一日中好天で、紅葉が見頃になりつつある京都はここ数日同様、観光客で溢れていました。
そんななか、家には四十九日のお参りにきてくれる方が多く、一日中忙しく動いていました。
夜になって犬も眠りました。SLAVAのアヴェ・マリアを聴いています。
この秋は吉田篤弘さんの本の影響でビートルズばかりになるかと思いきや、ここ一月ほどビートルズを中心に聴いていたので、そろそろ心は歌曲の波動を求めていたようです。
読みたい本もいくつかできてきました。 だけど音楽も読書も、ものを書く自分のコンディションが前提になります。 それが成立してこそ、という感覚です。
2007年11月22日(木) |
今日は婦人公論の発売日でした。 |
婦人公論 12/7号、「フォーラム 詩」で佳作に選ばれました。 「洗顔」という詩です。
http://ameblo.jp/pipilulu/entry-10056665365.html
2007年11月17日(土) |
とおくへいったきみに |
フィッシュマンズのベスト盤、「宇宙」と「空中」を聴く。 吉田篤弘さんの「フィンガーボウルの話のつづき」を読む。 窓を拭く。小説を書きはじめる。フィッシュマンズのベス ト盤、「宇宙」と「空中」を聴く。吉田篤弘さんの「フィ ンガーボウルの話のつづき」を読む。小説のことを考える。
京都市内も紅葉がようやく目立ちはじめた。 空から音もなく紅が降ってきて積もるように色が木々に載っていく。
それでも全体はまだ緑。イチョウや桂などの黄葉は早々と色づいた。アメリカハナミズキの紅葉が熟し切ったところだろうか。
街を歩いていてたり、自転車で走っていると短編の主人公になりそうな人物を見つけることがある。 まさに「話のしっぽ」を見つけた気になる。ところが家に帰ると話は何も始まらない。ただ見かけた人の印象はいつまでたっても忘れないのでねその人がアタマの中で動き出すのを待っている。
時々、というか、たいていはノートに書き出すと彼は勝手にうごきはじめる。ただついていくのに体力がいる。
「話のしっぽ」に悪戦苦闘する話は、こないだミメイさんに教えてもらって、すぐに読み出した吉田篤弘さんの「フィンガーボウルの話のつづき」もそうだ。 春樹氏の「走る時に〜」を読み終えてからすぐにこちらを読み始めた。 読み始めたといっても眠る前の空いた時間で、だけど。
とても素敵な短編集である。 吉田さんの作品は「暮らしの手帖」に連載されていた「それからはスープのことばかり考えて暮らした」を読んでファンになり、他の作品も読みたいとずっと思っていたのだった。
ぼくのなかでは堀江敏幸さんと同質の味わいがする文章のように思える。
今日は、珈琲を買った帰り道、金閣寺の交差点の前で目撃した男の子がアタマから離れない。 彼から物語が始まるだろうか。ずっと待っている。
目が醒めたのが二時頃で、雨が降っていた。たぶんもう一度寝て、次に起きた4時にはやんでいた。
とても静かな土曜日で、日曜日と間違えそうだった。
「音函」の注文が二冊あり、それを袋詰めする。 (ご注文有り難うございます。)
ストックがなくなったので、作らないといけない。 中断していた新しい本づくりも再開しよう。
明日から寒くなるそうだ。そういえば立冬を過ぎている。
2007年11月08日(木) |
ビートルズの「赤盤」、そして… |
この二枚組のセットを手にしたのは何年前になるのだろう。 「ベストアルバム」というものを一度も出したことのないまま解散したビートルズの、解散後の1973年に出された公式の最初のベストアルバムである。(ビートルズは1970年に解散した)
現在ではアルバムに入っていなかったシングルばかり集めたコンピレーションはじめ、様々なセレクションが為されたベストアルバムがリリースされているけれど、ぼくにとって(そして、たぶん多くのビートルズファンにとって)ビートルズの「ベストアルバム」といえば、「赤」の二枚組と「青」の二枚組である。 (それぞれ「赤盤」「青盤」とファンの間では呼ばれている)
「赤盤」は1962年から1966年までの、「青盤」は1967年から1970年までの代表曲が収録されている。発売当初はあれが入っていない、何でこの曲が入るんだ、とずいぶんぶつぶつ言っていたような記憶があるけれど、その後はさらりとビートルズを聴きたいときはこのベストを聴いていた。
ジャケットが秀逸なのも見逃せない。EMI本社ビルの同じ場所から下を見下ろす四人。同じポジション、同じポーズ、同じアングル、カメラマンも同じである。 赤盤の写真が1963年、青盤が1969年。6年の時間が二つの写真の間に流れている。時間が「見える」ような、そんな感慨にふけることができる。 CD化は1993年だった。ぼくはアナログから即座に乗り換えた。
今回、「赤盤」のことを書こうと思ったのは、もちろん最近よく聴くからなのだけれど、それは先月、故人の車の中からビートルズのバラードばかり集めたCDが見つかったからなのだ。
ちょうどビートルズのメンバーと年齢が重なる故人は、ぼくに対してはビートルズなんて聴いていないように振る舞っていたのだけれども、車の中で一人、聴いていたのだ。 つまり、そのCDが引き金になって部屋でビートルズをかけることが増え、その中でもっともよく流れているのが「赤盤」そしてぼくの好きな「リヴォルバー」というわけなのだ。
ずっと小説と詩を書き続けてきていて、今回のことは正直かなりこたえた。二度と書けない、と思うほど書くことを忘れた瞬間もあった。それでもなんとか「おとなのコラム」の連載は書くことができたけれど、まだまだ不安定な状態が続いていて、最近ようやく、リズムを取り戻しつつあるかな、という感覚が戻ってきているところである。
時間が経過したことがもちろん大きな要素だけれど、ビートルズの曲たちが後ろから押してくれたこと、つまり書くことに向かう大きな力になった。 明日の連載のタイトルはビートルズの曲からの引用である。
それともう一つの重要なポイントは 村上春樹「走ることについて語るときにぼくの語ること」だ。 このエッセイにはとにかく励まされる。そして説得される。学ぶことがたくさんある。 走ることについて?もちろんそれもそうだけれど、小説を書くことについての彼なりの矜持が余すところなく披瀝されているからだ。今、この時期にこの本に出会えたことに感謝したい。 ブルースばかり聴いていたぼくをビートルズに向きなおさせた「何か」にも、もちろん。
|