生きる。を消費する
いつだって私の頭の中はフレッシュでカラフルなままでいたい。 ダークでグレーな世界はまっぴらゴメンだ。 だから私は世の中に叫ぶ、自分の言葉で、声で!
今の私はとってもクローズな精神状態だと思う。 今までと違って恋したい愛し合いたいとか思わなくなった。 好きな男の子とコミュニケーションしたいと思わないし、酷いときには恋愛すら否定。 恋愛なんて時間の無駄、くらいに思う自分に驚いたりする。 決して寂しくてそう思うわけではないのでダークな気分なのではない。 純粋にそういう事に時間と暇を費やす程の情熱が湧く出来事が無いのだ。 自分だけの時間と、自分だけの世界に没頭する私。
何だかそれを省みるととても寂しい人間だなぁと思う。 でもしょうがないのかもしれない。
2006年01月24日(火) |
トラウマはいつになっても続く |
小さい頃に自分のコンプレックスをもの凄くズタズタにされた所為か 大人になってから、自分のアイデンティティーが崩壊するような事が無く どんな酷いことを言われても、その小さい頃に受けた嫌な思いからしたら 本当に、本当にどうでもいいし笑って過ごせるのである。
私はそれ程嫉妬する人間ではないのだが、偽善者で八方美人なM子は 小学生の癖に世渡り上手で本当に憎らしかった。 私の事を踏み台にしてのし上がったことだって有る、本人は気が付いてないが。 それを自分の努力のたまものだと思ってる所がまた憎らしい。 小学生の私は、母親に「ああいう子は幸せになれないんだから」といわれ まあそうなら大人になってから私は辛酸を舐めることが無くなるのだろうと。 そう思っていた。
私は幸にして今幸せだし、あの忌々しい出来事を思い出さなければ平和だ。 だが、M子は時々私の人生にひょっこり顔を出してくる。 それはもう一生逃げられないのだ。私と彼女の実家が隣り合わせなのだから。 母親は無神経だから、大人になったM子が結婚しただの子供が居るだの言う。 私はソイツの事なんて一ミリも聞きたくないのに。 そりゃあ、アイツのことだから幸せになるだろう。私よりずっと。 本当に幸せかどうかなんて知ったこっちゃ無いし、どうでもいいが 社会的には家庭を持って云々は幸せなんだろう。ほう、よかったねぇ。
でも、実の母をして私の人生に上から目線で来るか。まだ来るのか。 そろそろ解放させてくれないか、自分自身の人生を歩みたいんだ。 どうして私は小学生の頃から彼女と比べられる人生を送らなくてはならない? 30歳になった自分にまだ呪縛の様にまとわりつくトラウマ。
もう、10代の頃になんて帰りたくないし、むしろ消えて欲しい。
私は坂口安吾が大好きである。 出会いは教科書で読んだ「堕落論」なのだが 大好きなフレーズの中の一つをここに書いておこうと思う。
堕ちる道を堕ちきることによって、 自分自身を発見し、救わなければならない。
人間絶望を味あわない事は良いことかもしれないが 他人との比較ではなく、自分が感じた限りで構わないから 絶望を味わったことがある人間、それを克服した人間は 絶対に魅力がある。絶対的な魅力、生き様である。 それはなにも語らなくても、絶対的な存在感を発揮するのだ。
私はまだ堕ちきってないと最近特に思う。 高校生の頃に味わった絶望からしてみたら全然平穏な日々。 時々あの頃の事を夢に見る。 うなされるというより、脱力感で一杯になるあの夢。
でも、30年も生きてると「生きててよかった」とか 「私って誰かの為になったんだ」って思うことがあるんだ。 自分が世の中にとって不要な人間だと思ってたあの頃の私に 「そんなことはないみたいよ」と言ってあげたい。 そんな出会いに対して感謝したい。ありがとう。
2006年01月22日(日) |
イタイ女にはなりたくない |
猫を飼う一人暮らしの女はイタイと思う。
実際私の友達は職場の人に「猫と遊ぶのは楽しい」的な事を言ったら 「猫も良いけど彼氏でもつくって結婚したら」と言われたらしい(笑) まあ、言う方の気持ちもわからんではないが、それにしてもあんまりだよな。 私だって一匹の猫と同居しているが、私は男と住んでるから言われないらしい。 なんじゃそりゃ。
でも、そんな私でさえ「一人暮らしで猫を飼ってる女はイタイ」と思う。 会って話すととにかく猫の話、何を話してても猫の話題になる。 彼氏が居ても飼い猫の話を延々として、それもオチがないなんて・・・ 聞いてる方の身にもなってくれよ!と言いたくなり、悲しくなる。 多分私が猫を飼ってるからそんな話をしてもいいと思ってるのか知らんが 猫を飼ってるからといってオチ無しの話は聞いていられないです・・・
これ、以前から割と深刻な問題で、困ってるんですがどうしたらいいのでしょう。 とりあえず私だけはイタイ女にならないように気を付けます。
2006年01月17日(火) |
妄想じゃ〜飯はくえぬ |
あ〜あ。 毎日色々な事を妄想して生きてる私。 昨日なんてそれで即寝しちゃったもん。 家に帰って、何も考えずにご飯食べてたらおかわり3杯してたり 最近ちょっとぼや〜っとしてる気がする。 気を引き締めてガッツリ頑張りたいです。希望だけですが・・・(笑)
引っ越したい熱が再燃していて、どうにも困る。 せめて次回の年俸査定になったら考えよう。 だって今の給料じゃやっていけてないもん、私。 家賃まともに払ったら到底無理ですよ。
一緒に住みたい人が居るけれど、それもままならない。 私は将来どうしたいのかをもう少し真剣に考えなくてはならないかも。 めんどくさいなぁ。
10年の時を越えて私に直球でぶつかってきた球を いともたやすく打ち返す事なんて出来るわけが無いじゃないか。 私はそんなに器用ではない。
魔法の薬を飲むと、素直になれる。 自分がずっと心の中に取っておいた色々な想いが ときどき飛び出そうになる。 私はこれからどうしたらいいのだろうか。 この想いは墓まで持っていかなくてはならないのだろうか。
時々無性に寂しくなる。 この想いを遂げられたら、どんなに楽になるだろう。 でも、こんなに寝かせた想いがピカピカ輝くわけがない。 だからそれをまたそっと元に戻すのだ。
2006年01月12日(木) |
たまには過去も振り返りたい |
私は坂口安吾が大好きである。 出会いは教科書で読んだ「堕落論」なのだが 大好きなフレーズの中の一つをここに書いておこうと思う。
堕ちる道を堕ちきることによって、 自分自身を発見し、救わなければならない。
人間絶望を味あわない事は良いことかもしれないが 他人との比較ではなく、自分が感じた限りで構わないから 絶望を味わったことがある人間、それを克服した人間は 絶対に魅力がある。絶対的な魅力、生き様である。 それはなにも語らなくても、絶対的な存在感を発揮するのだ。
私はまだ堕ちきってないと最近特に思う。 高校生の頃に味わった絶望からしてみたら全然平穏な日々。 時々あの頃の事を夢に見る。 うなされるというより、脱力感で一杯になるあの夢。
でも、30年も生きてると「生きててよかった」とか 「私って誰かの為になったんだ」って思うことがあるんだ。 自分が世の中にとって不要な人間だと思ってたあの頃の私に 「そんなことはないみたいよ」と言ってあげたい。 そんな出会いに対して感謝したい。ありがとう。
携帯から書いてるが、テンキーなので書きづらいよ〜。 長文向きではないな。
サイトのリニュをしようかと思ってるが、 イマイチ自分がどうしたいのか決まって無い。 まだ後の事になりそうです
2日会社に行ったと思ったら3連休なので拍子抜け。やる気出ません。 年末に大掃除したのに何故かもう汚くなっています。
なんだかな〜。
えっと、新年早々仕事でミスをしたのが発覚して凹んでる私です。 今まで一人で出来てたからといってこれから先も出来るとは限らないと 痛感し、反省しております。犠牲になった人、ゴメンよ・・・
というわけで気を取り直して抱負など語ってみる?
と思ったけどやめた。 最近イイ文章が書けなくて悩んでるのは内緒の方向で。 やっぱりグッと来る出来事が無いんだなと。 何だかんだでぬるま湯に浸かってるんだなと。 反省してるのですよ、最近特に。 だから今年は。
・読書をする(not雑誌!) →忙しいのを口実に、最近雑誌ばかり読んでる私。 昔はもっと読書好きだったじゃん!どうしたんだよ!!
・健康に気を遣う →とりあえず30歳過ぎたので婦人科検診をしようかと思ってます。
・自宅の大幅な模様替え →少なくとも相方のストレスが溜まらないように・・・ ケンカの元ですからね。
というわけで、皆様今年もヨロシクお願いします!
大好きな正月がやってきたぞ!ワショーイ!! 正月は美味しい食べ物が沢山あるので大好きだし 普段見れない漫才とかあってテレビ面白いし 外出したいけど家にいたい、みたいなジレンマに悩まされます。 ビデオ録画すりゃいいじゃん、って思うでしょ? でもそんな事は同居人も考えてて、なおかつ同居人は家康大好きッコなので 録画の時間が尋常じゃないのよ、毎年。今年は10時間だっけ?長すぎ!!
なので、チョコチョコと録画しつつあまり見れませんでした。 正直テレビが終わるまで見てから友達の家を出てみたり実家を出てみたり そんな事もしましたよ、ええ。だって見たいんだもん。 普段全くと言っていい程テレビを見ないので、みんな驚きます(笑) それも普段見てるスカパーは全然見てないです、ここ数日。変なの。
というわけで、楽しい正月も昼夜逆転したまま終わりそうです。 大丈夫なんだろうか・・・社会復帰出来るのだろうか。
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