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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」

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2003年07月31日(木) テロのオプション取引と神の見えざる手

米国政府が企画していた「テロのオプション取引」を断念した。
テロを博打化するのか、との批判に屈した形だ。

「テロのオプション取引」とは、金融市場にて、特定の時期にテロが起きるか起きないかについてカネを賭ける博打の事である。
そもそものオプション取引は、テロが起きると損をする企業が、リスクヘッジのために逆張りをするために存在する。

天気や気温のオプション取引は既に有名だ。
雨が降ると損をするようなテーマパーク。
雪が降らないと営業できないスキー場。
気温が上がらないと客足が鈍るプール。
天候の不順により作物の生産高が下がる農業。
そのような企業がリスクをヘッジするために天気や気温のオプション取引を行う。

米国政府は同様のオプション取引をテロをテーマに行おうとかん考えたのである。
米国政府の狙いはテロをテーマに博打をすることではない。
テロによって損害を受ける企業を助けるためでもない。

米国政府はテロをオプション化し、オプション価格の変動により、テロの正確な予測が可能になるのではないか、との仮説を立てたのである。

僕は米国政府はとても良いところに目をつけたな、と思う。

市場にはいわゆる「神の見えざる手」が存在する。
資本主義社会のなかにおいて、市場は常に公平であり、恐るべく正確さで経済の実態を反映し、予測する。

911テロの際も、航空会社の株価が妙な動きをするなど、異常値が検出されていたのだそうだ。
きっと、テロの発生をオプション取引として博打化すれば、正確なテロの予想ができるだろう。
危機が近づくにしたがって、テロは「起きる」のほうにベットする人間が増えるだろう。
そして、参加者が増えれば増えるほど、予測値は正確性を増すはずだ。
地下に潜伏するテロリストも、米国の特殊部隊の隠密行動も金融市場を騙す事はできない。
金融市場を支配するのは人間の利己的な欲望によって形作られた「神」である。

ギャンブルの世界でも同じ事だ。
競馬や競艇のオッズは常に正確である。

参加者が増えれば増えるほど、参加者が欲にかられ貪欲になればなるほど、利己的な人間が集まれば集まるほど、マーケットやギャンブルにおけるオッズは正確さを増していく

僕は市場が、人間の欲望が、一体どこまでの正確さでテロを見抜くのかを見てみたかった。
人間のカネに対する欲望や利己主義は集団化すれば、神の力としか言いようのない力で未来を見抜く。

僕はテロのオプション取引を見てみたかった。
きっと、人間の飽くなき欲望の集合体である金融市場は,恐るべき正確性を持ってテロを予測したはずである。
とても残念である。


*8月4日追記
僕と全く逆の意見が述べられています。
まあ、これが普通の感覚でしょうね。「一般的に言って」この意見のほうが正常です。
■狂気の「テロ先物市場」を生み出したペンタゴンの精神風土
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/ITPro/USIT/20030803/1/


2003年07月30日(水) 大型二輪教習 まずは適性検査

今日は適性検査である。
PCでの変換は「敵性」検査となってしまうが。
僕がガイキチではないかどうかを判断するらしい。

昨日の入校申し込みは電車でトボトボと歩いて教習所に行ったが、今日はクルマである。
僕はおミズのおねいさんと同様、普段も徒歩5分以上の距離はタクシーに乗る主義。
なので、クルマで行けるところにはクルマで行く。

僕の通う教習所の駐車スペースは、何と!教習コースの中にある。
駐車場には、教習コースを一周しなければたどり着けないのである。
運転歴3時間みたいな教習車が時速15キロくらいでヨタヨタと走っている。
教習車に混じって走るAudiTT。
目立ちすぎて、大変に恥ずかしい。
教習コースなので、ついつい僕も教習車のような走りになってしまう。
右良し、左よし、指差し確認、みたいな。

昨日はコンタクトレンズ着用で裸眼視力を測ることができなかったので、まずは視力検査。
僕はもともと「眼鏡等」の条件つきなので、裸眼で見えるワケがない。
予想通り、裸眼ではほんの少しも見えず、眼鏡等の条件つきになる。

そして、適性検査。
大型二輪の教習には学科は一切ないので、教室に入るのは最初で最後かも知れない。
教室には30人くらいのガキどもがいる。
僕以外はほとんど20歳前後。
圧倒的に僕はオヤジである。
引き算とか、三角の早書き競争とか、間違い探しといった、知能テストみたいなものを行う。
この適性検査の結果は年齢によるハンデも考慮されるらしい。
引き算なんてスゲー久しぶり。
社会人はカネの計算以外で算数は使わない。
マージャンの点数計算でも算数は必要だが、僕はマージャンの点数計算は本まで買って勉強したが、難しすぎて未だにできない。

そして、最後に性格テスト。
「はい」「いいえ」で答える。

Q.誰もいないのに人の声が聞こえることがある
Q.周りの人間が自分の悪口を影で言っているような気がする
Q.悩みごとで夜眠れない
Q.すぐにカーッとなる
Q.死にたいと感じる良くある
Q.常に自分が正しいと信じている

などなど。

正直に回答すれば僕は相当危険な部類に入ることは間違いないが、バカ正直に答えて免許が取れなくては困るので、適当に回答した。
深層心理を測るような設問が含まれていれば、正体はバレるだろうけど。

適性検査の結果は数日後にもらえるらしい。
結果が出たら、報告するのでお楽しみに。


2003年07月29日(火) さっそく大型二輪教習の申し込みに行ってきた

さっそく大型教習の申し込みに行ってきた。

大型バイクに乗りたくてしかたがない、というワケではないが、モノゴトはイキオイである。

教習所に足を踏み入れるのは、17年ぶりくらい。
僕は高校生のときに中型免許を取得し、大学生のときに普通自動車免許を取得した。
大学2年までは中型バイクに乗り、大学3年のときにクルマを買って2×4生活に入った。
社会人になってからは、バイクは手放してしまい、クルマだけの生活となったのでバイクにはもう10年以上、乗っていない。

教習所に足を踏み入れると、僕の記憶にある教習所とは全く様相が違った。
IT化がすごい。
教習の予約はインターネット、i-modeで行う。
ネット経由で予約状況を確認し、予約。
教習所では、発行された専用の教習カードを端末に差込み、配車手続きや教習原簿の管理を行う。
うーむ。
受付のヤンキーっぽいおねいさんをたぶらかして、優先予約をしたりする時代ではないようだ。
ただ、ロビー、特に喫煙コーナーに行くと、昔ながらのトラディッションルかつコンサバティブなヤンキーの方々もちらほら。
僕はほっとする。
深夜のドンキの客層再現。

キャンペーン期間中の割引料金を支払い、書類に記入して入校手続きは完了。
これで僕は「生徒」になった。
高校生かよっ!
駐車場を利用するための書類にも記入。
車種名を書く欄には「アウディTT」。
教習を受けに来る生徒とは思えないクルマ。
左ハンドルのマニュアル車。

高校生のとき、中型免許を取得した際には結構、苦労した。
関西のヤクザ顔負けの教官から怒鳴られながら教習を受けた。
はじめての教習の日、いきなり「ハイ、では皆さんバイクでコースを一周して」と言われ、「すいません、バイクのエンジンのかけ方すら知らないんですが・・・」と答え、「何?!お前、バイクに乗った事がないのか?」と教習所とは思えない事を言われた事だけは覚えている。
確か、教習時間も少しオーバーしたはずである。
生まれて初めて運転するエンジンのついた乗り物が、400CCのバイクだったのでしかたがないのだけれど。

逆に普通自動車免許は簡単に取れた。
あっという間に取得できたので、記憶にもほとんど残っていない。

と、いうことでこれから10年以上もバイクに乗っていない僕が、大型二輪免許取得をめざす。
きっと法定の教習時間は大幅にオーバーすると思う。
僕は時間はないがおカネはあるので、何時間オーバーしようと、のんびりと9ヶ月以内に教習が終われば良い。
まあ、イキオイだし。

履歴の最終学歴欄が「コヤマドライビングスクール綱島校大型二輪コース中退」にならなければそれで良し、なのであった。


2003年07月28日(月) キャリアアップをめざして資格取得のために学校に通うぞ

これからは資格だっ!
将来のために資格を取るのだっ!
資格を取得して僕もキャリアアップだっ!

と、いう事で僕は8月から学校に通うつもりでいる。
僕は資格らしい資格を持っていない。
保有している資格は、東京消防庁で受講すればもらえる「防火管理者」くらい。
あとは、スキー場で使うために取得した「無線4級」。
これではいかんっ!
キャリアアップをめざして資格を取らねば。

通うことに決めた学校は「コヤマドライビングスクール綱島校」。
自宅から近い。
ここなら休日に通えるであろう。
学校になど通うのは大学卒業以来である。

これから目指す資格は「大型二輪」。
普通二輪(中型二輪)は高校生の時に取得したので、既に持っている。
資格のアップグレードである。

二輪の免許を持っていれば、将来、仕事にあぶれたときにでもバイク便等の仕事につけるだろう。
バイク便の仕事を目指す際、普通二輪より大型二輪のほうが面接官のウケも良いハズである。

この間、マトリックス・リローデットを見て、どうしても大型バイクの免許が欲しくなったのである。
マトリックス・リローデットそのものは、大期待ハズレだったのだけれど、例の高速道路のシーンを見て、大型バイクが欲しくなったのである。
見るところが違うのかもしれないが。

教習所に資料請求をすると、7月末までに手続きをすれば割引価格で95、000円になるという。
通常料金だと120、000円ほどかかる。
たいした金額ではないが、これは神様の後押しだろう。
何らかのキッカケがないと、なかなか教習所になど通おうとは思わない。

が、いつ入校の申し込みに行くかが問題。
今月中に手続きをしなければ、割引価格ではなくなるのである。
割引価格でなくなると、「今」教習所に通う、というインセンティブがなくなってしまう。
教習所に問い合わせてみると、申し込みは実際に来校してもらう必要がある、とのこと。今月はもう3日しかない。
申し込み手続きのためには会社をサボるしかないのであった。

うーむ。
気合いが・・・。

関係ないけど、マトリックスと言えばこれはすごい。
マジでアスキーアートが動いてるぞ。
http://abstract.cs.washington.edu/~renacer/ascii-matrix.html.gz


2003年07月27日(日) サービス残業の存在しない企業なんてあるのか?

武富士がサービス残業代を遡及して支払ったうえ、書類送検までされたらしい。
この記事を呼んだ日本企業のマネジメント層は、下記の二つのうちのどちらか、もしくは両方の感想を持ったはずである。

①げっ、次はウチか?まずいなあ。
②かわいそうに見せしめかあ・・・。

少なくとも「サービス残業をさせるなんて何とひどい企業だ!」などど感じるようなマネジメントはいない。
日本において、サービス残業のない企業など、ほとんどない。
少なくとも僕の知っている企業でサービス残業をさせていない企業は皆無である。
日本の企業(含む外資)においてサービス残業は当然のものである。
残業代は支払わないのが企業社会の常識なのである。

僕は年俸制なので、残業という概念がない。
休日出勤と徹夜をつづけ、3ヶ月間の間に1日も休みがない、とか、その3ヶ月間のうち、3時間以上連続で眠った事がない、更にその3ヶ月の中で海外出張が数回、という経験を2度ほど経験している。
その時は、本当に死ぬかと思った。
最後のほうは、生きているほうが不思議な感じで、眠ったら最後、二度と起きる事はないかもしれない、と本気で感じた事が何度もある。
過労死すれば、間違いなく認定モノである。

その時、僕は言った。
「1日は24時間しかないので、これ以上は働けません・・・」
上司は言った。
「ニューヨークに出張すれば時差が12時間だから、1日でも36時間働けるよ」
ユナイテッド航空の001便の「エコノミー」チケットが手渡された。

数年前の僕はゴールデンウィークが近づくたびに海外に飛ばされていた。
海外に行けば、ゴールデンウィークは関係ないからである。

僕にとっては、現在の職場も以前の職場もタイムカードというものが存在しないし、残業という概念もないので、サービス残業も存在していない事になっている。
だが、僕にはプライベートが存在しないことは当然として、睡眠時間のような「動物」としての最低限の時間も与えられていない。
人間のような「文化的な生活」からは1万光年遠い。
「9時出社5時退社」を認めてくれる企業があれば、僕は今の年俸が半分になっても即断即決で転職する(お買い得ですよ、希望する企業はありませんか?)。

僕の例は極端だとしても、残業代を全て支払っている企業なんて、日本に存在するのだろうか?

現在、僕が所属する会社は世間的には最初から激務で通っているので、どうでも良いが(僕の会社では「9to9キャンペーン」をしばらく前から行っている。1日の労働時間を12時間!まで縮めようというキャンペーンである・・・。当然ながら達成にはほど遠い)、前職の時は非常にむかついた。
僕が以前勤めていた某社は労働時間が短く、休暇が多いことをウリにしている企業だった。

実態は「残業をつけさせない」、「休暇を取得していないのに、書類上だけ休暇を取得したことにする」、という事を社員に強要していただけの事である。
書類上は、労働時間は短いし、休暇も多いことになる。

僕はサービス残業も書類上の休暇も「サラリーマンとして」受け入れていたが、どうしても許せなかったのは、社員の犠牲によるウソのデータを使い、優良企業としてのプロパガンダを行っていた事である。
僕は何度も会社に対し、「個人として」クレームをつけた。
「一万歩譲って、残業代が出ない事も書類上の休暇取得も認めよう。だが、そのインチキデータを外部に公表し、優良企業のフリをする事は止めろ!」
もう、辞めた企業だから知った事ではないが、今、考えても腹が立つ。

でも、サービス残業を認めなければ、日本の企業はあっという間に業績が悪化するのも事実。
僕は資本主義者でマネジメントの味方だが、日本のマネジメントは根本的なところで勘違いをしている。
リストラによって人員削減をした結果、残った人員の仕事量を増やして、削減した社員の仕事の穴埋めを分するような対応は、マネジメントでもなんでもない。
残業代も支払わない。

これを機に、厚生労働省はサービス残業の実態調査をすべきだ。
企業は一斉に隠蔽にかかるだろうけれど。
実態は、想像以上にひどいはずだ。

■武富士、サービス残業代35億円を支払い
http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2003072800871


2003年07月26日(土) キアヌ・リーブスは絶滅の危機に瀕している世界遺産なのか?

マトリックスリローデットを見ていて思った。

これは田舎のヤンキーではないのか?

映画、マトリックスリローデットにおいて、キアヌ・リーブスは「長ラン」を着用していた。
で、グラサン。
長ランとは、もはや絶滅の危機に瀕している世界遺産、ヤンキーの皆さんがここぞ、というときに着用する不必要に長い学生服の事である。

あの長いコートは長ランそのものだ。
映画のなかでは、あの長ランの裏地を伺う機会はなかったが、きっと「龍の刺繍」があるに違いない。
僕は長ランが似合うハリウッドのセレブはジェット・リーくらいだと思っていたので、意外であった。

マトリックスは日本のアニメを参考にした、と言われているが、ここでわかるのは、アニメだけではない、という事である。
日本のヤンキー文化も研究していたのではないかと推察される。

長ランにグラサン。
今や日本では絶滅の危機に瀕している、正しいトラディッショナルかつコンサバティブなヤンキーの姿である。

日本で、キアヌ・リーブス並みの長ランを着用しているのは、今となっては木更津の氣志團くらいしかいない。

マトリックスの続編は秋に公開されるが、キアヌ・リーブスが長ランに斜め45度のグラサンと小さ目の女性用サンダルをひっかけ、コンビニの前でウンコ座りをしてツバを吐いているシーンがあることを期待したい。


2003年07月25日(金) 悪役の僕

最近、テレビドラマを見ていて思う。
僕が登場人物だったら、間違いなく悪役だ。

テレビドラマの主人公は基本的にワカモノである。
「会社モノ」だと、主人公のワカモノが理不尽な上司に向かって反抗し、最後は上司をぎゃふんと言わせる。
「アナタだって、若い頃はこんなんじゃなかったハズだ。思い出してくださいっ!」みたいな。
僕はそのワカモノから反抗される側である。

次に、僕のような外資コンサルが描かれるとしたら、冷酷なビジネスマン役だろう。
熱血の主人公は冷酷な外資コンサルのやり方に怒りをおぼえる。
「ビジネスは数字だけじゃないんだ。リストラされた人の気持ちがアナタにはわかるんですか?」みたいな。

理不尽な上司も、冷酷なビジネスマンもワカモノの言葉にハッと気づかされ、最後には人間性を取りもどす。

僕はテレビドラマを見ていて、悪役が出てくるたびに、妙にシンパシーを感じたりする。
やっぱりドラマはドラマ。
現実とは違う。
悪役が言ってる事のほうが正しいぞ。
ビジネスを全然わかってないガキに説得されてどうする?

テレビドラマってワカモノが見ているからしかたがないんだろうけれど、リアリティーのあるドラマを見てみたい。

主人公は外資のコンサル。
業績不振に陥った企業のリストラを進める。
工場を閉鎖し、支店を閉店する。
不採算部門を売却。
給与が見合っていない中高年をガンガンくびにする。
既存の社員をくびにする一方で、外部から優秀な社員をどんどん採用する。
資本の論理にしたがって企業改革に邁進する。

企業は自分のものだと信じて疑わず、自分達の生き残りしか考えていない現場の社員は事あるごとに主人公に反発。
リストラ候補の中高年社員は主人公の仕事を妨害する。
主人公は現場の反発にも負けず、経営陣や銀行とともに企業の再生に向けて闘い続ける。

主人公は叫ぶ。
「会社はあなた達社員のものじゃないんです。株主のものなんです。私達は株主のため、戦わなければならないんです」

最終回は企業の業績が劇的に回復し、主人公は復活させた企業の経営陣に迎えられる。
主人公を妨害しつづけた現場の中高年はリストラされ、ハローワークでも冷たくあしらわれる。
家族と住宅ローンを抱えた中高年社員は、ファミレスで皿洗い。
めでたしめでたし。

そういうドラマを見たいなあ。
絶対ないな。


2003年07月24日(木) カプホ好き

世の中には二種類の人間がいる。

「カプホ好き」と「カプホ嫌い」である。
もちろん僕は「カプホ好き」だ。

今日もカプホに泊った。
僕の常宿はフォンテーヌ赤坂。
サウナとセットになっているカプセルホテルである。

午前6時。
既に明るくなった赤坂見附の街をトボトボと歩いてカプホに入る。
大浴場に向かい、サウナに入る。
サウナでヒーヒー汗をかきながら、朝のワイドショーを見る。
風呂から上がり、自動販売機でビールのロング缶を買って飲む。
横では脱衣マージャンのTVゲームに興じるワカモノ。
マンガを読むおやぢ。
ビールを飲み終わると、もう午前7時に近い。
2時間ほどしか眠る時間は残されていない。
マトリクスの人間電池のようなカプセルの中に入る。
立って半畳、寝て一畳、というが、ここでは立てない。

僕は「下世話」好きである。
貧乏くさい事とかが嫌いではない。
高級なものが嫌いなわけではないけれど、B級なものもそれはそれで好きである。

大霊界の丹波哲郎が言っていた。
地獄といっても、地獄が合っている人にとっては地獄が天国なのですよ。
その通りだと思う。
僕にとってもお花畑や蓮の葉の天国より、地獄のほうが楽しそうに思える。

僕の周りでは明確に「カプホ好き」と「カプホ嫌い」にハッキリと分かれる。
「カプホ嫌い」の人間にとってはカプホに泊るということは、屈辱的なことなのだそうだ。
カプホ嫌いの人間は何時になろうと意地でもタクシーで帰宅する。
そうかな?カプホはカプホで良いと思うけれど。
サウナもあるし。
仕事を始める30分前まで寝ていられるし。

でも、僕はいつも夜が明けてからカプホに行くので、2、3時間の睡眠しか取った事がないのであった。

■フォンテーヌ赤坂
http://www.fontaine-akasaka.co.jp/


2003年07月23日(水) 日本の家電メーカーの生きる道②

(昨日から続く)

日本の家電メーカーはハイテク産業と化し、優れた技術力を持っているが、「技術
力」に優れているだけでは、生き残ることはできない。
技術は簡単に模倣されるからである。
技術で少々、先行したところで、参入障壁を築いたことにはならない。

家電メーカーが製造業としての地位を守るためには、インテル、マイクロソフトの地
位を目指さなければならない。
必要なのは「ブラックボックス」化されたOSであり、CPUといった基幹部品であ
る。

高度に進化したデジタル家電はコンピュータよりも複雑である。
だが、ブラックボックス化に失敗し、技術が単なるコモディティー化すれば、現在の
コンピュータメーカーと同じく、製造業としては生き残っていくことはできない。

ブラックボックス技術とは関係のない低付加価値の家電製品の組み立ては中国をはじ
めとする賃金の安い国に移行せざるを得ない。
これからは複雑な製品の組み立て製造機能も海外に流出していくだろう。
将来、製造業として日本に残る機能は、ブラックボックス化した高度な基幹部品の開
発、製品やサービスの企画機能だけである。

技術のブラックボックス化に加えて必要となる能力はサービスとしてのインテグレー
ション力である。
今後、家電はネットワーク化が進行し、家電とコンピュータの境界線はあいまいにな
る。
家電デバイスは単体として機能するのではなく、ネットワークに接続され、システム
として機能する。
システムとして機能するためにはコンピュータ業界と家電業界は融合せざるを得な
い。
更には通信事業やサービス産業とも融合していくだろう。

そこで付加価値を持つのは個々のデバイスの開発力だけではなく、システムやネット
ワーク、サービスとのインテグレーション力である。
家電メーカーはネットワークを含めたシステムとしての開発力および、サービス開発
力をつける必要がある。
だが、今の家電メーカーに複雑なシステムをインテグレートするような能力はない。
サービスを企画する力もない。
日本の家電メーカーは既に単体としてのデバイス開発力では、コンピュータメーカー
をはるかに凌駕しているが、巨大で複雑なシステムを構築する力はない。
能力がなければ、企業買収を行なうか、戦略的な提携を行なうしかない。
だがそこで、間違っても自前で能力を身につけようなどと考えてはいけない。
そのような悠長な時間はない。

きっとこれからの家電メーカーは業態の変化にもがき苦しむだろう。
コンピュータメーカーが10年以上に渡ってもがき苦しんできたサービス産業化の波
は家電メーカーにも訪れる。

ただ、日本の家電メーカーは日本のIT産業と同じような凋落の道はたどらない(・・・ことを期待したい)。
日本の家電メーカーは日本のIT産業と違い、ブラックボックス技術の「種」をいく
つも持っている。
今はただの「種」に過ぎないけれど。

日本の家電メーカーは日本の最後の砦だ。
ここが崩れたら日本はゲームとアニメのヲタク大国として、生きるしか道がない。
日本の家電メーカーにはがんばってもらいたい。

オクノ総研の提唱する日本の家電メーカーの生きる道は5つ。

■家電メーカーの生きる道
①組み立て工場はさっさと捨ててしまうこと
②ブラックボックス化された技術のR&D、知的所有権の確保を強化すること
③製品単体の企画ではなく、高度にインテグレートされたサービス企画を行なうこと
④サービス産業への移行のために、自前主義にこだわらず、M&A、戦略的提携を行うこと
⑤過去の成功体験は忘れ、変化を恐れないこと


2003年07月22日(火) 日本の家電メーカーの生きる道①

最近強く感じるのは、コンピュータメーカーと家電メーカーの「技術力」の逆転現象である。
一般的なイメージで考えるとコンピュータメーカーのほうが「技術力」が上で、家電メーカーの「技術力」は弱いように見える。
だが、今や「ハードウエアの技術力」に限って言えば家電メーカーのほうがずっと高度だ。

家電製品はデジタル家電化により、家電製品のハイテク化、複雑化は進む一方である。
それに対し、コンピュータはインテルのCPUとマイクロソフトのOSにより、心臓部はブラックボックスと化している。

最近の家電製品はハイテクの塊である。
携帯電話しかり、DVDレコーダーしかり。
どのようなとんでもない使い方するかわかったものではないコンシューマーが、めちゃくちゃな使い方をしてもほとんどバグがない。
DoCoMoの505iシリーズはほとんどの製品からバグが発見されたが、コンピュータ業界から見れば、あんなものはバグのうちに入らない。
僕はよくもあそこまで完成度を高めたな、と感心することがあっても、非難する気にはならない。

それに対し、コンピュータ、特にパソコンは単なる組み立て型の製品である。
主要部品はインテルのCPUとマイクロソフトのOS。
そして、サードパーティー製のグラフィックカード。
メーカー純正の部品は筐体のロゴくらいのものだ。
サーバーのようなパソコン以外のハードウエアもインテル化とLinux化が進行中である。
コンピュータメーカーの製品開発の仕事といえば「製品企画」であって「製品開発」ではない。
パッケージング力が製品開発力である。
企画力の優れているコンピュータメーカーが良いメーカーであって、ハードウエア技術が優れているメーカーが良いメーカーというわけではない。

ハードウエア以外の領域においても、コンピュータメーカーの脱メーカー化の進行は進んでいる。
システム開発の現場で、いわゆるコードを書くことは少ない。
ロクにコードを書けないSEなど、いくらでもいる。
きちんとしたコードを書けるSEのほうが少数派だ。

ERPの導入などはシステム開発ではなく、パラメータ設定である。
技術屋としてのエンジニアではない。
ビジネス要件をシステムに落とし込む事が主たる業務である。

コンピュータメーカーは既にハードウエア屋ではなく、サービス企業である。
いわゆるハードウエア技術屋的な職人は少数派だ。

コンピュータのアプリケーション開発ではOSやミドルウエア、アプリケーションを介してハードウエアとのコミュニケーションを行なう。
家電の開発ではハードウエアを直接がしがし叩く。
マイクロコードをごりごりと書く。
必要に応じて専用のカスタムチップを作る。

いつの間にやら、家電メーカーはハイテク産業となり、コンピュータメーカーはサービス産業になった。
コンピュータの世界で技術要素の全てを米国に持っていかれてしまった日本ではその傾向が特に顕著である。
コンピュータメーカーがサービス産業化し、家電メーカーがハイテク産業化しつつあることは間違いない。

ただし、このコンピュータメーカーのサービス産業化は凋落ではない。
業態としてみれば進化である。
今後、日本の家電メーカーもいずれはこのサービス産業化に飲み込まれる。
(長いので明日につづく)


2003年07月21日(月) 停電

三連休の一日めは、休日出勤にもかかわらず朝6時までオフィスで過ごし、ニ日めはそのせいで、起きたら既に夜でした、という状況の僕にとっては、三連休の最終日である今日が唯一のちゃんとした休みだ。

でも、梅雨の終わりらしく、今日は雷雨。
TVでは土砂災害のニュース。
スカパーも「受信できません」と表示されて映らない。

雷が鳴り響く豪雨のなか、外に出かけるのも面倒だな、と思いつつダラダラとPCをいじっていると、「ぶちっ」という音とともにPCの画面が消え、部屋が真っ暗になった。

停電?

うちはハードディスクで動いているモノが一杯あるんだよっ、電気が切れると設定が飛んじゃうような機器もたくさんあるんだよっ。

僕の家にはデータセンターと変わらないような機器があふれている割に、電源周りの対策はない。
普通のマンションなので、非常用電源があるわけでもない。
PCにUPS(無停電電源装置)がついているわけでもない。
サージバスター(雷ガード)もない。
停電が起きると大騒ぎである。

30秒ほどで電気はついた。
停電など、小学生以来。

点検をして回ったが、破損している機器はなかった。
でも、設定が飛んでしまった機器やら、再起動が必要な機器はいくつかあった。

今日の停電は落雷によるものだと思うけれど、今年の夏は操業を停止している原子力発電所が多いので、停電の危険は大きい。
梅雨が明けて、クソ暑くなる8月には停電が起きるかもしれない。

各種の電子機器の再起動や再設定を行いながら、UPSとサージバスターを買ったほうが良いのかな、と思った。
だんだん自宅が、普通の家じゃなくなっていく・・・。


2003年07月20日(日) トップページに更新状況チェック機能をつけてみた

研究員が増えてくると、更新状況が良くわからない。
各コンテンツにアクセスしても、更新されていなかったりすると、ムカつく。
きっと、僕以外の読者の皆さんも同じだろう。

オクノ総研のトップページに必要なのは、各コンテンツの更新状況チェック機能である。
僕はしばらく前から、何とかオクノ総研のトップページに更新状況チェック機能を盛り込みたいと考え、試行錯誤を繰り返していた。
普通に考えれば「はてなアンテナ」使えばいいじゃん、という事になるのだけれど、それはイヤだ。
別のサイトにジャンプしてしまっては美しくないのである。
オクノ総研のトップページのHTMLに組み込まれないとイヤだ。

オクノ総研モバイルを使った人はわかると思うけれど、オクノ総研モバイルは「はてなアンテナ」を使っている。
実はオクノ総研モバイルのほうが機能は上なのである。
僕はオクノ総研を携帯電話経由で見ている事のほうが多い。
オクノ総研モバイルを使った事のない人はぜひ使ってください・・・便利なので。

RSS/RDFを使えばサイトの更新状況のチェックが可能である、という事は以前から知っていた。
でも、RSS/RDFってCGIが使えないとダメ。
僕はCGIが使えるサーバースペースは持っていない。
いろいろ組み込みたい機能はあるのだけれど、好き勝手やるためには、CGIが自由に使えるサーバーに引っ越したほうが良いのかも知れない。

で、ついに見つけてしまいました!
更新状況機能をHTMLに組み込む方法。
CGIも使わないお手軽な方法。
RSS/RDFを使ったサービスを展開しているサービスがあったのである。
rss-jp.netを使えば、更新状況チェック機能をオクノ総研のトップページに組み込めるのである。

rss-jp.netでは僕達が利用している「エンピツ」もダイレクトに参照することもできるのだけれど、今回は「はてなアンテナ」を間に挟む事にした。
「はてなアンテナ」で一旦、各コンテンツの更新状況を集約し、そのはてなアンテナの更新状況をトップページのHTMLに組み込んだ。
ちょっとややこしいけど。

これで、オクノ総研のトップページにアクセスすれば、各研究員のコンテンツの更新状況がわかるようになった。
とりあえず、組み込んではみたのだけれど、まだ完璧ではない。
いくつかの問題もある。
Target指定がうまくいかないし、表示される情報ももう少し直したい。
もうちょっと研究が必要。

この機能を組み込むとニュースサイトのヘッドライン等もオクノ総研のトップページに組み込む事ができる。
一種のポータルっぽい画面構成も作ることができる。

そろそろサイトの構成を作り直したほうが良い時期に来ているので、いろいろ検討してみようと思う。

■オクノ総研トップページ
http://www.junokuno.com/
■rss-jp.net
http://rss-jp.net/rss_list.html


2003年07月19日(土) カネはいらん、休みをくれ

最近、必要以上に働いている。
3連休も仕事である。

言っておくが、僕のプロジェクトがハマっている、のではない。
僕のプロジェクトは「俺様の完璧なプロジェクトマネジメント」により、何の問題もなく順調に進んでいる。

現在、僕は5つのプロジェクトを同時に並行して進めている。
僕の会社では1つのプロジェクトに専念することになっているので、相当イレギュラーである。
5つもあれば、毎日ピークである。
平日だけではどうにもならないので、休日でさえ完徹。

プロジェクトを軌道に載せても載せても、次から次へと、新しい仕事が持ち込まれる。
人がいないのかよっ?

人がいないのです・・・。

世の中的にはコンサル不況と言われているが、忙しいところは忙しい。
仕事はさばき切れないほど大量にある。

今のコンサル不況は、いわゆる構造不況、需要と供給のミスマッチ。
世の中で必要とされているコンサルティング機能とコンサルティングファームが提供可能なコンサルティング機能の間にギャップができている。

コンサルティング業界のなかでも特に僕達のような戦略コンサルティング分野で、そのミスマッチは大きい。
戦略コンサルタントの持つ様々な手法のなかで、秘法みたいなものは何もない。
公開されていないテクニックなどは、ほとんどない。
戦略コンサルタントの強みは単に「アタマがいい」というだけの事。

「アタマがいい」などというのは単にレベルの問題であって、機能の問題ではない。
僕達のクライアント企業のなかに、「アタマのいい社員」がいれば、戦略コンサルタントなど必要ないのである。

「伝統的な戦略コンサルティング」は「伝統的な企業」の「伝統的な業務」にしか適用できない。
戦略コンサルタントは、最先端の経営手法に通じている、と反論するだろう。
よく考えろ、それらの「最先端の経営手法」は今までの延長線上にしかない。
リニアに進化してきたものであって、ブレイクスルーされたものではない。
クライアントは、もはやそんなものに高いカネを払わない。

その一方で、「伝統的な戦略コンサルタント」が対応できない仕事はいくらでもある。
「伝統的な戦略コンサルタント」が対応できない仕事は僕のところに回ってくる。

僕;「いやあ、もう僕、物理的に時間が取れませんよ」
パートナー;「じゃあ、こんなワケのわからない仕事、他にできるやつが誰かいるのかよ?」

と、いうことで連休だと言うのに、金曜日に入ってきた仕事により、朝6時までオフィスで仕事をしてました。
カネはいらん、休みをくれ。


2003年07月18日(金) 崩れ落ちる本

僕の保有する音楽コンテンツのMP3化と、PC管理への切り替えが完了した。
LPレコード500枚、カセットテープ700本、MD150枚、CD500枚は既にクローゼットの中。
MP3化したのはCDだけなので、その他のLP、カセット、MDでしか持っていない曲はTSUTAYAで借りてきてMP3ファイルを作っている。
原盤は捨てるのには忍びないので、捨ててはいないが、たぶんもう聴く事はないだろう。

MP3ファイルは無線LAN接続されたNASとiPodに保存されている。
20GBほどのMP3ファイル。
僕の自宅は無線LAN化されているので、PC経由でどの部屋からでもMP3ファイルにアクセスできる。
僕のPCはサラウンド機能、サブウーハつきなので、音楽を聴くのにはPCでもじゅうぶん。
PCで音楽を管理するようになって、逆に音楽を良く聴くようになった。
僕はRealJulebocを使用しているが、CDをケースから取り出したり、しまったりする手間を考えると、ずっと便利である。

音楽の問題は解決されたが、次は本である。
僕の自宅は3部屋あるが、そのうちの一部屋は本だけで埋まっている。

数年前、本の数を数えてみた事がある。
その時点で約4,000冊あった。
雑誌は読んだら即、捨てているので書籍だけの冊数である。

本で埋まっている部屋の壁は全て本棚になっている。
壁一面の本棚でも入りきらないので、本棚の隙間に本を詰め込んでいた。
今となっては本棚だけでは本は収まりきらず、本棚の前に本がうず高く積み上げられ、本棚にすら近づけない。

数年前に4,000冊だったので、今は5,000冊程度はあるだろう。
僕が購入する本は毎月、書籍20冊、雑誌15冊程度。
雑誌は定期購読モノに加えて、勝手に出版社から送られてくるものも多いので、読みきれない。

その5,000冊の本を読み返す事があるのか?と問われると答えは決まっている。
98.7%程度の本は読み返す事はない。

場所を取るので本もPDFファイルで保存できれば良いのに、と思う。
紙の本のほうが読みやすいのは確かだが、保存しておくのには向かない。
ほとんどの本は、読み返さないのだから、データとして保存されているほうが便利だ。
あとで調べ物をするときにも、デジタルデータであれば検索も容易だ。

本もデジタル化することができれば便利なのにな、と思う。
CD-ROMつきの本とかで、紙の部分にかかれているものがそのままPDFファイルになっている、とか。
もしくは本を買えば、PDFファイルがダウンロードできるようになるとか。

最初に読むのは紙、保存して後で参照するときはPDF、という使い分けをしたい。
理想的には視認性高いペーパーディスプレイが開発され、全てデジタル化されることだけれど。

CDや本といったパッケージに思い入れがないわけではないけれど、現実的にはもはやパッケージなどなくても何の支障もない。
きっと、これからパッケージメディアは変化していくのだろう。
それにともなって、レコード会社やCD屋、出版社や本屋も業務形態が大きく変わっていくのだろう。


2003年07月17日(木) 女性コンサルタントと焼肉

久しぶりに西麻布の「虎の穴」に行った。
究極焼肉、と言われる人気の店だ。
味が良い事もさることながら、ココに行くとアホほど食べる事になる。
以前、体育会系出身者ばかりが集まったプロジェクトにいた時は良く行っていたが、最近はご無沙汰だった。

先日、無事終了したプロジェクトの打ち上げと新しく始まったプロジェクトのキックオフを一緒にまとめての宴会。
僕達には珍しく、半分が女性である。
半分といっても3人だけど。

女性のコンサルタントは数パーセントしかいないので、女性コンサルタントが3人も揃う、という事は画期的な事なのである。
通常、会社のメンバーで飲みに行く場合は、男ばかり、というわけではないのだけれど、その場合の女性陣はバックオフィスの人たちである。
秘書、人事、ファイナンス、ナレッジマネジメントといったバックオフィスの女性を無理やり掻き集め、宴会を催すのである。

が、珍しく、今日の女性は皆さんコンサルタント。
これは大変、珍しいことなのである。
そもそも、女性のコンサルタントは絶対数が非常に少ない。
女性のコンサルタントが3人も揃う事は貴重なのである。

コンサルタントという職業が女性に向かない、とは思わない。
仕事そのものは女性だからといって、何か不利があるわけではない。

ただし、コンサルタントは美容には悪い職業である事は否定できない。
眠る時間はないし、徹夜で着替えもシャワーを浴びる事もなく、そのままクライアント先に行く事もあるし、休日は予告もなく簡単につぶれる。
平日は全く予定が入れられない。
ストレスは溜まるし、肌も荒れるだろう。

コンサルタントは若い女性が人生を楽しもうと思ったら、決してついてはいけない職業だとは思う。

半分が女性だったにもかかわらず、みんなアホほど焼肉を食べた。
翌日、女性コンサルタントのひとりは食べ過ぎで、胃がもたれ、一日中苦しそうだった。


2003年07月16日(水) ザ・リアル・ミリ・バニリ ¥100

会社の帰りに中古CD屋に寄り、スゴイモノを発見してしまった。

ザ・リアル・ミリ・バニリ ¥100

買いだ、買い。
即買い。

もう、あの事件は記憶のかなただと思われるので、解説する。
ミリ・バニリを覚えているだろうか?
10年くらい前に、口パク問題でグラミー賞を剥奪されたアーティストである。
歌っていたわけでも、演奏していたわけでもないので、アーティストではないのだけれど。
ミリ・バニリとはグラミー賞の新人賞を受賞しておきながら、実は口パクだった事がバレ、グラミー賞を剥奪された、という前代見聞のアーティスト?である。

このザ・リアル・ミリ・バニリとは、その口パクのミリ・バニリの影で演奏していたホンモノ。
ゴースト・ミュージシャン。
影武者として演奏していたアーティストなのである。

一種のキワモノなので、当然売れていない。
僕が今回入手したCDにも「限定版」と書いてある。
僕も音は聴いた事がない。

「ザ・リアル・ミリ・バニリ」と、Googleに入力しても13件しかヒットしない。
「オクノ総研」ですら57件もヒットするのに・・・。
「ザ」が余計かも知れない、と「リアル・ミリ・バニリ」で検索してみても18件。

そうか、世間の人は全然興味がないのか。
このテのネタに。
ミリ・バニリがグラミー賞を剥奪されたときには、t.A.T.u並にスポーツ新聞を騒がせたものだったのだけれど。

オトナの僕としては¥100の中古CD一枚だけを買うのもナンなので、テキトーに近くに置いてあった同じく¥100のUB40のCDを2枚とマイケル・ボルトンのCDを一緒に買った。
CDを4枚買って、¥400。
税込みで¥420。

家に帰ってザ・リアル・ミリ・バニリを聴いてみると、全然マトモな音。
笑うために買ったCDなのに、結構、キチンとした音だったので、がっかり。
ちぇっ、マトモじゃん。

典型的な90年代初期のちょっとだけ黒い音。
ナイル・ロジャースからソウル色を薄くしたみたいな。
CHICではなく、ナイル・ロジャースがゲストやプロデューサーで参画しているバンドっぽい音。
たぶん、この人達もスタジオミュージシャンなのだろう。

ミリ・バニリとは関係なく、登場していれば普通に売れていたかも知れない。
キワモノイメージが強くて、ちょっとかわいそうな気もした。


2003年07月15日(火) 僕の余命は残り少ないらしい・・・

「公認寿命テスト」というのがあったので、試してみた。
「公認」とついているので信頼性は高いようである。
お笑い系のサイトではないらしい。

結果・・・。










・・・。










■ あなたの余命は 10 年 と 4 日間 です。










・・・。










・・・あと30年くらいは生きられると思ったのに。










中途半端にリアルな数値。









余命が10年だったら株と不動産等を売っぱらって、タイかベトナムにでも移住して余生を過ごそうかなあ。
僕は「健康のためなら死んでもいい」というくらいの健康ヲタのはずなんだけど。

■公認寿命テスト
http://www.wakagaeri.com/life_span/index.php


2003年07月14日(月) 僕は「ウディ・アレン」タイプ。

PCまわりの整頓具合と社員の性格に相関関係についての調査の記事が出ていた。

==========以下、リリースより引用==========


●「仕事と生活のやりくりタイプ」
片付いたデスクの上に友人や家族の写真を飾っています。彼らは忠実で、友人や家族を非常に大切にしますが、人間関係の問題について話したがらないことがあります。俳優にたとえると「ケビン・コスナー」タイプです。

●「整理整頓タイプ」
デスクが整然とし、潔癖なまでにきれい好きです。ひじょうに信頼できる人物ですが、感情をなかなか表に出しません。俳優にたとえると「ケビン・スペイシー」タイプです。

●「職場の活性剤タイプ」
近くにいるととても楽しい人で、デスクにノベルティー商品やカラフルな文房具が置かれていることが特徴です。人間関係を活気づけるのがうまいものの、まじめに受け止めてもらえないこともよくあります。俳優にたとえると「ジム・キャリー/ロビン・ウィリアムズ」タイプです。

●「トレンディーなエグゼクティブタイプ」
非常に流行に敏感で、最新のテクノロジー機器やデザイナー家具を持っています。人間関係についてはきわめて率直で熟練した人ですが、彼らと感情を共有するのは困難です。俳優にたとえると「マイケル・ダグラス」タイプです。

●「雑然・散らかし放題タイプ」
デスクのそこら中に書類が山積みされている、散らかし放題のだらしない人です。周囲に刺激を与え、のびのびと仕事をしますが、信頼性や安定性に欠けることがあります。俳優にたとえると「ウッディ・アレン」タイプです。

==========引用ここまで==========


これによると、僕は「ウディ・アレン」タイプということになる。
僕としてはこれらの俳優さんのなかではウディ・アレンが一番好きなので、全然かまわないのだけれど。

自分で言うのもナンだが、僕の机は散らかり放題である。
その一方で、資料が見つからなくてオロオロしているような事は一切ない。
何でもすぐに出てくる。
僕と一緒に仕事をした人は、皆、一様に不思議がる。

僕は「超整理法+」という整理方法を用いている。
超整理法とは、参照した資料をどんどんと上に積み上げていけば、自動的によく参照する資料が上に来る、下のほうにある資料は捨てて良し、みたいなものだった。
僕の場合はそれを更にブラッシュアップした「超整理法+」である。
僕のように書類の山に囲まれて仕事をしている人間にとっては、通常の「超整理法」ごときでは、対処できない。
新しい書類を上に積んでいくと、あっという間に書類は天井まで積みあがってしまうからだ。
なので、僕は「超整理法+」である。

「超整理法+」とは超整理法を3次元的に展開したものだ。
机は広い。
で、あるならば、書類を机の上にぶちまけておけば良いではないか、というものである。
書類が机の上にぶちまけてあれば、一覧性があり、すぐに資料を見つけることができる。
ぱっと見て、どこに何があるのかがすぐにわかるのである。
超整理法と同じく、あまり見ない書類や資料は、どんどんと地層の下へともぐりこんでいく。
手に近いところに良く見る書類は来ることになるので、遠くにある書類も重要度が低いことになる。
そして、ある程度、資料が堆積して地震等の際に危険だな、と感じたら、ごそっと全部捨てる。

僕の場合、書類、資料の99,9%はデジタルデータとして持っている。
なので、紙を捨てたところで、何の問題もないのである。
紙として持っているのは、デジタルデータよりも見やすいから、というただそれだけの理由。
逆に言えば、別に紙の書類などあってもなくても良いのだ。
また、今後見る時に、紙として置いてあったほうが、便利かな、という程度のことである。

だけど、紙の書類の管理が乱暴な一方で、デジタルデータの整理は異常なまでにきちんとしている。
ディレクトリ管理も異常に細かく、自分の運用ルールにしたがって行っている。
バックアップも必ず3箇所以上に行う。
2箇所のバックアップでは不安だからだ。
リアルの机は荒れ放題なのに、データとしては異常なまでに神経質なのである。
MP3ファイルの整理のしかたでも、アホではないか、というくらいにキチンとしている。

これは「ウディ・アレン」タイプで良いのかな。

■Logitech、欧州企業におけるオフィスのPCまわりの整頓具合調査を実施
http://www.logicool.jp/press/press_109.html


2003年07月13日(日) クラッシックは苦手

僕は音楽以外に何の取り柄もない子供だった。

ピアノ教師だった母親の方針で3歳の時からピアノを習わされていた。
習わされていた、などと言うのは僕はピアノが好きだったワケではないからだ。
3歳からはじめたピアノは結局、高校2年生まで、つまり17歳まで続けた。
おかげで今でも絶対音感はある。

僕はクラッシック音楽が大嫌いである。
今でも全く聴かない。
僕は17歳までずっとクラッシックピアノを弾きつづけていた。
マシンのように弾き続けていた。

僕はクラッシックが大嫌いだった。
僕は17歳までの間、14年間もずっとクラッシックピアノを弾き続けていた。
毎日2時間の練習が義務付けられていた。
僕はピアノが大嫌いだったけれど、練習を続けていた。
それしか、僕にできることは何もなかったから。

僕はお勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでもない子供だった。
音楽しかなかったのだ。
僕が僕であることを他人に示す手段は音楽しかなかった。

音楽しかない割には、僕の演奏能力はロクでもなかった。
耳は良かったのだけれど、演奏能力はひどいものだった。
嫌々、演奏している音楽が美しいはずがない。

僕は大嫌いなクラッシックピアノを弾き続け、大嫌いなのに、そこでしか他人から認められることはなかった。

17歳になった頃、僕はピアノを辞めることを決意した。
大嫌いなピアノを、クラッシックに自分の人生を賭けることを拒否した。
大学も芸大をめざしていたのだけれど、高校3年の春になって普通の大学にコース変更をした。
それまでの芸大受験コースから、突如、普通の受験コースに切り替えた。
僕は音楽は好きだったけれど、クラッシックは大嫌いだったのだ。
大嫌いなクラッシックに人生を賭けたくなかった。

その後、何とか普通の大学に進んだのだけれど、結局、僕は音楽でしか自分を表現できないことにすぐに気づいた。
僕はスタジオとライブハウスで大学時代の時間の大半を過ごした。
クラッシックは大嫌いだったので、ロック、テクノと僕はクラッシックからできる限り遠い音楽を創りつづけた。
大学2年の時にレコーディングが決まり、19歳の時にレコードを作った。

就職は音楽とは何の関係もない仕事だった。
あえて音楽を遠ざけつづけていた。
今、僕は音楽とは何の関係もない仕事をして、それなりの生活をしている。
音楽以外に何の取り柄もなかった少年だった僕は、音楽とは何の関係もないかのごとく生活をしている。

僕のマンションには生ピアノがある。
一人暮らしのマンションに生ピアノを置いている人間などほとんどいないだろう。
僕はそのピアノを弾くことはほとんどない。
だけど、ピアノのない生活は考えられない。
今の僕は音楽から離れているけれど、結局のところ、音楽から逃げられないのだ。

オチとして、クラッシックの良さを再確認した、と言いたいのだけれど、やっぱりクラッシックは苦手だ。
音楽は好きだけれど。


2003年07月12日(土) PCが復活した

先日、ご臨終になったはずのPCをあちこちイジリ回していたら突如、復活した。
ずっと立ち上げっぱなしで運用していたため、熱暴走のような問題だったと思われる。

故障個所を特定するために、いろいろな事を試したのだけれど、結局、故障個所の特定ができなかった。
ご臨終から一日たって、電源を立ち上げたら何故だか問題なく起動した。
ちょうどWindowsUpdateをかけるタイミングだったので、WindowsUpdateをかけて再起動したら、また起動しなくなった。
そのあと、あちこちを再度イジりまわすが、やはり起動しない。
無反応。

で、一日経って電源を入れてみたら今後は起動した。

わからん・・・。

エラーの再現性が全くない。
立ち上がったり、立ち上がらなかったり。

現在、起動させてから、十数時間が経過したが、とりあえず問題なく作動している。
きっとずーっと立ち上げっぱなしだったため、熱暴走でもしたのだろう。
もしくは、電源関係のエラー。

今回のトラブルでよくわかったのは、PCのソフトウエア的なトラブルであれば、何とか対応も可能だけれど、ハードウエアがトラブルを起こすとお手上げ、ということだ。
僕にはハードウエアはエラーなど起こさないもの、という思い込みがある。

デスクトップのDELLが死亡している間、ノートパソコンのThinkPadを使っていたのだけれど、やはり、自宅ではデスクトップのほうが便利だ。
仕事ではノートパソコンを使用しているが、自宅ではやっぱりデスクトップである。
電源を立ち上げっぱなしでいつでも使える状態になっていなければ不便。
常に起動しているPCが手の届く範囲にないと困るのである。

PCは僕にとってはインフラである。
常に立ち上げっぱなしで、いつでも使える状態でなければならない。
TVを見ながらでも、番組中にフト疑問に思った事を調べたり、TV番組表をチェックしたりと、よくPCを使う。
電気、水道、ガス、電話といったインフラと同じく、いつでも使えなければ困る。
これは使えない状態になって、はじめてその重要性を実感するものでもある。

常に起動し、インターネットに接続されたPCが手許にある生活が、僕にとっては、日常なのだ。

と、いう事でDELLのデスクトップは6年めに突入する。
何とか復活するにはしたが、いつ完全に死亡するかわからない。

僕は、ファイルは全てLAN上のNASに保存しており、クライアントPCにはアプリケーションしか入っていないので、クライアントPCが吹っ飛んだとしても、それほど大きなインパクトはない。
と、いってもNASはNASで常に立ち上げっぱなしなので、こっちはこっちで危険。

自宅のシステムもデータセンター並の運用体制がいるかも。


2003年07月11日(金) 音楽がモノを考えるための最良ツール

僕はいつも音楽を聴きながら仕事をしている。
ずっと以前からのスタイルなので、当たり前だと思っていたが、よくよく考えてみると変である。

今は「カジュアルサマー」と呼ばれるカジュアルウエアで出勤が可能な季節なので、ラフな服装で音楽を聴きながら仕事をしている。
僕が仕事をしている姿は、世間一般の人が想像するであろうコンサルタントにはほど遠い。

音楽だって、モーツアルトを聴いているわけではない。
だいたい、仕事中にはふさわしくないようなロクでもない洋楽を聴いている。
iPodのMP3ファイルもだいぶ増えてきて、4,300曲となった。
4,300曲のほとんど全てがロクでもない洋楽。
邦楽は電気グルーヴだとかテイトウワだとかごくごく少数。
ドカドカとうるさい音楽を聴きながら、コムズカシイ事を考えているのである。

僕の場合、激しいくらいの音のほうが集中できる。
静かな音を聴くと普通の人はリラックスできるのかも知れないけれど、僕の場合はダラダラ感が出てくる。
なので、激しく、速めのリズムを聴いていたほうが集中できる。
仕事にふさわしい音楽ジャンルは、ハードロック、ヘビーメタル、パンク、ファンク、オルタナティブ、テクノ、ハウス、ヒップホップである。
いわばアドレナリン放出系。

邦楽を聴かない理由のひとつは日本語の音楽を聴いてしまうと、歌詞に耳がつられがちだからだ。
僕のショボいヒアリング力では、洋楽の英語は「よし、ヒアリングするぞ」と気合をいれない限り、単なる音でしかない。
歌詞が聴こえていたとしても、深く意味を考えたりしない。
楽器と同じ音である。
邦楽の日本語だと、歌詞から様々なイメージが浮かんだり、考えたりしてしまうので、集中力の妨げになるのである。

自分の席についている時間のほとんどは耳にB&OのA8が挿さっている。
よく考えてみたら、毎日10数時間も音楽を聴き続けている。
モノを考えることが僕の仕事なので、まあ、音楽がモノを考えるための自分のとって最良のツールなのだ。

「音楽を聴きながら仕事をすることは禁止」などという規則ができたら、仕事が全く進まなくなるだろう。
止めろ、と言われたこともないけど。


2003年07月10日(木) 5年間使い続けてきたPCがとうとうご臨終

5年間に渡って僕のメインマシンとして使い続けてきたDELLがとうとう壊れた。
ハードウエア的なご臨終。

今日、自宅に帰ってくるとDVD-ROMドライブとCD-R/RWドライブがぶんぶんと唸っていた。
ディスプレイには信号が来ていない事を示すエラーメッセージが出ていた。
画面は真っ黒。
何も映っていない。

僕は自宅のメインマシンの電源は常に入れっぱなしである。
PC本体の電源は常に入れっぱなしで、ディスプレイだけを消していた。
なので、5年間動きっぱなしである。
電源を切るのは、3ヶ月に1回くらいWindowsUpdateを行なうときだけ。

5年間ずっと動き続けてきてはじめてのエラー。

おじいさんの時計の気分だ
♪5年休まずチクタクチクタク♪

僕はノートパソコンは毎年のように買い換えるが、メインマシンのデスクトップのDELLは買い換えずにずーーーーっと5年間も使い続けてきた。
5年間の間、メインマシンであり続けたのである。

購入した5年前、BTOでオプションをつけまくって50万円以上かかった。
その当時入手可能な最も高性能なPCだった。
メモリも5年前の段階で384MB積んでいた。
ディスプレイは21インチ。
DVD、CD-R/RW、サラウンド対応のサウンドカード。
16MBのビデオメモリ。
今となってはごくごく普通のスペックだが、5年前はCGの制作スタジオ並のスペックだった。

ケースを開けて、エラー箇所と思われるDVD-ROMドライブとCD-R/RWドライブのIDEケーブルをはずしてみたが反応なし。

ハードウエアリセットもきかない。
電源を落とすこともできない。

つまり、すなわち、結局のところ、なんというか、とうとう、やっぱり、ついにロジックボードがイカれたらしい。

さすがにサーバーマシンでもないPCを5年間も立ち上げっぱなしだったので、寿命かも。
老衰。
大往生。
DELLも本望だろう。

と、いいつつ週末に、悪あがきの修理はしてみようと思う。


2003年07月09日(水) 眠い・・・。

某クライアントが主催するミーティングでプレゼンをしてきた。
某ホテルの宴会場にクライアントの全国の関連会社の部長が100人くらい集まっていた。
ぴりぴりと張り詰めた空気。
ややこしいミーティングらしい。
僕の担当クライアントではないので事情はよくわからない。

先週末、「あるテーマ」について15分から20分くらいのプレゼンをして欲しい、との依頼を受けた。
「一般論を話せば良いのかな、時間も短いし」と思って、軽く引き受けた。

甘かった・・・。

クライアントの状況を調査し、そのうえで施策についてプレゼンをして欲しい、とのことだった。

僕へのプレゼン依頼の内容は「あるテーマ」に基づいて、クライアントが将来、何をすべきか?どのようなオプションが考えられ、どのようなシナリオで展開していくべきか?
その場合のコストと収益の予想は?というものである。
これを15分から20分で話して欲しいという。

ようするに、3日間でひとつのプロジェクトをやれと言っているのと同じである。
僕はそのクライアントは担当ではないので、そのクライアントのことは良く知らない。
クライアントそのものを理解するためにだけでも、相当大変だった。
クライアントの事を知らないのに、3日間でクライアントの状況を調査し、100人の部長の前でプレゼンをしなければならないのである。
おかげで先週末から土日も含めてクライアントとミーティングを繰り返し、山のような資料を引っ掻き回し、分析し、資料をまとめた。
与えられたプレゼンの時間は短いが、内容は濃い。

僕に与えられたプレゼン時間は短いが、クライアントにとっては非常に重要な位置づけらしい。
週末も返上して、クライアントと打ち合わせが続き、強引にプレゼン資料をまとめた。

で、本日。

今日は朝、8時から社内ミーティング。
ガイジンがやってくるだかなんだかで朝から召集された。
2時間半の英語漬け。
朝は6時前に起きた。
週末も休んでいないし、マトモに眠る時間などどこにもないのでとんでもなく眠い。

午後から、プレゼン会場のホテルに赴いた。
ぴりぴりとした空気が会場に漂っていた。
プレゼン会場に到着すると、クライアントの責任者が寄ってきた。

「すいません。長く話してもらっても良いです。40分間、話してもらえませんか?」

15分から20分で話すつもりだったのだけれど、突如として倍以上の40分間、話すことになった。
当然ながら、資料は15分間用。
僕は基本的にプレゼンをすると時間が足りなくなる体質なので、短めの資料を用意している。
なので、資料はぺらぺら。

おいっ、と思いつつ。
ぴりぴりと張り詰めたホテルの宴会場で、40分間しゃべりました。
いやあ、恐かった。
あの雰囲気のなかで事情もよくわからず、恐る恐るのプレゼン。

でも、なぜか時間は足りないくらいなのであった。

ああ、眠い。
早く寝よっと。


2003年07月08日(火) 護送船団的な株価上昇

日経平均株価が一時的ににせよ1万円を超えた。
僕自身の保有株もここ一ヶ月の間に200万円ほど価値が上昇した。
今日も一日で40万円以上の上昇。
過去の損失から見れば、焼け石に水だけれど、まあ少しはうれしい。

新聞やテレビのニュースを見る限り、株価の回復に対して懐疑的な論調が多い。
実体経済は何も改善していない、というトーンが中心である。
根拠無き株価の上昇だと言う。

果たしてそうだろうか?
僕は日本経済はマクロでは回復していないのかも知れないけれど、ミクロでは随分改善してきていると思う。
マクロ経済的に見れば、日本経済は相変わらずダメダメである。
だけど、一方で各々の企業のオペレーションを個別に見ると、リストラもきちんと進行し、かなりの改善が見られる。
2、3年前とは大違いである。

2、3年前の日本企業と、現在の日本企業は明らかに違う。
かつてのどうしようもなかった企業、特に大企業はオペレーションレベルでは大きな改善が見られる。
業績の数値への反映はまだ少し時間がかかるかも知れないけれど、企業の体質そのものは変化しつつある。
ほんの少し前の日本企業は本当にどうしようもなかった。
コンサルタントとして内部を見ると、このような企業がどうして今まで優良企業などと呼ばれていたのか理解に苦しむ企業が多かった。
内部はボロボロで、経営者は何の経営知識も持ち合わせず、危機感もない。
悪いのは自分達の経営ではなく、外部環境だ、と決めつけている経営者も多かった。

日本企業の経営者には経営に必要な知識が全くない場合が多い。
日本企業の経営トップはアガリポジションであって、経営のプロではないので、企業経営に対する専門知識は皆無。
僕は経営トップ向けの資料を作る際、スタッフに対し、「アホでもわかるように」、「小学生が読んでもわかるように」を連発していた。
実際のところ、経営トップはボケが進行中の老人が多いので、「文字を大きくする」、「横文字、専門用語は使わない」、「絵をたくさん入れて親しみ易くする」、「5秒でわかるように」といった児童向けの絵本を作るような配慮が欠かせない。
日本企業のトップ向けプレゼンテーションは、幼稚園児や小学校低学年の児童に企業経営について理解させるのと同じくらいに難しい。

だが、今は違う。
多くの経営者は自分達のダメさを認識し、危機感を持ち、きちんと施策を立て、実行した。
ボケ老人は退陣し、若手に後を譲った。
まだまだどうしようもない企業や経営者が多く残っているのも確かだけれど。

一方で、デフレ経済が株価という面ではまだまだ大きな影を残す。
デフレ経済、という事はタンス預金をしておけば、キャッシュの相対的価値が上昇する、という事である。
デフレが続けば貨幣価値は相対的に向上していくので、現金のまま持っていたほうが得だ。
上昇しない株と比較して、現金のほうが価値の上昇率が高い。
よって、リスクマネーである株にはキャッシュが流れない。

だけど、相対的に見て日本経済は復活しつつある、と僕は信じたい。
経営者の皆さん、危機感を失わないでください。
ほんの少し業績が回復したくらいで、改革を止めないでください。
これまでの屈辱を忘れないでください。

今の株価は、血を流しながら本当に改革を進めている企業も、何の改革もしていないのに、全体につられているだけの企業も、一緒に上昇している。
護送船団的な株価の上昇。
だけど、マーケットはすぐに気づくだろう。
同じ業種、業態の企業間でも実態は随分異なる。
もうすぐ、化けの皮がはがれる企業が続出するだろう。

日本経済の問題の根底は、どうしようもない企業を保護してきたことにある。
ダメな企業が、優良企業の足を引っ張ってきた。
プライドだけは一人前のクソ企業が税金を食いつぶして生き残ってきた。

僕の望みは本当の優良企業はきちんとマーケットから評価され、ダメな企業、経営者にはさっさと消えてもらうことである。
ダメな企業、経営者とは、自分達がダメな企業であること、ダメな企業であることに気づいていない企業、経営者の事である。
ボロボロのくせに自分達は未だに大企業で優良企業だと勘違いしている経営者の何と多いことか。
反省の色はゼロ。
全くなし。
例えば・・・とか・・・とか。
名前は伏せておくけど。
そういう企業はさっさと潰れて欲しい。
そして、そのような企業を無駄に保護するような政策は即刻止めるべきだ。


2003年07月07日(月) オニツカタイガーに見るブランド戦略の迷走

TXのワールドビジネスサテライトでオニツカタイガー特集をやっていた。

アシックスは体育の授業のイメージが強いオニツカタイガー/アシックスをこじゃれたブランドに転換するのだそうだ。
パトリックみたいな、スカシ系スポーツシューズを狙っているようである。
今、オニツカタイガーは「レトロ」イメージでマニアな人たちの間でそこそこ人気が出てきている。
だが、アシックスとしてはレトロイメージだけではビジネス的に限界があるので、おしゃれ系にシフトしたいらしい。
体育のイメージが強すぎるので、ブランドイメージの転換を図りたいらしい。

絶対に間違っている。

オニツカタイガーはあくまでも「ハズシアイテム」である。
オニツカタイガーは綱引きシューズとか、カンフーシューズといったマニアックなスポーツシューズを出しているからこそ、ヲタな人にウケているのだ。
オニツカタイガーと言えば、一般の素人が一番に思い浮かべるのは、やはりブルース・リーが燃えよドラゴンで履いていたカンフーシューズであろう。

アディダスやプーマも80年代中頃までは、ダサいブランドとされていた。
三本線のアディダスなど、イメージは体育の授業そのものであった。
アディダスが復活したのは言うまでもなく、RUN DMCのおかげである。
80年代中期にRUN DMCがクツ紐を抜いたアディダスのスーパースターを履き、My Adidasを歌ったから復活したのである。
アディダスの三枚の葉っぱを五枚にしてギザギザのマリファナ葉っぱに変えたパロディーTシャツも20年ほどまえには人気があった。
プーマはサッカーブームにより復活した。
アディダスやプーマは80年代中期にはいつ潰れてもおかしくないブランドだったのである。

オニツカタイガーは、素直にブルース・リー路線で攻めるべきだ。
ハズシアイテムとして、うまく仕掛ければブレイクするハズである。
せっかく築きあげた「ダサ格好いい」という、稀少なブランド価値、ポジショニングを無駄にしてはいけない。
変におしゃれ路線など狙うべきではない。
オニツカタイガーの人は自分達のブランド価値に気づいていない。
オニツカタイガーはダサいからこそ価値があるのである。
スカシ路線になど転換した途端に、ヲタは見向きもしなくなるぞ。


2003年07月06日(日) 雑誌の役割は読者にとって「興味のない」情報を提供すること

書店における「デジタル万引き」の記事を読んでいて、自分の雑誌の読み方が以前とは変わってきていることに気づいた。
デジタル万引きとは、雑誌の記事をデジカメやカメラつき携帯で撮影することである。

僕は、自分にとって「興味のない」記事を読むために雑誌を買う。
「興味のある」内容であれば、インターネットで調べれば済むことだからだ。
デジタル万引きの記事を見てみると、「撮影の対象は主に情報誌。映画の上映時間や飲食店の紹介、料理のレシピなどが多い」と、ある。
今や、情報誌はデジタル万引きなど関係なく売れるはずのないものだ。
この程度の情報であれば「能動的」にネットで調べればすぐに答えは見つかる。
情報誌など全く必要ではない。
必要なのは「能動的」に調べるつもりのない情報、「受動的」に受け取る情報である。

僕の愛読雑誌は「日経ビジネス」と「SPA」である。
「日経ビジネス」はおやぢ向けの雑誌なので、僕には興味のない話題が満載である。
じじい向けの玄米健康法とか。
「SPA」は世代的には合致しているが、自分とは同世代でありつつ何の接点もない「普通の」のサラリーマン情報が中心。
クルマの特集がカローラスパシオだったりするような雑誌だ。
自分からは絶対に求めないような情報が出ているからこそ、僕は毎週読む。
興味がある話題なら自分で調べる。
雑誌は今まで自分が興味がなく、かつ面白いネタを提供してくれるからこそ存在価値がある。

今の雑誌に求められていることは、一般の読者が興味のない話題を提供することなのだと思う。
ただし、単純につまらないネタだと誰も読まない。
その辺の匙加減が難しそうである。
今まで興味はなかったのだけれど、中吊りを見てビビっと来た、みたいな。
「SPA」はそのあたりのツボのつきかたがうまい。

いわゆる「情報誌」は難しい。
雑誌を買わなければ得られない情報など、ほとんどない。
TVガイド誌もグルメ記事もインターネットに比べて紙媒体の雑誌に優位性はない。
書店に平積みにされた「ぴあ」、「東京ウォーカー」、「テレパル」、「TVブロス」などを見て、一体誰が買うのかな?といつも疑問に思う。
デジタル万引きなんてしなくても、ネットで検索すれば済むことなのにね。

雑誌協会の人は、雑誌が売れなくなっている理由はデジタル万引きではなく、構造的なものだということに、気づいたほうが良い。

■書店で「デジタル万引き」横行 雑誌協会が対策に着手
http://www.asahi.com/culture/update/0706/001.html


2003年07月05日(土) 発展過剰国、日本

今年の情報通信白書 を読んでいて思った。
日本は「発展過剰国」である。

はってんかじょうこく【発展過剰国】
{名詞}ある特定の部分が異常発展、進化を遂げた国、あるいは地域。オクノ総研総裁による造語。
英:Over Developed Country, Area 英略:ODCA
反意語:発展途上国
類義語:先進国

日本は奇妙な方向に発展を遂げた。
ケータイ、アニメ、ゲーム。
今や日本はプロジェクトX的な製造業の国ではない。

かと言って、日本はいわゆる第三次産業であるサービス業や情報産業の国でもない。
第二次産業と第三次産業のクロスオーバー。
ハードウエアとソフトウエア、コンテンツ、サービスが一体化し、独特のカルチャーを生み出した。

カラオケ、回転寿司、カプセルホテル、etc。
日本発のカルチャーは多い。
日本人はとてつもなくクリエイティブな人種だと思う。

世界中見渡しても、電車のなかで何人もの人間が携帯をイジっているような国は日本以外にはない。
携帯をイジっていない人間は、PDA、ノートパソコン、ゲームボーイ。
電車のなかを見渡すと、多くの人間が電子機器に向かっている。

ある意味、SF。

日本はモノカルチャー国家だ。
モノカルチャーの日本はひとつの方向性が定まると、とどまることなくどこまでも突っ走る。
どこまでもどこまでも。
日本を単一民族国家だなどと言うと、左巻きの人に叱られるが、民族的には単一ではないとしても、文化的には単一である。
「個性的」な同じ格好をしたガキども。
同じTV番組を見て、同じ音楽を聴いて、同じ映画を見て、同じブランドの服を買って。電車の一両のなかに一体何人がエルメスのフール・トゥをさげているか?

日本は「発展過剰国」だ。
モノカルチャーの日本は独自にグロテスクに進化を遂げた。
モノカルチャーであれば、進化は一直線だ。
加速度を増しながら進化する。
過剰なまでに進化する。
進化したカルチャーは消費され、あっという間に捨てられる。

日本って、発展過剰国だな、と思う。
決して成熟しない。
でも、この過剰さが日本のチカラでもある。

■「IT産業、日本が先導役に」情報通信白書、自信見せる
http://www.asahi.com/business/update/0704/064.html
■総務省 情報通信白書
http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/cover/index.htm


2003年07月04日(金) ハメられた

「○○について勉強したいので資料を作って欲しい」というさも簡単に見える仕事の依頼があった。
RFP(Request For Proposal)を見てもド楽勝。

その○○については、僕は調査しまくっていた。
たぶん日本で一番深く調べている。
「さっさと、本を書け」と、言われつづけているのだけれど、仕事としては面白いけれど、○○については個人的な興味はさほどなく、本を書く気にならないので、のらりくらりとかわしている。

○○についてのお勉強資料なら、半日もあればできる。
クライアントにウケるような情報を付加して作り直しても、せいぜい3日、と踏んだ。

「はい、やります、やります。2週間もあれば大丈夫でしょう」
3日ほどで仕事を終えて残りの10日ほどは遊んで過ごすつもりだった。
実際のところ、RFPに書かれた内容に対するアウトプットのドラフト版は半日で完成した。

甘かった・・・。

「ウチの業務について調査、分析し、○○がどのように適用可能かのアイディア出しと投資対効果分析、参入オプション、シナリオも作ってもらえませんか?」
「へ?」
「来週の水曜日に全国から主要クライアントの部長が集まりますので、そこでプレゼンテーションしてください」
「へ?へ?」
今日は金曜日。
「月曜日の午前中までにプレゼンテーションパッケージを頂きたいのですが」
「へ?へ?へ?」
一日で業務の調査をして、週末に分析、執筆しろって事か?
「ウチはいつもこんなスケジュールなんですよ。ははは」
僕はそのクライアントの業務など、1ミリも知らない。

そんなハナシ、聞いた事がない・・・。
完全に契約外の内容だし、できるワケがない。

同席していたパートナーは言った。
「なるほど、了解しました。問題ないでしょう」
問題アリアリだっ!
「主要クライアントの部長会でプレゼンテーションを外部の方にお願いするなんて、初めてなんですよ。期待してます」
期待すんなよっ!

と、いうことで僕は今、死亡寸前の作業中なのであった。

・・・ハメられた。


2003年07月03日(木) ジャパニーズヲタクは「くー」なのか?

数年前、僕がクリエイターとしてNYにたどり着き、NYのSOHOにあるオフィスに初めて出社した朝、白人と黒人と中国人と韓国人の見るからに怪しい風体のクリエイターが僕のそばにワラワラと寄ってきた。

中国人のエンジニアは、漢字がわかることを活かし、僕のためにプラグラミング用の日本語版のWindowsPCとお絵かき用のMacintoshを用意してくれていた。
「日本語版電脳窓、日本語版電脳林檎、我両方用意為貴殿」みたいな事を言った。

「ドリトス食べるか?シュエップス飲むか? いや、エスプレッソか?ダブルか?トリプルか?やはりビールか? いや、日本人は日本酒(『じゃぱにーずさきィ』と発音していた)しか飲まないのか?NYでは朝からは酒を飲む習慣はないが、日本人はサムライだから朝からでも飲むだろう。ゴルア。酒、買って来い。何?タバコ? おいっ、客人にタバコだっ! 州法ではオフィスでタバコは吸えんが、日本人なら問題ないだろう」

よくわからんが、僕はオフィスで妙な歓迎を受けた。

初日は暇だったので、僕はマインスイーパーとソリティアの両方を1回でクリアし、ニホン人の頭脳の優秀さを見せつけてやった。

昼になると、当然のようにランチに誘われた。
僕は白黒黄色の怪しい集団に囲まれて(彼らはクリエイターなので怪しい格好をしている)寿司屋に行き、裏巻きのカルフォルニアロールを食った。
ん?ニホンで僕が食ってる寿司よりずっとうまいぞ。

「おいっ、おまいら。NYでは寿司は人間が握っているのか?日本の正統な寿司はベルトコンベアに乗って回転しているのだ。人間の握った寿司なんぞ、今更食えるかっ!」
僕はニホンのヲタク神。

食事の後、「是非、一緒に行きたいところがある」と、告げられ、怪しいエリアに連れて行かれた。

日本ヲタク向けの店であった。
日本のアニメのビデオやDVD、美少女アニメグッズ、フィギュアなどが所狭しと並んでいる。
店の中で、白黒黄色の集団は自分がいかに日本通か、という事のアピール合戦になった。

中国人は言った。
「我保有中山美穂的新譜。完全保有全音楽。君入手可能発売前新譜?」

黒人は言った。
「俺は、お前を初めて見たとき、ピーンときた。お前なら絶対にトトロの等身大のぬいぐるみを手にいれられる。いや、ただとは言わん。俺のミスター・スポックの等身大人形と交換でもいい」

白人は言った。
「フロッガーというゲームを知っているか?ジャパンで有名なフランダースの犬の主題歌が使われているという伝説のゲームだ。手に入るか?」

ヲタク集団であるNYのクリエイターのなかで日本人の僕はちやほやされていたのだが、一人冷たい奴がいた。
彼は、僕へのニホン通であることのアピールのつもりなのか、チャーハンをスプーンを使わずに箸でぱらぱら落としなが無理して食っていた。

ある雨の夜、僕に冷たい奴がボソッっと言った。
「お前、ブレードランナー好きか?」
「この築100年のオフィスから見える雨の景色は、レプリカントが死ぬ瞬間に鳩が飛ぶシーンのビルに似てるね」
「!!!!」
「おいっ、お前、『鉄男』好きか?サイバーパンク好きか?『アキラ』は日本でもヒットしておるのか?オオトモはやはり日本では神なのかっ?」

日本国はテクノロジーが過剰に発展してしまった結果、通信回線や電波を経て欧米の文化がデジタルデータに変換されて伝わった。
日本人はデジタルデータとして伝わった欧米文化をワケのわからない解釈と日本人の感性で変換を行った。

結果として、マトリクスにまつわる話題でも明らかなように、欧米のクリエイター層の間では妙な日本信仰が生まれていた。
ガイジン達は思った。
「なんだかわからんが日本人のクリエイターはすごいぞ。
ニッポンのカルチャーはワレワレの理解を超えている」

僕はNYで仕事をしていた約半年の間、「ヲタク神」としての地位を保ち続けた。
彼らは僕が何か言うたびに「くー!(Cool)」と、叫んでいた。

クリエエイターの間ではニホンジンは「くー」らしい。


2003年07月02日(水) コンサルタントは知的所有権が生命線

今日、クライアント先で知的所有権の問題で少し揉めかけた。
結果的にはクライアントに納得してもらったのだけれど、知的所有権の問題は結構やっかいである。

コンサルティングファームがコンサルティング業務を行う場合、知的所有権はコンサルティングファームとクライアントの共有財産となる。
ごく稀にコンサルティング業務を行う過程で得られた知的資産の全ての所有権を占有したい、というクライアントが存在する。
コンサルティングファームはそのような契約は締結しない。
場合によっては仕事そのものをお断りする。
だが、国家機関や特殊法人等、例外的に知的所有権の共有、といった契約を締結することができない場合もある。

今回のクライアントは特殊事情により、知的所有権の共有が認められなかった。
僕は長い長い交渉の末、知的所有権はクライアントに所属するが、無制限の利用権を僕達に認めてもらう、という点で落ち着いた。
名目上の知的所有権はクライアントに移転するが、僕達は結果的には権利を放棄していない。

しかし、名目上の権利の移転とは言っても、僕達は権利を放棄することになる。
僕は、名目上とはいえ、権利を放棄することは認めたくなかったので、クライアントへの報告書には契約書に記述された最低限の内容のみを掲載した。
権利を放棄したくない付加価値の高い内容については、僕達のコピーライトを付記したうえでクライアントに提出した。
用心のためにパワーポイントやワードのファイルでは流用可能なので、プロテクトのかかったPDFファイルで提出した。
僕が、なぜそこまで権利にこだわるのか理解できない同僚も多いが、僕はコンサルタントの命は知的所有権であると信じている。

知的所有権に対してそれほど明るくないクライアントは、当然の事ながら訝しがる。
なぜ、報告書がこのような変則的な形式になっているのか、という疑問を投げかけてくる。
知的所有権に関して関心のない日本企業のサラリーマンにとっては、僕のように契約書や知的所有権にこだわる人間は「日本語をしゃべるガイジン」である。

僕はコンサルタントであり、クライアントのビジネスを変革することが仕事であって、知的所有権をクライアントに売り渡す仕事をしているわけではない。
僕は作家でもライターでもなく、コンサルタントである。
時間単位で脳を切り売りしているわけでもない。
僕はクライアントに知恵を与える事には努力を惜しまないが、知恵を特定のクライアントやプロジェクトに独占されることは認めない。

コンサルタントは時間単位でフィーを請求するので、クライアントにとってみれば、コンサルタントがクライアントのために費やした時間に得られた知的資産は全てクライアントに帰属すべきだ、と考えるクライアント担当者が多い。
だが、コンサルタントは自分の頭だけで全てを考えるわけではない。
コンサルティングファーム内に蓄積されたナレッジデータベースをフル活用するのである。
コンサルティング業務がコンサルタントの頭脳の時間貸しであるのならば、コンサルティングファームは組織であることの存在価値を失う。
コンサルティング業務がコンサルタント個人の資質に大きく依存しているのは事実だが、組織としての知的財産を活用しているからこそ、大きな付加価値を創出できる。
組織としてのコンサルティングファームはナレッジの蓄積が生命線であり、存在価値である。
知的所有権を放棄することはコンサルティングファームにとっては、自分達の存在価値を否定する事につながる。
知的所有権を放棄する、という事は場合によっては、同様のテーマのプロジェクトをファームとして今後は全て放棄する、ということにも繋がりかねない。
なので、僕は知的所有権には強くこだわる。

でも、知的所有権にこだわっていると「カタイ事を言わずに、まあまあ」という人間が多いのも事実。
僕らの存在価値は知的所有権なのにね。
自分の頭脳だけで商売をやっている、と思い込み、知的所有権をいい加減に考えているコンサルタントは、救いようのないアホである。

ごめん、つまらなかった?


2003年07月01日(火) ようわからんN505と携帯電話の未来

NTT DoCoMoの携帯電話のなかでは常にトップの人気を誇ってきたNECの505が発売される。

うううむ、ようわからん。
なんじゃこのスペックは?
504から変化なし。

NEC、やる気なし夫君。

他社が100万画素を超えるメガピクセルカメラつきの機種を出してくるなかで、32万画素。
しかもCMOS。

いや、DoCoMo携帯のなかでは常にトップ人気のNだ、何かあるはず。

「サラウンド機能」
ダブルスピーカ-で着メロがサラウンドで鳴ります・・・。

さすがにこれではレビュー記事も書きにくかっただろうと推察される。
レビュー記事には「○○はできない」、「○○は行えない」、「○○のみ」とさびしい言葉が続く。
レビュー記事は、無理やりにでも誉めちぎるモノと相場は決まっている。
でも、N505は誉めようにも誉めようがない。
「従来の基本性能を正統進化させた」と、苦しい言葉で記事をしめている。
ここで言う正統進化とは、液晶がでかくなった、という事である。
技術的なブレイクスルーは何もない。

確かに505シリーズは携帯電話としては関係のない機能が増えすぎた。
iショットで送れないほど高画素のカメラ機能など本来の携帯電話機能とは全く関係がない。
通信機能と関係のない機能の強化に向かって走り続けるDoCoMoは迷走している、と取れなくもない。
携帯電話として使うだけであれば、メガピクセルカメラなど必要ない。

だが、消費者はメガピクセルカメラ機能を求めているのである。
DoCoMoとしては、ARPUに何の貢献もしないメガピクセルカメラ機能などウザイだけの存在だろう。
だけどNECは携帯電話メーカーである。
NECはメーカーなのだから通信とは関係なくても、NEC製の携帯電話が売れれば良いハズ。
通信機能とは関係のないおもしろ機能をどんどんつけていけば良いのである。
でも、さすがにこのN505はなあ・・・。

N505の予定価格はSO505と変わらない、と予想されている。
値段が同じなのに機能があまりにも違いすぎる。
苦戦は必至。
Nヲタ、N信者は、N505の登場によって安くなるであろうN504に流れるだろうと思われる。
504は1万円程度まで下がるだろう。
それに対して505は3万円程度。
機能はほとんど同じで、値段は3分の1である。

NECはアホな競争には加わらない、という事なのだろうか?
でもその割には、サラウンド機能なんてつけてるし。
NECの商品企画のヒトは何を考えているのかよくわかりません。
NECはデジカメを作っていない会社なので、メガピクセル携帯を開発できなかった・・・というあまりにもシンプルな理由だけかも知れないけど。
携帯電話事業はNECにとって、最後の牙城とも言える数少ないトップシェアを取れる事業であったはずだ。
でも、さすがにN505は売れないだろう。
デザイン的な完成度は高いけれど。

ストレートの時代は「P」の黄金時代だった。
折りたたみ全盛時代に入り、「N」の時代がやってきた。
世代が変わるとき、シェアの変動も起きる。
メガピクセル携帯時代の到来は王者「N」にとってはシェアが変動する危険なタイミングなのである。
本来はアホほどキアイをいれるべきタイミングなのにね。
NECやばし。

携帯電話には「いつも持ち歩くモノ」に付いているとうれしい機能を、ガンガン盛り込んで欲しい。
デジタルマネー機能とかHDDMP3プレイヤー機能とかデジタルテレビ機能とかデジタルラジオ機能とか翻訳機機能とかゲームボーイアドバンス互換機能とか身分証明書機能とかカギ機能とか免許証機能とか定期券機能とかPDA機能とか・・・。
技術的に容易に実現可能な機能だけでも結構ある。
ついでに、無理かも知れんが梅雨時には折りたたみ傘機能とかも欲しい。
携帯電話の行き着く先は「コレさえ持ってりゃあとは何もイラン」という世界である。
携帯電話の未来はもはや電話ではない。
携帯電話の正統進化とは通信機能の強化ではない。
通信機能に限定している限り、DoCoMoの成長は既に限界である。
携帯電話ビジネスは通信機能から脱皮しない限り、ブレイクスルーしない。
折りたたみ傘機能をどうやって携帯電話に盛り込むか、と考えるくらいのキアイが欲しい。

■“カメラ以外”へ向かう「N505i」
http://www.zdnet.co.jp/mobile/0307/01/n_outcam.html




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My追加
孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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