斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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今日は、朝イチからクライアントと3時間のディスカッションミーティング。 午後からもまた3時間のクライアントとのディスカッションミーティング。
合計6時間のディスカッションミーティグを一日で行なった。 両ミーティングとも出席者はそれぞれ20名近く。 クライアントの参加者には業界有名人も参加している。 僕はこのミーティングを毎週行なっている。
僕はその主催者であり、ファシリエイター兼、ディスカッションの内容そのものもリードする役割を担っている。
本日、クライアントのキーマン(業界なら誰で知っている有名人)は某省主催の某大臣も出席するレセプションがあったのだが、そちらをブッチしてオクノとのディスカッションを優先して参加してくれていた。 僕にも同じレセプションの招待状はきていたのだけれど、僕の手下に「大臣が出席するパーティーなんぞ、二度と出席できんぞ」と説得して代理出席させ、僕はクライアントとのミーティングを優先させた。
僕は両プロジェクトのジョブマネージャなので、両方のディスカションを僕自身がリードしなくてはならない。 残念ながら、僕の体調は未だに最悪であり、6時間のミーティグ用の資料を僕自身が用意することはできない。 スケジュールもビッシリ詰まっており、スタッフの用意する資料のレビューに割ける時間も無い。
資料をその他の作成はスタッフに一任した。 両ミーティングのスタッフ達は誰も昨晩は自宅に帰っておらず、徹夜で資料を用意してくれていた。 もろろん、僕のレビューが入っていないので、資料をのもののクオリティーは低い。 僕がミーティングの場で言葉でカバーするしかない。 僕は報告書などは徹底的にクオリティーを偏執狂的にチェックするが、ディスカッションミーティングではディスカッションが発散せず、ポイントを絞って議論できれば、良いだけなので、それほど資料パッケージのクオリティーにはこだわらない。
ミーティングの度に、完璧な資料を用意しようとするパートナーやマネージャは多いけれど,僕から見れば単に無駄な時間の浪費である(アホである)。 ディスカッションが適正にさえできれば、フォントが揃ってないだの、色使いがどうなど、パッケージのストーリがどうなど、そんなものはどうでもいい。
だが、今回は僕はほとんど資料には目を通してすらいない。 もちろんミーティングの進め方やディスカッションポイントについては事前に指示をしているが、直接資料の細部まで僕が作ることはないし、指示もしないし、レビューもしない。 僕にとってはぶっつけ本番である。 僕はミーティング前の5分間を喫煙コーナーで過ごし、とりあえず、重要ポイントにマーカーで線を引き、資料にはかかれていないが、伝えるべきキーメッセージだけを資料に書き込んだ。 6時間のミーティングの準備に割いた時間は喫煙コーナーでの5分のみ。
要するに僕は6時間のミーティングの準備にほとんど時間を割いてない。 だが、僕はその合計6時間のミーティグの資料はいかにもオクノ自身が全て作成し、完全にチームをコントロールしているかのごとくクライアントには振舞っている。 合計6時間のミーティングを僕はマトモに資料に目を通してさえいないにもかかわらず、完璧にリードした。 クライアントからはオクノ自身が完全にプロジェトをリードしているかの如く見えたはずである。
なぜ、そんなことが可能なのか?
僕のスタッフ自身も、資料に目を通してもいないのに、なぜ、ミーティングを6時間に渡って完全にリードし、いかにもプロジェクトを完全把握しているかのごとく、クライアントの目をくらませ続けることができるのか? ミーティングの後にオクノのミーティング運営のテクニックというかべきかトリックについてなぜ、あんな芸当ができてしうのか疑問に思ったスタッフから質問された。 スタッフには手品のように見えたようである。 僕は答えた。
まずは、前回書いた「質問には質問に答えよ」であり、今回はそれに続く第二弾のオクノのトリックである。
それは「オウム返し」
僕は、自分ではミーティング資料にさえ目を通していない。 僕はクライアントにミーティングおいてはミーティングのディスカッションションポイントと本日、合意すべきゴールについてだけを説明し、資料の内容そのものはは若手スタッフに説明をさせる。 いかにも、自分は中身を理解しているかの如く振る舞い、詳細は担当者から説明させたほう良いから、という理由と、担当スタッフのプレゼンテーションスキルを実戦で訓練させるためでである。 と、いいつつ僕自身が資料に目を通してすらいないので、資料の説明をスタッフに振ったのである。 多くのクライアントの前でのプレゼンテーションはスタッフにとっても勉強になるし(いい訳)。
先日書いた「質問には質問に答えよ」に続く、クライアント目くらましトリック第二段。
それは「オウム返し」である。
僕は、ミーティングの最初、アホな与太話をする。 関西落語でいうところのハナシのマクラである。 そして、ジュースやお菓子を用意するなど、まず、クライアントを御気楽にディスカッションで、リラックスして自由な発言をできる雰囲気を作り出す。
そして、重要な議論のポイントや本日たどり着かなければならないポイントについてだけ、説明をし、内容の詳細なプレゼンテーションそのもものはスタッフに任せる。 だって、僕は資料のレビューどころか、資料に目を通すのもそのミーティングがはじめてだったりする状態なのだから。
だが、3時間のミーティングのリードそのものは完全に僕がリードする。
ひとつのトリックは先日書いた「質問には質問で答えよ」であり、僕自身は何も答えず、クライアントに自分で答えを見つけださせることだ。
そしてもうひとつのトリックは「オウム返し」である。 僕はクライアントからの突っ込みや意見に対し「オウム返し」を必ず行なう。
「今の発言の意味はXXですよね」 「要約するとXXということをおっしゃりたいワケですよね」 「まとめるとXXさんのご意見は○○ということですよね」 「XXさんのご意見の真意は○○にあると思うのですがその理解で正しいですか?」
僕はただ単にクライアントの発言を「オウム返し」に繰り返したに過ぎない。 だが、そこでクライアントは「はい、その通りです」と言ったあと、続きのハナシを始める。 そして、議論は勝手に深まっていく。
僕自身は実はクライアントの発言をオウム返しに少し翻訳して、ミーティングに参加している20名に理解させるとともに、更なる発言を促しているだけである。
そして、前回書いた「質問には質問に答えよ」と「必殺オウム返し」を絶妙に組み合わせる事により、何の準備もしていないディスカッションを本日も6時間に渡ってリードしつづけた。
クライアントの目には僕が完全にプロジェクトを把握し、チームをコントロールしているように映っているハズである。
昨日書いた「質問には質問に答えよ」、そして、本日書いた「オウム返し」。 少し練習は必要だけれど、この2つのトリックを絶妙に組み合わせれば、どんなディスカッションのファシリエイターでもほぼ、ぶっつけ本番でも切り抜けられる。 クライアント自身も自分の意見を言いたいだけ発言し、かつディスカッション内容に満足し、帰っていく。
「質問返し」、「オウム返し」。 この2つのトリックは是非マスターすべきである。
僕は10数年、この2つのテクニックだけで、どんなミーティングであろうと乗り切ってきた。 これらは繰り返しになるが、単純な心理学的「トリック」である。 タネが分かってしまえば、誰でもすぐに実行できる。
試して欲しい。
そして、体力が限界を超えつつある僕はミーティングのあと、予約していた心療内科に行き、休職のための診断書を書いてもらった。
2004年06月22日(火) |
質問には質問で答えよ |
先日、よそのプロジェクトのスタッフから相談を受けた。 マネジャー、クライアントからワケのわからない禅問答のような質問を浴びせられて疲弊しているらしい。
僕は、答えた。
「質問には質問で答えよ」
傍目には僕はどんなクライアントからの質問にも答え、軽くいなしているように見えるはずだ。 クライアントはクソ高いコンサルティングフィーを払っているので、戦略コンサルタントのマネージャーならばどんな事にだって即座に答える事を期待している。 そして、僕はミーティグでスーパーマンのフリをしている。
僕はクリエイターあがりのインチキ戦略コンサルタントである。 だけど戦略コンサルタント歴はそろそろ5年になるので、たいていの質問に対しては即座に答えられる。
でも、知識の面等でどうしても即答できない質問やツッコミも数限りなくある。 そのときの僕の対応を見ていて欲しい。
基本は「質問には質問で答えよ」である。
僕は自分に答えられない質問が出たときこう言う。 「と、言いますと?」 「もう少し、詳しく説明していただけませんか?」
ようするに、自分で答える事を拒否し、質問した相手に、質問の内容を整理させ、答えを考えさせるのだ。 質問者は自分で質問をしておきながら、アタマを整理して質問に対して考えるうちに自力で答えにたどりつく。 ほぼ、確実に。
僕は、逆質問をしただけで、何も答えていない。 だけど、質問者に対する答えは出るのである。
これはテクニックというか、単純なトリックだ。
「質問には質問で答えよ」
これは覚えておいて損はない。
いろんな薬を大量服用しているせいで、最近、足もとがフラつく。 処方薬局で薬を処方してもらった際についてきた薬の説明書にも副作用として「足もとのフラつき」と書かれている。 おかげで、家の中でものにつまづいたり、パンツや靴下を履こうとして片足を上げたとたん、転倒したりを繰り返している。
一週間ほど前の朝、ゴミを出そうと両手にゴミ袋、会社用のカバンを持って、家を出ようとした。
どがあっっっっっっっ!
僕は玄関で何かにつまづき、思いっきり転んだ。 両手にゴミ袋、カバンを持っていたのでバランスくずしたのであった。 両手がふさがっていたので、受身を取る事もできず、そのまま「どがあっっっっっっっ!」と、吹っ飛んでしまったのであった。
すげー痛い。
右足の甲と右脇を思いっきりぶつけた。
そうは言っても、転んだだけだし、二、三日で治るだろうと思って、放っておいた。
今日で転んでから約一週間がたったのだけれど、痛みは治まるどころがどんどんひどくなる一方。 ベッドから起き上がるためには何かに掴まらなくては起き上がれない。 今日に至っては、とうとう会社の椅子に座っているだけでも激痛が走りはじめた。
ひびが入ってるかも・・・。
激痛に耐えられなくなった僕は会社のすぐ近くの整形外科に向かい、レントゲン写真を取ってもらった。
「足の甲はヒビが入ってますね。右脇の肋骨は大丈夫ですが、かなり激しい打撲なので、激痛は三週間くらいは続きますね。足の甲はヒビは入ってますが、特段の治療は必要ありません」
整形外科医はそう言って、僕に湿布薬を処方した。
内科だけでも大変だったのに、こんどは整形外科行き。
会社に戻った僕は早速、医局で処方してもらった湿布薬を貼った。 が、粘着力が弱い。 しかも少しでも動くと右脇の打撲が痛い。 僕は文具置き場からガムテープを取ってきて、自分の身体をぐるぐる巻きにしてテーピングした。
内からも外からもボロボロ。 満身創痍である。
それでも、二つのプロジェクトを抱え、毎日、深夜まで休日もつぶして働く僕なのであった。
2004年06月18日(金) |
グレイヘア「パンク」コンサルタント |
「グレイヘアコンサルタント」という言葉がある。 いわゆる年配でコンサルタント経験、ビジネス経験が豊富で、見た目だけで、信頼できそうなコンサルタントのことを指す。 実際の戦略コンサルタントのコンサルタントとしてのピークは30代後半なので、現実的にはグレイヘアコンサルタントは単なるボケ老人とか、単なる置物というか、クライアントとのミーティング時にとりあえず、何か一言、ポロッといかにも経験がありそうなハッタリ系の発言をしてくれりゃ、いいや、という程度の存在である。 戦略コンサルタントはアタマを酷使するので、グレイヘアになる年齢だと、コンサルティングの現場では単なるボケ老人扱いでもはや使い物にならない。
で、本題。
僕は、過労でぶっ倒れ、約2ヶ月に渡って会社を休んでいた。 休むに当たって、僕は考えた。 人生初の長期休暇なので、気合いを入れて休まなければならない。
そうだ!
髪の毛を染めてグレイヘアコンサルタントになろう。 グレイヘアではつまらないので、髪の毛をシルバーにしてみよう。 僕は、映画「タクシードライバー」でデ・ニーロがモヒカンにするかのごとく、髪の毛を染める事にした。
僕は早速ドラッグストアに向かい、シルバーヘアに染めるためのヘアカラーを購入し、染めてみた。 が、僕が想像していたようなシルバーにはならなかった、一度、髪の色を抜いてからでなければならないようだ。 もう一度ドラッグストアに向かい、最も強力な髪の毛の脱色剤を購入し、同じく使ってみた。 30分で僕の髪は見事な金髪になっていた。 超強力な脱色剤なので、そこいらのクソガキよりもずっと過激な白に近い金髪。 最終目的はグレイヘアであり、銀色にしなければならないので、今度はその金髪に、シルバーヘアカラーで染色してみた。
うーむ。
グレイヘアではない。 金髪が少し、銀色がかった程度。
鏡に映った僕は、パンクおやぢだった。 まあ、いいや、少なくともこれで、会社には絶対に出社できない。 金髪に髪を染めた戦略コンサルタントなんているワケないので、客先はおろか、会社内にだって立ち入れないだろう。
現に、僕の休暇中には、新入社員向け研修の講師だとか、政府の委員会への出席の依頼など、何度か仕事の依頼が入った。
僕は仕事の依頼が入る度に「髪の毛を金髪に染めているけどいいですか?」と尋ねた。
良いワケがない。
髪の毛を金髪に染め、ヒゲをはやしたパンクおやぢが新入社員に「社会人の心得」とかを話せるワケがないし、政府主催の委員会の政策論議になんて参加でいるワケがない。 ザマミロと思いつつ、僕は2ヶ月間をゆったりと金髪で過ごした。
街中での視線はごく普通だった。 もはや金髪など、ごく普通のことなのだろう。 近所の人の目も別段変わりはなかった。 休暇中に会社の人と飲みに行ったり、合コンに出たり、会社のパーティーにワザと金髪のまま出席してみたりしたが、あまり驚かれなかった。
くそっ。 もっと、嫌な目で見ろよ。 せっかく、ワザワザ社会人放棄を主張しているのによ。
会社のパーティーに金髪のままで出席した際も「全く違和感ないですね」とか「結構似合ってますね」と、いった僕の期待していた「冷たい目線」とは全く異なったコメントしか返ってこない。 パーティーの出席者は僕への対応は、普段と全く変わらなかった。 人によっては「別にそのまま仕事に戻ってもいいんじゃないですか?」などという僕の期待を思いっきり裏切るコメント。
僕の普段のイメージのせいか、金髪にした程度ではもはや誰も驚かないのであった。 ちょっと、というか、かなり残念。
現在は、仕事に戻っているので、「黒髪戻し」とかいう製品をつかって髪の毛を黒に戻している。 だが、黒に染色した部分が薄くなり、茶髪ぎみにはなりつつある。
また、長期休暇を取る事があったら、今度は金髪ではなく、もっと無茶苦茶な原色カラーに染めてみようとおもう。 オレンジとかピンクの髪にすれば、さすがにみんな嫌がってくれるかな。
2004年06月17日(木) |
【スクープ】総裁は実は倒れていた |
皆様、大変ご無沙汰です。 更新がずっとなくてごめんなさい。
「【スクープ】総裁は実は倒れていた」の表題にある通り、超過密スケジュールで仕事を続けていた結果、僕はぶっ倒れてしまっていたのであった。
WEBLOGの更新頻度が少なくなった昨年の秋頃から、僕は本業で抱えているコンサルティングのプロジェクトに加えて、政府関係の委員や、フォーラムのワーキンググループのリーダー、社内の新プロジェクト立ち上げを兼任していた。 昼間の僕のスケジュールはどんどん過密になり、ほとんど分刻みで奔走していた。 昼間は、社外の人たちとずっと会ったり、会議でスケジュールはぎちぎちだったので、本業のコンサルティングの仕事をする時間は全く無い。 深夜しか本業のコンサルティング業務を行なえなくなり、必然的に平均睡眠時間は3時間程度になり、そんな生活を数ヶ月続けていた。
帰宅時間はだいたい午前3時ごろで、実際にベッドに入るは午前4時半ごろ、という生活がずっと続いていた。 コンサルタントは深夜まで、ディスカッションを繰り返したり、モノゴトを考えるのが仕事なので、たとえ午前3時に帰宅しても、アタマが興奮して全く眠くない。 仕方がないので、帰宅してから毎晩大量のお酒を一気に倒れるくらいまで飲んで、無理やり寝ることが習慣化していた。 ビールはビールで飲むのだけれど、ビール程度のアルコール度数ではそう簡単には酔っ払わない。 アルコール度数の高いウィスキーや焼酎を飲んでいたのだけれど、720mlボトルなどだと、3日も持たず、買いに行くのが面倒なので、ウィスキーも焼酎も2.7リットルのペットボトルに変えた。 そっちのほうが安いし。 2.7リットルのペットボトルでさえ、一週間も持たない。 それにも加えて、缶ビールはチェイサー代わりに平日でも毎日1.5リットルから2リットルを飲んでいた。
アタマが興奮したまま、深夜に帰宅するので、ぶっ倒れるくらい一気に酒を飲まないと眠れなかった。 アルコール度数の高い酒を一気に大量に飲めば、さすがにぶっ倒れる。 僕はぶっ倒れることを目的として、酒を飲みつづけた。 その結果として、そもそもの睡眠時間が3時間くらいしかないのに、睡眠の質もどんどん下がり、僕の体調はほぼ、限界。 それでも、僕は会社では平気なフリをして仕事をしていた。 更に、平日は過密スケジュールで雑務をこなす時間など、全くないので、週末も毎週仕事に出ていた。
コンサルタントの通常業務に加えて(コンサルタントの通常業務だけでも相当の激務)、普通のコンサルタントでは絶対に経験できないような政府の政策決定にまで口を出せるようになり、社内の新プロジェクトの立ち上げ、という仕事としては面白いものだったので、僕は死にそうになりながらも何とか仕事をこなしていた。
が。
そこにインフルエンザにかかってしまったのであった。 オフィス内でインフルエンザが流行っており、ある日同時多発テロ並に、僕のオフィスのフロアにいる人間がいっせいにインフルエンザにかかった。 まるで、誰かがサリンを撒いたかのように。 普段の僕は、ほとんど風邪もひかず、病気とも無縁なのだけれど、身体が弱っていたせいか、僕もインフルエンザに罹ってしまい、39度の熱がでた。
39度の熱が出た日は新プロジェクトが立ち上がった直後で、クライアントとの重要なミーティングの日だった。 僕はプロジェクトマネージャなので、ミーティングを欠席することができず、39度の熱と、止まらない咳を薬でごまかして、出席した。 少しでもしゃべると咳き込み、会話もままならない状態だった。 その後も僕は、熱は下がらず、咳で会話もロクにできない状態で以前と同じように睡眠時間3時間生活で仕事を続けた。
プロジェクトの途中からは、仕事中に心臓がバクバクしたり、指が震えてパソコンのキーボードを打てなくなったり、手のひらが汗でいっぱいになり、汗で滑ってトラックポイントが使えなくなり(普段の僕はマウスは使わずトラックポイントだけでパソコンを操作する)、マウスを使うようになっていた。
プロジェクト期間は約2ヶ月。 プロジェクトの途中から、僕は命の危険さえ感じるようになっていた。 さすがに心臓がバクバクしはじめると恐い。 まともに歩く事も困難になり、階段の上り下りは、手すりにつかまらないとできなくなった。 立ち話をする際もなにかにつかまっていなければ、立っていられない。 着替えをする際も靴や靴下を立ったまま履こうとするとバランスをくずすので、座った状態でした履けない。
周りからも心配され、人事にも僕の状態は伝わっていて、即、病院で診察を受けることを会社側から指示された。 しかたなく、僕は会社から紹介された病院に行った。 僕は病気をほとんどしたことがないので、病院には幼児の頃に親に連れられて行った小児科以外に行った事がなかった。 医者は即座に、3ヶ月会社を休むことを僕に命じた。 そして、酒で眠る事を禁じ飲む代わり、向精神薬扱いの超強力睡眠薬をはじめ(副作用で小人の大名行列が見えることで有名な薬)、大量の種類の薬を僕に処方した。
僕はプロジェクトの途中で抜けたくなかったので、薬を飲みつつ、かつ習慣化していた酒を止めることもできず、仕事を同じように続けていた。 動悸、咳、手の汗、手の震えもマトモに歩けない状態は相変わらずだった。
そして、プロジェクトの完了と同時に僕は会社に2ヶ月間の休暇を申請し、(医者の指示は3ヶ月)、家でバイクとドラクエと温泉とギター三昧の生活に入った。
と、いうことでこれまでずっとWEBLOGの更新ができなかったのであった。 今はまた、仕事には復帰している。 医者からは夜は18時には会社を出るように、と言われつつ、長年の習慣で毎日深夜まで仕事をし、酒もほとんどやめていない。 終電で帰宅できることはほとんどなく、ほぼ毎日タクシーで帰宅している。 薬はきちんと飲み続けているけれど。
医者からも人事からもしかられつつ、僕は相変わらずの深夜残業生活を続けている。 病気であるにもかかわらず、現在の僕は、2つのプロジェクトのプロジェクトマネージャーを兼任し、かつあいかわらず、政府関係の限りなくボランティアに近い仕事もつづけている。 だからまだ毎日、WEBLOGを書けるだけの余裕もチカラもない。
WEBLOGが毎日更新できるような体調に早く戻したい、とは思っているので、皆様、生暖かい目で僕を見守っていてください。
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