ」と。
母は亡くなり、又八は墓を作り故郷へ帰っていきます。「自分は弱い」と知った男として。
この本を読み終えて、昨晩「ぼくは弱い」と語ったもう一人の男を思い出しました。 それは、大リーグで史上初の9年連続200本安打を記録したイチローです。
昨晩、早速放映されたNHK「スポーツ大陸」。これまでのフィルムに追加し、取材された今年のインタヴューで「ぼくはプレッシャーに弱いです」とまっすぐに射すくめるような目をして「はっきり語気を強めて」語っていたのでした。
番組では感覚を大切にし、研ぎ澄まし、その最高の自分を維持するために、ありとあらゆる努力を傾注するイチローの姿が紹介されていました。 そこには自分が崩れてしまう事への「恐怖」さえ感じるほどです。
「自分が弱い」とイチローはきっぱりと語りました。 だから…。 だから、やはり常に「強くあろうとする者」なのです。
人はそれぞれ才能のレベルは違うし、生き方も違う。ぼくなぞ又八の気持ちが刺さるようにわかるけれど、「強くあろうとする者」として生きることしか自分を前進はさせない、と感じたのでした。
それは武蔵がまた闘いの果てに、その彼方に「何か」を求めようとしている姿勢とも重なるのです。
2009年09月13日(日) |
「これは物語なの、と思うことにして…」江國姉妹と雨宮さんの対談 |
フジテレビ系で毎週日曜日、午前7時から7時半に放送される「ボクらの時代」をよく観ます。この番組は同時代を生きる気のおけない友人が、だいたい「トリオ」の単位で語りあう番組。
これまでもほぼ同じ歳の香川照之、小泉今日子、本木雅弘という素敵な三人のトークがあったりしました。
今日のはずっと楽しみにしていた三人。江國香織(姉)、江國晴子(妹)、雨宮塔子(妹の高校の同級生)。 江國香織ファンとしては肉声が聴ける貴重なチャンスです。 江國姉妹の往復書簡は某誌で(ku:nelだったかな)読んでいたけれど、姉妹のツーショットというのは初めて拝見しました。
雨宮さんは、晴子さんの高校・大学と同級生で、さらに雨宮さんのお父さんは江國姉妹のお父さん、江國滋氏の担当編集者だったとか。縁が深いのです。
晴子さんは現役の編集者。雨宮さんはアナウンサー退職後、パリ在住で西洋美術史の研究をしておられます。ぼくは雨宮さんのマティスを取材した記事を読んだことがあります。 香織さんは言わずと知れた我らが小説家・詩人でありますね。
トーク・セッションの場は東京・西麻布の壁が全部本棚というバー(?)のような場所。 三人はそれぞれ飲み物を手に語ること、語ること。いちばんしゃべっていたのは香織氏。
さて内容は、幼少の頃の話(姉に厳しかった江國父のこと、例えば着るものは白、紺、グレーに限るとか)、結婚の話(夫婦間の愛情とか)など。
晴子、雨宮両氏はしっかりとしていて、穏やかな印象なのだけれど、香織氏はどうみても「突き抜けてる」ところが目立ってしまいます。
印象に残っている話は、江國父の「物事に執着しない」という主義が娘たちにも徹底されていたこと。 例えば「犬を飼う」ということに関しても、犬が死んでも「独身女のヒステリー」のように悲しまない、という条件がつくように。
その「モノに執着しない」ということが作家・江國香織のなかにもしっかり繋がっているように思えたのでした。例えば登場人物の性格にさえも。
そのクールさ、というか物事を客観視する生活の「癖」が生き方にも物語づくりにも大きな影響を与えているように思えたのでした。 例えば香織氏は夫と諍いがあつたとしても「これは物語なんだ」と思うことで、事態を時とともに過ごしていくといいます。そんな「生き方」。
実は同時刻に、ぼく以上に江國香織ファンである「文庫本主義者」も同番組を観ていて、わざわざ電話をかけてきたのです。 曰く 「私と一緒なの。江國さんのあの感覚とてもよくわかるの」と。 彼女の場合だと。幼い頃、両親が大げんかをしていてとても不安になったとき「これは物語なんだ。わたしは物語をの中にいるんだ」と思うことで、なんとか心のバランスをとったというのです。
物語だから紆余曲折ののち必ずちゃんと「結末」がある、と。そう思えば辛い今を耐えられる、と。 そしてそれは「物語」だから「経験」となるし…、と。
その話を聞いていて、以前、婦人公論で江國香織、川上弘美、山田詠美の三人の座談会で江國さんが「いつでもこれは小説に書かなきゃ、と思うことがある」と語っていたことが、今日聞いた「『これは物語なんだ』と思うことで、生きいく」ということがぼくのなかで重なりました。 ひょっしたら江國香織さんは「切実なまでに書くことが生きていくこと」なのでは、と思えたのです。
さてトーク・セッションでは雨宮さんがワイン(たぶん)、晴子さんがジンライム(たぶん)、香織さんがビール(やはり)で盛り上がるのでした。 ところで香織さんは「猫毛」ですねえ。くしゃくしゃのシャツも雰囲気にあっていて、まるで親しい友達の家で寛いでいる様子なのでした。
画像は週刊現代に連載している「真昼なのに昏い部屋」の切り抜き。クリアファイルが一冊終わりました。次週から二冊目に入ります。 物語は旦那さんが奥さんの不倫を疑い怒る…奥さま外泊す、というところにさしかかっております。さてどうなるのかっ!
MIXIだともう少し大きい画像になります。
2009年09月12日(土) |
「内向き」ということ |
昨日は久しぶりに祇園の「ごまや」へゆき、詰め替え用と練り胡麻を購入。祇園は相変わらずの祇園だったのだけれど、帰り道の河原町の汚さに唖然としました。これが観光都市でいちばん賑やかな通りだとしたら情けない。 御池通、四条通、三条通、木屋町、京都駅前…たいてい綺麗になっているんだけどなあ。
女性の映画監督の記事を二つ読みました。 ひとつは糸井さんの「ほぼ日」で西川美和さん。もう一つは週刊現代で河瀬直美さん。 おもしろかったのは、西川さんはシナリオを作り上げていく初動のところで、キメのシーン(たとえばエンディングだとか)を描くところから始めている様子だったところ。河瀬さんで興味深かったことは、シーンのそれぞれに音楽が貼り付いていそうな気配がしたこと。 これは小説や詩の制作に繋がる部分があります。
もうひとつ河瀬さんの語っておられたことで、思わず考え込んだのは、彼女が専門学校で映画制作を学んでおられたときに先生が彼女に語ったこと。 曰く。 「作品のベクトルが内へ、内へ向いているうちは、自分のプライベートな日記にすぎない」
これはとても大切なことだと思うし、とらえ方を間違えてはいけない言葉だと思ったのです。
あくまで「作品のベクトル」であって、それを獲得するために制作者は自らの内へ、内へと降りていく作業をするということ、です。 少なくともぼくはそう思います。
世界へ、歴史へ、なにより他者へと繋がっていく、そのために。
婦人公論の9/22号が発売前に編集部から届いた。 届くということは入選した、ということなので嬉しくなって本誌を読むと、今までにない評を井坂洋子さんからいただいていて、ますます嬉しくなった。
ところで詩はどういうときな生まれるのか。 方法はいくつもあるけれど、詩的直感が閃かなければ、どんな方法もスキルも意味をなさず、何も生まれない。
ぼくの場合は、そういうときは呼吸数が少なくなり、脈も体温も落ちる。 何度も何度も詩に向き合い、書いてきた経験則からいうとそういう肉体的な変化が起きる。 とてつもなく小さな存在になり、空気の中に融けこんでしまう手前のような感覚になる。衰弱しきるような感覚だろうか。
ここのところ連載小説に心を砕いてきていて詩を書いていなかった。この日記で以前「発心して書き上げて投稿しました」と書いた詩が本作だ。 雨の日、ふらふらと歩くハナに寄り添ってふらふらと歩いているときに実は「詩的直感」が閃いた。
古い寺の山門をくぐりながら、この感覚は詩以外は無理だ、と思って帰ってから急いで書き付けたのだった。
さて、それなら逆はあるのだろうか。 呼吸数を減らし、ひたすら脱力し、じっとしていると…。 確かにそれで見えてくるものはある。浮かんでくる言葉が。
それを潰し、棄てて何日か。それでもまた同じ言葉が浮かんできたらまた潰す。それでもまた消えないのならそこから一生懸命作品にしようと集中する。言葉を生きようとする。
これを繰り返していたら小説を書いている時間がなくなる。 ぼくが最優先にしているのは「おとなのコラム」の小説なのだし。 これは困る。
ただ、今日のように地元の神社のフリーマーケットにいた近所のおばさんから「あなたの詩、久しぶりにスーパーの本屋さんで読んだよ。また書いてね」といわれると、詩を書かないわけにはいかない、と気を引き締めるのです。
婦人公論、大きな書店では今日。全国的には明日発売です。
文学部の国文学の卒論のテーマとして作家を誰か選ぶとき、故人でなければならないという決まりがあった。今始まったことではない。ぼくらの頃も、ずつと昔からそうだった。ただいま現在がどうなのかはわからないけれど。だから村上春樹では書けないと思う。
理由は「評価が定まっていない」から。確かに生きている作家ならば、この先、何を書くか判ったものではないよね。 作家だけでなくある時代に焦点を絞った書き方もある。古代、中世、江戸あたりまではそういう論文も多い。
まあ大抵は近現代のある一人の作家に絞ることが多いのだけれど、故人だからといって吉行淳之介、開高健、遠藤周作といった人たちを教授が認めてくれるかどうかはわからない。まだそれほど時間が経っていないから、駄目かも知れない。武田泰淳ならいいかな。微妙。
いずれにしてもぼくがキャンパスを去ってからずいぶん長い時間が過ぎた。大学の想い出は寮での暮らししか残っていない。それなのに今そんな卒論じみたことをしようか、と考えている。成績も卒業証書も関係ない。ただ自分の「モノカキ」の一助として。一助?いや大きな援助として。
さて、一人の作家に絞り、教授からOKがでると「読み込み」が開始される。全著作を読むのだ。作品だけでなく手紙からエッセイまで。これは鉄則。読んでいないとすぐばれる。 当然、全集を読み込む。図書館に日参することになる。
ただどうしても自分の手もとに置いておきたい、という連中は古書店から大書店までかけずり回って集める。考えてみれば好きじゃなきゃできないねこんなこと。
ぼくの同期で親しかった男(もう故人だけど)の卒論は北村透谷だった。集めてた。どこで手に入れたんだ、というような貴重な本が下宿にうずたかく積まれていた。本のなかで暮らしていた。
もう一人の同期は、よくよく考えてアルバイト先を本屋さんにしたんだ。従業員だから本が安く手に入る、と考えて。 だけど給料日には給料明細がいつも赤字。マイナス。給料以上に本を買い込んでしまったんだね。彼は重度身障者の学校の先生になった。 彼の家にあった伊藤野枝全集なんて持っている人いないだろうね。
で、ぼくだ。 ぼくは本の代わりにジャズのレコードばかり買い集めていた。不良。
…紆余曲折することXX年。それでも最近誰か一人と定めて徹底的に読もうと思う。高村薫さんの集中的に読んだのがきっかけかな。 ほとんど全作品があるのは吉行淳之介、庄野潤三、江國香織。全集は夏目漱石、太宰治、大江健三郎、高橋和己。
だけどだけど本当に興味があるのはなんだ。と胸に手を当ててみると、フランスのコント、イギリスのエッセイだったりする。 日本の作家で、故人だとすると吉行淳之介、遠藤周作…。
あー、やっぱり吉行さんかあ。 だけど吉行さんのはほとんど読んだので、ここから枝を伸ばしていかねばならない。 吉行さんが影響を受けた作家も全部読むのだ。これも鉄則。グレアム・グリーンかな…。すいません読んでいません。 その影響を受けて書かれた「暗室」の方法論を使って作品を書く、と。
まずはそこまで行きたい。 めどがついたら遠藤さんの全集を手に入れて…。以下同様に…。
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