2020年09月24日(木) |
人生で3番目につらかったこと |
パッソゥが逝ってしまってから1ヶ月が経ち 今の気持ちを書いておこうかなと。
8月24日の夜9時半にパっさんが逝ってからこの1ヶ月、涙と溜め息しか出ない。 少しずつ回復してるんだけど、なかなか立ち直れない。
最初は本当に何もする気がしなくて、ただただずっと泣いてて、自分でも「あたしやばいな」って思った。 でもこのままいつまでも廃人状態じゃいられないので いろいろと気を紛らわすことを探して 少しずつ泣かない時間を取り戻す努力はしてる。
でもやっぱりこうして書き残しておこうと パっさんのいない現実に向き合うと涙が溢れてくる。
パっさんは 逝くまでの数日間はほぼ2階で寝たきりだった。 もうほとんど飲み込んでくれなかったシリンジ給餌のあと、しばらくするといつもに増して呼吸が荒くなり苦しそうだったので 家から10分ほどの病院へ。その病院は初めてだった。夜遅かったので、選択肢がほぼそこしかなかった。 今まで掛かっていた病院にいろいろと不信感もあったし。
ここまでの3ヵ月間の経過を説明し、診察され、パっさんが流動食を飲み込まなくなったのは、尿毒症でもう器官が弱っていて体力も無いからだと言われた。 点滴と注射をされたあと先生が「容体がだいぶ悪いから入院させますか?」と聞いてきた。 あたしはパっさんと離れるなんて想像もできなかった。 「もし急変したら困るので連れて帰ります」と言った。先生も「そうですね」と。 病院にいる間あたしはずっと泣いてて、厄介な飼い主だと思われただろうな。
病院から家に戻ったのが夜8時半くらいだった。 先生に「この注射で呼吸がラクになるはず」と言われたけど、呼吸は苦しそうなままだった。
夜9時頃、パっさんの呼吸が更に激しくなった。 普段あまり鳴かないパっさんが 悲しそうに不安そうに大きな声で鳴き始めた。 鳴きながら フラフラと立ち上がろうとする。もう歩けないのに。 8.8キロだった体重は4.4キロになり、もう筋力も体力も無かった。立とうとしてもバタンと倒れてしまう。
あたしは泣きながら「大丈夫だよ 大丈夫だよ」と言ってパっさんを抱いてた。 「どうしたいの?パッソゥはどうしたい?」と、泣きながら聞いた。
荒かったパっさんの呼吸が止まって、あたしが「パッソゥ!」と呼ぶとまた呼吸をする というのを数回繰り返した。 最期はいくら呼んでももう呼吸してくれなくなった。 それが夜9時15分だった。
あたしはパっさんが可愛くて可愛くてしょうがなかった。 毎日パっさんを抱きしめながら「パッソゥは可愛いねぇ」って言ってた。 パっさんは子猫の頃から抱っこされるのは嫌いだったけど、あたしの横にぴったりくっついて寄り添ってくれてた。膝の上に乗ってくれてた。 どんな状態だって どんな時だって パっさんは可愛かった。 呼吸が止まってしまったパっさんにも あたしは号泣しながら「可愛いねぇ パッソゥは可愛いねぇ」と言った。 夜に大声で泣き続けたから、もしかしたら外まで聞こえてたかも。もし近所迷惑だったら申し訳ない。
あたしには本当につらかったことがいくつかあって、その時そばにいてくれたのはパっさんだった。 親が逝った時、アメショのネコが逝った時、あたしと一緒にいてくれたのはパっさんだった。 今のあたしが1番愛して依存してたのはパっさんだった。
ああ、ダメだ。これ書いてる今も涙と鼻水が止まらない。
何人かに「でも猫がもう1匹いるからよかったじゃん」と言われた。 でもね、それは関係ないよ。 パっさんはもう家族だった。あたしの大事な子供だった。 兄弟の1人を亡くした親に「でも子供がもう1人いるからよかったじゃん」って言える? そう思ったとしても それは口に出して言わない方がいい。 確かにチーソゥも可愛いし、チーソゥの世話したり甘えられた時は気は紛れたりするけど、パッソゥのいなくなった悲しみはそれじゃ埋められないよ。それとこれとは別。
「もう苦しくないんだからさ」「ラクになれたんだからさ」ってのも言われる。 それもわかってる。 腎臓病が悪化してからのパっさんはずっと苦しくて痛くてしんどかったと思う。 最後は目も見えなくなってどれだけ不安だったか。 でも、安楽死という選択肢はあたしには無かった。 身勝手かもしれないけど、あたしも一緒に苦しんで看取りたかった。 実際、5月からの3ヵ月間は毎日あたしもずっと胸が張り裂けそうで身を切られるようだった。 少しでも長く生きてほしいと強制給餌するのは自分で決めたことだけど、それでも後悔はたくさん残る。 いろんな人の体験記を読み、投薬と給餌でまた良くなるかもという希望も持ってしまっていた。 もしまた元気になってくれたらと必死だった。 パっさんのためにと出来ることはなんでもしたけれど、そんな自分が間違ってたかどうか今もわからない。 なにより あたしはパっさんがいなくなるのが怖かった。 パっさんは本当はもっと早くラクになりたかったのかもしれないと思うと、それを選択できなかった自分の情けなさに涙が出てくる。 本当は病気で苦しくてももっと生きていたかったのかもしれないと思うと、病気を治してあげられなかった自分の無能さに涙が出てくる。
火葬する8月27日までずっとパっさんのそばにいた。 エアコン最低温度で部屋を冬にしてパっさんを保冷剤で冷やした。 パっさんが冷たく動かなくなってもあたしは離れたくなかった。 ずっと一緒にいたかった。 パっさんに頬ずりして泣いてた。
ペットセレモニーの方に「長年ペット葬儀をしてきて今までで1番大きい猫です」と言われた。「猫用の骨壺の寸法では無理なので中型犬用の骨壺にします」と。 体重が半分になっても、体長と骨格は変わらないからね。 あたしも 親バカで思うわけじゃなく、こんな大きくて立派な猫は他に見たことない。大きいけど平和主義でやさしくて控えめで賢くておとなしい子だった。
7年前に逝ったネコもアメショにしては大きかったけど、やっぱりパっさんの大きさは別格。
と、ここまで書いて やっぱり涙が止まらないのでもう今日は書くのやめておこう。 こうして現実と向き合うとまだダメだ。 またしばらく目が腫れちゃうな。 でも、パっさんとの闘病の経過を残しておきたいので、あとでまた落ち着いたら書こう。 あたしも体験記を検索して読ませてもらっていろいろ参考になったから。
心配してくれた方々に感謝して、パっさんにも感謝して、少しずつ立ち直ろう。 まだ泣いてるこんな自分が情けないけど、しょうがない。
こんなあたしですが、あきれずに今後も相手していただけると幸いです。 機会があれば誘って下さい。話しかけて下さい。辛気臭くならないように努めますので。
■PM 4:05
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