斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年06月30日(月)
Policeの「Every Little Thing」を井の本R研究員のテーマとすることにした
井の本R研究員が、僕が有給で勤めるコンサルティング屋さんを本日付けで退職した。 これで井の本R研究員はオクノ総研の専任研究員である。 本日、僕は半年振りくらいにオフィスのエレベーターで偶然、井の本R研究員の姿を見た。 「いつからオクノ総研の専任研究員になるの?」 「明日からです。本日が最終出勤日なので」 あげ? 井の本R研究員がオクノ総研に参画する際も、全てメールでやり取りをしていたので、実は井の本R研究員のナマの姿を見たのは半年振りであった。 毎日、お互いに文章を読み、BBSやメールでやり取りをしておきながら、顔を合わせるのは半年振り。 そのうえ、今日が最終出勤日だと言う。 その割に久しぶり感がない。 テキストだけのやり取りなのに。 変な世の中である。 自席でPoliceの「Every Little Thing」を大音量で聴きながら赤ペンで原稿の校正をしていると、退職の挨拶周りをしている井の本R研究員がやってきた。 なぜだか、Policeの「Every Little Thing」が井の本R研究員のテーマのように聴こえた。 妙に音と井の本R研究員はピタリと合っていた。 うむ、Policeの「Every Little Thing」を井の本R研究員のテーマとすることにする。 井の本R研究員はRadioheadにしろ、と言いそうだが。 僕は他人のテーマソングを勝手に決める習慣がある。 ちなみに僕のテーマソングはUnderworldのBorn Slippy Nuxx (Everything Evrything Liveヴァージョン限定、10分56秒)である(古くてゴメン)。 僕はヘッドフォンを耳に突っ込んでいたので、井の本R研究員は僕が何を聴いていたかは知らない。 「あっ、B&OのA8! 私も持ってます。お、これがiPodですね」 井の本R研究員は物欲裏番らしく、マニアなツールにも詳しいらしい。 「お世話になりました & これからもよろしく」 井の本R研究員は退職していく人なのに、僕達にとっては「これからもよろしく」、なのであった。 井の本R研究員と少し話をしたが、半年も顔を見ていないのに、お互いが今どういう状況にあるか把握している、スゲー変な感じ。 僕の勤務するコンサルティング屋さんでは退職時に「Resignation Message (J)」という題の挨拶メールを一斉配信するという風習がある。 コンサルタントはクライアントサイトに常駐していてオフィスにいない人も多いので、このような風習が続いている。 井の本R研究員は一斉配信のメールの最後に付け加えてくれた。 *なお、退社後はオクノ総研 にて専任研究員 を勤めさせていただきます。 *ご意見ご感想ツッコみ果たし状恋文おもしろ情報有給仕事のご紹介その他、お待ちしております。 と、言う事で井の本R研究員、「お疲れ様 & よう来たな、おう、まあ座れや、ワレ(C)河内のおっさんの唄 」
久しぶりに何の予定もない日曜だったので、河原でゴロゴロしてみた。 天気もいいし。 あのタマちゃんもやってきたにはやってきたが、すぐに退散したというあの小汚い鶴見川の河川敷である。 家から歩いて2、3分のところにある鶴見川の河川敷にハイネケンのロング缶を2本持って、家を出た。 ワールドカップの決勝が行われた横浜国際総合競技場のすぐそばである。 河川敷に着いて一本めのハイネケンは30秒で空いてしまった。 青空の下で一気飲みしてどうする。 ハイネケンのおかげで少し落ち着いたので、iPodに小さなスピーカーを取り付け、電源を入れた。 ぐごげげがががが、ぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょ。 The Beach Boysのつもりで、The Beasty Boysを選んでしまった。 濁音系の音が小さなスピーカーから割れんばかりに鳴り響く。 夏っぽい気分に浸ろうとBeach Boysをかけようとして、Beasty Boysと間違えてしまった。 iPodは液晶を見て曲を選ぶのだけれど、曲数が増えてくると、このような間違いが起きてしまう。 気を取り直して、Beach Boysをかけ直したが、しょせんは鶴見川の河川敷。 ここは海でもなければ、カルフォルニアでもない。 Beach Boysは全く合わないのであった。 面倒なのでランダム再生にしたらSadeがかかった。 うむ、まあこれなら良い。 Love is stronger than pride。 曲名がなんだがJim JarmuschのStranger than paradiseと似ているような気がするが、よく考えると全く似ていないなあ、などと考えつつ、2本めのハイネケンもすぐに空になった。 夏の青空の雲を見つつ、ぼーっとしてみるか、と思って空を見上げたら、曇っていた。 青空ではない。 でも、暑い。 曇ってはいるが、日差しはそこそこ強い。 一応は夏だ。 小汚い河川敷で、酔っ払ってゴロゴロしていたら、何だかとても平和な気分になった。 周りからみたら、酔っ払った浮浪者に見えたかもしれないけれど。
2ヶ月ぶりに散髪に行ってきた。 ココ最近は散髪に行く時間が全くなかったのだ。 平日は深夜帰宅だし、土日もギッシリ予定が詰まっていたせいだ。 久しぶりに散髪に行き、バサッと髪を短くしてきた。 疲れていたので、ひたすら世間話をしてくる美容師のおねいちゃんを無視して半分眠っていた。 美容師のおねいちゃん、別にアンタが嫌いなワケじゃないよ、僕は今とても疲れているので、少し休ませてください。 ここ2年ほど、僕は短めの髪型を続けている。 今の僕しか知らない人にとっては、僕の髪型は短い、というイメージがあるかも知れないが、僕が短髪なのは実は珍しい。 少なくも2年間も連続して短髪、というのは中学生時代に強制的に「坊主」だった頃以来である。 中学時代は強制的に「坊主頭」だったのだけれど、そのトラウマのせいか高校生以降、30才頃まで基本的に僕は長髪だった。 大学生時代はHR/HMの人だったので、髪は肩まで伸ばしていた。 僕が大学時代にリリースしたレコードの中の写真は角刈りに近い短髪だが、これは撮影時に「さぶ」に出てくるホモの人みたいな角刈りにしよう!という事で一時的にバッサリと短くしたので、例外である。 その後、サラリーマンになった後も、基本的に長髪だった。 20代の後半など、ニューヨークのクリエイターという特殊な立場だったので、肩まで髪を伸ばし、ぐりぐりのパーマをかけ、かつヒゲだらけ、という麻原彰晃級のアヤシサであった。 30過ぎまで、マトモな社会人とはかけ離れたヘアスタイルをずっと続けていたのである。 だが、今はヒゲこそ伸ばしているが、ヘアスタイル的には比較的マトモである。 外見上、怪しくはない。 しゃべらなければ、マトモな社会人である。 髪を短くしているのにはいくつかの理由がある。 ①乾かすのがラクチン ②くしがいらない ③マトモに見える 髪が短いと基本的にラクなのである。 スポーツをする際にも髪が邪魔にならないし。 マトモに見える、という理由もあるのだけれど、髪を短くしている理由はラクだからである。 オヤジ化しつつある僕にとっては、ファッションよりもラクであることのほうが重要なのだ。 ファッションといっても、僕にとってのファッションであって、他人から見たファッションではない。 長髪にしていて、一時的に髪を短くすると、婦女子の10人中9人は「短いほうが似合いますよ」とおっしゃる。 僕はアマノジャクなので、できる限り婦女子の意見と正反対のファッションを続けてきた。 なので、今の短髪は婦女子の意見のせいではないっ! と、言う事で2ヶ月髪を切らずに、髪が伸びかけていたのだが、ラクチン生活のため、また髪を短くすることにしたのであった。 どうでもいいが、「FNS27時間テレビ」で久々に見た、さだまさしの髪、見事に増えたねえ。
2003年06月27日(金)
単なるアイディアに投資する企業などもはやいない
ネットバブルの頃と現在で大きく変わった事がある。 それは「アイディアに投資する人はいなくなった」という事である。 僕は新規事業のネタ作りの仕事をすることが多い。 だが、その仕事は「儲かりそうなアイディアを考える」というだけの仕事ではない。 儲かりそうなアイディアだけでは、企業はコンサルティングフィーを払ってくれない。 そのアイディアがいかに優れていようと、ビジネスケースが完璧であろうとクライアントは納得しない。 クライアントが求めるのは確実に儲かる保証である。 ネットバブルの崩壊以降、企業は絶対に儲かる、という確証を得てからではないと新規事業に進出しなくなった。 確実に儲かる保証とは、「見込み顧客が決まっている」ということである。 なので、新規事業立案の次は、提携企業探しと顧客企業探しの営業活動を行う。 提携先や顧客企業が確定してはじめて、新規事業への進出がクライアント企業で承認されるのである。 僕はクライアント企業の社員に化けて行動することも多いので、いくつかの企業から僕の名前を刷り込んだクライアント企業の名刺も持っている。 その際には社員用のメールアドレスも同時にもらう。 合コンで使えそうな人気企業の名刺もいくつか持っている。 僕はクライアント先企業の社員に化けて、新規事業の企画書を携え、提携候補や顧客候補の企業と交渉を行う。 提携候補企業や顧客候補企業が「ぜひ、一緒にやりましょう」と、言ってくれてはじめて新規事業は承認され、事業化に向かっての一歩を踏み出す。 アイディアの段階ではもはや投資をする企業はいない。 一般企業だけではなく、ベンチャーキャピタリストも同様だ。 提携企業や顧客企業が決まっていて、はじめて投資の検討の遡上にのぼる。 僕は、これは正しい姿だと思う。 ビジネスのアイディアは、パワーポイントやスプレッドシートの世界にとどまっている限り、それはまさしく「絵に描いた餅」そのものである。 アイディアだけでビジネスは成立しない。 顧客がつき、キャッシュが生み出されてはじめてビジネスなのだ。 アイディアが優れているだけでは、ビジネスとは呼べない。 ビジネスの企画を練り、ビジネスケースを作ることは重要だけれど、もはやその段階で投資が行われるような時代ではないのだ。
2003年06月26日(木)
プロダクトアウトな発想に戻ろう
B級コンサルタントの書いた雑誌記事や経営本を見ると「プロダクト・アウトからマーケット・インへ」と未だに書いてある。 そして、その言葉を金科玉条としているC級の人も多い。 僕の発想のスタイルは完全にプロダクトアウト型でマーケットイン型ではない。 僕のようにマーケット・インではない発想をする人間は、駄目なのだそうだ。 僕は企画を練る際、意識的に消費者の意見や世間の動向を無視して考える。 消費者の意見やニーズは無視して、まずは何ができるか、何が面白いかを考える。 プロダクトアウトなので、まず製品ありき。 企業の資産ありき。 そして、テクノロジーありき。 僕の仕事は最新のテクノロジーを活用したものであったり、5年後に花開くような未来的な技術を活用したようなものが多い。 ワイヤレスがどうのとか、ブロードバンドがどうのとか、ユビキタスがどうのこうの、といったネタ作りである。 2010年の。 2005年じゃないぞ、2010年だ。 2010年のビジネスを企画するのに、現在の消費者のニーズを見ても何の参考にもならない。 現在の消費動向のデータを見たり、ユーザーにインタビューをしてもほとんど意味がない。 消費者は与えられたものに関しては反応するが、存在しないものに対しては何の反応もできない。 消費者は既に普及している製品やサービスに関しては、それ相応の意見も持っているが、将来、普及するであろうものに対する意見などはない。 消費者だけではなく、マスメディアや評論家も同様である。 だが、2010年のネタではなく、現在のネタ作りであっても僕はマーケットデータは使わない。 少なくとも、ネタ出しの段階ではマーケットデータを敢えて遠ざける。 ワケのわからないB級コンサルタントの作ったマーケティングデータなど、斬新な発想が必要とされる場面では何の役にもたたない。 発想の妨げになるだけである。 そもそも、消費者には意識に上った潜在ニーズなどというものは持っていない。 潜在ニーズは潜在しているから潜在ニーズなのだ。 消費者は目の前に完全な製品やサービスを見せられ、値札を見た段階で、はじめて自分の財布の紐を緩めるべきかどうかの判断をする。 なので、僕は消費動向から新ネタを導き出そうとはしない。 マーケットインな発想が嫌いなのである。 少なくともマーケティングデータを積み上げて、新ネタを発想しようとはしない。 ただ、マーケット・インを否定するつもりはない。 マーケット・インは発想や仮説を検証する際には有効である。 「プロダクト・アウト」で発想し、そのあとの検証は「マーケット・イン」で行うのが正しい順序であるように思う。 斬新な発想にはある種の「狂気」が必要だ。 発想やひらめきには「狂気」の要素がなければならない。 マーケット・インの発想のなかには狂気は存在しない。 マーケティングデータのなかにあるのは、過去。 過去のマーケティングデータから得られる発想はリニアなものでしかない。 過去からの延長線上には斬新さのかけらもない。 マーケットのデータを使うのは、その「狂気の発想やひらめき」を検証する際なのだ。 狂気の発想やひらめきは、少々のデータをいじくっても出てこない。 日常的に膨大なデータに接し、そのデータがいい塩梅に発酵してた頃に出てくるのである。 データを脳のなかに「寝かせておく」必要がある。 もしくは、経験を持った現場からの発想だ。 ただし、長い経験が逆に発想を狭めている場合もあるけれど。 現場から発想するのであれば、異業種や全く視点の異なるコンサルタントとディスカッションさせてみるのもいい。 ハイブリッドな視点によって、とんでもない発想が出てくることも多い。 新製品や新サービスの企画プロジェクトで、マーケットデータをいじくり回して、新ネタを考えようとしているコンサルタントをよく見かけるけれど、やめたほうがいい。 そこからは何も出てこない。 出てきたところで、ごくごく一般的な答えしか出てこないだろう。 マーケティングデータをいじるのは、検証の際であって、最初の発想を得るところではない。 こんな事を書くと「そりゃアンタは○チガイだから・・・」などと、また言われるな。 企業は消費者やマーケットの常識を無視して、あっと驚くような斬新な企画や製品を作ってほしいものだ。
SO505を持っていると、いろんな人がイジリたがる。 なので、最近はメール、写真、通話履歴はすぐに消去する。 「QVGAなのにフォントがギザギザなんですね」 「パフォーマンスを優先するために敢えてフォントの解像度を下げているらしいよ」 「カメラの映像の追従性が遅いですね」 「カメラを使っているときに電話がかかってくるかもしれないから、CPUパワーの余力を残しておくためらしいよ」 「レンズカバーってカメラのスイッチと連動じゃないんですね」 「必ずしも必要とされない機能をつけて、更に重くなることを避けたらしいよ」 僕は口からでまかせで適当に答える。 これらはいわゆる「仕様」である。 開発陣が気づいていないハズはない。 開発現場で「仕様」を決める際に、ヒートディスカッションを経たうえで、決められたに違いないのだ。 問題は製品企画者や開発者とユーザーの意識やニーズのズレである。 製品の企画や開発現場を知る僕にとっては、ご愁傷様、というしかない。 開発者と消費者の意識のズレを埋める事は難しい。 消費者は勝手かつワガママなので、意見をそのまま取り入れると、とんでもない製品ができあがる。 コストは上昇する割には、製品の売上向上にキチンと効果として表れるとは限らない。 なので、製品企画、開発の現場では消費者の意見は参考にしつつも、全てを聞き入れる、という事はしない。 取捨選択のバランスが難しいのである。 僕はシステム屋さんと会話する事が多い。 システム屋さんの作ったシステムをいじって、僕はいろいろと文句を言う。 「ん?これおかしいじゃん、何でこんな動きをするの?バグじゃないの?」 「仕様です」 「いきなりパフォーマンスが落ちたぞ」 「仕様です」 「勝手にデータが書きかえられてるぞ、駄目じゃん」 「仕様です」 「データが飛んだぞ」 「仕様です」 「画面がブルーになったまま動かなくなったぞ」 「仕様です」 「ウィルスに感染しました。HDDを完全にフォーマットします。というメッセージが出て勝手にフォーマットをはじめたぞ」 「仕様です」 「うわっ、熱暴走して火を噴いてるぞ!」 「仕様です」 「30秒で自爆します?おいっ、カウントダウンがはじまったぞ!」 「仕様です」 「天井から消化用のガスが噴き出したぞ!」 「仕様です」 「ドアがロックされて開かないぞ!」 「仕様です」 しつこいようですが、これは仕様です。
asahi.comに真の勝ち組の人たちの記事 が出ていた。 「寝ているだけで月5千円、野宿生活者が無料入院」 病気でもないのに、病院で寝ているだけで、お小遣いまでもらえるのである。 これぞ、勝ち組。 僕なんかは真の負け組み。 大負け、惨敗、敗残者、負け犬、ルーザーである。 僕には金持ちになりたいとか、偉くなりたいとか、と言った俗人的願望はない。 全くない、とは言わないが普通の人よりもずっと少ない。 子供の頃も小学校の通知表には「欲がなさすぎ」と毎回書かれていた。 「勉強をすれば成績が上がると思われるのに努力をしようとしない」、とか。 そこは、三つ子の魂百まで、なので今でも変わらない。 貧乏でもかまわないので、ごろごろして過ごせたら最高なのにな、と思う。 だらだら、うだうだ。 万年床でごろごろしてゲームボーイとかやって。 飽きたらパチンコでもやって。 パチンコに勝ったら、ラーメン屋でビールに餃子をつけちゃったりして。 どうして、この僕が睡眠時間を削ってコンサルティングなんぞをやっているんだ? どこで何をどう間違ったんだか。 この記事のビジネスモデルは、すばらしい。 ホームレスを集めて空きベッドの出ている病院に入院させる。 病院は健康保険経由で診療報酬を稼ぐ。 ホームレスは寝ているだけでお小遣いまでもらえる。 まさにWin-Winではないか。 ここで負けているのは、僕のようにアホほど健康保険を支払っている人間である。 僕の支払っている健康保険は、既にこれ以上上昇しない最高額まで達している。 歯医者以外の病院には行ったことすらないので、権利はほとんど行使していない。 そのうえ、僕は虫歯はゼロなので、年に一回くらいペースで歯のクリーニングに出かけるだけである。 完全な負け組みである。 搾取される側だ。ダイパン研究員 が無事に医者になったら、入院させてもらおうっと。 検査しまくれば、悪いところのひとつくらいは見つかるだろう。 ■寝ているだけで月5千円、野宿生活者が無料入院 広島 http://www.asahi.com/national/update/0624/009.html
2003年06月23日(月)
アイス・スポットなんて無理だ無理だ無理だムリムリ
アイス・スポットという言葉があるのだそうだ。 無線LANに接続可能な場所をホット・スポットというが、その対比語である。 ホットに対するアイスなので、電波やインターネットから敢えて隔絶されたエリアの事を言う。 映画のエネミー・オブ・アメリカに出てくるジーン・ハックマン翁のアジトみたいなもんか?と思いきや、システム的には同じであっても思想が違う。 いわゆる「スロー」流行りの世の中なので、インターネットからも携帯電話からも、少しは離れようよ、という事らしい。 ユビキタス系の社会であれば、センサーとかRFIDリーダーから隔絶されたエリア、ということでもある。 休みの日くらいは携帯電話の電源を切ろうよ、メールを見ないようにしようよ。 テクノロジーから離れて、人間らしい生活をしようよ。 自然を満喫しようよ。 それが人間ってもんだ。 無理だ♪ 無理だ♪ 無理だ♪、無理だ♪、無理だ♪ ムリムリ♪ 爆風スランプの昔の歌が聴こえてくる。 僕には無理である。 僕は「スロー」系には弱い。 僕は携帯電話が圏外になると、スゲー不安になる。 当たり前だが、休日でも常にメールは見ている。 AirH”が使えないところにはそもそも行かない。 メールはPC、PDA、携帯電話、カーナビ、とどこからでも見れるようになっているので外出していても、タイムラグなくチェックしている。 このオクノ総研の管理も同様で、携帯電話から全てのコンテンツの確認、ログや更新状況のチェックもできるようにしている。 海外に行く場合は必ず、事前にその国でのネット接続方法を確認する。 ホテルに入ったら、まずLANのポートを探す。 空港ではホットスポットを探す。 リゾートであってもネットが繋がらないようなところには絶対に行かない。 休日や出張中でも、出社しているときと同じくらいWindows Messengerが繋がっている。 地球の裏側にいても夜中まで接続しているので、オフィスにいると勘違いされてしまい「お昼ごはん行かない?」などといったメッセージが届いてしまう。 僕はネットなり電話なりが繋がらないと、とてもとてもとてもとてもとてもとても不安なのである。 アイス・スポットなどに行ったら、不安神経症で発狂してしまう。 一ヶ月間、テレビを見ないで過ごせるか?、新聞を見なくても平気か? たぶん大丈夫だろう。 一ヶ月間、音楽を聴かずに過ごせるか? 相当つらいと思うが、耐えられなくはない。 では、一週間、ネットに接続しなくても平気か? 無理です。 そんなことをしたら発狂してしまいます。 「すんません、プロザックとセント・ジョーンズ・ワートとアロパックスとゾロフト とオーロリックスください」 だが、そういった話を他人にすると、「アンタは異常だ」と言われる。 ネットから隔絶されることは僕にとっては恐怖だが、世の中の人はそうではないらしい。 世の人々は、テクノロジーから隔絶されたビーチで雲を見ながら、ピナコラーダを飲みながらボーっと過ごすしたりすることに憧れるらしい。 僕は南の島のビーチでも、MP3で音楽を聴きながら、ファイルの整理やらプロポーザルを書きをしつつ、飽きたらギコナビ経由で2ちゃんねるを見たりているんだろうな。 世のハッカーやクラッカーと呼ばれる人々にとっては、刑務所での懲役よりも「一年間、アイス・スポットから出る事を禁止する」、みたいな刑罰のほうが恐いかも。
2003年06月22日(日)
四十九日法要のため帰省
週末は関西にある実家に帰省した。 先日亡くなった祖母の四十九日のためである。 四十九日の法要を行い、お墓にお骨を納める。 運悪く、忙しい時期に重なってしまったため、土日を休むのが精一杯だった。 結局、土曜日の夜に実家に戻り、翌日には横浜に帰ってきた。 平日の関西出張はそれほど疲れないが、先週はまともに眠れる日がほとんどなかったので、へろへろの状態で週末を迎えた。 貴重な睡眠時間確保の場である新幹線では、金曜日に届いたばかりのMother1+2をやってしまったせいで、全く眠れず。 疲れは倍増。 日曜日は祖母の四十九日法要。 午前7時起床。 午前8時半頃には親戚が徐々に集まり始める。 午前9時半には20数名の出席者が揃う。 午前10時にはお坊さんがやってきて読経。 午前11時過ぎにはお寺に移動し、また読経。 午前12時に納骨。 午後1時、料亭でお食事会。 午後3時実家で親戚一同でビール。 午後4時実家を出発。 午後9時横浜の自宅着。 僕の人生は何か間違っている。 マトモじゃない。
2003年06月21日(土)
SO505は1+1<2であることを証明してみせた
よく「○○と××を足して2で割ったような」という表現がある。 SO505は「デジカメ」と「携帯電話」を2で「割らない」製品である。 デジカメ+携帯電話<デジカメ携帯=SO505。 SO505はデジカメとしても、携帯電話としても一切の妥協なく作られた製品である。 重さの点で。 僕のSO505を見た人は言う。 「いや~、ほとんどデジカメのデザインですね」 重い、デカイと非難すると、僕が傷つくと思うのか、その後に続く。 「まあ、重くてデカイといってもデジカメだと思えば、小さいほうですよね」 いや違う。 SO505はデジカメよりずっと重いのである。 SO505は145グラム。 ソニーのサイバーショットUは87グラム。 デジカメ専用機よりずっと重い。 ではデジカメと携帯電話の両方を持ち歩くよりは軽いのか? 僕が以前使っていた携帯電話は68グラム。 デジカメと携帯を足すと155グラム。 10グラム軽い・・・。 デジカメ携帯は液晶、バッテリー等、デジカメ機能と携帯電話機能の間での共用部品は多い。 液晶、バッテリーは特に重いパーツである。 この重さをさっぴけば、デジカメ+携帯電話<デジカメ携帯=SO505。 足して2で割らない製品である。 僕はSO505をネックストラップで首から下げている。 世間的にはネックストラップはダサいモノとされているが、「だったら145グラムで33ミリ厚のSO505をパンツのポケットに入れられるものなら、入れてみろ!」と、言いたい。 ネックストラップでSO505をぶら下げていると、腹にパンパン当たる。 145グラムの腹への刺激。 スーツの時はネックストラップでぶら下げていても、SO505本体は胸ポケットに入れているので問題ないのだが、僕の会社はカジュアルサマーということで、最近はポロシャツなど、胸ポケットのない服で出勤している。 なので、ネックストラップからぶら下げたSO505がパンパンと腹に当たるのである。 腹にパンパン当たって、腹筋への良い刺激となり、もうすぐ腹筋が割れてくる事だろう。 最近のソニーは足して2で割らない製品に活路を見出しているのだろうか。 PS2とHDDを足しただけのPSX。 PDAのクリエも単純にどんどん機能を付加しているので、巨大化する一方である。 機能は付加されるが、価値は付加されていない。 複合機能により、製品としての付加価値も上がってはいるのだけれど、巨大化してしまうことにより、そのせっかくの付加価値をスポイルしてしまっている。 もうちょっと、モノ作り屋としての芸はないものか。 現場の事情もわからんではないが。
2003年06月20日(金)
ドコモの株主総会で誰もツッコミを入れなかったのか?
ドコモの株主総会の記事が出ていた。 携帯電話事業者は大変だなあ、と思う。 なぜなら、携帯電話事業者の収益は、もはや向上することなどないからである。 「固定」通信事業者の収益性は今後、目も当てられないほど劇的に下がっていくので、携帯電話事業者はまだマシなのかも知れないけれど。 株主に報いるためには、株価は上昇し続けなければならない。 株主の望みは高株価の維持ではなく、株価が上昇し続けることだ。 株価が上昇し続ける、ということは常に収益が向上し続けることを意味する。 しかも、普通に向上し続けただけでは、株価は先取りして上昇してしまい、そこで高値安定となる。 株主としては株価が高くても、安定してもらっては困るのである。 市場の予想を超える成長を続けなければ、株価は上昇せず、株主には何のメリットもない。 高配当をしてくれるのなら、それでも良いが。 携帯電話の需要は既に飽和状態。 ユーザーは増えない。 以前はペットや動くもの全てに携帯電話を!とギャグをかましていたが、一定の需要はあるとしても、シェア的には全国のペットのごくごく一部だろう。 トラフィック収入増を狙う、と言ったところでユーザーはもうこれ以上、携帯電話代は支払えない。 一人当たりの携帯電話利用料を増やすことも限界だろう。 ただ、505シリーズを買ったユーザーは、もの珍しさにつられてFLASHサイトを見て、とんでもないパケット代が発生するので、ドコモの売り上げは一時的に伸びるかもしれない。 まあ、それも請求書がユーザーに届くまでの商売だ。 請求書を見てパケ死に気づいたら、普通のユーザーはFLASHサイトにはアクセスしなくなる。 少なくともFLASHサイトはブックマークではなく、画面メモに登録して、トラフィックは発生しないようにするだろう。 なので、ドコモは通信事業者としてトラフィック収入を当てにしたビジネスをしていても、収益性は向上しない。 株価も上昇しない。 つまり、株主は不満。 と、いうことで、ドコモは純粋なトラフィックに頼った事業領域から抜け出さなければならない。 新たな事業領域を模索しない限り、株主は納得しない。 今回の株主総会の資料を見ると、「赤外線機能」」、「非接触IC」、「RFID」、「2Dコード」、「クレジット決済機能]を活用した「モバイルeコマース」が今後狙っていく事業領域なのだそうだ。 ・・・。 これって、携帯電話の「通信インフラを必要としない短距離無線系技術」と「認証機能」の2つだけじゃん。 収益は限りなくゼロな「機能」の羅列。 「事業領域」と書いてあるが、これは事業領域ではなく、「機能」である。 なんかやる度にネットワークに無理やりつながるような、しくみだとかを無理やり作るのだろうか。 赤外線機能はリモコンソフトのダウンロードサービス、以上。 非接触IC、RFIDは通信は関係ない。 無理やりあるとしてもリーダーとして携帯電話を使うか、非接触IC用のアプリ(数K)ダウンロードとかRFIDの128バイトのデータしか飛ばんぞ。 2Dコードだってチケット代わりに画面に映す画像のダウンロードくらい。 カメラで読むほうは単にリーダーとして認識しているに過ぎない。 唯一、ビジネスっぽいのはクレジット決済機能か。 クレジット決済機能は非接触IC、RFIDと組み合わせることによって、かなりの事業性を見込むことができる。 ただのネット決済の事を言っているのであれば、ダメだけど。 このあたり関しては僕の本職なので、また他の機会に書く。 全てサービスプラットフォーム的なビジネスを想定しているのだろうけど、たいした収益は生まない機能ばかり良く並べたなあ、という感想。 一体どこで儲けるつもりか? このアンバンドル時代にプラットフォームの独占などできんぞ? 携帯電話の付加価値が向上することは認めるが、収益とは関係ない。 ユーザーにとってはありがたい事だが、株主は納得しないだろう。 これらも「機能」として並べれられていれば、納得感もあるのだけれど、これらを「事業領域」だと言われると大きな違和感がある。 株主総会では誰もツッコミを入れなかったのかなあ? 僕なら、2つほど質問する。 ①どうしてiショットで送れず、トラフィックには全く関係ないメガピクセル携帯に力を入れるのですか?トラフィックとは関係のない高機能化をめざすのですか?しかも、他事業者も簡単に参入可能で差別化にはならない機能ばかりに見えますが? ②どうして、単なる「機能」を「事業領域」などと表現するのですか?これらが「事業領域」だとして、この事業領域で一体、どうやって収益を上げるつもりですか?どの程度ドコモの収益に寄与すると想定していますか?ほとんど寄与しないと思うのですが? 問題は僕はドコモの株主ではないので、質問できないことだ。 ■ドコモが株主総会開催、FOMAや赤字事業が焦点に http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/14487.html ■ケータイの多目的化は止まらない 個人認証、決済機能……いずれは財布がいらなくなる!? http://www.zdnet.co.jp/internet/guide/0308/newsbr/02.html
コンサルタントをしていると、いわゆる「ゴースト」の仕事が多い。 他人名義で世に出て行く、本や雑誌記事やプレゼンテーションパッケージやら。 僕らは黒子なので、実質的な著作者なのだけれど、自分の名前は世には一切出ないまま、自分の著作物が他人名義で出て行く。 僕の名前はどこにも出ない。 僕が実際の著作者であっても。 まあ、これは仕事だ。 少なくとも僕は原稿料や著作権料以上の金銭的な報酬を得ている。 現実に本を書こうと記事を書こうと、原稿料や著作権料など大したものではない。 少なくとも僕は原稿料や著作権料以上のお金を取って著作物を生み出す。 僕が著作に費やしたフィーから考えると、微々たる原稿料や著作権料では絶対にモトは取れない。 僕ら戦略コンサルタントの時間あたりのコストは弁護士よりもずっと高い。 原稿料や著作権料などゴミである。 なので、金銭的な問題などどうでも良い。 だけど、僕のプライドはどこへ行った? 自分が書いたもの、自分が作ったものが他人の著作物として、世で賞賛されるのだ。 そこには僕の名前はどこにもない。 僕が自分をギリギリまで追い込み、ボロボロになって作ったものが他人名義で世に出て行く。 「著者」は著作物の本質的な意味もロクに理解しないまま、雑誌のインタビューや記者会見で答えるのだ。 真意も理解せぬまま。 僕には耐えられない。 僕はゴーストの仕事を何年も続けている。 コンサルタント以前の前の会社にいるときからずっと。 一体、僕の書いた原稿が何本、他人名義で印刷物になったのだろう。 少なくとも僕はこれまでに数十本の原稿を他人名義で書いている。 そして、著作物を読んでもいない「偉い人」が賞賛されるのをずっと横で見てきた。 僕は、もうゴーストの仕事は断ろうと思っている。 金銭の問題じゃない。 プライドの問題だ。 僕の立場がどうなろうと、知ったことではない。 僕は自分の知的所有権は自分で守る。 僕は自分のコピーライトは主張する。 はっきり言う。 僕はもうゴーストの仕事はしない。 世の中に出ている著作物の多くは、本人が書いているものではない。 少なくともコンサルティグファームの「有名コンサルタント」が書いたことになっている著作物は有名コンサルタントは実際には書いていない。 自分の著作物でありながら、「有名コンサルタント」は原稿を読んですらいないことも多い。 有名コンサルタントなどは、作られた存在なのだ。 コンサルティングファームのマーケティングのための、偶像に過ぎない。 一方的なプレゼンテーションであれば、うまく繕える。 だけど、質疑応答や記者会見には耐えられない。 実際には脳をほとんど使っていないからだ。 雑誌の記者はインタビューで「有名コンサルタント」にガンガン突っ込めば良い。 すぐに馬脚をあらわすだろう。 「有名コンサルタント」は何も理解していない。 例えば、「これ」 を見ればわかる。 正直言って、ネットバブル以前の数年前にタイムスリップした気分になる。 しょせん、有名コンサルタントなど、この程度。 現役のコンサルタントからすれば、こんな事を言って恥をさらして欲しくない。 僕らはここまでアホではない。 僕はそろそろ自分のプライドを取り戻す時期に来ている。 その結果がどういう事になろうとも。
2003年06月18日(水)
ようやくETC車向けのエコ贔屓割引が始まったと思ったら
ようやくETC車向けの本格的な割引が始まる。 とりあえず試行ということで半年間の限定らしいが、永久に続けて欲しいものである。 今回の発表は高速道路の長距離割引。 ETC車に限り300~400キロの区間は35%割引、900キロ超の区間は60%割引なのだそうだ。 僕は横浜に住んでいるが、実は関西人なので、東京⇔大阪間を最低でも年に3往復はする。 東京⇔大阪間は約500キロなので、35%割引は適用される。 35%割引だと片道でも4,000円くらいの割引になるので、3往復だと24,000円/年くらいの恩恵がある。 このうえに50,000円を払って58,000分使える前払い割引も適用すれば、かなりのおトクである。 うーむ。 これなら納得感があるぞ。 が、しかし! 非ETC車にも長距離割引は適用されるのである。 非ETC車でも100~200キロの区間は25%引き、200キロ超の区間は30%引きなのである。 「ETC車に限り」というのは、割引率の上乗せぶんの事である。 ETC車の上乗せ分は、たったの5%。 たかだか500円くらいである。 ああ、ムカつく。 という事で、ETC車の僕にとってのザマミロ感は一瞬にして吹っ飛んだ。 利己的な僕としては、非ETC車の割引はゼロにして、そのぶんETC車の割引率を高くすべきだ。 非ETC車はたかだか2-3万円の機器をケチっている非国民なので、もっと冷遇すべきである。 非国民にまで割引を適用することなど、ないっ! ETCは正直言って、割引がなければ料金所のバーが「パカッ」と開くオモシロ感しかメリットがない。 ほとんどのゲートはETC/一般の兼用であり、ETC専用のゲートはまだ少ないので、並ばずに素早く料金所を通過する、という本来の目的はほとんど享受できない。 僕などはETC車の唯一の楽しみである「パカッ」を見たいがために、最寄の第三京浜の港北インターではなく、少し遠い都筑インターでワザワザ降りてみたりしている。 ETCは「パカッ」のオモシロ感を除けば、隣に乗せたおネイちゃんに自慢するくらいしか、利用価値がない。 しかも、喜んでもらえるのは最初の一回だけだ。 そのうえ、料金所のゲートが兼用ゲートで「パカッ」のイベントが無ければ、面白くも何ともない。 一般車と兼用の出口を通過する際などは、バーもなく、ただ単にゲートを通過するだけである。 「お金払わなくてもいいの?」 「あ、これETC車だから」 などという、クソ面白くもなんともない会話がなされるだけである。 国土交通省には更なるETC車へのえこ贔屓を強く要望する。 ■ETC車の長距離割引、7月から半年間試行 国交省 http://www.asahi.com/national/update/0617/041.html
2003年06月17日(火)
iPodとHDDビデオはパラダイムシフトを引き起こす「破壊的製品」
何度も書いていることなのだけれど、最近の僕の生活を一変させた製品の二大巨頭はiPodとHDDビデオである。 両方ともHDDドライブを活用した製品なのだけれど、この二つの製品は僕の生活を明らかに変えた。 この二つの製品は絶対に「買い」である。 いろんな無駄なモノを買って、実は後悔することも非常に多い物欲番長の僕が言うのだから間違いない。 世間的にはカメラつき携帯なども生活スタイルを大きく変えた製品なのかもしれないけれど、僕は以前からデジカメを持ち歩く怪しい系の人間だったので、携帯電話にカメラがついたところでそれほど生活スタイルは変わらない。 そもそも写真はほとんど撮らないし。 フィルムが売れなくなり、現像屋さんの仕事が激減している、という大きな変化はあるけれど。 iPodは使い始めてまだ1ヶ月と少ししか経っていないのだけれど、もはやCDの生活には戻れない。 いちいち棚からCDを探して、ケースから取り出して、プレイヤーにセットして、なんてアホらしくて、もはやできない。 後片付けができない僕はCDをケースにしまい忘れて、CDが散乱することになるし。 以前はCDウォークマンも使用していたのだけれど、何枚ものCDを持ち運ぶことなど、今となっては想像すらできない。 自宅のCDは既に全てMP3化を完了し、HDD管理に切り替えた。 以前に買ったLAN直付けのHDDにMP3ファイルを保存している。 今ではiPodを使わずに自宅で音楽を聴くときもPC経由。 僕のPCにはサラウンドスピーカーやらサブウーハもついているので音的にもまずまず。 そのうえ、無線LAN経由でMP3ファイル満載のHDDにアクセスできるので、どこの部屋からでも音楽を聴ける。 CDそのものは、クローゼットの奥にしまいこんでしまった(なぜか売らない)。 普通の人のCDの保有枚数は3、400枚といったところだろう。 そのくらいであれば、僕の買った30GBモデルではなく、15GBモデルでも十分に納まる。 僕も既に3,600曲をiPodに転送したが、ディスク使用量はまだ12.7GBである。 HDDビデオは使いはじめて半年以上になるが、テレビを見る時間帯の制限が一切なくなった。 僕は「見るかもしれない」番組は全て録画しているので、TV視聴は基本的に録画されたものが中心である。 時間の制限がなくなったので、帰宅時間にかかわらずドラマはきちんと見ているし、ニュース番組も早送りで見る。 おこちゃま向けのアニメ番組さえ見てるぞ。 CMは当然すっ飛ばすし、ニュース番組でもパリーグやゴルフの試合結果等、僕にとってはどうでもいいニュースもすっ飛ばすので、3分の1くらいの時間で見終わる。 携帯電話経由で録画予約もできるので、朝の電車のなかで新聞のTV欄を見て、そこから録画予約を行っている。 なので、見逃しもほとんどない。 iPodとHDDビデオを持っていない人は、即、買うべし。 どうせ、いつかは買うことになるのだから。 買わずに便利さを体験しないのは、損である。 僕にしても、どちらの製品もずっと以前から使っていたわけではないのだけれど、今となっては、これらが存在しない生活は考えられない。 もはや、持っていて当たり前の製品である。 と、いいつつこの二つの製品は普及してしまうと、iPodは音楽業界、HDDビデオはTV業界のビジネスモデルを根本的に変えてしまうかもしれない破壊的製品でもある。 iPodはCDというメディアがいかにアホらしいものかを実感させてくれた。 音楽はデータとして存在していれば良いのであって、CDというメディアなどどうでも良いのである。 時間の問題でiTuneのようなダウンロードサービスが一般化するだろう。 以前から、CD屋はなくなる、と言われつつ、なくならなかったが、今度こそ本物だ。 8年ほど前に、某ソ○ーミュージックにダウンロードサービスの提案をして「CD屋を潰す気か!」と、怒鳴られて出入り禁止になったり、日本のレコード会社を無視して海外のレコード会社と直接交渉をしてJASRACから警告を受けたりした僕だが、もはや誰にも止められない。 店舗でのCDの販売など、もはや意味なし。 今度こそ、リアル店舗のCD屋は潰れるだろう。 AmazonもiTune経由で音楽販売を検討している、っていうし。 本は紙としての可搬性や視認性等の優位性を持っているが、音楽はCDというメディアが存在し続ける必然性がなにもないのだ。 今後、僕はTSUTAYAに並んでいないCDしか買わないだろう(と、いいつつTSUTAYAに並んでいるCDはメジャーなものしかないのでつらい・・・。かつ、僕が買う中古CDの上限額は300円である。それ以上の値段だとレンタルCDより高くなり、勝負に負けた気がするから)。 HDDビデオは、TVのCMはすっ飛ばすものだ、ということと、放送時間など無視して良い、ということを教えてくれた。 HDDビデオが普及すれば、CMで成立している放送業界は事業が成立しなくなる。 放送時間が無視される、となればゴールデンタイムという概念もなくなるし、深夜帯であっても、有効に活用できるようになる。 iPodとHDDビデオを買って、放送業界、音楽業界を破壊、というかビジネスモデルのパラダイムシフトを引き起こすことに参加すべし。
2003年06月16日(月)
リーサルウエポン、井ノ本R研究員登場
オクノ総研にまた新たな研究員が登場した。 今度は女性研究員である。 これでオクノ総研の研究員は5人体制となった。 井ノ本R研究員として、井ノ本的 というコーナーを担当する。 実は彼女にはずっと以前から声をかけていた。 この度、ようやくオクノ総研に参画、ということになった。 ハッキリ言って、井ノ本Rはオクノ総研のリーサルウエポンである。 彼女の正体を知る人間であれば「ああ・・・、とうとうやっちゃいましたか・・・」と、いったところであろう。 彼女は普段は、一見普通のヒトである。 これといって怪しくはない。 経歴を見ても、いわゆるエリートちゃんである。 しかし、僕は知っている。 彼女は正真正銘の「アッチのヒト」である。 僕は井ノ本Rの破壊的な才能には以前から注目していた。 彼女には昔の宝島というか、ガロというか、タモリ倶楽部というか、僕の好きなB級サブカルの匂いがぷんぷんする。 日常生活では精一杯、普通の社会人のフリをしているのだろう。 以下、井ノ本R研究員から僕に来たメール。 >いきなりなんですけどオクノ総研にわたしも書いてみたいなと思ったのですが、 >採用試験はどんな風に受ければよろしいのでしょうか。 >もしOKでしたらマンガやらパンクやらガンダムやら化粧品やらの話等を書こうと思っています。 おいっ、何でオクノ総研で「マンガやらパンクやらガンダムやら化粧品やらの話等」なんだよっ! 僕は、速攻で「採用、採用、即採用!」と返答した。 僕としては、研究員として採用したいという気持ち以上に一読者として、彼女の文章を読みたかったのである。 オクノ総研はやはり「予想通りの方向」に進んでいくのであった。 おかしいなあ、戦略コンサルタントの偉そうなサイトのはずだったんだけど。 ■井ノ本的 by 井ノ本R http://www.enpitu.ne.jp/usr3/30145/diary.html
2003年06月15日(日)
TSUTAYAで30枚のCDを借りる
TSUTAYA Onlineの「週末半額クーポン」がメールで届いた。 貧乏くさい僕はここぞとばかり、普段はめったに行かないTSUTAYAに行き、CDを30枚ほど借りてきた。 CD1枚のレンタル料金は290円なので、30枚も借りれば、4,350円もおトクなのである。 そのうえ、今週末は割引クーポンまでくれるのである。 TSUTAYA大丈夫かよ。 正規料金のときにはアホらしくて行く気がせんぞ。 割引クーポンがある分は利用するが。 30枚のレンタルなので、深く考えずに節操なく、ばしばしと借りまくった。 ■週末にレンタルしたアーティスト一覧(アルファベット順) Aerosmith Chic Cream Def Leppard Denki Groove Elvis Costello Eric Clapton Fugees Guns N' Roses Iggy Pop Jeff Beck Lauryn Hill Michael Schenker Nirvana Prince Public Enemy Radiohead Red Hot Chilli Peppers Run DMC Scorpions Sheryl Crow Simply Red Sinead O'Connor T.Rex TALKING HEADS Chemical Brothers Doors SugarCubes Underworld Van Halen まあ、節操のないこと・・・。 深く考えずに、あたり障りのないアーティストのCDを借りまくってしまった・・・。 こうやって並べて見てみると、典型的な30代のおやぢ。 ワカモノとは相当のズレがあるんだろうな。 i-Podを買ってから突然として音楽をよく聴くようになったのだけれど、僕の音楽時間は20年くらい前で止まってしまっている。 言い訳としては、LPとしては持っているが、CDとしては持っていないものを中心としてレンタルしているので、こんなことになってしまうのではあるが。 なので、上記のリストを見て僕をおやぢ扱いしてはいけない。 とは、言うものの、中学生、高校生くらいの時に好きだった音楽を未だに聴いている。 おやぢ化とはこのようなところからはじまるのかも知れない。 僕の中学生、高校生時代はMTV全盛時代だったので、洋楽しか聴いていなかった。 NHK-FMでやっていた渋谷陽一のサウンドストリートとか。 そのせいか、未だにJ-POPには縁がない。 週末はこれらをせっせとMP3にエンコードして過ごしました。 これでi-PodのMP3ファイルが3,500曲を突破! 現在、3,607曲。 まだ目標の7,000曲までは遠いな。
2003年06月14日(土)
「ファミ・コン語」だって
テレビで「ファミ・コン語」についてやっていた。 ファミ・コン語とはファミレスやコンビニで店員が使っている言葉なのだそうである。 ファミレスやコンビニのマニュアルで正しくない日本語が使われている。 これではイカンっ、という事で糾弾する番組であった。 「1000円になります」 「ご記入のほうをお願いします」 「ご注文のほうはこちらでよろしかったでしょうか」 ん?どこがおかしいのだ? 別におかしくないぞ。 ところがだ! 「1000円になります」 お金は「ならん」だろっ。 「ご注文のほうをお願いします」 ご注文の「ほう」ってなんやねんっ。 「ご注文のほうは、こちらでよろしかったでしょうか」 「よろしかった」などと過去形で決めつけんなよっ。 と、いうことなのだそうだ。 日本語の文法としては正しくない。 別にいいじゃん。 これでも。 不愉快じゃないし。 そもそも、僕は指摘されるまで日本語として正しくないことにも気づかんかった。 僕は言葉なんぞ、勝手にどんどん乱れれば良い、と思っている。 時代と共に変わって当然なのである。 コミュニケーションがきちんと成立していれば、それで良いのだ。 アタマの弱いワカモノが一所懸命に敬語だと思って、使っているのだから、そのくらい見逃してやれよ。
2003年06月13日(金)
国家の手先兼黒幕の仕事でまた偉そうなところに行ってきた
G7で使用されている日本政府保有の三田共用会議所に行ってきた。 「国家の手先兼黒幕」の仕事のためである。 今日は、○○省とか××省のお役人が居並ぶなかでのプレゼンテーション。 最近、クソ忙しいのはこのせいである。 このようなプレゼンテーションは一回やるだけでも大騒ぎになるのに、隔週でプレゼンテーションの番がまわってくるのである。 しかも、今回は1時間。 勘弁してくれよ~。 三田共用会議所は三田といいつつ麻布十番にある。 どこかの藩邸だかなんだかの場所に偉そうに建っている。 老舗のホテルみたいな建物だ。 ふわふわというか、ふにゃふにゃのカーペット。 いかにもG7、というか世界の要人用の厳かな作りである。 僕らはいかにも場違いなのだけれど、こっちが主役。 なんだか変な感じ。 僕らはエリートちゃんのフリをして、乗り込む。 G7にも使われる威圧感たっぷりの会議室に精一杯偉そうに入る。 僕らは参加者のなかで年齢的には圧倒的に若い。 エリートちゃんぶらなきゃ、化けろ、化けろ。 国家を闇で操る米国資本の悪の結社としては、隔週でプレゼンの時間を国家からもらえることは、大変名誉なことなのである。 日本万歳、天皇陛下万歳。 と、いうことで、「ユビキタスがどうのこうので2010年の世の中はああだこうだで、国家としてはワシらの言う事を良く聞いて政策を策定すべし」みたいな話をしてきた。 いいのかなあ。 僕らみたいなのがこんな事やってて。 またさ来週にはプレゼンテーションが回ってくるのである。 ちなみに、さ来週の準備は1ミリもできていない。 そういや、今日は13日の金曜日。 別にどうでもいいけど。
2003年06月12日(木)
「阪神優勝1133億円の経済効果」の計算ロジック
阪神タイガースが優勝したら、1133億円の経済効果があるのだそうだ。 この手の経済波及効果の推定は、ワールドカップなどの大きなイベントの開催時やテーマパークや公共施設がオープンした場合などによく見かける。 経済波及効果の分析は一種のお遊びに近いのだけれど、計算手法は確立されている。 市場規模や経済波及効果の推定は若手コンサルタントやコンサルタント志望の学生が基礎スキルを磨くには良いネタでもある。 日経の記事に書いてある内容を整理しなおしてみた。 ■経済波及効果:1133億円 ・688億円の需要が喚起され、他産業への波及効果も含めると1000億円を超える経済波及効果 ■効果の内容: ・球場・球団関連の売り上げ増:年間32億円 (一試合当たりの平均入場者数:約6800人増) ・飲食店の売り上げ:254億円増加 (推定約146万人の成人ファンの気持ちが明るくなり、成人ファンの半数が月に一回、5000円程度の飲食費増) ・企画商品や関連雑誌の販売は128億円 ・スポーツ紙の売り上げが25億円 ・百貨店の収入が250億円増 経済波及効果の求め方の基本的な考え方は単純である。 ①直接的に効果が出そうな要素を洗い出す ②関連して効果の出そうな要素を洗い出す ③それぞれの要素に前提を置いて推計する ③効果の出る産業の関連産業への波及効果を求める 今回の例をもとにすると、①の直接的な効果とは球場・球団関連の売り上げ増である。 ②の関連した効果とは飲食店の売り上げ増、スポーツ誌の売り上げ増、百貨店の優勝セールの売り上げ増など。 効果の規模推定の前提条件の置き方は「推定約146万人の成人ファンの気持ちが明るくなり、成人ファンの半数が月に一回、5000円程度の飲食費増」と、いうように内容を見てわかるとおり、かなりいい加減である。 適当に前提を置いてしまえば良い。 そして、最後は関連する産業への波及効果。 関連する産業への波及については、「産業連関表」を使用する。 産業連関表とはレオンチェフというノーベル経済学賞を受賞した経済学者が考案したありがたい表である。 この表は「風が吹けば桶屋が儲かる」的な発想を数値モデルに落としてある。 例えば、クルマが1台売れたとしたら、クルマの製造だけを取ってみても、鉄鋼業界や電子業界やゴム業界のようにクルマの部品を構成する業界に影響があるハズである。 さらにはその先の業界にも連関した影響を及ぼす。 各産業とその関連業界への影響度合いを表にしてあるのが産業連関表。 お役所のサイトに行けばダウンロードできる。 想定可能な経済効果を算出し、そのうえに産業連関表を用いて、最終的な経済波及効果を求める。 今回の阪神優勝の例で見れば、「688億円の需要」を産業連関表に当てはめて、計算して、「1133億円の経済効果」と、しているのだと想定できる。 ま、ただのお遊びですね。 阪神が優勝したら、コンサルティングファームの入社試験のケーススタディーには、このネタが多く使われるのだろうな。 ■阪神優勝なら1133億円の経済効果・日本総研 http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20030612AT1D1209012062003.html ■情報通信産業連関表 http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/h12_kanren/h12_kanren.html
2003年06月11日(水)
タクシーにマイレージ制度はないのか?
ここ何日か、毎日タクシーで帰宅している。 タクシー帰りが多い、といったところでせいぜい、月に10日くらいである。 2日に一回のタクシー。 かわいいものだ。 きちんと夜中までマジメに仕事してるし。 今の会社に転職したとき、あるパートナーが僕に言った。 「キミは一時間に数万円のフィーをクライアントに請求しているのだから、その分余計に働くのであれば、帰宅のタクシー代など微々たるものだ」 そのお言葉、ありがたく頂戴いたします。 タクシー帰りに慣れてくると、電車で帰宅するのが面倒になる。 実を言うと僕は終電の時刻を知らない。 たぶん深夜零時頃なんだろうけれど。 (太る原因のひとつはコレ) 深夜零時頃になれば、電車で帰るのは億劫なので、自分の良心をとがめないように、午前1時くらいまでは仕事をする。 よって、最近の帰宅時間はだいたい午前2時~3時。 一般の人から見るとアホだが、僕らの仕事ではごくごく普通の事である。 こうなってくると、オフィスの前でタクシーに乗る場合、初めての運転手、という事はもはや稀。 「毎度、どうも」と、いう事で同じタクシー運転手に当たる事が多い。 自宅までの経路の説明をする必要すらない。 タクシー帰宅が多いせいか、六本木や渋谷で流しのタクシーを拾っても「毎度、どうも」になってしまった事が何度かある。 オフィスから離れた場所で、流しのタクシーを拾っても、何度か利用した事のある運転手さんに当たってしまうのである。 都内のタクシーの台数から考えると、確率的にはほとんどあり得ないハズなのに、数回も同じ運転手さんに当たり、かつ運転手さんが僕の事を覚えていたりするのである。 僕はラフな服装が多いせいか、マトモなサラリーマンだとは思われていないようである。 コンサルタントどころか、サラリーマンとしてすら認識されていない。 タクシーの運転手さんからは良く説教を受ける。 「こんなに毎日夜中まで遊んでてタクシーばっかり使ってちゃダメだよ」 ・・・(仕事なんですけど)。 「兄ちゃん、二種免許は若いうちに取っといたほうがいいよ」 ・・・(タクシー運転手にはならないと思う)。 タクシーにもポイント還元制度やマイレージ制度があれば、ハワイくらいには行けそうである。 2、3年前に見かけたような気がするのだけれど、今はどこもやってないのかな?
2003年06月10日(火)
日本人のネオコン化は是か非か?
昨日、本当に書こうと思っていたのは、日本人のネオコン化についてである。 いつの間にやらジャーナリズムの話になってしまっていたけれど。 昨日書いたように、僕はサヨク的教育を受けて育った。 もともと反社会的なコドモであった僕にとって、「くたばれ!エスタブリッシュメント」的なモノの考え方はすんなりと入ってきた。 僕はブルジョアでもプロレタリアでもないが、反社会的なコドモではあった。 「反」社会的、というよりも「非」社会的なコドモ、といったほうが的を得ているかもしれない。 大人社会に背を向けて生きる僕にとって、サヨク的思想は違和感なく入り込み、根を張ってしまったのである。 ようするに主流的なものが嫌いなコドモだったのだ。 巨人とか自民党とかNHKとか日本の大企業や官僚とか千代田区とかヒットチャート上位のJ-POPとか。 未だに阪神ファンだし、選挙には行かないし、NHKの受信料は払わないし、外資にしか勤めたことがないし、路上喫煙不可の千代田区には近寄らないし、J-POPはレンタルCDですら借りない。 話が最初っからズレた。 本題は日本人のネオコン化。 戦後もそろそろ60年になろうかとしてのだけれど、日本人は未だに戦争のトラウマから逃げ切れていない。 戦後生まれの親から戦後20年以上たってから生まれた僕でさえ、戦争のトラウマに囚われている。 サヨク教育を受けた僕は「日本はとても悪い国です。中国、韓国・朝鮮、アジア各国で悪い事を一杯してきました。謝罪と賠償をいくらしてもし足りません。軍備は絶対に悪い事です。憲法九条は変えてはいけません」と、言い聞かされて育ってきた。 そして、その教育の効果は深層心理のなかで深く根をおろしている。 一方で、資本家に魂を売った資本主義と合理主義の塊のような僕がいる。 資本主義者兼合理主義者の僕は言う。 「国家が国家足りうるためには、軍備は不可欠。自分の国を自分で守れないで主権国家と呼べるのか?自衛隊などというお茶を濁した存在ではなく、きちんとした軍隊を日本は持つべきだ。専守防衛は立派な思想だが、軍事的脅威は軍事力で排除すべきだ。実態に合わない憲法九条は今すぐに改憲すべきだ」 僕のなかには二つの人格がいる。 合理的に考えて、日本人がネオコン化することは当然の事である。 明らかな脅威が存在するのであれば、日本は自力で自分の国を守るだけの法と軍事力を持つべきである。 でも、もうひとりの僕は、軍事的脅威があろうと軍事侵攻があろうと専守防衛に徹しろ、という。 米軍に守ってもらって、日本としてはあくまでもやられっぱなしでいろ、という。 日本は過去に過ちを犯してきたのだ、軍事攻撃を受けても、じっと耐えるしかないのだ、と。 アタマでは日本はネオコン化して当然だと思うのだけれど、どうもスパッと割り切れない。 教育って何年も経っても影響するものだな、と思う。
2003年06月09日(月)
サヨク教育を受けて資本家の手先となった僕
僕は大学では新聞学を学んだ。 新聞学とは、新聞およびジャーナリズムを批判する学問である。 ジャーナリスト養成学部ではない。 「日本のジャーナリズムは広告で成り立っており、資本家に支配されているブルジョア新聞である。よって批判されなければならない」 四年間かけて教育された事を一言で言えば、そういう事である。 そんな事は当たり前である。 懐かしのサヨク教育。 そんなおめでたい教育を受けた世代は僕らが最後だろう。 日本のジャーナリズムは広告で成り立っていて、資本家に支配されているブルジョア新聞である。 それには同意する。 でも、それのどこが悪い? 僕はジャーナリズムを信用してはいけない、という事には同意するが、資本家に支配されているからといって、それを批判するつもりはない。 僕は資本家の味方だからだ。 僕の大学卒業後の最初の就職先はメーカーの宣伝部だった。 役員が不倫などをして、マスコミに嗅ぎつけられると、そのメディアに大量に広告出稿をして、記事を抑え込んだりしていた。 スクープを上から抑え込まれたジャーナリストは、さぞムカついたことだろう。 いや、もしかしたら結果的に記事は表に出なかったが、大量の広告出稿を得る事ができて大喜びだったのかも知れない。 企業の広報の仕事の半分は、出てもらっては困る記事や報道を抑え込むことである。 そして、その方法は前述のように大量の広告出稿。 宣伝部と連携して、カネの力で記事を抑え込む。 宣伝部はスポンサーとしての立場を最大限に利用する。 大事件になってしまい、世間の目を欺けなくなると、このような手段は通用しないが、小さな事件であれば抑え込む事は難しい事ではない。 若かりし僕は、そんな現実を目の当たりにしても、なぜだかショックを受けなかった。 なあんだ、世の中はそういうふうにして動いていたのか! なるほど、教授が言っていたブルジョアとはこういうものだったのか。 まあ、世の中そんなものである。 だって、日本は一応ではあるものの、資本主義国家だし。 税制や社会制度は社会主義なのかもしれないが、こんなところだけは資本主義なのである。 どう考えても、広告効果が見込めない媒体に広告が出稿されていたりすることが良くあるが、これはそういうカラクリである。 よって、世間知らずのマーケティングコンサルタントに広告媒体について広告効果の分析などされて、いろいろ意見されても宣伝部としては困ってしまうのである。 >>コンサルタントの皆さん、そういう事情も考慮して報告書は作ってね。はあと。 そんなワケで僕は、報道からは事実だけを読み取り、報道機関の主張に対しては自分の判断を必ず加える。 新聞の社説を読んで素直にうなずいたりはしない。 最後のサヨク教育を受け、結果的には資本家の手先となった僕にとってはジャーナリズムなどはプロパガンダの手段に過ぎないのである。 実際、僕はプロパガンダの手段としてマスコミを利用させてもらっていた。 大人って嫌ね。
2003年06月08日(日)
第三京浜の港北インターはETC専用レーンを作れよ
僕が良く利用する第三京浜の港北インターのETCレーンは共用である。 開いている3つのゲートのうち、2つがETCと一般の共用レーン。 1つが一般レーンである。 ETC車が通過できるレーンのほうが少ない。 ETCは共用レーンなので、他の一般レーンと渋滞の列の長さは同じである。 ETC車も一般車と一緒に列に並ばなくてはならない。 ETC車としてのメリットは全く無い。 逆に、ETC車の通行可能なレーンは限られるので、選択肢が少ない分、ETC車のほうが不便なのである。 僕のクルマはETC搭載車なので、レーンの通過は一瞬である。 長い渋滞の列に並び、通過は一瞬。 自分には何のメリットもないが、渋滞緩和には貢献している。 ETCを装着することによって、自分ではなく、他人に奉仕している。 なんかアホらしい。 港北インターの開いているレーンは3つだが、閉じているレーンもある。 レーンは余っているのである。 ETCレーンを開けることには人件費がかかるわけではない。 人件費がかかるわけじゃないんだから、閉じているレーンをETC専用レーンとして開放しろよな。 道路公団は本気で、ETCを普及させようって考えているのかなあ。 ETC車を不便にして、どうすんだよっ。 道路公団の毎度の言い訳として、ETC車はまだ少ないので、ETC専用レーンを作ってしまうと、一般レーンが却って渋滞する、というのがある。 でも、高速道路の出入り口のレーンが全て開いている事など、まずない。 普段はせいぜい半分とか、6割くらいのレーンしか開いていない。 ETCを普及させたいのであれば、ETC専用レーンの設けるべきである。 全てのゲートが開いている高速道路の出入口などほとんどないのだから。 余っているゲートをETC専用に開放せよ。 お金がかかるわけでもないのに、なぜやらないのか? もしかして道路公団ってアホ?
2003年06月07日(土)
日本人は本当に幸せなのか?~世界がもし100人の村だったら
「世界がもし100人の村だったら」というTV番組をやっていた。 例によって「世界にはかわいそうな子供がいるんですよ。ねえ、かわいそうでしょ。さあ泣いてください。おらっ、泣けよ。ここが泣くシーンなんだよっ」といういつものお決まりの番組だった。 戦場に向かう少年兵、ロシアのストリートチルドレン、インドの絨毯織りの少女。 スティービーワンダーの音楽に乗せて、世界の「不幸な」子供の紹介が続く。 ほらほら、泣いてください。 僕は、「不幸な」子供達の映像を見つつ、幸せそうだなあ、これこそが人間らしい生活だなあ、と思いつつ見ていた。 彼らは本当に不幸なのか? 僕はそうは思わない。 先進国だと思い込んでいる日本人が勝手に、彼らを不幸だと決めつけているだけじゃないのか? 僕らのほうが、本当に幸せなのか? 日本人の勝手な尺度で幸せか不幸かを判断しているだけじゃないのか? 「彼女は一日に10時間も働きます」 「日が暮れると眠りにつきます」 ・・・いいなあ、10時間しか働かなくても良いのか。 夜が明ける頃に眠る僕とは大違いだ。 彼女はラットレースに参加していない。 僕らは勝ったところで、何のメリットもない、無意味なレースを続けている。 ネズミがぐるぐると同じところを廻りつづけるように、僕らはゴールもなく、勝ち負けもないレースを死ぬまで続ける。 競争に打ち勝ったところで、そこに何があるのか? 何も無い。 そもそも勝ちなんてあるのか? 空虚な満足感だけである。 いや、満足感すらない。 まあ、こんな事を言っていたら、清里の脱サラペンションオーナーみたいになってしまうのだけれど。 昼は山菜摘み、無農薬野菜の家庭菜園、夜は暖炉を囲んでギターで歌う。 さすがに僕にはそんな人生は無理だ。 日本のメディアはお涙頂戴の「不幸な」子供の映像を見せて、何がしたいのか? ボランティアをしろっていうのか?募金をしろ、というのか? これは彼らの人生なのだ。 勝手に自分達は幸福で彼らは不幸だと決めつけないで欲しい。 彼らは決して不幸などではない。 彼らにも僕らにも、それぞれの人生がある。 世界の100人がそれぞれの人生を生きている、って事。 どの人生にも不幸も幸せもない。 それぞれの人生がそこにあるだけだ。 なんだか、ちょっとジョン・レノン。
2003年06月06日(金)
3日間ぶりに酒を飲んだ
かなりどうでもいい話なのだけれど、ここ3日間というもの、一滴も酒を飲んでいない。 僕は1年のうち、酒を飲まない日は、せいぜい2、3日くらいだろう。 つまり、ほぼ毎日酒を飲んでいる。 3日連続、アルコールを摂取していない事など、少なくともここ10年はない。 今回の3日間の断酒の理由は家にあるお酒のストックがなくなってしまったからである。 僕はだいたい毎週、ビールを1ケース(24本)、ウィスキーのボトルを2本のペースで消費する。 酒を買いに行くだけでも大変なのである。 週末にクルマでまとめ買いをするのだけれど、買い忘れると、あっという間にお酒のストックがなくなる。 今週は酒を買いに行く時間がなかったので、家に酒のストックがなくなってしまった。 僕は不眠症なので、酒なしでは眠れない。 医者が処方してくれる睡眠薬を服用すると、今度は朝が起きられなくなるので、結局のところ、睡眠薬より酒のほうが良い。 もちろん、酒で眠る事が邪道であることは認識している。 だが、今週は公私ともに何かと忙しく、そもそも眠る時間がなかったので、酒なしでも眠ることができた。 僕は毎日、酒を大量消費をするので、高級な酒をじっくり、という飲み方はしない。 偉そうなワインだとか高級ウィスキーなどは飲まない。 ゆっくりとグラスを傾け、一日を振り返る、などという事はしない。 帰宅時間が深夜なので、速攻で眠らなければ、睡眠時間が確保できない。 なので、腰に手を当て、健康ドリンクを飲むように、一気にガーッとウィスキーを流し込む。 速攻で飲んで、速攻で眠る。 ウィスキーは、毎週2本ずつ消費するので、高級な酒など飲んでいられない。 毎日飲むので、癖がなく、飽きが来ない銘柄を飲む。 安くて、癖がない酒。 なので、毎日飲むのはブラックニッカである。 量販店では700mlで800円もしない。 もしくは巨大なペットボトルの焼酎。 これらをツマミもなく、何かで割るでもなく、生でそのまま飲む。 ビールがワーキングクラスの酒だと思われているが、アルコール100mlあたりの値段を考えるとウィスキーが最もリーズナブルである。 ■アルコール100mlあたりの価格(オクノ総研調べ) ウィスキー(ブラックニッカ) 約233円 ビール 約1200円 発泡酒 約830円 発泡酒は貧乏人の飲み物だと思われているが、何気にブルジョアの飲み物であることがわかる。 アルコール度数至上主義者にとっては、ウィスキーが効率の良い酒である。 正しい貧乏人はウィスキーを飲むべきだ。 と、いう事で今日は会社帰りに酒を買って、3日ぶりにウィスキーを飲んだ。
2003年06月05日(木)
SO505ソニータイマー故障
早速やってくれました。 SO505のソニータイマー故障。 ソニータイマーは1年めの保障期間が過ぎた瞬間に起動するように設定されているハズなのに、今回は初日から起動。 SO505の初期不良である。 ソニーの携帯電話の初期不良はもはや恒例行事と化しているので、発売と同時に2ちゃんねる的には「バグ探し祭り」がはじまっていた。 最初からバグがあるはずだ、という前提のもとにはじまった、宝探しというか、裏技探しというか、バグ探し祭り。 せっかくSO505を発売日ゲットしたのだから、バグ発見一号にならなければならない。 バグ探しはソニー製の携帯を発売日ゲットした者にだけ与えられる、お楽しみゲームでもある。 ソニーの初期ロットはバグの危険があるから買わないほうが良い、などというバカ者がいるが、それは間違っている。 初期ロットを入手しないと、バグ探しのお楽しみがない。 素人には屈折しているように思うかもしれないが、バグ探しやエラーへの対策を施したり、パッチをあてたりして、苦労するのは発売日ゲッターの楽しみなのだ。 で、お約束どおりバグは発見された。ZD-NETの記事 なんて、明らかに「みんなでバグを再現させて楽しみましょう」という意図が見え見えである。 バグの再現のさせかたが画面のキャプチャーつきで懇切丁寧に説明してある。 僕もやってみる。 見事に再現! うれしい・・・。 もはやファミコンの裏技探しと変わらない。 「これはバグではありません、仕様です」という、メーカーにありがちな返事があるかと思いきや、簡単にバグは認められてしまった。 ファームウエアの書き換えのみで対応可能なので、大した損失にはならないと踏んだのか。 ウィンドウズやマックOSのバグの数に比べれば、こんなモノはバグとは言えないが、携帯電話会社はこんな程度でも大騒ぎされて大変だな。 今時の携帯電話のプログラムはステップ数が肥大化しているので、バグはあって当然。 なので、今ではファームウエアの書き換えのみで対応が可能になっている。 せっかく通信機能もあるんだから、ファームウエアのダウンロードもできると便利なのに。 加えて、各種のバージョンアップもダウンロードサービスでやってくれるとうれしい。 バグをなくす努力よりも、バグは存在する、という前提でファームウエアの書き換えサービスがあるほうが、PCやPDAといった通信関連機器を使っている僕としては馴染みやすい。 ドコモショップにファームウエアの書き換えに行ったら、おわびにモバイラーチェックとかくれるのかな。 ■ドコモの「SO505i」に不具合~ソフト書き換えで対応 http://www.zdnet.co.jp/mobile/0306/05/n_fuguai.html
2003年06月04日(水)
結局SO505を発売日ゲット
結局、SO505を発売日ゲットしてしまった・・・。 通勤途上にあるビックカメラに、もしや、と思って寄ってみたら、在庫があったのである。 携帯電話売り場に行ってみると整理券を配っていたので、その場でSO505を確保。 と、いうことで並ぶことも予約することもなく、めでたくSO505を発売日ゲットできた。 何とか、我が家の家訓である「出たら即買え」「迷ったら両方買え」をきちんと守ることができたぞ。 機種変更価格は33,800円。 ビックカメラは10%ポイント還元なので、約30,000円といったところか。 ついでに溜まっているドコモポイントがいくらかわからないけれどつくみたい。 色は当初の予定通りのサイバーブルーである。 通勤途上でセットアップが完了するまで待つわけにはいかないので、機種変更手続きだけをして、ひとまず退散、オフィスに出勤した。 午後、仕事が煮詰まってきた頃に受け取りに行ってきた。 予想通りでかい。 分厚い。 重い。 最初からわかっていたことなので、それは全くかまわない。 カタチは、いわゆるガンダム系のおこちゃまデザインで、ソニーというよりもバンダイである。 オタ度を増幅させるために、Microsoftのネックストラップを装着。 オフィスにいると、いろんな人が見にやって来る。 基本的な反応は「でけー!」、「あつー!」、「おもー!」である。 そして「え?これ、折りたためないの?不便ーっ」。 一般ウケ度は散々である。 これは「サイバーショットに通話機能がついたモデル」だって言ってるだろうがっ! 携帯電話と比較すんなよ。 これはサイバーショットの最新モデルなんだよっ。 サイバーショットなのに、通話だけじゃなく、iモードやメールも見れるんだよっ。 誤解を解くため、SO505はカメラ売り場で売るべきである。 そうすれば、携帯電話と間違えて買う人が多少は減るだろう。 まだ電話を受けるために必要な最低限の設定しかしていないので、SO505に関してキチンとコメントする段階ではない。 マニュアルも読んでいないし、いじり倒してもいない。 カメラの使い方もよくわからない。 なので、まだ外見の印象しかない。 もう少しいじってからまた報告します。
2003年06月03日(火)
DoCoMoは即刻、ネット経由で機種変更を可能にせよ
明日は、DoCoMoのSO505iの発売日である。 例の130万画素のデジタルカメラに携帯電話機能がついたアレである。 メガピクセルのデジタルカメラなのに通話もできる。 それにくるくる回る。 当然、僕としては買いである。 何でもかんでも話題の商品は全て発売日ゲットを自分への掟としている僕としては、当然発売日には手に入れなければならない。 ところが、だ。 DoCoMoの携帯はネットでも買えなきゃ、予約もできないのである。 今まで、僕が発売日ゲットができていたのは、ネット経由で予約をしていたからである。 僕は毎日50通ほどのメールニュースを購読しているので、新製品が出ると、記者発表から2-3時間以内には、その情報を知ることができる。 新製品の情報をゲットしたらその場で、即予約、なのである。 先日のiPodに至っては、深夜にスティーブジョブズのライブプレゼンテーションをCNBCのストリーミング経由で見て、発表があった時点で予約をする、という荒業だった。 しかし、DoCoMoのSO505iに関しては、事前にかなりの情報を得ていて発売日も発表日も事前に分かっていたにもかかわらず、予約ができていないのである。 僕は2年ほど前まで、Tukaの携帯電話を使用していた。 Tukaという携帯電話キャリアが存在している事すら知らない人もいるかも知れないが、まあ、そういう弱小キャリアが日本には存在するのである。 その弱小キャリアであるTukaの機種変更はネット経由で可能だった。 Tukaのウェブサイトにアクセスし、通常のネットショッピングと同じように新機種を申し込むと、宅配便で携帯電話本体が届く。 新しい携帯電話が届いたら、説明書に書かれたとおりに、ちょこちょこっと操作してアクティベートすればすぐに使えるようになる。 新しい携帯電話が使えるようになった時点で、古い機種は使えなくなる。 セルフで機種変更の操作が可能なのである。 Tukaなどという弱小キャリアでさえ、お店に出向かなくても機種変更は可能なのである。 なんで、DoCoMoはやらへんのや! Tukaにできて、DoCoMoにできないハズがない。 発売日に新製品が入手できないなんて・・・。 さすがに、サラリーマンは平日の朝から並べない。 こんな屈辱は久しぶりだ。 DoCoMoは即刻、ネット経由で機種変更を可能にせよ。 既存のチャネルが云々、などという言い訳は許さん。 >>追記 結局、並んで発売日ゲットしました・・・。
2003年06月02日(月)
「時価会計選択制導入見送り」なんて当たり前じゃボケ
「時価会計選択制」の導入が見送られた。 既に企業は時価会計に移行済なのだけれど、簿価で会計をしても良いことにしろ、というワケのわからない、要求が退けられた。 当たり前である。 アホな要求をしていた負け組み企業の言い分は、バブル期に高値掴みした株は、取得時の簿価で評価させてくれ、下がりまくって紙くず同然になった時価では評価しないでもいいようにしてくれ、というものである。 時価会計を導入することにより、自社のバランスシートが最悪なのがバレたら、株式市場に悪影響を及ぼし、ひいては景気を悪化させる、というものである。 そんなアホな。 そもそも株式市場は、そんなインチキ会社の簿価会計の有価証券報告書など全然信じていない。 インチキ会社が簿価で報告しようと、セコい財務上の小細工をしようと株式市場は時価で正確に見ている。 企業が、時価で発表しようが、簿価で発表しようが、知ったことではないのだ。 株式市場はそれほど、アホではない。 インチキ会社は投資家が素直に、企業が出してくる財務諸表をそのまま素直に信じて投資している、とでも思っているのだろうか? 簿価になって、業績が名目上良くなったからと言って、株価が上昇することはない。 逆に時価になって、損失が計上されても株価は下がらない。 そんなものは既に織り込み済みである。 そういった要素も含めて、考えられる全ての要素が織り込まれたうえで、株価は形成されるのである。 株式市場は「万能」であり、「神」なのである。 マーケットはそんな小手先のインチキなど全てお見通しだ。 株価が変動するときは、必ず正当な理由がある。 株価は何らかの「波動」みたいなもので動いているように見えても、後で検証すれば必ず変動の正当な理由が見つかる。 株価とは本来、当該企業が将来生み出すであろうキャッシュフロー(お金)を全部足して、そこから金利や資金調達コスト、リスク分をディスカウントした(割り引いた)ものである。 とっちゃん坊やの平蔵ちゃんが、いつも言っているDCF(ディスカウントキャッシュフロー)と意味は同じ。 リスクとは、地震や雷やゴジラや北朝鮮やスカラー波や社長の不倫疑惑やズラ疑惑のような、企業の事業リスクを言う。 それを発行済み株式数で割ったものが株価である。 株価とは、企業の会計手法ごときに左右されるものではない。 マーケットはその企業の本質を見事なまでに見抜く。 マーケットの論理で言えば、簿価で報告しようが、時価で報告しようが、どうせ時価でしか評価しないんだから、素直に最初っから時価で報告してくれよ、というだけである。 いちいち、時価に直すとどのくらいなのかなあ、などと類推するのが面倒なので、最初っから時価で報告してくれよ、というだけである。 仮に、企業がインチキ会計により、マーケットを騙せたとしても、永久に騙し続けることはできない。 インチキがばれたら、そのときの下落幅は目も当てられない。 インチキで株価を維持することのメリットよりも、マーケットの信頼を失うことのほうがダメージが大きい。 企業は小手先のインチキ会計なんかやってないで、素直につつみ隠さず報告すればいいのである。 結局のところ、正しく透明性のある財務報告をしているほうが企業にとっては「得」なのである。 ■時価会計選択制導入見送り http://www.asahi.com/business/update/0602/059.html
2003年06月01日(日)
明日からはスマートカジュアルなのだ
6月になった。 僕の会社は6月から9月末までは「スマートカジュアル」と称して、カジュアルの服装で出社しても良いことになっている。 明日は残念ながらクライアント先に行かなければならないので、スーツだけれど。 コンサルタントはクライアント先に常駐している場合も多いので、スマートカジュアルの恩恵を得られない人も多い。 僕はクライアント先ではなく、自社オフィスで仕事をしているので、基本的にカジュアルで構わない。 僕はスーツが嫌いだ。 嫌い、というより憎んでさえいる。 スーツを着なくても良いという会社から転職のオファーがあれば、少々年俸が下がっても転職しても良い。 年俸100万円減くらいまでなら許容範囲だ。 スーツになど何の意味も無い。 ネクタイに至っては、アクセサリーを強要されているのと同じで、強制的に鼻ピアスをつけろ、とかチンコケースをつけろ、言われているのと何ら変わらない。 一万歩譲って、スーツはビジネスカルチャーだから、という観点で考えても、クライアントや社外の人間と会う場合はしかたがないとしても、自社オフィス内で、社内の人間にしか会わない日にまで、スーツを着ることに何の意味があるのか? 徹夜続きで、床で寝ているようなコンサルタントにとって、ベストの服装はパジャマ兼用のスウェットの上下であろう。 Tシャツ、短パンは夜は冷えるので推奨できない。 制服として、会社に出社したら、三本線の入ったジャージに着替える。 アナリスト、コンサルタント、マネージャーとクラスによって、線の数を変える。 マネージャーなら三本線だ。 所属のグループによってジャージの色も変える。 会社からのカジュアルに関するガイドラインにはこのような記述がある。 「この制度は各個人の良識とセンスに依るものですが、容認できるCasualかどうかの境目は、自分の目ではなく、あくまでも第三者が見て好感を持てるスタイルだということを意識して下さい」 ごもっとも。 自分の目で判断したら、Tシャツ、短パン、ビーサンになってしまう。 でも「第三者から見て好感を持てるスタイル」は難しい。 結果的には「第三者から見て好感を持てるスタイル」として、ゴルフウエア主体の「日曜日のお父さん」スタイルが増殖するのであった。 僕はゴルフをやらないので「日曜日のお父さん」にはならないが、他人に言わせれば、B級コピーライター的な格好なのだそうだ。 僕らのようなコンサルタントは他人から「アタマ良さそう」と思われなくてはならない。 実際にはアホであっても、外見はアタマが良さそうに見えなければならないのである。 「本当はアタマがいいのだけれど、外見はパンク」、というのは許されない。 推奨されるのは「本当はバカだけど、外見はアタマが良さそう」である。 パンクの兄ちゃんが洗濯ノリで固めた赤いモヒカンに鋲を打った皮ジャンを着たり、ヘビメタの兄ちゃんが髪を腰まで伸ばしてぴちぴちのパンツをはいたりするように、コンサルタントもアタマが良さそうに見える外見が必要なのである。 それが社会人ってもんだ。 バブルの頃であれば、ここぞとばかり、デザイナースプランドで固めて出社してくる人間が続出したのだろうけれど、今はデフレ不況の世の中。 着飾って出社してくるような社員は皆無である。 いつの間にやら、「お洒落=バカ」みたいな時代になった。 まあ、ここで言うお洒落とはセンスのことではなく、ブランド物とか高い服、という意味で使っているのだけれど。 僕もほんの数年前までは、丸井のバーゲンで並んで、ブランド物の服を買いあさるアホだったが、今はそんなことは全くない。 ユニクロに行って、激安の夏服をごっちゃりと買って来んといかんな。
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