生きる。を消費する
2002年10月30日(水) |
俺誕生日じゃん、今日。 |
忘れてた、今日が誕生日なのを。 メールと母からの電話で思い出した。
早いな〜、もう28かよ。 ここ数年1年間何をしてたか思い出せない。 ってことは大した事してないのか、と反省するのだが。 今の年齢ってなんだか中途半端でいやだなぁ。 早く30代になって脂ののったいい女になりたいものです。 みんな嫌がるけど、30代って結構いいと思うよ。 若さだけでは乗り切れませんから、もう。
で、今日は休みだったので家事と昼寝。 また何もしなかったよ。
2002年10月25日(金) |
介護について考えた。 |
最近私の周りで介護の仕事についてる人が多いことに気が付いた。で、何か色々あってややこしいので、toto職人さんのところに行ってみた。
う〜ん、難しいですね。 私にとって介護とは自分の身内だから出来ることで、知らないおじいちゃんの怒鳴り声は聞きたくないし、知らないおばあちゃんのうんちの世話もしたくない。逆に言えば、自分のうんちの世話をしてくれたから出来たのかもしれない。実際祖父母を看取ってみて初めて気付いたことなのだが、本当に介護するのは人間の醜いところ(排泄なんかどうって事ない)を目の当たりにするので精神的に辛い。だからお金を払っても他人に任せたくなるのはスゴく解る。血が繋がってないからこそ優しく出来るってこともあるし。
で、ウチの家も例に漏れず「完全介護にしてもらうか」どうかで悩んだわけです。 当時の祖父は「寝返りを打ったら布団がずれた」という理由で1晩に10回も呼ぶ(それも棒でテーブルを叩く)ので家族全員眠れない毎日を過ごさなくてはいけなかった。そんなことでイチイチ呼ぶなよな〜とか怒りながら、接する日々が続いた。 でもよく考えるとたぶん「死ぬのが怖かった」んだろうと気がついた。だから一生懸命家族を呼ぶことで「生きている」事を実感しなくては不安でしょうがなかったんだと思う。そう思ったら私は絶対に死ぬ直前まで自分たちで世話をしようと決め、家族に話しました。で、死ぬ直前まで世話をしたのです。
私の幼少時は殆ど祖父母に育てられたから、恩返しをする必要がある。 寝たきりにならないで、呆けてしまっていないのだから、出来る限り介護するのが私の仕事だと思ったから。
で、こういう経験があるからこそ介護を仕事にする人は無条件に尊敬してしまうのです。お年寄りの独特な癖とか感性とかって実際接してみないと解らないし、スグ怒るから(人によるけど)、言ってることが理解出来て「この人はこう言ってるけど本当はこうなんだ」とか思えるようになるまでが大変だよな〜。
で、色々見たんだけど結局何がどの仕事なのか解らず終わってしまった。 まぁ、いっか。
いや、私が猫にパンチしてしまったのですよ(爆死) 電話してて、メモ取らなきゃいけないので「メモメモ!」とかって振り向いたらそこには猫が!?
っておまえなんでそこにいるの?
「ぱこん」
って音したけど・・・あんた大丈夫? 涼しい顔してトコトコ去っていきました。
2002年10月14日(月) |
自分が自分自身であること |
最近の私はちょっと八方美人過ぎたかもしれない。 大して興味がないのに話に参加したり(でもその時は興味がないわけではないのだが)、ほっときゃいいのに構ったり。最低だな、俺。
その時は「私も〜」なんて思ってるのだが、中盤くらいからどうでも良くなりテキトウな意見(発言)を言ったりしてしまう。中心にいる人にとっては甚だ迷惑な話であり、「そんなんだったら顔出すなよ」っていうことになりかねない。
行動を起こす前に、ちょっと冷静になって考えよう。 そうしたら新しい世界が見えてくるはず。 見落としていたものがあるかもしれない。
それにしても、あんまり考えずに行動して後悔するのって小さいときから変わらないな〜。
1日おきに見るようになった夢。 とにかく火を消さなきゃ!というテーマで、 ある日は電子レンジが発火したり ある日は連れの人間に引火したり とにかく焦って消火するのだが 火は燃えさかるばかり。 それもその夢から受ける印象がみな一緒なので 何かの前触れのようで嫌なんですよ。
関係ないけど、寝る前に廃墟の本とか死体の本とか読むとダイレクトに夢に出たりしません?そんな貧相な想像力の自分が嫌になったりしますが。
かおるさんの日記に人に嫌な想いをさせる患者さんの話があった。
祖父のことを思い出す。 私は祖父が入院するたび憂鬱だった。 祖父は家族に対してもそうだが、こと看護婦に対する態度は見ていられないくらいであった。「おい、おい!」「ちょっとあんた」と看護婦を呼び、ちょっと何か失敗しただけで「まったくここの奴らはバカばっかりだ」などと悪態をつく。
おじいちゃん、この人達はね、おじいちゃんの病気を治すために居るんだから、そんなこと言っちゃダメだよ。
その言葉をグッと飲み込む。 そう、私だって「能なし」と怒られるのが怖いのだ。
今思えば、祖父は何となく死ぬのが怖かったんだと思う。 だからたぶん看護婦の格好を見るだけで不安になっていたのかもしれない。
それに気付いたのは、死ぬ1ヶ月前だった。 明治生まれの頑固じじい(それも下町育ち)だから、弱音は吐かないがすごく寂しかったんだと思う。よくがんばったね、家族が同居してたとはいえ奥さんと子供に先だたれ一人で寂しかったでしょ。 大好きなおじいちゃんがもう居ないと思うだけで寂しいけど。 でももう大丈夫。
1年弱経ってやっと言えるようになりました。 おじいちゃん、どうもありがとう。
書くだけならいいでしょ? 無理だと解ってて書く自分。甘いなぁ。
ウチにはキジトラ&白の猫(お嬢)が1人いらっしゃるのですが、彼女が布団ですやすや寝ているのを見るたびに「この子は私が引き取らなかったら、どうなってたんだろう・・・」と思うのです。 臆病者で、大きい音に驚いてすぐ隠れる。来客に姿も見せない。 そんな性格になったのは何故か?
できるかぎり、世の中の猫に彼女と同じ思いをさせてあげたい。おいしいご飯と柔らかい抱っこ、暖かい布団で眠れるよう。 野良猫も好き、でも野良猫として生きていけるだけの環境を得ている猫は少ないと思う。みんな谷中の猫(こういうのを「地域猫」という)みたいには上手くいかないわけで、だから虐待されたり、保健所で一生を終える猫がいるのである。
だから、せめて私の出来ることはできるだけ多くの猫を幸せにしてあげることかなぁ、と思い始めている。 私の猫を譲ってくれた岩谷さんのようになれればいいな、と思っている。
海沿いの家に住むようになって早1年が過ぎようとしている。
雨が降ったり、風が強かったりすると海の方から潮のニオイがしてくる。 よくドライブしてて「あ、海だ〜」とかいう時に同時にするニオイね。
今更ながらベランダから海を眺めてみる。 家族連れが、釣り竿を垂れている。 犬の散歩、ジョギング、昼寝。 それぞれの休日。
私はこの家に住んで1年でやっとこの家の景色の良さに素直に喜ぶことが出来たようだ。なんだか嬉しい。クラスであんまり話したことのない子が実は私と仲良くなりたかったというのを知ったような、そんな気分。
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