神奈川県議会議員「長友よしひろ」活動記
政治家としての日々の活動や感じたことを記載しています。
ご意見・ご感想などは掲示板へお願いします。

2003年07月31日(木) 会派視察

初めて会派の4人で視察に行ってきました。函館市と室蘭市です。
函館では1)市役所の出前口座・2)福祉のまちづくり条例、室蘭では1)議会インターネット放映・2)PCB処理施設建設と様々な環境施策への取組、以上について市役所の担当から話を聞くのと、それぞれの町での反応を聞くなどしてきました両市とも感じた事ですが、市長なり職員なりが常に市外に対しアンテナを張り、新たな取組を考えている結果のようでした。。併せて、視察項目には入っていませんが、財政状況や将来の見通しなども聞いてきました。道内では比較的よい方らしいですが、双方共これからの分権の流れでは大変厳しいだろうと思います。道内では比較的大きな町であるにもかかわらずです。つい自らの町や近隣と比較をしてしまうのですが、やはり地方に行けば行くほど厳しい数値があります。なかなか難しいものです。



2003年07月27日(日) 民主と自由の合流についての私の考え。。。

報道されて以来、様々な方から色々なご意見・ご比判・ご声援をいただきました。
まず、私自身の今後についてです。
党籍を有している自由党が9月中(たぶん20日頃)に無くなります。その時点で新党に入党しないと無所属になります。今後の推移を見ながら然るべき時機に、後援会や藤井幹事長と相談し決めたいと思います。
次に、民・由合流に思うことです。
最初にこの世界に足を踏み入れたのは、19歳の学生の時に藤井裕久先生の事務所の門を叩いてからです。当時は自由民主党でした。小僧の使いから始まり、徐々に色々なことが見え仕事も任される様になり、大学4年の時に初めて解散総選挙がありました。忘れもしない平成5年6月18日解散です。そして、藤井先生は新生党と結党しました。
その時の選挙戦で藤井先生が言っていた「政治改革を成し遂げ、2大政党を目指す!!」の言葉に血が沸いたのを憶えています。以来、微力ですが私も藤井先生の基でその実現に向けて活動をし、その背を追いかけ取り組んできたつもりです。そして、その気持ちは今でも変わることないものです。
長い話になりましたが・・・
議員内閣制である我が国では国会議員(衆議院議員)の数が多いところが政権を取ります。政策を実現するためには、国家の舵取りをするためには、政党であるならば政権を目指さなければなりません。そして、その為には選挙に勝たなければならなりません。
安心して暮らせる日本をつくる為に、2大政党を目指し、政権を目指し、選挙に勝たなければならない・・・。様々な問題点は確かにあります。いつか来た道の新進党にならない保証はどこにもありません。
が、しかし、大同小異に立ちこの流れに賛意を表したいと思います。



2003年07月25日(金) 学生のインターンシップを受け入れました。

前に記載した学生インターンシップの説明会を受けて、私に希望をしてきた学生がなんと2名もいました。何を思って選んだのか話を聞きましたが、何にしても希望してきたので両名とも受け入れることにしました。
何せ初めてのことですし、自分自身のことで精一杯なので、手探りでのスタートとなりますが、両名とも誠実でやる気があるので一緒になって頑張ろうと思います。
1人は8月末でもう1人は9月末までです。
一緒にまわったりするので、どこかで見かけるかも知れませんが、どうぞ宜しくお願いします。
ちなみに、両名とも男性です・・・



2003年07月24日(木) 初めての基地対策特別委員会

前期の4年間、特別委員会は全て防災対策特別委員会に所属していました。
いくつか目標にしていたのがあったのですが、その内の一つであるキャンプ座間内の自衛隊の相模原分への拡張(手狭なため)が出来たのと、会派内の調整で初めて基地対策特別委員会の所属になり、第一回の委員会が開催されました。
主には市役所の担当から基地に関する情報や騒音などについて報告がありました。その後、質疑が行われました。
その中で、南部地区の騒音について「防音工事が何の意味をないしていない。新たな対策、実のある防音工事を行うべき」との山下委員の指摘は、苦しんでいる地域ならではと思うのと同時に、果たして市として出来る物なのかと疑問を持ちました。硫黄島への訓練飛行移転も全体の3割程度だとか・・・。
日米安保がある以上、東アジアの情勢からも米軍の必要性は一慨に否定できない以上、米軍基地が存在し続けます。
一方、それにより「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法25条を侵すような事態が存在しているもの事実です。
予算が絡み難しい問題であることは承知しますが、山下委員の意見の通り「実のある対策」を行わなければ・・・どのようにすれば良いのか正直まだ私には判りません・・・。



2003年07月23日(水) 民主党と自由党の合流!!

読売新聞が最初にすっぱ抜きましたが、本日党首会談が行われました。
私自身、自由党に籍を置いているので他人事ではありません。
が、今回は合意文章の全文掲載のみにし、私のコメントは後日にします。
ゴメンナサイ・・・


民主、自由両党の合併に関する合意書(全文)

 日本は経済、政治、社会のあらゆる分野で弱体化し、進むべき方向性を見失っている。その最大の原因は、政治が真の意味での指導性を発揮していないことにある。今日の自民・公明連立の小泉政権に真の指導性を期待することができないことは、この2年間の小泉政治を見れば誰の目にも明らかである。日本再生のためには、自民党内の総理交代ではなく、政権与党と総理を替える本格的政権交代が何よりも急務である。
 平成5年の細川政治改革政権により、政権交代可能な小選挙区中心の選挙制度が導入されたが、その後の2度の総選挙では野党間の選挙協力体制が構築できず、政権交代は実現していない。「仏作って魂入れず」の状態にある。よって両党は「小異を残して大同につく」覚悟で、左記のように合併することで合意した。



民主、自由両党は平成15年9月末日までに合併する。
両党合併に伴う存続政党は民主党とし、現在の自由党は合併と同時に解散する。
合併後の新政党の代表は民主党の菅直人代表とし、新政党の運営は現在の民主党執行部によって行う。
合併後の新政党の規約、政策、マニフェスト等は、現在の民主党のものを継承する。
総選挙の候補者調整及び擁立は、平成15年9月の両党合併までに完了させる。
なおその際、小選挙区の候補者調整については、前回小選挙区で当選した者及び比例区との重複立候補で当選した者のうち、惜敗率の高い者を優先することを原則とする。
両党の合併を円滑に実現するために、両党は速やかに両党幹事長を責任者とする「合併準備委員会」を設置し、合併準備を進める。

平成15年7月23日

  民主党代表 菅  直人
  自由党党首 小沢 一郎



2003年07月22日(火) 何故か寝てしまう・・・

夜、予定が入っていないとき、なるべく子供を寝かしてあげるようにしています。夏休みに入ったので通常よりは少し遅く、大体8時半ころから9時半の間位だと思います。
ところが、寝かしつけていると一緒になってつい寝てしまうんです・・・
気が付くと午前2時とか3時とか・・・。しかも何故か気分爽快!!熟睡してるのでしょうか。その後、パソコンに向かい仕事をする。5時頃に新聞が来るので、ざっと目を通し5時半頃に再び寝床へ。あるいは、そのまま起きていて駅頭へ。寝ている場合は子供に7時過ぎに起こされる・・・そんな感じです。
仕事上は効率が上がって良いのですが、夫婦の会話をする時間が全くなくなってしまった・・・。ただでさえ少ないのに・・・。
さてさて、困ったことです。。。(って妻の言う台詞ですね・・・)



2003年07月20日(日) 第14回町田・相模原若手市議勉強会

相模原の住宅政策について勉強会を行いました。
参加者は友井かずひこ(町田)、若林あきよし(町田)、寺崎雄介(相模原)、小池義和(相模原)、私、友井塾生(学生)の計6名でした。
特に公営住宅については、一体どれくらい必要なのかの数値と住宅困窮者の内、最も所得が高い階層への対策が難しい判断だと感じました。
尚、勉強会開催後に今後の予定を検討しましたが、新しい参加者もいるので、再度自治体合併の必要性に関する勉強会を行うことにしました。
また、既に7月5日に相模大野駅で第1回目を行った「広域まちづくり 街頭なんでも相談会」を今後展開することが決まりました。
次回以降は、8月2日(土)午前11時30分〜午後2時30分 JR町田駅北口、9月6日(土))午前11時30分〜午後2時30分 JR橋本駅北口で行います。以後は原則、毎月第1土曜日の同時刻に各駅で開催予定です。
見かけましたら、是非お声を掛けてください。。。



2003年07月19日(土) みっぱらトーク21放送再開決定!!

選挙活動に突入するにあたり放送を自粛していたFMさがみ(83.9MHz)での「みっぱらトーク21」が、約半年振りにいよいよ再開することが決まりました。従前と同じ様に私と寺崎雄介氏の二人で進めることになります。放送時間については現在調整中ですが、基本は日曜の朝8時か9時になりそうです。何れにしても詳細が決まりましたら改めてお知らせします。7月末か8月頭のスタートになります。
このHPでの文字では伝えにくいことや時事テーマなど様々な情報を発信して行きたいと思います。



2003年07月18日(金) 議会制度検討協議会の結果

標記第2回目が行われました。
実質的な最初の協議でありますが、前期からの検討積み残しについての取扱を協議しました。
まず総括質疑を含めた議会の流れについてを最初に検討し、次に議会だより、次にその他を行うことが決まりました。
文字で書くと簡単なのですが、何年もかかって進まなかった案件ですし、議会の流れなどは何十年と続いている仕組みを検討するので、入口から様々な思惑が交差し今後の進捗を暗示させるような気もしました。
合意事項としては、検討協議を進ませるために最初の「総括質疑を含めた議会の流れ」について、次回開催日までに各会派の最も良いと思われる相模原方式を書面で作成してくることになりました。



2003年07月17日(木) 「市民の意に背く」とは何?・・・かなり怒っています!!!

相模原市議会をよくする会という市民団体があります。前期の4年間ほとんどの本会議や委員会を傍聴され、議会毎にThe Galleryなる機関紙を発行しています。
今まで私も良いこと悪いこと様々書かれました。私などは良いほうで、他の議員に至ってはかなり過激なことを書かれている方もいました。あまり多くは述べませんが、「当たらずとも遠からず」的な部分も多かったので、ある意味仕方がないと思っていましたし、先方から意見があれば色々と話をした経過もあります。
が、6月定例会ごに発行された第17号に掲載されていた私に関する内容で、どうしても納得できない部分がありましたので、それについて問うことにしました。
掲載内容は・・・
「陳情審査で、最下位当選の藤井委員の活発な質疑に反しトップ当選の長友克委員は全く質疑なし。市民の意に背く。」です。
それに対し、私が会に問うた書面は以下のとおりです。
少し長いのですがご容赦ください。。。

「藤井議員の件については何も申し上げることはありませんが、質疑を行わなかった私について『市民の意に背く』とはどういうことでしょうか。
現在の相模原市議会の制度は、陳情に対しての質疑は陳情者に行うことができません。必然的に行政職員に対してのみ行われています。そして、内容は専ら陳情趣旨や陳情項目に対する市の見解や国の動向を聞くことに終始しています。中には自らの意見を述べたり、方向性の提案を行う場合もありますが、本来それらは討論で行うべきものと私は考えます。
そして、今議会総務委員会で扱われた陳情5件についての市の見解や取り組み状況は既に承知していましたし、4件については国への意見書提出依頼の内容でした。また、私自身の陳情に対する考え方もまとまっていました。
よって、あえて市に対し質問をする必要がないと判断しました。陳情者が市に対して質疑をしてほしい、或いは市の見解を聞いてほしいとの願意ではないと判断したことにもよります。
しかしながら、市民(市内外)からの陳情に対し何等意思表明を述べずに採決することは不適切であるのと同時に、自らの意見を述べ方向性の提案を行うことが議員の責務であるとの考えから、全ての案件について討論を行いました。全ての案件について討論を行ったのは総務委員会では私だけです。
陳情について市に質疑をすることが『市民の意に副う』ことなのでしょうか。私はそうは思いません。この記事を書かれた方(傍聴し感想を持った方)が、何を持って『市民の意に背く』と言い、記事を掲載された貴会が、何を持って『市民の意に背く』と判断され掲載したのか私は理解に苦しみます。
記事を書かれた方が私に投票した方かどうかはわかりません。仮に投票した方だとして、そう思われたのなら仕方がありません。また、私が何も発言せず漫然と時を過ごしていたなら甘んじて『市民の意に背く』の言葉を受け入れます。しかしながら、私は全ての陳情に対し明確に意見を述べ、私が考えるべく市の取り組みについて提案を行いました。そして、これらの行為と内容は私に付託された『市民の意に背いている』とは断じて思いません。ご見解をお聞かせ願います。」

皆様はどのうように思われますか。



2003年07月16日(水) 全国若手市議会議員の会総会研修会

年一度開催されている標記に14日15日と参加してきました。開催場所は静岡市です。総勢70名を超える仲間が集まりました。その折に新たな名簿が配られましたが、統一地方選挙後に新規加入した方を含めると220名を数えていました。地方議員の任意団体でこれほどの数を有するのは類がないと思います。
総会や研修会の中身は勿論ですが、何よりも全国の仲間や新たな議員と会えたことや様々な意見交換を久しぶりにできたことは本当に有意義な時間をすごせました。
中には、学生のころよりの知人もいました。
また再開を期しながら一泊二日の日程を終えました。
来年度(本年9月から)は関東ブロックの代表として全国の理事になりますので、更なる連携や研修を積極的に催したり参加したりしたいと思います。。。



2003年07月13日(日) 大沢地区の子供たち

私は相模原市の大沢地区に住んでいます。生まれも育ちも一緒です。
この大沢地区の子ども会では地区内の各子ども会で野球チームやドッジボールチームが競技大会を開いています。今年で36回目だそうです。
その開会式に出席してきました。
お父さんやお母さんを始め、地域の団体の方が集まり、皆で地域の子どもたちの為に準備やらコーチやらしている姿は、大変すばらしいことだと改めて感じました。
親と子と地域が一緒になって運営している姿をこれからも続けてほしいと願うと同時に、そこに生まれ住み、子を育ている一人として何ができるかを考えるきっかけになりましたし、続けられている地域が自分の町であることを誇りに感じた次第です。



2003年07月11日(金) 厚木市議選に行ってきました。

7月13日(日)投開票で厚木市議選が行われています。
知り合いの選挙事務所に陣中見舞いに行ってきました。
ポスター掲示板を見て目を引いたのは、20代30代の若い方が多く立候補していることです。先般の統一地方選挙も同様でしたが、神奈川県内は本当に若い方の挑戦が多くなったのではと思います。もしかしたら、全国的な流れかもしれません。
結果はどうなるか解りませんが、若い方が当選した暁には、是非連携を図っていきたいと思います。
それにしても梅雨の選挙は雨ばかりで色々と大変でしょうね。4年前初めて立候補した統一選を思い出しました。あの時は本当に雨ばかりでした・・・。



2003年07月10日(木) 大変勉強になりました農政懇談会

例年、この時期に各地で地域代表の農業委員と農家との間で農政懇談会が開催されるそうです。いままで、このようなものがあることを知りませんでしたが、農業委員になったので地元大沢の懇談会に参加することができました。
正直、農家の方々のご意見を伺うことが今までありませんでしたので、大変勉強になりました。
出ていた意見の中で、特に気になったのは・・・農家の後継者対策と生業支援策を別立てて行うのは間違いである・・・との意見です。
農家が儲かるなら必然的に跡を継いでくれる。後を継いでくれないのは生活が苦しいから。だから、流通から消費者に至る点までを考えた中での対策を講じなければ無意味であると言うことだと理解しました。
聞いてみれば当たり前のことなのですが、恥ずかしながら目から鱗が落ちた心境でした。農業特区だとか農地の不法使用取り締まりだとか言う前に、都市農業と生産者をどのように確保するのかの基本部分が相模原市として確立できていないとの指摘は、正にその通りです。
行政の方々も納得できる話ができていませんでした。たぶん、質問者や出席者は不完全燃焼というか苛立ちを憶えたことでしょう。
「勉強になった」の一言では済まないことなのですが、私なりに対策を考えて提案できるように頑張りたいと思います。。。



2003年07月09日(水) 県議会の混迷・・・なぜ? その2

神奈川県議会の委員会が紛糾しているそうです。
先般の本会議に引き続いてです。
いくつかあるようですが、新聞報道で気になった点が2つあります。
1)住民基本台帳ネットワークシステムについて知事が選挙戦で提示したマニュフェストと本会議答弁が異なる点。
2)ある第3セクターについて知事会見で「失敗であった」と発言した点。
これらを含めた点について、委員会での職員答弁の不十分さ(質問者が言うところ)の発言調整や知事出席要求によるものだそうです。
紛糾し時間がかかる点などは県民にとって不幸なことかも知れませんが、以上の2点については追及している側の論理に軍配を挙げたいと思います。
選挙で掲げた公約やマニュフェストで変更ないし取り消しをするならば、それなりの場面で理由と反省(釈明)を述べて県民に対し示す必要があると思います。また、職員が知事の意向を受けて行政補助者として納得できる回答が述べられないならば本人に聞くしかありませんし、考えを徹底できていない知事の指導力不足が指摘されても仕方がありません。改選後間もないので、細部まで行き渡っていなかった点を差し引いても、知事と職員の間にこれほど大きな温度差があるのでは円滑な行政運営を図ることは難しいです。
他の点については何とも言えない部分もありますが、この2点については単なる「揚げ足取り」や「いじめ」と捉えるのは些か問題です。(このようなコメントが知事を支持している議員からあったそうです)
政策や基本の考え方に対する議論は多いに行うべきです。そのことが多くの議員が選挙時に訴えていた「活発な議会」につながるはずだと思います。。。



2003年07月08日(火) 11月9日解散総選挙説

政府与党関係者が日程調整に入ったと報道がありました。
前々から予想していた日程と同じでしたので、「やはり!!」との気持ちです。
国政選挙に関連した地方議員の立場は様々です。まったく関係ない人もいますし、積極的に携わる人もいます。私は過去の経緯も含めて後者です。
地方議員を務めていて感じることが多々在るなかに、国政の動向に地方が左右される事です。翌も悪くも「国の動向が・・・」「法律が・・・」との言葉が出てきます。当たり前のことですが、国民としては勿論、地方議員としては国政選挙は大変重要なことであり、地方政治(自治体行政)上避けて和通れない事柄です。
幸い(?)にして、10月11月は議会開催月を外れています。自らの活動とのバランスはありますが、頑張って臨みたいと思います。(でも、一番大切な準備期間である8月9月は、最も大変な決算議会なのです・・・)



2003年07月06日(日) 微妙な気持ち・・・学生インターンシップの説明会

学生の地方議員インターンシップ斡旋を行っているNPO法人の説明会に初めて参加してきました。
簡単に述べると、学生と地方議員との橋渡しとして就職活動で言う合同説明会的なものです。前半と後半に別れていて、私は後半で他十数人の地方議員と一緒に60名余りの学生と接しました。
最初に一言ずつ議員が全体に対し挨拶を行った後に、議員毎にテーブルを設け、学生が興味のある議員の所に10分づつ計4回話を聞きに行く流れになっています。
廻りを見たら、ほとんどが東京都内の市区会議員でした。学生は東京在住在学が多いので当たり前の話しですが、「ブースに誰も来なかったらどうしよう・・・」と些か心配をしました。ほんの数十秒待つだけなのですが、4回とも何か不思議で微妙な気持ちになりました。
幸いにも、最初3名・2回目3名・3回目1名・4回目2名と来てくれました。ただ、周りを見ると多いところでは1回に10人位集まっているブースもありました。
今後は、学生が各々事務局に個別面接の希望を出し、日時等の調整も含めた連絡がこちらに入るとの流れだそうです。
さて、誰か申し込んでくるのでしょうか・・・。



2003年07月03日(木) 大変お世話になりました。どうぞ安らかに・・・

昨日、私が学生で秘書見習い時代よりお世話になった方がお亡くなりになりました。享年87歳です。
初めての選挙のときも、今回の選挙も様々ご厄介になりました。特に今回は、一時体調を悪くしたにもかかわらず、事務所開きに来ていただき乾杯の音頭を行ってくれました。
本当にお世話になりました。
どうぞ安らかにお眠り下さい。ご冥福を心からお祈り申し上げます。。。



2003年07月02日(水) 関東若手市議会議員の会「研修会と総会」

衆議院の第2議員会館会議室で行いました。
約50名程度出席していたでしょうか。関東各地より集まりました。久しぶりにお会いする方や新人の方など様々な意見交換の機会にもなりました。
総会では関東ブロックの代表として全国の理事になることが決まりました。まだ、ピンときていませんが、しっかりやっていこうと思います。
それにしても、研修会・総会とも活発な意見や議論がなされました。通常、この手はシャンシャンが多いのですが、若い故か、意識の高さ故か、流石だと思いました。議論により見いだせたものもありました。
このような一つ一つが私自身の刺激となり糧となり取り組む意欲に繋がっています。
今後は年4回の研修会を行うこととなります。10月の最初の研修会は神奈川の地で開催する要望がでました。次年度の佐賀会長(藤沢市議)や他の仲間と相談して有意義な研修会を開催したいと思います。。。



2003年07月01日(火) 県議会の混迷・・・なぜ?

松沢知事と県議会がもめています。
知事の住居のある場所(東京都狛江市)と住民票がある場所(川崎市多摩区)が違うことに端を発しています。
首長は選挙区以外の住所(住民票所在地)でも立候補ができます。松沢知事の場合、立候補は問題ないのですが、居住をしていないにもかかわらず住民票をおいて投票を行ったことを問題として県議会の自民・公明・県政が取り上げたのです。そして、本会議での答弁などでは納得できないとして一時空転。日付が変わり次の日の朝まで続いた次第です。結果、地方自治法98条に基づく、議会の検査権限の行使を求める動議が可決し、特別委員会の設置に至りました。
確かに、報道を見る限りでは松沢知事の行動や答弁に問題があるとは思います。が、私がもっとも問題だと思うのは、与党を標榜している会派議員です。
自民や公明などの会派は、先の知事選で他の候補者を推していました。結果、野党宣言をしています。つまり、知事とは考え方が違うので、様々な場面で闘うとの意味です。本来は政策論争として行われるべきとこですが、今回のケースも含めて闘うことは戦略上(県政上)あるべきことの一つだと思います。
では、自ら「与党」を名乗っている会派はどうでしょうか?
動議反対の討論をやったとかあるようですが、報道を見る限りでは、事態収集に積極的に動いている様子がありません。(実際、現場を見ていないので、あくまでも報道上)
松沢知事の応援隊なら、今回の野党の行動に批判を述べるなら、県政を県民の為に行うなら、体を張ってでもこの異常事態の収集を行うべきです。行えなかった責任は非常に重いと考えます。
他会派の批判は結構ですが、まずは自らの力不足を反省すべきです。でなければ、「与党」などと軽々しく言うのは止めるべきです。そして、一刻も早く県民のための本来の県政に戻すべきです。でなければ、今後も混迷し、最後には不信任にまで発展する可能性があります。それこそ、県民に取っては不幸なことになります。何人もの優秀な方が選ばれているのでしょうに・・・これじゃ、あまりにも腑甲斐無いではありませんか・・・。
もし、渦中の方がこれをご覧になり、ご意見がありましたらお聞かせ願います。。。


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