2004年07月21日(水) |
ただいま帰りました。 |
活動記に記載していませんでしたが、14日から本日(21日)までの間、相模原市議会の代表として(計6名)、相模原市が友好提携をしているカナダ国オンタリオ州トロント市に行ってきました。先程、帰国し家に着いたところです。
6泊8日の長期日程であったために、些か疲れましたが、無事に所期の目的を果たせたと思っています。また、それ以外にも多くの経験をすることができました。
詳細につきましては、追々ご報告します。今は唯々疲れましたので、ゆっくり寝かせてもらいます。そして、また明日から通常通りに戻ります。何卒、ご容赦下さい。
(尚、15日活動記は、当地にて日本語対応のインターネットカフェを探し記載をしました。が、それ以後は営業時間とこちらの予定が上手く行かずに書き込みができませんでした。)
7月11日の活動記に関連して、ひとつ思い出したことがあります。議長と議会事務局長についてです。
「議会事務局長の早退等は誰が決定するか」です。それは、上司であり任命者である「議長」なのです。 つまり、事務局長の早退を許した議長がいて、私的身分であることを認識しつつ公用車に同乗させたと言うことです。なんか変です。議長は理由を問われたら、何て答えるのでしょう・・・?
さて、何故このような細かいことを書いたかと言うと、それは、これを機に今一度見直すべきと考えるからです。 変な遠慮や、一部のみの情報開示では逆に疑いが大きくなります。議長は中途半端な見解ではなく、しっかりとした考えを定めるべきです。後ろ向きに考えるのではなく、前向きにです。
2004年07月13日(火) |
選挙立候補基準の是非 |
党支部の役員会議がありました。席上、各級選挙の話がありました。1つは参議院議員選挙結果、2つは来年の市長選挙、3つは次期地方選挙です。
1は結果を受けての反省等です。2は認識する程度の話でした。3についてです。簡単に言えば、次期地方選挙には今までよりも多くの候補者を党として擁立したいとの発言があったのです。 正に、その通りであります。地方が政党に左右されることへの是非はありますが、政党の立場からすれば政権政党を目指す以上は、各級選挙は争点を示し積極的に候補者を擁立すべきであります。 そこで、かねてより懸案の事項として「候補者の擁立基準」があります。最近では国政選挙において公募性や予備選実施がでてきましたが、地方選挙においての公認・推薦は大変曖昧であります。「なぜ、この人が○○党なの?」「なぜ、▲▲党はこの人を擁立したの?」などの疑問は、国・地方双方に存在します。この点をある程度、詳らかにする必要があるとの発想からです。そして、現在検討中であります。
その時に出た意見に「公認しない理由をつくるのではなく、意欲のある人物を発掘したり育てたりすることに重点を置くべき。」旨がありました。 たしかに、その通りです。意欲や能力のある方の発掘や立候補に向けた環境整備などは大変重要です。そのことは進めるべきです。 ですが、一方で「首長の多選」や「公認・推薦の妥当」などは先行して検討確立すべきであります。あるいは、同時進行です。発掘のみに力点を置くと、そこには必ず軋轢が生じます。歴史が語っています。
公党であり、情報公開を推進する立場である以上、開かれた基準が不可欠であると考えます。
民主党は議席を大きく伸ばすことができました。今選挙における比較第一党となりました。多くの方々のご支援の賜です。この結果は同時に責務の重さを表します。国民の期待に応えるべく政権担当能力を担う政党へとならなければなりません。党員として、所属地方議員として、その任の為に今後も努めて参ります。
一方、自民党が議席を減らしたとは言え、与党全体では減らしておらず、また安定多数を裕に超えている状況は、「勝利」と呼ぶには諸手を挙げて喜べる結果ではないと考えます。野党の他党が減らした分を上乗せしたのが大半である以上、今一度この結果を見直し、兜の緒を締めなければならないと思います。
さて、私が応援した候補者の結果です。
神奈川選挙区の千葉景子氏は3位で当選しました。 比例代表の樋口俊一氏は落選しました。
様々なご協力をいただいたことに深く感謝し、慎んでご報告申し上げます。
尚、相模原市内における、各候補者および比例代表における得票は相模原市選挙管理委員会のホームページをご参照下さい。
2004年07月11日(日) |
市長の公用車使用・・・公務の是非 |
数日前に新聞報道されていました。市長が市議会6月定例会閉会日の夜に、最大会派である「市政クラブ」が箱根で行った定例会反省会・懇親会に他の市幹部と出席した際、公用車を使用した件を市民が「私的使用だ」と問題視したことであります。 (ネット上では東京新聞の記事が見つかりました。クリックしご参照下さい)
実は、過去に同様の会に出席したことがあります。前期の会派の時です。当時は、今の市政クラブが2つに別れており、第1会派が市民クラブ・第2会派が相政会でした。私は独自に会派を作っていたのですが、その相政会から声をかけていただき、数度参加したことがある次第です。参加した中で、半分が箱根で半分が市内だったと記憶しています。
当時は、定例会での案件や各議員が取り上げた一般質問について検討・分析し研修をしていました。その後に懇親会を行っていました。そして、その懇親会のほぼ全てに市長や助役・収入役・教育長が参加していました。 私にとって同会は、大変意義深いものでした。 会派を独自に作っていたのと、1期生での情報不足などを補う部分。他会派の議員の考え方を聞ける部分。市長等が議会では答えない(?)部分。勿論、人と人との付合い繋がりの部分・・・様々な勉強ができた場面でありました。今でも、当時誘ってくれたことを感謝しています。 もっとも、それが箱根である必要かどうかは別問題です。(勿論、私は交通費も参加費も自費です)
さて、そこで問題となった、市長が参加することは公務か否か・・・です。
判断が難しい部分もありますが、私は公務と捉えるべきと考えます。 市長は市政繁栄の為の施策を遂行するために、あらゆる努力をしなければならないと思います。その中には議会対策もあるでしょうし、議員と意見交換をすることは大変重要なことです。もっと言えば、市民一人ひとりの意見を聞く姿勢は(物理的な部分は除いて)必要不可欠です。よって、呼ばれれば尚更積極的に参加すべきです。 よくある場面ですが、市政に貢献してる団体の総会なり懇親会なりが箱根で行われる。市長として案内される。時間の合間を縫い参加し、日頃の御礼と今後のお願い、或いは意見交換をする。そして、それは宴席を伴う。掛け持ちも有り得る。移動には公用車を使用する・・・。立派な公務だと思います。
だた、議会との「癒着」と写るのは否定できません。ましてや、今議会は市提案条例は1件のみであり、意見交換する内容は一般質問のみです。一般質問では、市の不祥事が数件明らかになるなど体質が問われていた訳で、直後に同会に参加することは些か疑念が残るのは事実です。 一方、市長は「誘われれば市政クラブだけでなく、どこでも参加する」とも述べたようです。ですが、現状では他会派は行っていませんし、この発言は受け身であり、主体性がありません。意見交換が重要と考えるならば、その場面を他会派とも作る姿勢や働きかけがあって然るべきです。議論のすげ替えとも写ります。
では、どうすれば良かったのか・・・
う〜ん、難しいです。電車で行けば良かったのか・・・でも、公務ならば公用車使用に問題はないし・・・せめて帰りは電車・・・それも何か姑息だし・・・
皆さんは、どう思われますか・・・?
考え方と姿勢の問題だと思います。ですから、一慨に否定はできないし、逆に肯定もだきないのではと考えます。公務との境目、あるいは公務であったとしても対応の仕方・・・資質なのでしょう。
さて、本題とはそれますが、気になった点が他にあります。それは議会事務局長の行動とコメントに関連してです。 公平・平等、円滑な議会運営の為に本当に大変な思いで仕事をされています。おそらく、部長級の中で最も神経をすり減らす職ではないでしょうか。ですから、最大会派から誘われれば参加する。しかし、公務と捉えるには微妙。だから早退して私的立場で参加。しかも参加費は自費。断る勇気とは言葉では簡単ですが、実際は難しいものです。
一方で「議長車に同乗」の部分です。 まったく違う視点なのですが、これにより議長が議長車で行ったことが分かります。つまり、先の論理から言えば議長としての公務なのです。 ん?議長は市政クラブの一員なのです。なのに公務。で、公用車・・・。これも考え方かも知れませんが、
第20回の参議院議員通常選挙の最終日でした。17日間の選挙戦の総マトメです。各政党・各候補者が最終最後の訴えとお願いをしていました。 自らの選挙では、「あと一日しかない」と「ようやく残り一日だ」との思いが交差しながら、とにかく悔いが残らないよう、23時59分に倒れても構わない位の気持ちで臨んでいたことを思い出します。
必ず、成果は表れると信じて・・・です。
明日の選挙結果は、選挙区選挙と体制が午前0時すぎ、比例最終確定が午前6時ころまでの予定だとのこと。 長い選挙戦と同じ位に、候補者にとっては長い一日になることでしょう。
2004年07月08日(木) |
第3回「相模原・津久井地域合併協議会(任意)」 |
けやき会館で開かれました。小林正明城山新町長が初登場です。そのせいか、100席ある傍聴席が60程度は埋まっていたでしょうか。過去は30〜40程度だったと思います。
議題で特に大切なのは2点です。前回からの継続である、合併の方式と新市の名称です。 合併の方式は、新設と編入があります。昔で言う、対等合併と吸収合併です。事務局提案(小川勇夫会長提案?)は編入合併でありましたが、異論がでての継続でした。注目は、小林氏(協議会では副会長)の発言です。選挙や終了後の会見では、「編入ではなく新設を主張する」と述べていました。
発言は、「城山では合併に関して住民投票を行う予定なので、新設・編入双方共での協議を続けてほしい。」との趣旨でした。 その他に出た意見は具体には書きませんが、「採決をしてくれ」との発言が途中より目立ってきました。議論は出尽くしたとの見解からでしょうが、見ていた私は「議論の封殺」にも感じられました。 小川会長の「その他にご意見はありませんか」の後、「それでは、事務局案でご意義在りませんか」で「意義なし」。小林氏もそれ以上は言わずに、編入合併と決定しました。
次に、新市の名称です。 事務局提案は「相模原市」でしたが、特に3町の委員より「さがみ市」「相模市」などの提案がだされました。或いは、「合併論議は住民は認知度が少ない。情報提供不足を補う意味でも、住民に意識を持ってもらう意味でも、公募を行うべきでは。」との意見があり。 相模原市の委員は「変更手続きに莫大な予算がかかる」などの反対意見。 その中で、理解に苦しむ意見がありました。
「名前は重要。会社を40年やっているが、続いたのは名前とそれに伴う信用。中核市になりそれがでてきた。だから変えるべきでない。思い付きでの発言は困る。」です。
う〜ん、この方の意見には首をかしげてしまいました。 公募の話などは、なかなか説得力があると思いました。私はこの意見に賛成です。結果は、今一度継続となりました。
ところで、会議を通して思ったのですが、提案がすべて会長名なのです。そして、質疑に対する答弁は事務局。進行するのは会長。会長は議長でもあるので、一切自らの意見は述べない。。。
ちょっとまって・・・
仕組みとしては仕方ないのかもしれないけど、我らが市長は今後も一切発言しないのでしょうか・・・? 提案事態が自らの考えで、それ以上は述べる必要がないのでしょうか・・・? でも、答弁は役所の職員・・・。
では、我らが市長は、一体どこで発言するのでしょう。議会でも答えない。協議会でも答えない。
2004年07月07日(水) |
まちmatchたんけん隊 |
所属している(社)相模原青年会議所で、8月29日(日)に小学3〜6年生を対象とした標記が行われます。城山湖周辺でハイキングをしながら様々な自然体験やゲームを行い、津久井郡・相模原市の友達の輪をつくる企画です。
今までにない企画で私も楽しみにしています。大人の方も参加できるようです。但し、体力に自信がある健康な方だとか・・・。果たして自分が大丈夫なのか不安は残ります。。。
詳しくは、地域のこども育成委員会 鈴木珠美さんまで 080−3273−1212 または、メールお問い合わせください。
大勢の方々ご参加をお待ちしています。。。
2004年07月05日(月) |
議会の事務事業10項目の決定 |
任意合併協議会内の「議員の定数等に関する検討委員会」第2回が城山町立公民館で開催されました。 議題は、議会に関わる事項の協議の方法と、事務事項の協議です。具体には、1)検討委員会内で協議決定し合併協議会へ報告する件と、2)検討委員会内で案をまとめて、最終は合併協議会で決定してもらう件の区別です。 2)については、合併の方式(新設か編入)が決定しないことには、協議さえできないので、次回に持ち越しとなりました。内容は、議員の報酬と政務調査費の2項目です。勿論、定数も併せてです。 1)については、協議した後に10項目総てが決定(了承)しました。とは言っても、事務局がまとめた原案の説明で「シャンシャン」で終わったので、協議と言えるかどうかは疑問です。質問や意見は何もありませんでした。
内容は、本会議や委員会の運営・議会報・請願陳情の取り扱いなどです。そして、その総てが「相模原市議会の制度に統一する」となったのです。 私は、相模原市の議員なので議会の仕組みやルールを知っています。他の相模原の5名も同様でしょう。だから、私たちが事務局提案について聞くことは、ほぼあり得ません。 しかしながら、3町の計6名の方々は書面を見て概略の説明だけで果たして理解をされたのでしょうか。既に、事前に調査なりして知り尽くしているのならよいのですが・・・。その点が気になったので、余計な事ながら再確認で「何も聞かないでいいのですか?」と発言したのですが、やはり何もありませんでした。 ざっと読んだだけでも、相模原市議会と3町議会では10項目について結構な部分で差があります。会派運営や質問時間・質問の形態・陳情取り扱いなどです。 確かに、基本路線として相模原市の制度に併せる旨が合併協議会で確認されていますし、その通りに進めることが協議進捗は早いです。が、自らの制度でよい点は主張すべきですし、差異点で解りづらい点は質問があって然るべきです。私自身、相模原市議会の制度で未だに知らないこともあるかもしれませんし、議員になってから概ね理解するまで裕に1年以上費やしたのも事実です。合併してから制度を見直すことは別に問題ではありませんし、良いものはどの時点でも積極的に取り入れるべきです。 が、 やるならば、この時点が最適あったと思います。
各町議会より代表で出ている議員の方々は、帰ったら説明をするのでしょうか。でも、今更何かを言ったとしても遅くなってしまいます。「任意だから」と発言をされていた方もいますが、法定協議に移行したときにもう一度言うつもりなのでしょうか・・・?
さて、次は28日です。いよいよ議員定数や報酬の協議になります。今までみたいな「シャンシャン」ではいかないのでしょう。合併に向けた各議員が考える姿の本質が見えてくるのは必須です。6月11日活動記が私の考えです。
参議院議員選挙が真っ只中、我々政治家は日常行っている政治活動が制約されます。具体的には、街頭や駅頭での演説や広報紙の配布などです。集会開催などもそうでしょうか。 選挙は多くの規制の中、許された活動を最大限行うのが、勝つための常套と言われています。勿論、個人差はあります。その限られた活動を妨害したり、混在したり・・・などによってのことだと想像しています。
また、一方で曖昧な部分もあります。ホームページなどです。数年前にようやく期間中の更新は×と総務省が見解を示しました。但し、これは候補者個人のHPです。私の中では、候補者でなければHPの更新も可能と理解しています。
今日お会いした方に「政治活動は規制されるのだから、候補者じゃなくても更新しては法に抵触する」と注意を受けました。好意での忠告です。 勿論、特定の候補者の名前を記載したり、その活動を伝えたりすることは、文書図画の配布と同じように法律違反となります。候補者の個人名などは限られたもの以外に掲載することはできないのです。公設掲示板のポスター・本人の襷・限られた台数の選挙車・選挙事務所看板・提灯・演説会場看板・法定ビラ・・・などです。 ですから、私は選挙公示後、選挙区立候補者一覧を記載した以外は、候補者誰の個人名は勿論、自らが応援する予定や結果も控えています。よって、通常に活動記を記載し続けても法に抵触しているは考えていません。
これって、間違いでしょうか・・・?
ですが、ちゃんと総務省に確認してみようと思います。
2004年07月03日(土) |
合併に関する今後の予定 |
昨日、議会の合併問題特別委員会が開催されました。 主には8日に開かれる第3回相模原・津久井地域(任意)合併協議会での協議内容と報告内容の説明等でした。 継続審議となっていた、合併の方式や新市の名称の他、組織などのコンセプト等目白押しの内容となっています。本格的な議論が起きる(?)と思われます。
さて、そこで改めて今後の予定を記載してみようと思います。
相模原・津久井地域(任意)合併協議会 第3回 日時:7月8日(木)午後2時から 会場:けやき会館5階 傍聴:100席
第4回 日時:8月4日(水)午後2時から 会場:県立相模湖交流センター 傍聴:200席
まちづくり将来ビジョン検討委員会 第5回 日時:7月12日(月)午後3時から 会場:ウェルネスさがみはら7階 傍聴:50席
第6回 日時:7月31日(土)午後2時から 会場:城山町立保険福祉センター1階 傍聴:70席
議員の定数等に関する検討委員会 第2回 日時:7月5日(月)午後2時から 会場:城山町立公民館 傍聴:100席
第3回 日時:7月28日(水)午後2時から 会場:けやき会館5階 傍聴:100席
以上ですが、当面の重要なポイントと思われる会議は、7月8日と7月28日でしょうか。勝手な想像ですけど。 どうぞ、お時間の都合がつきましたら傍聴にお越しください。
2004年07月02日(金) |
民主党支部政策調査委員会 |
参議院議員選挙最中ですが、標記の今年度第5回目の会議がありました。不詳、私が委員長です。先の国政報告会を主催したのもそうです。
今回は12名もの参加で開催しましたが、議論(?)百出で、流石は政調を希望して自主的に所属している方ばかりと関心ばかりしていました。 一方、いろいろ積極的な意見がでると言うことは、それだけ活動や事業が増えることになる訳で、正直、痛し痒し・・・です。自らの政策勉強や後援会活動とは別に行うことになるからです。ただでさえ、能力のなさから一杯一杯の自分なのに・・・です。
しかしながら、政党支部の在り方としては、決して間違っていませんし、その真剣な思いは大変重要なことであります。結局、当初予定していた事業計画よりも更に数事業をプラスして行うことになりました。参議院議員選挙が終了後に直ちに活動開始しなければ、とても年内にできないことばかりです。
「ふぅ〜」
こうなったら、「最優秀委員会賞」でも取るつもりでやろうと思います。とは言いながら、そんな賞なんてないので、役員の皆さん考えておいて下さいね。。。
2004年07月01日(木) |
頑張れ!!「さがみはら元気隊」 |
学生を中心に「相模原を元気にしよう」と3年程度前に結成された「さがみはら元気隊」の久しぶりの会がありました。一時は、5〜60人もの若者が集ったイベントを数度となく行っていましたが、就職活動や内部事情で活動が休止をしていました。その再開に向けた第一歩です。
今でも憶えていますが、「私たち若者が少しでも頑張って、相模原を元気にしたい」と目を輝かせて私の前にいた数名の学生。「よし、やろう!」と直ぐに同調し、アドバイス(?)や多少の環境整備、仲間の紹介など、ホンの少しですが設立から携わっていました。自称(?)「元気隊顧問」であります。
彼らの特に素晴らしいことは、前向きである点です。 一度、挫折や頓挫すると終わってしまうことが多いですが、立ち直り、当初の目的を目指して前向きに進み始めました。
そうだ、それでこそ若者だ!一度や二度の失敗なんて気にするな! また、あの登り旗を掲げて若者らしく、元気に頑張ろう!
おっサンだけど、心から応援するぞ!!
|