散歩主義

2007年09月30日(日) 季節が変わる

季節が突然変わって、ずいぶん過ごしやすくなりました。
気温が下がって、薔薇が次々と蕾を付けはじめました。
すでにいくつかは咲き始めているんですが、一気にスピードがあがりました。

一方、夏の花の木槿。我が家では今年植えたんですが、日当たりの悪いところに植えていたので、ようやく花を咲かせました。
まっ白な花です。
秋に咲くなんて、誰かさんみたいだ。



2007年09月29日(土) いきなり

今年の天気予報はあてにならないと決めつれていたから、ひんやりとなんてなるものか、と思っていたら、
北風が吹いたわけでもないのに、気がついたら寒くなっていました。
朝は半袖、夕方は長袖。

いったい何日ぶりだろう、暑さに顔をしかめないで歩けたのは。
なんだかうれしい。

いきなり、といえば、「アメブロ」を運営しているサイバーエージェントが「アメーバブックス」の解散を発表した。
ブログ発の出版を標榜していたけれども、無理だったんだね。

ネットのテキストから紙媒体の本をどう作るか、こつこつやっている人たちは健在だけれども、
規模の大きな展開は、「持続していく」という点で、別の発想、別の形態が必要なのだろうか。





2007年09月27日(木) 荒川洋治式


日記は簡単でいいんだ、と荒川さんの本を読んでいると思う。
以前、日記のすすめを新書で読んだ時もそう思った。
特に記事を書こうという気のない時は、簡単でいい。
要は記録を残すか残さないか、なのだから。


読書進行中の本
「森鷗外のドイツ留学」吉田健一
「黙読の山」荒川洋治
「私の身体は頭がいい」内田樹

聴いた音楽
パット・メセニー&チャーリー・ヘイデン





2007年09月22日(土) スピッツの「群青」を聴く。

もう何週間か前、CDショップに行ったところ、スピッツのニューアルバムが10月10日にでるというPOPが貼ってありました。
それをみたら急に気もそぞろになってしまい、シングル「群青/夕焼け空」を買ってしまいました。

それから忙しくて、音楽だけに集中できなかったんだけれど、今日ようやく集中して聴くことができました。

「嘘つきとよばれてもいいから」というフレーズがずっと耳に残っています。
それと「夕焼け空」もそうだけれど三輪君のギターがとても印象的です。

シングルでは「水色の街/孫悟空」も好きでよく聴きます。 



2007年09月20日(木) 手は記憶する。

夜の11時前。ようやくメルマガの明日配信予約が終了した。
最後に一番時間がかかるのは画像のアップロードだ。限度いっぱい近くの大きさにしているのと、動画があるからである。

パソコンの単純作業をしながら、井上ひさしさんへのインタヴュー番組を見ていた。
原稿の書き方について尋ねられ、清書でワープロは使う程度だとおっしゃる。
「使えない」のではない。
井上さんはブラインドタッチでキーボードを操作する。それでもなお、手書きです、と。

そこで出てきたのが「手は記憶する」というゲーテの言葉。
井上さんの発言に職人の手仕事に小説家の文字を書く作業もなぞらえることができる、という意志を感じた。確信しているご様子。

パソコンで、ワープロで打ち込むものはなにも憶えていない、という。
手で書いたものこそが自らに残る、と。

ぼくはここのところずっと二重手間でも、ノートに縦書きで書いてからパソコンに打ち込む。物語が生まれやすいと感じているので。
そして「流れ」が生まれていくのがわかるからだ。
そして日本の字は、やはり縦に流れていくようにできている。

「手は記憶する」
ギタリストやピアニストばかりでなく、井上さんのおっしゃるとおり詩人も小説家もそうなのかもしれない。

とまれ、やりやすいようにやることが一番、というのが基本であることには変わりはない。
なにせ時間というのはそんなに多くは残されてはいないから。

明日、メルマガ届きます。



2007年09月18日(火) 暑さが…

また真夏の暑さに逆戻り。
夜は熱帯夜。何となく眠りが浅い。

早朝に摘んでいるオクラはとうとう毎朝5つになった。
紫蘇は花が咲く寸前。もうすぐ終わる。
薔薇がどんどん咲き始めた。まだ10月になっていないのにちょっとはやい。

今年の秋から冬はどんな花を育てたものか思案中。
寒いから種類は限られてくるけれど。

さて。
夜、独りきりになると、いったん視覚と聴覚関係のものを全部オフにする。
自分に戻る儀式みたいなもの。

子供の頃からストレスが怪物のように成長するとハードなロックをひたすら聴いて解消する癖があった。
クリームとかZepとか。
その流れはずっとあって、究極はフランク・ザッパだった。ザッパは今でも聴く。

最近は曲を選んで聴く。
アコースティックギターで「ニュー・シネマ・パラダイス」を聴いたり、ライ・クーダーの「パリス・テキサス」や「エンド・オブ・ヴァイオレンス」を聴く。

喧噪から逃れて聴く「パリス・テキサス」がとても好きなのだ。
今なっています。





2007年09月17日(月)

小説が一つ完成。休まずに次にとりかかりたいです。
まずノートから。

いかに平常を保つか。心身ともにバランスがとれているか、ということに関心があります。書く前にそのことが大切な気がして、心を砕いています。

ヨガもやっぱりいいのかもしれないとおもいます。
人に教えてもらった「太陽礼拝のポーズ」を自己流で何回かやるだけなんですけど、ずいぶん違うような気が。

だけど一番大きなことは、「音楽を聴きながら」という癖がなくなったことかもしれません。

聴くときは聴くことにだけ集中するようになりました。




2007年09月16日(日) 4分23秒

不思議な色の朝だった。
瓦に近い黒の雲、東の山際は薄い黄色の光の帯。
木々のシルエットは墨のように黒い。

小説のノートを少し書く。
稲葉真弓さんの「海松」(「新潮」2月号)を読む。

YouTubeからリンクしておいたSADEのビデオを立て続けに見る。
「Cherish the Day」
「No Ordinary Love」
「Kiss Of Life」

特に「Cherish the Day」のビデオは素晴らしくて何度も何度も見る。
ニューヨーク。ビル屋上で独り歌い踊るシャーデ。強い風。
それらがモノクロのフィルムに写し撮られている。

4分23秒の夢。



2007年09月13日(木) 連載が始まります。

明日、金曜日から「おとなのコラム」で短い小説の連載をさせて頂くことになりました。

隔週の連載です。
全体のテーマのタイトルを「日日好好」としました。
「ひびはおはお」と自分では読んでいます。
日常から、ふわりと浮き上がるような話を書いていこうということからつけました。

大好きな作家、故・吉行淳之介さんが「日日すれすれ」というタイトルのエッセイを連載されていたことがあって、それにあやかりたいという気持もあります。

金曜日の何時頃にアップされるのかはわかりませんが、その日にはアップされますので、是非読んでみてくださいませ。

金曜日といえば、メルマガ「京都余情」も毎週発行する日で、このなかの畸編小説とあわせて、二週間に一度は2つの短い小説をアップすることになります。
どんどん書いていかないと。

ちなみに、田川ミメイさんの連載も同じコーナーで始まっていて、こちらも隔週。ぼくの作品とは交互に掲載される形になります。

さて、どんどん書いていかないといけないので、「前向き姿勢」を強化するために、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」をおさらいしました。
一言で書くと「夢を諦めるな」というメッセージが詰まった作品です。

様々な世界の事象が放つ「一瞬の光」を逃すな、ということも書かれています。
ぼくの場合、詩も小説もそれがすべてのようなところが多分にあります。
逃すと書けません。

そのためには自分を整えておかねばならず、そのための準備や心構えをしっかりもちたいとおもっています。

お手本としたいのは庄野潤三さんです。



2007年09月10日(月) 夜はもう秋

最高気温が27℃ほどの涼しい日でした。
夜になるとさらに涼しくなり、ハナが大喜びで歩く歩く。
元気なのが嬉しいです。

さて、今週の金曜日からメールマガジンとは別にウェブサイトで連載が始まることになりました。
「おとなのコラム」というサイトです。

短い小説を隔週で連載、ということになりますから二週間に一度は、小説を二本、ということになります。

リンク先に行かれたらおわかりになると思いますが、畏友田川ミメイさんも、先行して連載を始めておられます。
ぼくとは交互に新しい作品を載せていくことになりますね。

現在、せっせと書いている途上です。
是非こちらも宜しくお願い致します。



2007年09月06日(木) どうしようもなくなったら


今月から時間の使い方にキレと集中をさらに要求される。

生活のほうで、さらに病人に対してのケアが深刻になるであろうことがはっきりしたからだ。

書くことについては、メルマガの記事と小説もそうだし、さらに加えてもう一つの連載も始まろうとしていて、さらに詩も書こうとしている。

家人から、もしケアのこととか日常に支障を来すほどに原稿書きやネットに埋没するなら全部止めてもらう、とはっきり宣言された。

もちろん、そちらが最優先事項だから、それらが万全であってはじめてモノカキも成立するのだ。

やれるかやれないか…。いや「やらねばならない」のだ。

今週は検査結果をめぐるそんな話し合いで、書くことへの緊張感が切れてしまった。

昨日の時点で、どうしようもなくなっていた。
書くモノが何もなかった。本当に空っぽになった。
今までなら、少し待てばすぐに書くことが姿を現したけれど、今回は、絶対にこないぞ、という気持が確信にちかくあった。

メルマガは休載。と、少し頭を掠めたのだけれど、諦めずに集中した。
どうしようもなくなってから、初めて考えはじめたようなものである。
勢いと雰囲気だけでは限界がある。考えないと前に進めない。

どうしようもなくなったら…。
心の中に錘を垂らして、覗き込む。
自分の精神の風景はどうか。そこから何が書けるか。

風景は夜だった。

心にひっかかっている夜の絵のリトグラフを探し出してみつめた。「ナイト・ホークス」という絵である。
物語が浮かび上がった。

心にひっかかっている音楽を聴いた。物語が始まりかけている。

休みなく書き続けていきたい。
そうしないと不安で仕方がない。

二度と書けなくなる気がして。




2007年09月01日(土) ススキの穂も起ちだして

ここ二三日で、朝晩、過ごしやすくなりました。
昨日はメルマガを配信して、ちょっと一休み。
今日は畸編小説をアップしました。
「こうつと、こうつと」という作品です。

散歩をしていると、ススキの穂が立ちだしたことに気がつきました。
なんだか季節の流れが早いようにも感じています。

本に入れる作品のリストアップと目次作りをはじめました。


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