■愛犬ハナの食事用ミニテーブルをリニューアル。高さを20センチにする。■木製の扉の塗り替え。すぐにすみました。■梅田望夫「ウェブ時代をゆく」、茂木健一郎「すべては音楽から生まれる」を読み始める。■吉田健一「時間」を発注する。■愛車トレックのパーツを交換。ギヤクランク、スプロケット、プーリー、チェーン、Vブレーキ前後、BB、ブレーキワイヤ、変速ワイヤ。ほぼずぼがえ。見違えるような走りになる。■年明け第一回の連載小説の構想を考え始める。■二階踊り場のペンダントライトを変える。そういえば白熱球はほんとうに製造中止になるのだろうか。■ウィルスバスターの更新手続き。ちいと高くないですかっ。■あえて喪中はがきをつくらなかった。■「ポケット」という自費出版サイトに心動かされる。「光函」「音函」ともにここで作り直そうか、とも。新しい本についてもそう。■詩を発酵中■明日、年末年始の珈琲の買いだめにいく。■クリスマスケーキをたべよう
2007年12月21日(金) |
「おとなのコラム」の連載、掲載されました。 |
「おとなのコラム」の連載、掲載されました。 「マリア」の続編です。前回から通して読んでいただけると嬉しく思います。「マリア 2」はこちら
2007年12月19日(水) |
「自分」を超えていく |
いつの間にか暮れも押し迫り、気忙しい。 喪中のために正月の用意をしないのだけれど、大掃除はしなければ。 あいまあいまに少しずつ進行中。すでに障子二枚は張り替えた。
さて、昨晩、NHK教育テレビの福祉の時間で作家の山本文緒さんへのインタヴューを見た。 山本さんは直木賞受賞後にうつ病を発症し、そのご離婚と再婚を経験されている。現在も投薬治療中で完全には治っていないと語る顔にはまだ病への緊張感がありありと伺えた。
様々な要素が原因として絡みあっているように思えたのだけれど、「書ける自分がいればいい」という認識というか、その意識が彼女を追いつめたように思えたのだった。その言葉は山本さんの口からから何度も出た。 「書ける自分さえいればいいとずっと思ってきました」というふうに。
しかし、症状はすすみ、文筆活動はとうとう停止される。パソコンの画面を見ただけで言いようのない嫌悪感に襲われたという。あれほどそれさえあれば、と考えてきたことができなくなってしまったのだ。 それからは治療である。 「書く自分」だけでなく、例えば「生活する自分」というような「何かをする自分」というのをまるで丹念に拾っていくように自分を取り戻されたようだ。
それまでは自分が何をどう感じたかをノートに書き連ね、それを元に原稿を書いていたのだけれど、これから本当の意味でフィクションが書けそうな気がする、といっておられた。それが強く印象に残っている。
自分が、ではなく、自分の設定した架空の人物ならばどう感じるだろうか、という想像力の拡大を山本さん自身が強く感じられたのだろう。
そしてやはり昨晩NHKの「プロフェッショナル」で東京都立現代美術館のキュレーター、長谷川祐子さんのお話も興味深かった。 キュレーターとは展覧会の企画立案制作すべてにかかわる、いわば展覧会の指揮者であり現場監督でもある。
彼女の言葉でしきりに出てきたのが、「アートは人を『自由』にする」というもの。「アートは自由への扉」「アートは人の心を開かせる」とも。 9.11直後のイスタンブールでの展覧会のキュレーターも見事にこなし、絶賛をあびたのだけれども、それについても「魂の試練の時こそアートは人に救いと癒しを与える」と。 その信念は微動だにしないようにみえた。
「人に見せてこそ」のアートなのである。自分のためではない。まさに人のために全力を尽くす。 長谷川さん個人の感覚が光る時はアーティストを選ぶ時だろうか。彼女は自分の直感を信じている。それは上記の信念を持つ同志を選んでいるように思えてならなかった。
さて、今夜、連載の小説を「おとなのコラム」へ送った。 前回の「マリア」の続編である。金曜日に掲載される予定。
2007年12月16日(日) |
you don`t know what love is |
小説を書く。 終わりが見えているんだけど なかなか終わらない。
最近思うことは、「命がけ」ということ。 あらゆることがそう。 タイムテーブルに「死」がちらつきだしたら、そのことを意識して生きていかねばと思う。 むしろ、常にそうあった方がいいとさえおもう。
2007年12月14日(金) |
Harry Hippie 1973 |
昨日の夕方から、固定電話、ネット共に繋がらなくなっていました。原因は電柱から家に引き込む線を留めてある保安器のところでの断線。 紫外線や雨風の影響で線の皮膜が劣化して、線が剥き出しになって起きるのだとか。
さて、「クリエイテイヴな作業は片づけから始まる」という教え(これは高次脳機能障害治療のの臨床とリハビリから導き出された一般向けのテーゼ。あんた一般なんか?というツッコミはさておき)そのものになってきた片づけ作業、いろいろと仕分けているうちに、自分がネツトで書き始める時に背中を大きく押してくれたボビー・ウォマックのCDに行き当たった。
ぼくが詩を書き出したのは17歳の時に「はっぴいえんど」を聴いてからなのだけれど、長年の紆余曲折の末、松本隆さんのサイトにめぐりあったのが、こつこつ書いてきたものをさらにブラッシュアップする契機になった。
で、それまでも、その時も、それからもぼくの背後で、一日のうちに必ず一度は響いていたのがボビー・ウォマックだったのです。
音源をアップするのはいろいろとややこしいので、YouTubeのリンクをあげておきます。
いろんなテンポの、いろんな曲があるけれどぼくはこのタイプのウォマックの曲が大好きなのです。YouTubeだけど動画ではありません。そのぶんダウンロードも早いと思いますが…。
Harry Hippieはこちら。
昨日は万年筆に続いてCDの整理をした。 つくづく思ったのは、ぼくにとってはCDや本は「見せる収納」にした方がいいということ。 あんまり数が多いと棚の片隅で忘れられてしまうから。
それでなくても新しいものは次から次と出てくるし、過去に聞き逃したものを聞いたりするから、油断してると存在そのものの記憶が不確かになる。
作品を書く前に、このフィーリングはどこかで掴んだ覚えがあるんだけれど、なんだったか思い出せない、というふうに。
無印良品の「CDブック」に整理していることは以前に書いたけれど、CDの数はさらに増えて、とてもじゃないけど収まりがつかなくなった。 そこで再びCDブックを買い足して、主にジャズの古い盤を中心に片づけた。
やっぱり、と溜息をついたのはジミー・スコットと菊池雅章の旧盤が隠れていたこと。今書いている連載の途中でなんとか思い出そうとしていた「この感じ」がこの二枚にあったのだった。
年末が近づいたから、というわけでもないけれど、ようやく喪中に関することが収束し、時間ができてきたので散らかった身の回りを少しずつ片づけ始めた。 もちろんメルマガの再開のためでもある。
デスク回りはメルマガ休刊直後のままだったので、書類や原稿が置きっぱなしになっていて、それをまず整理。本も棚に戻す。 大分片づいてきたところで万年筆を入れたケースが出てきたので、万年筆の手入れをすることに。
今年の上半期はプラチナの「屋久杉仕様」を頻繁に使っていたのだけれど、インクをブラックからブルーブラックに変えたあたりから調子が悪くなり、それからシェーファーに換えていた。
インクを変える時はよく水洗いしておかないと化学反応を起こして凝固することがある。案の定、屋久杉プラチナは水洗いが不完全だったみたいで、丁寧に洗ってやると元の調子を取り戻した。
二本あるシェーファーは一本がポンプ式、もう一本がコンバーター式。 どっちにしてもカートリッジよりもインクが「もつ」ので、こっちのほうが好きなんだけれど、コンバーターをひねるところの塗装の銀が剥がれそうになっているのを修理。ポンプ式はインクがカラになっていたので注入。 その壺入りのインクはペリカンの4001番なのだけれど残量が少ないので買うことにする。
今年の後半大活躍するはずだったウォーターマンはカートリッジ切れ。これも買いにいかなければならなくなっていた。
とにかく万年筆はがんがん使わないとインクがダメになるし、ペン先も馴染んでこない。毎日落書きでもいいから使います。
故人の想い出が間欠泉のように溢れ出て、家族の頬をながれる。 最近そんなことが続いている。 遺されたノートやメモが多いから、苦しんだ様子がよくわかるからだ。そして、テレビなどの映像で苦痛や死をことさらに強調したものを偶然見たりするとだめだ。
この人はとうぶん杖がなければ前に進めないだろうとおもう。 杖は家族の存在であり、友人の存在であり、手紙の文章や電話の声だ。
ぼくにしても家族にしても無理に明るく振る舞うことは、まだしようとしてもできない。とことん気の済むまで悲しめばいいと思っている。
ところでぼくは、文学や絵や音楽も杖になるとしみじみ感じている。 今、杖にしているのはイーユン・リーの「千年の祈り」という短編集だ。 新潮クレストブック。
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