99745..チェリー
心情というもの。
2008年04月28日(月)
今日は、訪問看護師さんと、人との信頼について語り合った。

なんか、いろいろ難しい話…。



私は、医療者との間で、いろいろあったのもあり、それはこの日記には書けない書けてないこともあるのだけれど、今日は、ふとその核心について、初めて話した。
誰にも話さなかったし、話すつもりもなかったんだけど…。



「同じ医療者でも、それぞれ違う。」
「あの時の環境と、今の環境は、違うと感じたならば、私達を信頼してみて?」と。

私は、自分で言うのも何だけど、人の状況とか立場を理解し過ぎて、相手の話がどうも筋が通っていない…と感じても、それを、受け入れなきゃ…と努力してしまう。
大抵の人は、何かのせいにして、本意はやりたいけどできない(周りや環境のせい)と、自分は決して、悪くないと、どうしようもなく、仕方ないのだと、言うから…。

たぶん、私は、肝心な所で、相手を責めるよりは、自分を責めがちなんだと思う。



何かねー、去年の今頃も、とある出来事で辛かったんだけど…

今年も、思い出される再会があったし…。



できれば、関わりたくない、距離を置きたい。
と、感じる人間関係ほど、自分自身の意識とは、正反対に、相手に寄られるものだ。

そして、妬まれたり、恨まれたり、ケンカ吹っ掛けられたり、いつの間にかされてしまうから…。



あと、知りたいことを聞き出したくて、親しみを示した表情で、寄って来られるのは、犬のしっぽがケンカ心みたいに、ピーンと張るみたいに、何となく、臭いを嗅いでしまう…。

ヤダヤダヤダ…。

人間関係は、そういう繋がり方は、したくないものである。



うちの母親は、泣いてまで、人生においての、誠実に人と向き合うこと、後ろめたいものがない、潔白な生き方を、そう生きてゆく正しさを信じて、そうありたいと、マジ泣きして、語る人だから…。

いや、100%誠実で潔白な人はいないだろう、きっと。
自分だけが正しいと、主張する怖さ…みたいなものを、感じる私でもあるのだが。



逆に、そうしたくなくても、守るべきものがあり、または自分に甘い、可愛いのは人間の性で、

行きたくない方に、楽な甘い方に流されて、そうじゃないのに…と。
今の損得だけを選択して、生きるしかない。
(私は、そういう生き方には、嫌悪しているが…。)

そういう、悲しみは知らないんだと思う。



母は、私にも、他人にも、同じく誠実であろうとする姿勢から、特別(娘)という意味で、私を甘やかしたり、庇ったりされたことはない。

例えば、大切なものが1つしか選べない状況になれば、手段を選ばざるを得ない状況もあるかもしれないし、常に誠実だけでは、生きられない場合も生まれるんじゃないか?と…。
(だけど、自分の欲望を優先すれば、周りを振り回して、傷付けてしまう。そのことにさえ、本人は、気付いていない場合もある。
自分以外の、周りを見渡したり、見ようともしない…無神経さ・無意識さが、私には受け入れ難く、嫌悪感を抱いてしまうのだが…。←そういう私も、人間できてないが…汗)


だから、何が正義で、誠実であるか?は、自分の心の持ち方(信念)も大切だが(もちろん)。

人は、間違いを繰り返す。

人生は間違いだらけで、世の中は矛盾だらけで、それが真実なんだと思う。



だけど、信念を貫き通すママンは、尊敬する、とも感じるが。
(私は、基本的に、親は、人生で初めて出会う他人だと思ってるので…。うちの家族は、家族であっても、個人主義を大切にしてる関係かな…☆)
今を見よう〜前を向こう☆
2008年04月25日(金)
昨日は、神経内科(大学病院)の診察に行きました!
今年の1月以来です(3ヶ月ぶり)。

地元の病院の神経内科と眼科にも、通院しているのですが…(そこは消化器科が閉鎖されて、ない)。
外来〜在宅パルス以上の治療は無理なので、何かあれば、大学病院にお世話になるという形で。

その先生には、去年〜クローン病が悪化した時に、消化器科を紹介して頂いたりで、すごーく心配して下さっていたので、結果報告をしました☆
まぁ、カルテを見ればわかるし、すでにご存じみたいな印象でした。

しかし、昨日は、予約の方が、2時間遅れで(!)、私は予約外だったのですが、2時間ちょい待ちました。
先生が、「すみませんが、予約の方を先に診察したいので、お待ち頂いて構いませんか?」とおっしゃられたので、「もちろん、いいですよ〜♪」と、先生はお疲れなのに、診て頂くのが、申し訳ない気分でした…。。。

予約の当日に、体調が悪くなる→予約外の日に行くことになる。というサイクルを、何としても変えないと!
予約前日以降は、電話で、予約取り直しができないのが、難点なんですよね…。

今日だけが、こんなに混雑してるんだろか?と思ったら、いつもこんな感じだそうです。
医師1人当たり、1日に35人以上もの患者を診る。
先生は、お昼ごはんを食べる時間もなく、医師の疲労も凄まじいものがあるだろう…。

そして、今の私の麻痺や痺れに関しては、発病当初の、後遺症が大きく残ってるから…という結論で。
そういう先生の意見を聞かせてもらって。

MSとして大きな再発を起こせば、今以上に、ドーンと悪くなり、私の場合は、すでに、寝たきりや失明になっている、と…。
だから、今の所、小さな再発を繰り返してるのかな?というお話でした。

その小さな再発が、本当の再発なのか?病気の後遺症として残ってるものが、体調が悪くて、出るのか?
判断は難しい…と。

それくらい、発病当初の再発が大きくて、後遺症も残ってるから、今治療したからと、それは、どうしようもない…と。

私は、病気が判明するのが遅れて、発病当初は、心因性という疑いで、全く治療もなされなかった。
あの時に、治療してれば…と、また思えてきて、悔しくなったのだ…。

そして、今度、大きな再発をすれば、また後遺症が残れば、寝たきりや失明する確率が高くなると言われているし、でも、そんな再発するか?わからないことを考えて、今を不安に暮らしても、仕方なくも感じるし…。

小さな再発も、治療しなくて、放置して、また何年か後に、後悔することになれば…とも思ったり…。

だけど、こう治療すれば絶対的ベスト!だとか、言えないことが多い病気だと、私は思ってるから、自分が選んだことを、何かや誰かのせいにしたくなく過ごせればと、今の所は思っています。

誤診の体験も、1つの病院や医師を信頼するのではなく、病院を早く変わればよかった…という私側の責任もある。
医師も間違うし、絶対的ではない。という教訓にもなった。
また医学でわからない部分は多いし、医師にもわからない部分があるだろう。

難病の治療は、進んで欲しいし、患者側の勉強も必要だろう。
だけど、私は、医師は絶対的ではなく、自分の知識も絶対的ではなく、常に迷って、選ぶのだろうなぁ…と思う。
医療や治療って、迷うことの繰り返しだと感じる。

そして、結果だけはきちんと出るが、結果論で過去を見れば、後悔することもあるだろう。
自分にできる反省をして、それを今に生かす。
そして、また間違い…そういう繰り返しなのが、人生なのかもしれなくて。
誰かや何かや自分に、100%完璧なものを求めるのは、不可能なんだということだ。
例え、えらい人でも、間違いがない未来を保障してくれなく、100%安全な医療もないのかもしれないなぁ…と。
これはあくまでも、私の考えです。

私は、治療について、感傷的に向き合うのではなく、あくまでも、客観的に医師と向き合いたいが。
だけど、病気との付き合いが長くなり、まして治療が好転しなくて、障害が進行すると、人生について、精神論で結論付けてしまいがちになる。

また治療についてを論じるよりも、患者側としては、医師の顔色を伺ったり、自分の体の苦痛に、例え、口先だけだったとしても、理解して下さる先生、自分の思い通りに、検査や治療を動いて下さり、安心させてくれる先生。
などに、心証を向けがちだ。

何を求めるかは、患者それぞれだけど、私は、そういうものを、過去に求めてきたんだと思う。

今も、どういう風に、医療や病気と向き合えば?付き合えば?ベストか?わからないが、自問自答するしかないのだなぁ〜。
そして、全て、求めてものが揃った場所は存在するわけがなく、何を得て、何をあきらめるか…かもしれなく感じる。

患者だって、人間だから、精神的に満たされることは必要だし、ロボットのように、治療について、冷静に客観的には向き合えない。
私は無理。

どうしても、病気が悪化すれば、感傷的になるし、病気を治して!と求めては、現実を非難してしまう…。

そして、闘病のみで生きていけなく、生活が続いてく。
難病の治療にも、お金がいる。
お金、お金、お金…。
そういう生活圏の悩みも、ふつうにある。

不治の病をテーマにした、ドラマみたいに、生活感がなく、感傷的な・ドラマチックな毎日などないのだなぁ〜。

家族を大切にしたいし、生活もあるし、自分の病気が一番。
病気なんだから、尽くされて当たり前(患者の治療優先)。

というドラマみたいには行かないし、現実は、行くべきじゃないのだろうと、私は感じる。

強くなれよ、自分!
自分の足で(心の)、立て!

と、強く思う。

人は、個々、強く弱く生きてるのだなぁ〜。

生命の神秘さを感じるね。
→やはり、客観的ではなく、感傷的に論じてしまう私…。



2年くらい前の自分と、今は違う。
医療者への不信感が和らいだなぁ〜と感じるのです。
あと、後悔したくない!と、がんじがらめになってた私と向き合う医療者は、いつだって、ピリピリ?恐怖感を感じさせてただろうなぁ…と。
最善を望む思いは、今もある。だって、自分の体だから。
現状と、医学の知識や技術的に尽力を尽くさず、精神論で片付けられるのも、嫌だが。

病院での人間関係が変わったのもあるだろうし、少しは、私自身も変わったのかもしれない。
悪循環が、好循環に変わったのかもしれない。

全てに、感謝☆
そして、また悩みながら、生きてくのだろう。



長々とすみません…。
あと、あくまでも、私の主観的な考えです。
高熱とエレンタール
2008年04月17日(木)
先週1週間、39度を超える高熱にうなされました…。
始めは、少し胸に違和感を感じるくらいで、風邪症状もなく、いきなり高熱が出て、「もしかしたら、腸の炎症からの熱?」と(ちょうど下血もしてたから…)、大腸カメラをすることに…。

だけど、時間が経てば、喉がめちゃくちゃ痛くなり、扁桃炎であることが判明。

大腸カメラは中止して、在宅にて、点滴→抗生剤で、何とか、熱も下がり、扁桃の腫れも治まりました。

人生で、あんなに喉が痛くなったことはない!ってくらい、激しい痛み方でした。
(まだ救急車に乗った時の腹痛に比べれば、ましだけど。)



そして、今週の消化器科の診察で、エレンタール(成分栄養剤)を始めることになりました。

栄養状態が悪いらしくて、この3ヶ月で7.5キロ痩せました。
始めは、これでも乙女ですから、体重が落ちて、うれしかったんだけど…。
だけど、フラフラしたり、ダルさが続いたりで、それは栄養状態が悪いかららしくて、これ以上、体重が下がると、入院してIVH入れないといけないと言われまして…。

とりあえず、エレンタールで、体重減少を止めれるか?って所です。
でも、エレンタールは、まずい…。
飲めない患者も多いそうです…。
きちんと飲めないと、カロリーは取れなく、意味がない(家で在庫を貯めたら、処方する意味がない。)。
ということで、「飲めるようならば…。」と1週間分だけ処方してもらいました。
まずは、エレンタールボトルを、1日1本です。

クローン病を発病した時に、エンシュア、ラコール、ツインライン、MA8など、飲んで生きてた私ですが…。
確かに、味はまずい…(汗)
しかも、水分だから、お腹ポチャポチャになるし、お水系がむせてしまうから、好きではない私には、辛い…。
あと、エレンタールでも、下痢や腹痛が出てしまう患者さんもいるから、どうだろう?という感じです。

消化器科の主治医は、穏やかな先生で、私の気持ちとも向き合って下さるから、無理強いはしません。
ご自分で、エレンタールも味見されてるらしく、検査も辛いという思いもわかって下さいます。
だけど、踏み込まないといけない所は、検査は必要と言って下さるし、そういうタイミングを考えて、きちんと説明をして下さり、信頼感を持てます。

正しいことを言われ過ぎると、イライラするというか、反発してしまうというか…頭と心が分離して、ごちゃごちゃになるというか…。
それが、困ったちゃんな私。
患部だけ見るのではなく、私という人が病気を持ってる。と、診て下さってる感じがして、安心できます。

だからこそ、患者としても、頑張ろう!と思えるのですo(^-^)o
というか、頑張るというか、自然体で、病気と付き合うみたいな感じです。

病気に振り回されたくないし、病気と闘うだけの人生にしたくない。
私=病気じゃない。

何言いたいのか、よくわからなくなってきた…(汗)



後期高齢者医療は、混乱してますが、私も、保険証の変更で、手元に新しい保険証が届かなく、今月は、医療費が大変でした…。
全て自費医療でした。

もちろん、新しい保険証が届けば、払った医療費を、返還してもらえるそうですが。
でも、すでに保険料を払っているのに、保険証が届くのが遅いって、どういうこと…?
保険料を払いながら、保険証が届かなくて、自費医療って、おかしいよね…。
二重払いしてる気分…。

テレビのニュースを観てたら、次の首相は誰に?という街頭インタビューで、「もう一度、小泉さんに首相になってもらいたい。後期高齢者医療みたいな、あんな制度をぶっ壊してもらいたい。」という意見や、小泉さんにもう一度!というのが多かったみたいだけど、今、施行されてる法案は、小泉さんが首相だった時に、通ったものなんだよね。
郵政民営化の裏で、後期高齢者医療とか、介護保険改正とか、障害者自力支援法とか、弱者の法案が、どんどん可決されていったわけで。
そして、小泉チルドレンの刺客とかで、自民党圧勝が背中を押したわけで。
それを、選んだのは、国民なわけで。

今の、ねじれ国会も、選挙に勝つことを目的とした政治のやり方…みたいに見えて、本気できちんとこれからの政治を考えてくれい…とか思ってしまいますが…。
頭の悪い私には、よくわからないことばかりですが…。

情報に惑わされずに、きちんと考えられる人間になりたいなぁ〜と、つくづく思います。
自分なりの意見を持つことは大切だし、それは尊いものだと思う。

75歳以上の高齢者の方は、病院や施設の方も多いだろうし、単独で暮らされていたりで、選挙に行きにくいだろうなぁ…。
当事者の意見が反映されないからって、どんどん決められてゆく。

そして、いつだって、妙に騒ぐのは、マスコミばかり…。
そんなマスコミに、奔走される国民…。

そういうイメージがあるなぁ。

(自分にとっての←正しさは人それぞれ変わるから)正しい情報を読み取るのは、こんなに情報が溢れていたら難しくも感じる。
あと、周りに流されがちになりそうで。



大阪府の財政改革では、障害者医療費も削減されるようです。
一律負担から、1割負担になるみたいだし…。
今の時代に生まれてよかったと、感じているけれど、生活していくことが、どんどん厳しく締め付けられていく…。

どうにかして、働かなきゃ!って本当に思います。
この体でも、生きてかなきゃいけないですから。
形を探してますが、なかなか動きが、形にならない…(今の所、無報酬な感じです。)

闘病のみでは生きられないし、じみ〜に、そういう部分(生活面)でも、頑張っている最近です。。。



いろいろ考えることはたくさんだし、自分のペースは崩せないし、ぼちぼち行くしかないけどね☆
生きる。
2008年04月05日(土)
ふと思い浮かんだ、詩。



『生きる1』

花は見てもらうために、咲くわけでもなく、人のために、咲いてるわけではないのです。



もしも…、桜が、一年中、ずっと咲いていたなら、

それが当たり前になって、綺麗だとも称賛されず、あんなに人にも注目されないのだろう…。



桜の真下で、冬を乗り越えた、たくましい草花が、生きている。

誰にも気付かれることなく、誰に見てもらうわけでもなく、

ただ懸命に、自分を生きている。






『生きる2』

満開の桜を、

「綺麗だね。」と、見上げる人々。



その足元で、グシャリと、踏みつぶされた、名もなき草花。



その靴で、踏まれたことさえ気付かれることなく…、もがき苦しんでいる、黒いアリ達。



桜は、本当は、目立ちたくはないのかもしれない。



桜に、気持ちがあるならば、きっと、そう思っているのだろうな…。



生きることに、意味なんかいらない。



桜は、きっと、人々の注目を集めることを、臨んではいないだろう…。



ただ草や花やみんなと一緒に、今を、生きたいのだ。





地元の主婦友と、お花見に行きました♪
桜を見ながら、おにぎりを食べました。

風が寒かったけど、太陽の温もりが、気持ち良かったです。



そして、今日、仕事の撮影(エッセイ)も兼ねて、また桜を見に行きました。
満開に咲いてる桜並木は、美しかったです!



最近、人との出会いに、恵まれています。
こうして、仕事(無報酬ですが)を頂けることも、自分の文章の発言の場を頂けることも。

文章を書くことは、ネットにはネットでの良さが、また本名で書くことは、それはそれで、また違った世界が開けます。



文章を書くことは、私にとっては、生きること。
だから、ずっとずっと、書き続けます。



上から見下げる世界ではなく、下から見上げる世界ではなく、足元をしっかり見つめながら。



自分を、大きくも、小さくも、見せないで。

今思うこと、今感じること。
ただ、書きなぐる。



そして、これからも、変化するであろう、あたし自身を。





何か…かっこ悪い…(苦笑)



YUIちゃんの歌詞の世界が、永遠の憧れです♪



来週は、大学病院の外来受診だお〜(・ω・;)

雨に降られませぬように…願☆

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