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世代を越えて

2004年03月28日(日)


 3月20日、いかりや長介さんが死去した。
 夜、息子と一緒に、テレビを見ていたら、第1報がニュース速報で流れて、
 2人で驚いた。

 昨晩、故いかりや長介さんの追悼番組という事で、
 昔の「8時だよ!全員集合」の懐かしいカットを放映していた。
 「8時だよ!全員集合」は、PTAからワースト番組と批判されながらも15年
 にも及ぶ(1969年〜85年)長寿番組だった。
 番組が始まった頃、小学生だった私も終わる頃には、結婚して親になっていた。
 特別に楽しみに見ていた番組ではなく、ついていれば見ている、といった
 感じだった。
 そんな私でも、特番を見ながら「あ〜、こんなのもあった」と懐かしい思いで
 いっぱいになった。 

 何気なく見ていた息子が隣で声を出して笑っていた。
 彼曰く
 「いかりや長介さんって、こんなに面白い番組やっていたんだね。」
 あーそうか。
 彼は、俳優としてのいかりや長介さんしか知らないんだ。
 息子にとっても長さんといえば、「踊る大捜査線」の和久刑事であり、
 「取調室」水木刑事であり、「グッド・ラック」のキムタクのお父さんだったのだ。

 長さんの体調の様子を見ながら、全員揃ったドリフのコントを復活させる
 という話もあったそうだ。
 もし、それが実現していれば、親子で笑えるコントを見せてくれただろう。
 それを見る事が出来なかったのが残念。          合掌

 追記
 私が小学生時代に見ていてドリフ・・・ツレは既に大学生だった。
 結婚して20年もたつと、年齢の差も感じないが、小学生と大学生じゃ
 子供と大人。
 やっぱり8歳違うんだぁ〜(笑)

 


 

  
 


遺族の思い

2004年03月21日(日)


 唐沢財前の人気と共に改めて注目されているのが田宮財前の「白い巨塔」。
 
 しかし、クランクアップ後に、全ての放映を待たずに、猟銃自殺という悲劇的な最期を遂げた
 故田宮二郎の遺族にとっては、白い巨塔は「見られない、見たくない作品」だったようだ。
 
 先日、あるサイトで、故田宮二郎の長男柴田光太郎へのインタビュー記事を読んだ。
 当時既に田宮氏は、躁鬱病が酷く、家族は「白い巨塔」への出演は大反対で、休養させようと
 したが、本人の強い希望で「田宮財前教授」が、実現した。
 しかし、それが結果的に命を削る事になってしまった。
 「白い巨塔」を見るということは、どうしてもその当時の辛かったことや無理にでも出演を
 辞めさせればよかったという後悔の念が思い出される。
 それは、25年たった今でも変わりはないという。
 特に、故田宮氏の夫人には、唐沢財前であろうと村上財前であろうと「白い巨塔」は、「白い巨
 塔」でしかない。
 私たち田宮財前を知る人間でさえ、唐沢財前を見ても田宮財前を思い出すのだから、夫人の
 「見たくない」という気持ちは当然のことだろう。
 (柴田氏は何れDVDで唐沢財前を見るつもりだそうだが・・・)
 3年前に、田宮財前の「白い巨塔」がDVD化されたと時も、夫人に話せば猛反対するから
 長男の柴田氏が話をすすめた。

 世の中便利になるに従って、特に、芸能人は故人になっても出演した番組などがビデオや
 DVDなどで、残る。
 以前、その事を「生前の元気な姿を見る事ができていいね」といった人がいたが、実際は
 どうだろう。
 田宮氏ほど悲劇的な最期を遂げた人の遺族でなくても、在りし日の姿を正視する事が
 出来るのだろうか。
 
 私だったら・・・多分それを見ては毎日涙する生活を送るだろう。
 あれば、見てしまう。
 自分の中で、その故人が思い出に変わる日まで、涙せずには見られないであろう。
 でも、長い年月が経って、懐かしく思い出話が出来るようになった時には、見たいかもね。
 


「白い巨塔」 最終回

2004年03月20日(土)


 昨年10月から放映されていた「白い巨塔」が先日最終回を迎えました。
 (来週「特別版」を放映するらしいですが・・・)

 実はちゃんと見たのは、第1回と最後の2回だけでした。
 最終回の前の回を見て、ちょっとガッカリ。
 原作が書かれて、20年近くたっているので、原作と違う事は仕方ないけれど、
 初めて患者の立場になった財前教授の心情をもっと丁寧に描いて欲しかったと思ったのです。

 そして最終回。
 原作では財前の治療に里見はもっと表立って絡んできます。
 財前の希望で手術にも立ち会うし、術後の治療方針も里見の意志で決められ、最後の病理解剖に
 立ち会うのです。
 遺書の宛先は里見ではなく、解剖執刀者の大河内教授宛てで、内容も大幅に違いましたが・・・
 今作の遺書の中で「これからの癌治療には、内科的治療が躍進的な発展を遂げる必要がある」
 という点は、外科的治療が不可能になった末期癌患者を見送った事のある私は、共感しました。
 また、財前の愛人であるケイ子は、財前を見舞う事を許されず、只、里見に花を託する事しか
 出来ませんでした。
 私が妻だったら、愛人を呼んで、二人っきりにしてあげるなんて事、出来ないでしょう。
 会わせておけばよかった・・・と後悔をするかもしれないけれど。
 
 
 術後、連日往診してくれる東に、礼を言った財前。
 原作では、この後、東の
 「自分の執刀した患者を診るのは当たり前のこと」と台詞が続く。
 この台詞は、自分が執刀しながら、術後一度も診察しなかった被害者の事を悔い、
 財前の心に茨のように突き刺さり、自分が患者になってはじめて、医者の診察によって
 患者がどれほど心を安らかにするものかを知る大事な台詞。
 たった一言の台詞だけれども、本当は凄く重要な台詞だった筈。

 この最終回、財前と里見の友情物語が重視されたような気がします。
 それはそれで、素晴らしいものだったし、例によって涙ウルル状態でした。
 その中で特に印象に残った台詞をあげるとしたら、
 里見の「僕は君を助けたい」・「僕が君の不安を受け止めたい」
 財前の「大丈夫じゃないから来たんだ。」・「僕に不安はないよ」
 と、財前が万感の思いを込めた「無念だ」
 でした。

 自分が大丈夫でない時に、それまでの立場と関係なく、本当に信頼し、頼れる友達がいて、
 「大丈夫でない」と言えるって、素敵な事ですね。

 恐らく嘘で固められた診断と、自分が自覚する病状との違いに不安を感じたからこそ、
 自分のカルテと術後の写真を出させたけれど、里見は自分の疑問にきちんと答えてくれた。
 だから、財前は「僕に不安はないよ」と言う事が出来た。
 (因みに、原作では、里見は最後まで無言で通します。
  マァ、ある意味、その無言が答えだったりするのだけど。)

 「僕は君を助けたい」という言葉は、「白い影」の中で、やはり死に直面してい
 る直江に、恩師が言った言葉と同じです。
 結局2人(財前・直江)とも、その言葉に応える事無く、自分の道を進むのだけど、 この言葉と
 「僕が君の不安を受け止めたい」という言葉。
 たとえ、肉体は救われる事は出来なくても、心がどんなに救われた事でしょう。
 どんな時にでもこういう事を言って貰える相手がいる、そして言える相手がいる。
 果たして、今の私に、土壇場で、本音をぶつけ合って、話す事が出来る友達が
 いるのかしら?

 朦朧とする意識の中で
 「里見、やっと癌センターの内科部長を引き受けてくれるんだな」と微笑みながら
 言った財前。
 彼は、考え方の違いはあっても里見と2人、これからの癌治療の為に力を注ぎたかったのだろう。
 これからも生きていく里見は、どのような形で答えていくのだろう。
 そして、被害者遺族たちは、財前の早すぎる死をどのような思いで、聞くのであろう。

 
 

 
 

 


立つという事

2004年03月18日(木)


 女子マラソンのオリンピック出場選考のニュースに隠れた形になったが、
 「長嶋終身名誉監督、立ち上がる」というニュースがありました。

 赤ちゃんの成長を喜ぶ言葉に「這った、立った、歩いた」という言葉がありますが、まるで
 そんな感じ。
 
 「立った」という事で思い出したのが、20年前の事。
 
 私は、緊急帝王切開で、全身麻酔で長女を出産しました。
 導尿が取れたのが、3日目の消灯間近だったのです。
 消灯直後に見回りに来た看護婦さんが
 「もう歩いて平気だから、ドンドン歩いてね。その方が回復も早いしネ。
 トイレ(病室の目の前にありました)にも一人で行くように」と言ったのです。
 さて、一寝入りした後、尿意をもよおして目が覚めて、普通に起き上がろうとしてビックリ。
 起き上がる事も出来ないのです。
 傷の方の痛みはもうないのに、お腹に力が入らない・・・
 もう、エーっていう感じです。
 寝たきりだったのは、たった数日、まさかこんな状態になっているとは、夢にも
 思いませんでした。
 出産の7ヶ月前、局部麻酔でヘルニアの手術をした時には、翌日直ぐに歩けたのに・・・
 (実は妊娠を知らないままに、手術をしていたのです(;^_^A )
 
 ところで、思い出してください。
 私はトイレに行きたくて、立とうとしているのです。
 つまり、このままでは非常に困るのです。
 其処で、先ず思いついたのが、寝返りは打てるから、寝返りを打ってベッドから落ち、
 ベッドにつかまって腕の力で立とうという事。
 ところが、自宅のベッドは低いけど、病院のベッドはかなりの高さがあります。
 ここから、勢いをつけて落ちたら、全身打撲になりそう。
 ちょうどベッドの脇に、消灯時間まで面会に来ていた家族が使った椅子がそのままあったので、
 何とか、ベッドからそれに移り座りました。
 ちょうど、足の悪い方が、ベッドから車椅子に移る姿を想像して下さい。
 椅子に座る事が出来てヤレヤレ・・・なんて思っている暇はありません。
 それから、ベッドに手をついて、腕の力を頼りに、何とか立ち上がる事が出来たものの、
 まるで歩き方を忘れたように、足が一歩も前に出ないのです。

 ナースコールで看護婦さんを呼ぼうか?
 でも、さっきの看護婦さんは、いとも簡単に「歩いてね」って言ったという事は
 皆は普通に出来るんだ、と思い込んだのです。
 ご存知の通り(?)私は、負けず嫌いというか意地っ張り。
 皆が普通に出来ている事なのに、「たてませーん」と、看護婦さんを呼ぶのは厭だったのです。
 忙しい看護婦さんに、こんな事で手を煩わしては悪い・・・なんていう優しい気持ち
 からじゃあなかったけどネ。
 仕方ないから、手をつけるような場所に、(冷蔵庫とか、ロッカーとか)目安をつけて、
 ベットの上に置いてあったバスタオルを床に敷いて、其処まで、その上を這いました。
 (床を這うと汚いからね)
 必死の思いで、病室のドアまでたどり着き、その頃には、やっと足の方は歩く事にも
 慣れてきたし、ココまで来たら、挫折する事は許されないのです。
 だって、ホラ、トイレに行きたいのですから。
 でも、トイレに一番近い部屋で本当に良かったぁ〜。

 当時の私は、まだ25歳。
 特別に運動不足だったわけではないのに、あの醜態。
 情けなかったと同時に、何時もは当然のように思っていた「立つ」という事が
 実は大変な事なのだと思い知らされた瞬間でもありました。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


Qちゃん、落選。

2004年03月15日(月)


 先ず、一番最初に、お断りしておきますが、
 今回アテネオリンピックの女子マラソンに出場する選手達には、是非頑張って
 自分達の最高のレースをして欲しいと願っています。

 只、ここに書くのは、Qちゃん、即ち、高橋尚子選手のファンの一人として、
 今回の選考に対するボヤキ(怒りに近いかも)です。

 
 昨日の名古屋国際女子マラソンを見終わった時に、もしかしたら、Qちゃんは、
 オリンピックに行けないかな・・・って思った。

 でも、過去の陸連って、国民に非難されようとも「実績重視」で、オリンピック
 選手を選考してきたじゃない。
 それが、何故、今回に限って、代表選考レースの結果を重視するの。
 しかもその結果を重視するっていうなら、補欠は千葉眞子選手じゃなくて、
 Qちゃんでしょう。
 そこだけは、「功績のある高橋に補欠はいかがなものか」の声があり、外され
 たって。
 何しろ、一貫性のない選考としかいいようがない!

 確かにQちゃんは、11月の東京国際女子マラソンでは、最後に失速してしまっ
 て、2位、タイムも2時間27分21秒の平凡なタイムに終わっちゃって、印象
 は悪かった。
 でも、24度という異常気象+強風の中のレースと、昨日の18度で無風状態の
 レースを走ったのをそのまま比べるなんて、おかしい。
 それに、Qちゃんが走る時、皆は只の優勝じゃなくて、「世界記録」を期待する
 わけでしょ。
 そのプレッシャーだって、他の選手とは、全く違う。
 
 昨日のレース・・・日本人好みの「感動的なレース」だった。
 タイムも選考レース中、最高のものだった。
 でも・・・あのタイムは、過去に同レースでQちゃんが出した、タイムより2分も
 劣る。
 優勝した土佐礼子選手は700日振りの復活・・・しかも平坦な名古屋のコースで
 息も絶え絶え、これで、アップダウンの激しいアテネのコース大丈夫なの?
 
 選考委員の一人が、
 「高橋選手を外せば、文句は出るだろが、高橋選手を入れて他の選手を外せば
 もっと文句が出るだろう。」って言っていた。
 果たして、そうかしら?
 
 Qちゃんは、シドニーオリンピックの金メダリストっていう1発屋じゃないよ。
 一時は、世界記録迄出した選手だし、今だって、日本記録保持者。
 私の好きな野球でも、エースと呼ばれる投手やリリーフエースと呼ばれる投手
 が出てきた時に
 「彼が打たれて、負けたのだったら、納得がいく」っていう事がある。
 それと同じ。
 私は、Qちゃんが走って、メダルが取れなかったなら、納得がいくけどね。
 それに、Qちゃんだったら、本番のオリンピックで何かをやってくれる!って
 いう期待感があるけど・・・。

 多分、今回の選考を一番喜んでいるのは、各国のオリンピック代表選手たち
 だろうね。
 何たって、最強のライバルが、スタートラインにも立たないのだから。
 
 勿論、Qちゃんの陸上人生は、終わったわけじゃない。
 これから出場するレースで、好記録をマークして、陸連の選考委員たちに、
 「彼女をオリンピック選手に選ばなかったのは、間違いだった」って
 思わせてあげて欲しい。


 あー久しぶりに熱くなってしまった!(笑)


 
 
 


睡眠

2004年03月14日(日)


 若い頃から、夜には強くて(別に変な意味じゃないけど)、12時を過ぎてからが
 「私の時間」みたいな思いがあった。
 仕事をしている時も朝が遅いわけではなかったし、結婚後も殆ど五時半には起きて
 いる。
 それは、前夜3時過ぎ迄夜更かししてようと、ちゃんと身体が反応してくれる。
 特に専業主婦で子供が大きくなってからは、朝家族を送りだしてしまえば夜帰宅
 する迄は、自由時間。
 一応毎日掃除・洗濯・料理の家事はこなしても、結婚20年もたつと、手抜きの
 要領もマスターしちゃっているし、朝2度寝しようとお昼寝しようと、辻褄を合
 わせればいいわけだから、夜の睡眠時間が足りないと思えば、昼間にとればいい
 ・・・つまりは、細切れ睡眠で、一日の睡眠時間の帳尻を合わせていた。 
 
 それが3月に入って、久々にインフルエンザで寝込んだ。
 体温計が壊れたのではないかと思うぐらい、何度計っても39度を簡単に越して
 いる。
 こうなると好むと好まざるにかかわらず、ベッドに入るしかないが、高熱による
 頭痛、寒気が、それに加えて突然表れたジンマシンに悩まされて眠れない。
 それでも身体は睡眠を求めているのだろう。
 やっとうつらうつらし始めた先に待っていたのが、何ともいえない夢。

 大体が迷子になる夢。
 例えば巨大なマンションに住んでいて、ベランダ側に回ると家族も顔を見せてい
 るのに、玄関に回ると何処が我が家かわからない。
 それに、ネット上での迷子。
 自分のサイトなのに、知らないコンテンツが次々に表れて、トップに帰れない。
 ネット上では、架空メールの夢。
 送信者は親しい人なのに、そこに並んでいるのは、厳しい辛い言葉ばかり。
 気が付いてみれば自分がバルタン星人のようになって、そのメールを切り刻んで
 いた。
 後で友達に話したら「今時、バルタン星人なんか皆知らないよ〜」って笑われた
 けど・・・。
 極め付けれは、脳梗塞で倒れた長島さんを勝手に殺しちゃって、ニュースで「在
 りし日の長島さん」なんてやっていて、自分でビックリして飛び起きたり。
 覚えているだけでもこんなにあるけれど、身体を休めている筈なのに、目覚めた
 時は、却って疲れているだけで、もう眠りたくない!って思った。
 
 薬が効いてきて、今度は欠伸は出るのに眠れそうで眠れなかった夜。
 焦れば焦るほど眠れない。
 よく考えれば、無理して眠らなくてもよかったわけだけど、その時は、今眠らな
 くては又熱が上がるという意識を通り越して、今寝ないとずっと寝れないような
 強迫観念にとらわれて・・
 眠いのに寝れないのがあんなに辛いとは思わなかった。

 そして、今。
 まだ、体調が本調子でないのか、午後になると疲れやすく、お昼寝が必要だったり、
 近くのスーパーまで買物に行っただけで、疲れちゃう。
 それでも、以前のように、夜更かしすれば、多分それなりに、身体は順応する
 んだろうなぁ〜っては、思っている。
 でも・・・少しばかり意識が変わったかもしれない。
 決して「何時までも若くないんだから〜」って思っているわけではないけれど、
 自分の身体は、自分で守らなければ(可愛がる)ダメだなぁ・・・
 まだまだ元気に動き回って、行きたいところもあるし、会いたい人もいるしね。
 だから、12時にはベッドに入る事にしています。
 その後は・・・自然流。
 そのまま眠れれば眠るし、眠れなければ、本を読んだりラジオを聞いたり、CD
 を流したり。
 その時に眠れなくても、焦って眠ろうとは思わないけれど、眠れないからといって
 起き出してネットをするような事は、してません。
 
 これからもしません。

 多分しないでしょう。
 
 しないつもりです・・・。。。 
 
 数ヵ月後には・・・やっぱり夜更かし組に復活よ!って言っているかもしれないけど
 ね・・……(-。-) ボソッ
 
 
 


裁判官

2004年03月02日(火)


 <林泰夫被告第1審 死刑判決>
 林被告は、地下鉄日比谷線に他の実行犯より1袋多い3袋のサリンをまいた
 結果、同事件の死者のうち、3分の2は、彼が発散したサリンの犠牲になった。
 犯罪に対する裁判長の評価は、「果たした役割は実行犯の中でも積極的」「その
 責任は重い」と、厳しい。
 しかし、死刑判決では極めて異例の事ながら、彼の人間性に対する非難はなく、
 主文を言い渡す裁判長の声は震えていたという。
 そして、本来の手続きであれば、主文の朗読の後、裁判長から被告人に対し、
 控訴の権利、その期限や控訴状の提出先などが告げられるが、それを失念する
 ほどだったという。

 <井上嘉浩被告第1審 無期懲役>
 逮捕・取り調べを経て、井上被告は麻原と決別し、チベット仏教に傾倒した。
 「被害者の苦しみを吸い取るために」と拘置所で修行を続けていた。
 当然、遺族・被害者からは「他の宗教に逃げ込んだだけ」と批判的だった。
 そんな井上に対し、審理を担当した3人の裁判官は、生きて償う道を示した。
 そして、東京地裁の裁判長は「宗教に逃げることなく、修行者ではなく、1人の
 人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省、悔恨してほ
 しい」と、証言台に突っ伏して泣き崩れる井上被告を諭した。

 <豊田亨被告第1審 死刑判決>
 <広瀬健一被告第1審 死刑判決> 
 両被告の行為による被害者・遺族が、公判で証言をした。
 判決でも、そうした被害者の状況について触れてはいるが、その前年、地下鉄
 サリン事件の実行犯横山真人に対する判決(死刑判決)の文章と一言一句同じ
 だった。
 この箇所だけでなく、横山判決のかなりの部分を、カット・アンド・ペースト
 したと思えるらしい。
 確かに、3被告とも同事件での裁判であり、同じ死刑判決であり、同じ裁判長
 である。
 しかし、被害者の証言も違えば、被告の心情も違っている。
 これでは、最初に地下鉄サリン事件の実行犯は死刑、運転手は無期判決という
 規定路線に沿った結論があって、それにあうような理由付けをされただけ・・・
 としか思えない。

 <早川紀代秀被告 第1審 死刑判決>
 早川被告は7つの事件の関与で起訴されていたが、坂本事件・田口事件以外の
 かなりの部分・・・例えば、「罪となるべき事実」ですら「概ね検察官の起訴状
 記載の公訴事実の通り」というだけで、読み飛ばし、朗読を省略したという。
 確かに、オウム裁判の傍聴を続けてきた取材者にとっては、他の被告人の裁判
 や判決で何度もその内容を聞いてきただろうし、読み飛ばしたのが判決結果
 に影響を与える箇所ではないだろう。
 しかし、この判決は、傍聴人に向けての判決ではない筈である、
 
 どんなに極悪人であっても、死刑を覚悟した被告人であっても、法に照らし
 あわせて、人間が人間を裁くのである。
 コンピューターが裁いているのではない。
 そして、たとえ死刑が確定しても、その日まで被告人たちには、生があるので
 ある。
 裁判官には、その事をいつも忘れずにいて欲しいと願う。
 
 


ちょっと一休み

2004年03月01日(月)


  掲示板でhideさんが書いていらっしゃった麻原逮捕に関するドキュメンタリー
  ドラマ・・・実はあの番組を私も見ていて、オウムの元幹部達について、書いて
  みたいと思ったのです。
  
  元々地下鉄サリン事件の実行犯のうち一人だけ無期懲役になった林郁夫受刑囚
  に興味があったし、何よりも頭脳的にも技能的にも優れていた彼らが、何故オ
  ウム真理教というより麻原彰晃という一人の人間を崇拝するようになってしま
  ったかも非常に疑問でした。
  
  一連の事件の加害者でありながら、ある意味被害者の側面も併せ持っている
  彼らの心に少し触れてみたいと考えたのです。

  それには、先ず知らなくてはなりませんが、ネット上だけでも生半可の量では
  ありませんでした。
  何しろ自分の公判だけでなく、他の被告の検察側・弁護側証人として出廷して
  いるのですから。
  
  まだ書き残している事も多々あります。
  女性幹部にも何に一つ触れていませんし、当時の幹部ではなかったけれど、
  上祐逮捕で表舞台に立つ事になった信者達、そして今の教団(アーレフ)の
  事など・・・

  でも、この数日、パソコンに現れる資料と睨めっこしてしまって、毎日お邪
  魔していたサイトもいかなかったら、「どうしたの?」という心配のメール
  をいただいちゃうし、何よりレスしたいメールも放置したままの状態です。
  
  麻原の一審判決は通過点に過ぎませんし、死刑判決が確定した被告もまだ
  一人もなし、という状態で、オウム真理教の問題はまだまだ先が長そうです。
  この後は、折をみて少しずつ更新していきたいと思っています。
  

  

  27日の麻原に対する死刑判決、この判決しか考えられないだろう。
  しかし、裁判終了後、控訴。
  しかも控訴後、弁護団は全員辞任。
  そんなのってあり?
  勿論、今のままでは、被告は何も話していないから、このままで終わりでいい
  筈はないし、接見もしない弁護団と被告の関係では、進展はないんだろうけ
  ど・・・。
  それにしても控訴審は何時始まるのだろう。
  弟子達の公判でさえ、控訴審開始までに1年はかかっている。
  莫大の資料を地裁から高裁へ移動するのに、1年かかるのだという。
  この便利になった世の中で信じられないような話だ。

  

  
  
 

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