rokoのNotebook


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夫婦喧嘩?

2004年04月21日(水)


 今日バス停での出来事。
 私の後ろに並んでいたのは、品のいい初老のご夫婦。
 特にだんなさまは、ロマンスグレーで、私好みのお顔。
 あ・・・それはどうでもいいけど(笑)

 そのお二人のお話を聞いていると、どうやら、ご夫婦の行く目的場所が違うらしい。
 妻の方は、よく聞こえなかったけど、夫の方は、(砧)美術館に行きたいみたい。
 夫は、先に妻に付き合うから美術館には、妻と行きたい・・・というか、そのつもりだったらしい。
 ところが、妻の方は。美術館には行くつもりがない。

 この夫婦の会話、途中から妻の方の音量が増していく。
 私の耳がダンボにならなくても、会話が聞こえてくる。
 「どうして、私が、貴方につきあって、美術館まで行かなきゃならないのよ。」
 「私が美術なんかに興味がないの、わかっているでしょ。」
 「今まで、私は美術館なんか、行った事ないわよ。」
 「別に、私の用事に付き合って欲しいなんて頼んでないわよ。」

 それに反比例するように、夫の声は、小さくなり、聞こえなくなっていた。

 そして、バスが到着。
 空いていたにもかかわらず、この夫婦は、遠く離れた席に座った。
 私は、途中で下車しちゃったけど、この夫婦、どうしたでしょうね。

 マァ、妻の方は、夫の付き合いで美術館には行かなかったと思うけど・・・

 貴方だったら、どうする?

 私だったら、多分美術館には行かない。
 もし、行くのだったら、交換条件を出すかな。
 例えば、帰りに美味しい食事付きとかネ。(笑)

 

 
 
 
 
 


な~にやってんだか・・・(;^_^A

2004年04月20日(火)


 日曜日の事。

 先ず、朝、私は自分の部屋で棚から可愛らしい空き缶を落として、下にあったガラスのコップに
 直撃。
 哀れ、コップは、割れちゃったの。
 それを掃除するのに、割れたガラスがあるところに、自分の手をついちゃって、手のひらから血が・・・
 幸い小さなガラスの破片が手のひらを痛めただけだったけど、バンドエイドの残りが殆どない事を
 発見。
 我が家の近くには、薬局が(ドラッグストア)なく、徒歩で20分かかる最寄の駅まで行かなければ
 ならないの。
 だから、その日、お友達と遊びに行く予定だった娘にバンドエイドを買ってくるように頼みました。

 日曜日の午後、ツレは毎週自転車でフィットネスへ行ってます。
 我が家には、2台の自転車があるけど、何時も乗って行く方には、フィットネスクラブのステッカーが
 貼ってあります。
 もうすぐ帰宅の時間だなと思っていると、ツレから私の携帯に電話がかかってきたの。
 何だろう?って思ったら、
 「自転車がない~」
 路上に止めてあったわけでもないし、名前と住所も書き込んであるし、鍵付きの自転車なのよ。
 それが、何処を探してもないって。
 フィットネスクラブのフロントに訊いても、無断で移動はしていないって。
 移動するにも、鍵がかけてあるんだもんね。
 自転車泥棒?
 マァ、幾ら嘆いたところで、盗まれてしまったものは仕方ないでしょ。
 駐輪場で待っていたって、自転車が戻ってくるわけも無く、トボトボと歩いて帰ってきましたよ。
 ・・・で、我が家に着いて「あ~」という声。
 何時もと違う自転車に乗って行ったのよ。
 何故何時もと違う自転車を使用したかは、知らないけど(本人も無意識だったみたい)、
 何しろ、違う自転車を探していたのだからあるわけがないわよ。
 もう一度、フィットネスクラブへ出向いて、自転車は無事確保。
 違う自転車に乗っていたにせよ、自分の駐輪した場所、覚えてないのかナァ~。

 さて、夜に帰宅した娘。
 「バンドエイドは?」という私の問いに「あ~あ~」
 「何か忘れているナァ~とは、思っていたんだけど・・・」
 マァね、バンドエイドの事なんか、心からすっ飛んじゃう気持ち、わからないでもないのだけど・・・

 朝から、ドタバタやっている家族を見ていて、息子が一言
 「な~にやってんだか・・・」

 本当に、な~にやってんだか・・・だわ(;^_^A
 


酒鬼薔薇聖斗の仮退院

2004年04月18日(日)


 日本は、今年も四季は巡り、綺麗だった桜の花の季節も終わり、新緑の春を
 迎えようとしています。
 少年Aは、今年の桜を何処でどのような気持ちで見たのでしょう。
 自分が7年前に犯した罪によって、もう2度と桜を見ることの出来くなってしまった被害者達に
 思いを馳せる事はあったのでしょうか。
 そして、何より、美しい桜を見て、「美しい」と感じる事ができたのでしょうか。
 3月10日に、仮退院してから、約1ヶ月、何を考え何を感じ、生きているのでしょうか。


 少年A・・・神戸連続児童殺傷事件の加害者である酒鬼薔薇聖斗。
 彼は、1997年6月28日に殺害と死体遺棄容疑で逮捕され、神戸地裁へ送検。
     その後殺人未遂、女児殴打殺人の容疑で再逮捕
 7月25日 地裁は3件を一括して神戸家庭裁判所へ送致、身柄を須磨署から神戸
       少年鑑別所に移送された(観護措置)。
 8月1日 家裁は、審判の決定を開始、
 10月17日 「医療少年院送致」の処分。
 同月20日 関東医療少年院送致。
 1999年11月 関東医療少年院から東北中等少年院へ移送。
 2000年7月 少年Aは20歳となる。
 同年同月 神戸家裁は東北少年院に収容されている少年Aについて「不安の種は尽きず矯正と
       仮退院の生活環境調整のため、継続が相当」として2004年末まで約2年半の収容継続
       を決定。
 11月 あらかじめ予定されていた課程により関東医療少年院へ移送。
 2004年3月10日 関東地方更正保護委員会がAの仮退院を認める決定ををし、Aは、仮退院。


 7年と言う短い期間で、本当に更正できたのか?
 仮退院は早すぎたのではないか?
 又、罪を犯すようなことがあったら、誰が責任を取るのか?
 という、多くの不安の声を聞きます。

 彼が、本当に更正したのかどうか・・・これは、本人を見ていない私も含めた第3者がわかるわけ
 ないのです。
 仮退院をさせるという判断をしたということは、ある程度社会復帰をさせることができるし、
 させなければならないと判断したのでしょう。
 何故なら、彼が少年法の適用された以上、無期懲役という刑は当てはまらず何時かは社会復帰を
 しなければいけないのです。
 それも少年法によれば、20歳迄しか少年院にはいられません。
 20歳を越える前に、家裁の審判を受ければ23歳まで延長ができますが、23歳になって出すと
 なると、今回のように保護観察はつきません。
 (医療少年院は26歳まで入院出来ますが、心身に著しい故障のある場合のみです)
 仮に23歳まで入院していたとなると、14歳から隔離された状態で、直ぐに社会復帰が
 出来るのでしょうか。
 又、23歳迄ならば、保護期間中に問題ありとなれば、少年院に戻る事になりますが、23歳を過ぎて
 しまえば、それも出来なくなるのです。
 
 彼を知る関係者からは「もう少年院でのカリキュラムはやりつくした。」とという声も聞こえます。
 あとは、保護観察を受けながら、現実の社会の中の人間関係で、更正の道を歩んでいかなければ
 ならないのなら、遅くは無い方がいいのでしょう。

 只ある新聞の社説には、
 「今後は男性が確実に更生の道を歩める環境の確保が不可欠だ。
 受け入れる側も差別や偏見を持たず、社会の一員として受け入れることができる
 かどうかが問われることになる。」と載っていましたが、
 本当にそう思うのなら、マスコミが報道しなければいいのです。
 被害者のご遺族には、彼の仮退院を通知する事は必要としても、何故大々的に発表しなくては
 ならないのでしょう。
 又、小泉首相は、法務省の仮退院公表について、「公表してよかったかどうかわからない」と述べ、
 理由について「マスコミの追跡で身元が分かった場合、更正にどう影響を与えるかが心配」と
 記者団に述べています。
 首相が政府の行政当局の対応を批判するのは異例な事なのですが、仮退院を公表するという話は
 前から出ていたのです。
 内閣総理大臣として、どうすべきかをきちんと指示できたはずなのではないでしょうか。

 また、どのような保護観察の指導を受けているかが気になるところです。
 当時のテレビ番組で、保護観察の指導の例えとしての一例で、電車(地下鉄)の乗り方と
 携帯電話の使い方があげられていました。 
 7年隔離されていたとはいえ、21歳の若者です。
 このような事は、指導せずとも直ぐに出来るようになるでしょう。
 こんな事が一例にあげられるような指導って一体どんなものなのでしょう。

 最後に被害者のご遺族の手記を彼の心に刻んで欲しいと思います。
 「加害者を許せるかと問われれば、それは永久に許すことはできません。
 しかし私たちが絶望を抱えたまま、そこに希望を切り開いてきたように、彼にもまた、深い絶望を
 抱えたまま人間として蘇生していってもらいたいと思います。
 自分という人間の輝きを発見することで初めて、彼は自分が奪ったものの真の価値に気づくと
 思うのです。」

 
 
 地方更生保護委員会
  刑務所からの仮出所、少年院からの仮退院を決定する機関。
  高等裁判所の管轄地域に合わせて全国に8箇所設置されている。
  少年院からの仮退院は、少年院側の申請に基づき、委員3人で構成する合議制で、
  可否を決定する。
  委員は、保護観察所、刑務所、検察所などの職員が務めている。
  


 
 


会う?会わない?

2004年04月15日(木)


 イラクで人質にされた3人の日本人のご家族が小泉首相に面会したいという。
 その理由は、(1)肉親が日本、イラクなど世界中を混乱させたことへの謝罪
 (2)政府が全力で対応していることへの感謝(3)家族の思い-を伝えるため
 と説明している。
 その中には勿論、「自衛隊の撤退」も含まれている。

 それに対して、首相は一貫して、面会を拒否している。
 何故?
 「ご家族達のお気持ちは、充分わかっているし、今お会いしても、人質の安全のためには、
 言えない事がたくさんある」という理由。

 でも、それは違うでしょう。
 確かに、公にしてしまったがために、犯人側に足元を見られて、日本は利用する価値があると
 人質の解放が遅れているっていう話もあるから、公に出来ない情報もあるでしょう。
 でも、ご家族達は、当事者。
 一度は解放されるという情報で喜んで、それからが長かったから、不確かな情報は、ご家族を
 苦しめるだけかもしれない。
 でも、不確かな情報でも欲しがっていらっしゃったし、今政府がどのように、人質を救出するために
 動いているかっていう事を、一番知りたいはず。
 
 外務省が対応しているからいい?
 ご家族のお話を直接聞き、今政府としては、自衛隊の撤退は出来ないけれど、こういう風に動いて
 いて、人質の方たちを救出するために、出来る限りの事はしている。って何故、自分の口で
 ご家族に説明して、励ます事ができないんだろう。 
 会いたいって言っているのに、会う必要はないって、拒否されているのと同じ事。
 人間味の無い人間・・・って、感じるのは私だけだろうか?

 ここまで書いたところで、3人の人質の方が、無事に解放されたというニュースが飛び込んできた。
 最悪な事態にならないで、怪我もなく、解放されて本当によかった。

 でも、新たに2名の日本人が行方不明だという。
 この方たちの安否が気遣われる。
 


首相の靖国神社参拝

2004年04月11日(日)


 4月7日、福岡地裁で小泉首相の靖国神社参拝を違憲とした判決が言い渡された。
 国民の間でも首相の靖国神社参拝については、賛否両論ある。
 それがいいか悪いかは別にして、今回「違憲」との判決が出た以上、小泉氏がどんな不満を
 持とうと、この判決に従うべきである。
 たとえそれが、最終的な違憲立法審査権を有する最高裁の判決でなかったとしてもだ。

 3月24日、尖閣諸島に上陸した中国人を逮捕した時に、小泉氏は
 「法律に従って対処することは、法治国家として当然のことだ」と述べている。
 この言葉を、そのまま今彼に返したい。

 日本は小泉氏の述べた通り、法治国家なのである。
 小泉氏が、どんなに判決に不満を持っていようと、法治国家の国民の一人として、従わなければ
 ならない。
 それを、これからも参拝を続けるなどという事はもっての他である。

 更に、「公人」ではなく「私人」として・・・という考え方も姑息な手段と言わざるを得ない。
 小泉氏が「私人」として靖国神社参拝をしようと、近隣諸国には、日本国首相が参拝したのと
 何ら変わらないだろう。

 参拝のたびに遺憾や抗議を表明してきた韓国・中国を無視し、中韓関係を悪化させているのは、
 事実である。 
 其処までして、靖国神社参拝をする意味が何処にあるのか。 
 「戦没者に心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい。」と言うのなら、無理に靖国神社に赴かなくても
 首相官邸で、心静かに戦没者のために、祈りを捧げていればすむ事である。
 
 「一度掲げた方針を曲げた」と言われるのは小泉氏が最も嫌う事だと言う。
 しかし、その「掲げた方針」が間違っていた時には、潔くそれを認め、方針転換する勇気を持つ事も
 一国の首相にとして、必要不可欠な事ではないだろうか。

 


小学校入学式

2004年04月07日(水)


 子供達が卒業した小学校のPTA役員のOB会の副会長を未だにしている関係で、先日
 小学校の入学式に参列しました。

 男子31名、女子31名、合計62名の新一年生。
 これが、全国から見て多いのか少ないのかは、わかりませんが、近隣の学校の中では、
 学区内の家庭数に比べて、多いのです。
 この地区では、少子化傾向はなく、各家庭2人の子供は当たり前、3人のご家庭も多く、中には
 4人の子供がいるという家庭も珍しくありません。
 私の子供を通しての友達も殆どが・・・先日一緒に旅行した友達も・・・3人の子持ちなのです。

 さて、入学式に話を戻して・・・
 私は他の学校の入・卒業式に参列した事がないので、他校の事は知りませんが、この学校では、
 入(卒)業式は、所謂対面方式で行われます。
 子供達は、舞台を背にして座り、校長を始めとする教職員・来賓は、後方に前向き着席し、左手
 には父兄、右手には在校生(2・6年生)、という形です。
 卒業式だと、真ん中に赤の絨毯が花道のように敷かれ、一人一人の卒業生が其処を通って、校長
 から卒業証書を授与されます。
 入学式の時は、担任から呼名され、一人一人が校長と握手をします。
 幼い子供達は、校長先生と握手をしてどんな感じだったのでしょうね。
 入場は新6年生に手を引かれて、席につきますが、この6年生とは“仲良しさんココンビ”となり、
 朝自習・お昼休み・掃除当番などで、色々学校生活を教えてもらう事になります。
 新6年生の方は、小学校の最上級生として、この日が最初のお仕事なので、ちょっと緊張した
 面持ちでした。
 
 緊張しているのは、新6年生だけでなく、新1年生の担任も同じでしょう。
 特に、それまで、どちらかと言うと、高学年の担任だった先生方は、そのギャップに1年間大変
 なのです。 
 我が家の子供の5・6年の担任は、それまで、5・6年担任が当たり前のように繰り返してきた先生で
 「○○小の赤鬼・青鬼」と噂されるほど、怖い先生でした。
 その先生が、卒業生を見送った後、新1年生の担任になった年、先生は1学期でゲソッと痩せ
 ました。
 何しろ、今まで普通に使っていた日本語が通じない!んだそうです。
 そんな時、中学へ進学した教え子が、ニヤニヤしながらも「先生、頑張って」と言った言葉が何より
 の励みになったそうです。
 ・・・というのは、後日、先生が話してくれたのですが・・・。

 さて、新1年生は、何といっても可愛いですよね。
 我が子にもこんな可愛い時代があったのだなぁ~と懐かしく思い出しました。
 ・・・我が家の息子「今だって充分可愛いじゃん」と言っていましたが・・・

 可愛いのは、子供達ばかりではありません。
 父兄も初々しいのです。
 今の時代は、父親も会社を休んで、両親揃って出席している家庭も珍しくありません。
 皆、ビデオ・デジカメを構えて、我が子を見逃さないように、必死です。
 子供達のこれからの人生は、楽しく、嬉しい事ばかりではありません。
 悲しい事や辛い事も沢山待っている事でしょう。
 ご両親は、これからも今のように自分の子供達を見逃す事のないように、しっかりと見守っていって
 欲しいと思います。
 時には、自分の子供なのに、その心が見えなくなる事もあるかもしれません。
 それでも、無関心になる事なく、(或いは無関心を装う事無く)少なくても子供と向き合い、
 子供の心を見つめる努力はして欲しいのです。
 そうすれば、親の心はきっと子供に届く日が訪れる・・・そう思います。
 そう信じたいと思います。
 
 
 


出版差止裁判の終決

2004年04月06日(火)


 4月2日に書いた「週刊文春」の出版差し止め問題で、その後情勢が変わったので、少し触れておく。

 先ず、文春側は、未出荷分を販売しない事を決定した。
 これは、高裁の判決を受けて、当初読者や書店の要望があれば通常の流通ルートを通して販売する
 予定であったが、これを取りやめた。
 何故なら、取次店や書店の要望がなかったためだ。
 「表現の自由」は認められたとはいえ、「プライバシーの侵害」は高裁によっても
 認定されたのだから、それを敢えて販売するという事を、書店は「良し」とはしなかった。
 当然といえば当然の選択である。

 又、田中真紀子衆院議員の長女側も、高裁の判決後、当初は最高裁へ特別抗告する事を
 表明していたが、これを取りやめた。
 元々、最高裁の役割は、憲法違反や判例解釈の誤りを正す事にある。
 この場合、「表現の自由」は憲法違反ではないし、「事前差し止めが必要などほどのプライバシー
 侵害」という判例も無いので、恐らく、「被害が重大かどうか」という事については高裁の判断に
 立ち入る事無く抗告を棄却する可能性が高かった。
 それに、田中側弁護士が言っているように、仮処分とは「仮」という名前の通り時間のかかる
 本訴では間に合わない時の急務的な訴えである。
 今回週刊文春がこれ以上未出荷在庫を販売しないという事で、継続の意味がなくなり、
 本訴(例えば、謝罪・損害賠償等)を請求すればいい事になる。

 結局、「表現の自由」と「プライバシーの侵害」の問題は、これからも、個々のケースにおいて
 どちらを優先させるか、その都度判断する事になった。
 今回をみても、非常に微妙な問題であり、地裁と高裁の判断が分かれたように、担当裁判官の
 プライバシーの捕らえ方によって、重要な判決が左右されてしまう。

 益々大変だね。裁判官も。
 普段から、狭い社会に閉じ篭ってしまうのではなく、色々世間をみて、広い視野を持っていて欲しい。
 
 
  
 
 
 


回転ドア死亡事故

2004年04月05日(月)


 東京の六本木ヒルズで、春休み中に家族で旅行来ていた6歳男児が回転ドアにはさまれ死亡する
 という痛ましい事故が起こってしまいました。
 その後になってから、実は死亡事故ではなかったにせよ、回転ドアに挟まれて怪我をしていたと
 いう事故が多発していた事がわかってきました。
 
 私は、運動音痴のせいか、大人になっても、あの回転ドアに入るタイミングが難しくて、普通の
 (自動)ドアが併設してあれば、それを利用しています。
 
 何故、あの回転ドアが必要なのか、わからなくて、調べてみたら、2つの理由がありました。

 一つは、省エネ・遮音効果。
 空調効果が高く、扉が常に内外の空気を遮断しているので、従来の自動ドアに比べるとかなり
 省エネになります。
 法的にも、平成11年の省エネルギー法の改正により、それまで規制対象になっていなかった
 事務所ビル、ホテル、デパート、学校、病院などが新たに対象となり、省エネに効果のある
 回転ドアの採用に貢献しています。

 もう一つが床面に段差がないバリアフリー製品であること。
 但し、こちらの方は2000年に都が「福祉のまちづくり条例施設整備マニュアル」中で、
 バリアフリーの視点から、回転ドアについて「車いすでの利用は困難であり、視覚障害者や歩行
 困難者も危険が伴いやすいため、(設置を)避ける」とし、設置する場合は横開きの自動ドアなど、
 ほかの扉も併設すべきだ」と指摘していますから、回転ドアがバリアフリーなのかは、甚だ
 疑問です。
 そう、どう考えても、私には、あの回転ドアが、バリアフリー製品とは、思えません。

 今回の痛ましい事故は、幼い子供でしたが、今までの事故には、お年寄りも多く含まれていると
 聞きます。
 省エネ対策も必要なのかもしれないけれど、それよりも安全性の方がもっと大切なものでしょう。
 今までにも、多くの事故が起きていたというのに、明確な安全基準すらありませんでした。
 大きな事故が起こらないと、動かない。
 人の命が奪われるという事は、後からどんなに悔いても遅いのに。

 何故、慣れない土地で幼いお子さんの手を離した?という思いもあったけど、防犯カメラに写って
 いた子供は、それまで、母親と手をつないでいたが、ドアに近づくと手を離し、母親の少し先を
 小走りでドア内に入ろうとしたと聞きました。
 子供にしてみれば、回転ドアの方が面白く見えたのでしょう。
 あっという間の出来事で、母親が注意する間もなかったのかもしれない。

 どちらにしても、この痛ましい事故は、避けられるべき事故でした。
 誰がどんなに悔いても、失われた幼い命は二度と戻って来ないのです。
 


プロ野球開幕

2004年04月04日(日)


 気がついてみれば、今年もプロ野球の開幕しましたね。
 
 例年、この時期、昼間は高校野球、夜はプロ野球を見ているけど、高校野球の方も明日が決勝戦。
 1試合もまともに見てないなぁ~。
 っていうか、神奈川・東京代表は何処の高校だったのかも知らなかった。
 
 えーそれで、巨人は阪神に2連敗。
 投手軍の総崩れ・・・って、去年と何にも変わってないじゃん!
 それでも、昨年は、一応試合終了まで、テレビを見たり、ラジオを聞いたりしていたけど、
 今年はもういいやぁ~って、何処か冷めています。
 
 昨年の巨人の監督交代劇が未だ尾を引いているのか、私にとって「巨人」というチームが魅力が
 なくなったのか、私の心が他の事で占められているのか・・・。

 私の子供の頃は、ONの全盛時代で、巨人の9連覇の頃。
 色々言う人がいるけれど、根っからの長嶋ファン。
 ちょっと古くなるけど、高田・土井・篠塚選手が好きだった。
 今の巨人で言えば、上原・工藤・河原投手と元木選手と、昨年までいた川相選手。
 
 でも、他球団にも好きだった選手がいなかったわけではない。
 その筆頭が、星野さん。
 それに、落合・川口・高木(守道)・福本(豊)・村田(兆冶)・・・
 今年の中日は落合新監督の元、川相選手もいるから、何時の間にか中日を応援しているかもね。
 長嶋さんがアテネオリンピックの監督が無理そうだから、星野さんにやって欲しいと思っている
 けど、星野さんの体調を考えると、それは無理なお願いでしょうね。
 
 原(前巨人監督)さんのお父さんと横浜でスポーツ店をやっている伯父が知り合いで、
 私が大学時代、そのスポーツ店でレジのバイトをやっている頃は、何度か会ったよ~。
 社長(伯父)の姪という特権で、応接室でお喋りしちゃったりして・・・
 懐かしい思い出なのです。

 子供達が卒業した小学校の体育科の先生が、高校・大学と野球部で原さんの後輩だったと
 いうので、忘年会の時に伯父のスポーツ店の話をしたら
 「えー僕、よくその店に買物に行きましたよ。
  じゃー若い頃、rokoさんときっと会っているんですね。
  世間は狭いなぁ~」
 と、昔話で盛り上がった事もありました。

 何かタイトルから逸れちゃいました(;^_^A

 
 
  

 
 


尖閣諸島

2004年04月03日(土)


 3月24日、日本・中国・台湾が領有権を主張している尖閣諸島の魚釣島に中国人活動家7人が
 上陸、沖縄県警が「出入国管理法違反(不法入国)」で逮捕した。
 「出入国管理法」の65条(刑事訴訟法上の特例)は「その者が他に罪を犯した嫌疑のない時に
 限り、入国警備官に身柄を引き渡すことが出来る。
 この場合身柄を拘束してから48時間以内にこの手続きを取らなくてはいけない。」とある。

 今回の場合、東京の政治団体が魚釣島に建てた神社のほこらが損傷しているため、捜査当局は
 七人を送検し、刑事手続きを進める方針を固めていたが、結局、政治的配慮で「他に犯罪容疑が
 ない場合、入管に身柄を引き渡すことができる」との規定を適用した。
 しかし、捜査当局には「手緩い」という批判もあったという。

 尖閣諸島の領有権を主張している中国にしてみれば、自国の領土に上陸して「不法入国」強制
 送還されるのは、納得できず、中国政府に強硬な態度で臨むように求めている。

 日中両政府は、自国の領有権を主張して言う事には変わりないが、この事が日中間の関係に
 悪影響を及ぼすことを避けようと努力している。

 元々尖閣諸島は、1885(明治18)年以降日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により 
 再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる
 痕跡がないことを慎重確認の上、1895(明治28年)1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議
 決定を行なって正式にわが国の領土に編入した。
 日清戦争の講和条約である下関条約(1895年5月)に基づき、清国より割譲を受けた台湾および
 彭湖諸島には含まれていない。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、日本が放棄した領土のうちには
 含まれず、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、沖縄返還の時(1971年)に
 日本に施政権が返還された地域に含まれている。
 
 ところが、1968年(昭和43年)、国連・アジア極東経済委員会が、尖閣諸島の海域にも大規模な
 海底油田・天然ガス田があると発表した事から、1970年代に入り、中国、台湾が領有を主張する
 ようになり、中国は、台湾に付属する島々とみなして1992年、中国領と明記した領海法を制定した。
 (日本側の主張)

 現在尖閣諸島は、無人島ではあるが、日本の住所を持っていて(沖縄県)、選挙地域も沖縄第4区
 に含まれている。
 しかも、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島の4島は、埼玉県在住の古賀氏が所有
 するれっきとした「民有地」であり、日本政府が年間約3000万円で所有者から借り上げている。
 このように、日本が実効支配はしているが、中国側にも国民に領有意識があって
 お互い引くに引けない立場なのだろう。

 しかし、大騒ぎをしている尖閣諸島だが、諸島全てを合わせても、芦ノ湖に入ってしまう
 今回問題となった魚釣島だけだと、日比谷公園ぐらいの大きさという。
 要するに、石油というお宝がなければ、こんなに両国間がぶつかり合う事もなかったのだろう。
 石油の開発も平和的に、両国の共同作業で・・・というわけには、いかないものなのだろうか。
 両国とも、尖閣諸島問題より大事な問題は沢山あると思うのだが・・・









高裁の判決

2004年04月02日(金)


 田中真紀子衆院議員の長女の私生活に関する記事を掲載した「週刊文春」の出版禁止を命じた
 東京地裁の仮処分決定について、東京高裁は31日、発行元の文芸春秋の抗告を認め、出版禁
 止命令を取り消す決定をし、出版禁止命令は効力を失った。

 
 但し、文芸春秋の「全面勝訴」ではない。

 
 高裁決定はまず、プライバシー侵害と事前差し止めの当否を判断する際、①公共性 ②公益目的
 ③被害者に重大で著しく回復困難な損害を与える恐れがあるか・・・の3点で考えるのが妥当とした。
 文春側の異議を退けた東京地裁決定と同様に、①と②の記事の公共性と公益目的を否定し、プライ
 バシー侵害を認定した。
 しかし、記事の対象となった私生活自体は、「社会的に非難されたり、人格的にマイナス評価をもた
 らす事柄ではなく、日常生活では、どうということもなく耳にし、目にするものにすぎない」とし、
 重大で著しく回復困難な損害を被らせる恐れがあるとまでは言えないと指摘。
 
 一方、事前差止については、「民主主義体制の健全な発展のため、憲法上最も尊重されなければ
 ならない『表現の自由』の重大な制約」であり、損害の程度と制約の弊害を比較すると、
 事前差止は認められないと判断した。


 つまり、田中真紀子衆院議員の長女を私人と認めた上で、その記事が、プライバシーの侵害で
 あり、「公共性と公益目的がない」というのと、「事前差止」の間には、大きな隔たりがあるという
 事だ。
 何故なら、事前の出版差し止めの処分は、戦前言論弾圧を招いた検閲につながりかねず、重大な
 問題をはらんでいる。
 だからこそ、出版物の事前差し止めは例外中の例外なのである。。


 でも、「重大で著しく回復困難な損害を被らせる恐れがあるとまでは言えない」かどうかを
 判断するのは、本来本人である。
 一個人の冠婚葬祭が雑誌に掲載する事にどれだけの意味があるのか。
 
 私人の離婚記事が、「表現の自由」と「プライバシーの侵害」と言った大きな問題になったが、
 「売れればいい」と考えた出版社が、私人の許可も貰えないまま、その記事を掲載したところ、
 「事前出版差止請求」という思っても見なかった反撃にあった、といった感じがする。
 出版禁止命令は効力を失ったのだから、文芸春秋側は、この記事を載せた雑誌の販売を決定した。
 東京地裁から出版禁止命令を受けた時点で、書店などに届いていたため差し止め対象にならなかっ
 た同号74万部は「ほぼ完売に近い」であり、残りの27,000部(3000部は問題とされた田中真紀子
 衆院議員の長女に関する記事を切除して定期購読者に既に送付済み)も完売するだろう。
 田中真紀子衆院議員の長女側は、最高裁に抗告するというが、たとえ、其処で最高裁が「出版禁止
 命令」の判決が出たとしても、回収不可能となる。
 逆に裁判を起したことによって、話題になった雑誌の売れ行きが好調だという事は、皮肉だ。

 
 裁判って、お金も時間もかかって、かなり大変な事。
 普通、離婚した女性って、自分の生活に精一杯で、中々裁判を起こそうという気持ちに
 なれないと思う。
 まで、これから、最高裁に抗告するだろうし、高裁でも「プライバシーの侵害」は認定されたの
 だから、民事裁判で「損害賠償請求」もするだろう。
 やっぱり、其処まで出来たのは、田中真紀子の長女だからだろうなぁ。
 それに文芸春秋と言えば、故田中角栄元首相の金脈追及した出版社(1974年、立花隆氏が
 月刊「文芸春秋」誌上に執筆した「田中角栄研究-その金脈と人脈」が、首相退陣の引き金と
 なった)であり、何か因縁深いものを感じてしまう。
 


エイプリルフール 4/1追記

2004年04月01日(木)


 ご存知、エイプリルフール(April Fool's Day)とは、毎年4月1日には人をからかうような、害のない
 嘘をついてもよい、という風習のことである。また、この風習から4月1日自体を指すこともある。

 この日には、新聞がジョーク記事を掲載したり、実用性のない冗談RFCが公開されたり、
 ウェブサイトが大がかりなジョークページを公開したりといったことが行われる。
 
 その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、
 1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。
 これに反発した人々が4月1日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのが
 エイプリルフールの始まりと言われている。
 また、インドで悟りの修行は春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが
 生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。

 「日本インターネットエイプリル・フール協会」などというものまであって、
 インターネットエイプリル・フールのネタ相談やネット上のエイプリル・フール
 企画の情報収集 をやっているらしい。

 昨年、私は日記で題名“エイプリル・フール”として、本文に「今日をもって、
 このサイトを閉鎖いたします。(略)」と書いた。
 ・・・当時の常連さんに一人が本気にしちゃって・・・(;^_^A
 でも、このネタ、一番多いらしい。
 
 さて、今年はどうしようかなぁ~。

<追記>
 エイプリルフールのグリーティングカードを送りました。
 もし、引っ掛かっちゃった人がいたら、ごめんなさーい。
 ε=ε=ε=ε=ε=┏( ・_・)┛

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