rokoのNotebook


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my wish誕生記。

2002年11月29日(金)

1983年11月29日午前8時34分 my wish(長女)誕生。
出血量 多量・・・もう一歩で輸血が必要だった。

前日の定期検診後そのまま入院。
生まれそう・・・だったのではなく、私が骨盤が狭いために赤ちゃんがこれ以上大きくならないために予定日よりあまり遅れることなく生ませようっていう事だった。
骨盤は体重に比例するのではなく、身長に比例する。
従って小柄の私の骨盤は狭いらしい。
私には、3000gが、自然分娩できる限度で、この時点ではちょうど赤ちゃんがその位だろうという予想だった(結局は羊水が多くて、赤ちゃん自体は小さかった)。

入院して陣痛の兆候なし。
夕食後主治医が「明朝レントゲンで赤ちゃんの大きさをもう一度見てみる」と言いにきた。
その明朝を待つことなく、夜中から陣痛がはじまった。
ナースコールをしても反応なし。
仕方ないから陣痛5分間隔になってから、自分でナースステーションへ向かい、そのまま分娩室へ。
この世とは思えない痛さにウーウー言って堪えているのにその夜宿直の助産婦は、何と平然と私の傍で女性雑誌を見ている・・・
陣痛3分間隔になったところで、その助産婦さんが言った言葉。
「そろそろお医者さまを呼んでもいいんだけど、今呼ぶと深夜料金取られるよ。どうする?」
この言葉一生忘れないよ。さっさと呼んで!

いや〜、検診の時は結構強面で怖い先生だと思っていた主治医がこの時は神様に見えた。
で、主治医の診断は「病棟の主治医があと1時間で来るから、その先生と相談して帝王切開にするかどうか決めよう」
え?何時もは偉そうな事言っていたのに一人で決められないの?
病棟の主治医が来るまで、痛みは益々増すけど、生まれる兆候なし!
1時間後2人の医師の相談の上、帝王切開と決定。

その決断を聞いて、これでこの痛みからも逃れられる・・・と思ったけど、そううまいことはいかなかった。
帝王切開って「手術」なので、家族の同意書が必要となり、ツレが来院するのを待つ。
その間、手術前の検査で心電図とったり、採血したり。

後で聞いた話によると、ツレは前日主治医から私が夕食後聞いたのと同じ説明と「生まれるのは2〜3日後」と聞いていたので、病院から連絡があった時は出社する直前だったそうだ。
「分娩室に入った」という連絡もなく突然「緊急帝王切開」と聞いたツレは「何事が起きたのか?」と真っ青になって飛んできた。

いざ、手術室へ。
またまた、これが大変。
分娩室があったのは、旧棟で、手術室があるのは新棟。
旧棟には、エレベーターもエスカレーターもない。
旧棟と新棟を結ぶ渡り廊下のある階まで、階段を自力で歩かなくてはならない。

帝王切開が決まった時点で「陣痛を止める薬」を注射していたけど、そんなの速攻で聞くわけがない。
つまり、陣痛が起きているにもかかわらず、渡り廊下があるところまで歩かなければ、話は先に進まないのであった。

こうして産声をあげたのが「my wish」である。

麻酔が切れた後(全身麻酔)、病室にきた主治医の説明によると
「廻旋異常を起こしていた上に、地頭骨盤不適合だった。もっと早く帝王切開に踏み切ってあげればよかった。」
つまりは、臍の緒が赤ちゃんの首に巻きついていた上に、赤ちゃんの頭が私の骨盤に入っていなくて、あのまま自然分娩を出来る状態じゃなかったって事。

やっとの事でこの世に生を受けた娘は、今日19歳になった。


優先順位

2002年11月28日(木)

日常生活の中でも優先順位を決めなくてはならない事に直面する。
それは、時に(優先順位をつける事で)他人を巻き込んでくる。

北朝鮮から帰国した曽我ひとみさんに駐日アメリカ大使から「11月25・26日(ちょっと日にちはアヤフヤ)どちらかの日に面会してもよい」という申し入れを町長の都合がつかず、断ったそうだ。

何でも前から大事な公用が予定されているとの事。
その公用とは(一つは忘れたけど)、視察でアチコチの小学校へ廻る事。

そっちが先約だっていうのはわかるけど、それってそんなに大事な公用?
曽我さんは、今アメリカ人のご主人が微妙な立場で、強硬なアメリカに対しては、どんなルートを通じてだって「お願い」したいだろう。
駐日アメリカ大使の方から申し入れのあったチャンスを逃してしまうほど大事?
大げさかもしれないけど、こちらは曽我さんたち家族の行く末に関する重大な事だと思う。
(視察される)子供たちだってちゃんと理由を話せばわかってくれるのでは?

それに、どちらの用事もどうしても「町長」でなくてはならないのか?
何のための「副町長」?
それともそんなに頼りないのかな?
少なくても駐日アメリカ大使に会って色々話をすればいいのは、曽我さん個人であって、付き添いは「町長」に拘る必要はなかったのではあるまいか?

次に面会出来る予定は未定だという。

駐日アメリカ大使が、今回せっかくの申し入れを断ったという事に不快の念を抱いてなければいいけど・・・


円錐角膜のお話

2002年11月26日(火)

日記の方にも少し書いた私が発病した「円錐角膜」という病気について書いておく。


円錐角膜とは、角膜(黒目の表面の透明な膜)が、薄くなり、前方へ円錐状に突出してくる進行性の病気。
多くは両眼性で、女性の場合1万人に1人という珍しい病気。
初期の段階では診断がつきにくく乱視と診断されることもよくある。
進行の度合いは人により様々で、数ヶ月の間に進行する場合もありますが、何年もかけて進行する場合がある。
多くの場合30歳前後で進行が止まるといわれていますが、40歳、50歳になって急激に進行する場合もある。

症状は?
 視力低下や見え方のゆがみが円錐角膜の初期症状で、多くの場合、10代後半思春期から20代前半に発症する。
 ごく初期には、まぶしさや光に過敏になるなど、見え方に軽い変化がおこるだけで、右目と左目の症状に差があることもある。
病気が進行して、角膜の突出がつよくなり、角膜に濁りが生じると見え方にゆがみが生じる。
 角膜に浮腫(腫れ)がおこって突然視力が低下することもあり、この角膜の腫れは角膜が円錐状に突出することによって、角膜の内面にある弾性繊維の膜に小さい裂け目が生じておこる。
この角膜の腫れは数週間から数ヵ月間続きますが、裂け目が修復されると徐々に瘢痕組織に置き換わる。

治療法は?
 初期段階(裸眼で0.6程度)の症例では眼鏡、中等度(裸眼で0.02程度)までの症例では、ハードコンタクトレンズ(HCL)を使えば、視力が矯正できる。

 コンタクトレンズで視力が出なくなると、手術が必要になり、また、コンタクトレンズで違和感の続く人も手術の適用になる。
手術としては、角膜全層を入れ換える全層角膜移植術を行う。



私が「円錐角膜」と初めて診断されたのは昨年の1月12日。
今まで使用していたハードコンタクトが製造中止になるため、新しいコンタクトを作りに行って視力検査をしたところ、コンタクト装着時でも左目が(1.5⇒0.4)と落ちていたため、そこに来ている眼科医の診察を受けて「円錐角膜」と診断された。
3年間、義母の看病・逝去・転居と忙しかったのと、何の違和感もなかったので、コンタクトの検診を怠けていた。

 子供の頃から近視に加えて乱視はあったが、少なくても3年前まで両眼とも矯正視力が1.5あったし、何度かアレルギー性結膜炎で眼科医の診察は受けた事があるが、今まで一度も指摘された事もなかった事から考えてもこの3年間の間に発症したものと思える。
 
 上の説明から考えても、片目だけ、しかも発症年齢が遅いという事で、珍しい病気の上に更に珍しいらしい。

 さて、コンタクト屋(?)で診断を受けた翌日、かかりつけの眼科医で再度診察を受け、確かに「円錐角膜」で、定期的に検診が必要だと言われた。
そこで定期検診を受けてもよかったが、開業医であるため、何れ万が一角膜移植が必要となったら、まだ病院を変えなくてはならない。
なので、最初から角膜移植が可能な病院を探す事にした。

こういう時に大活躍するのがパソコン(ネットの世界)。
角膜移植に実績があって、出来れば円錐角膜の専門医がいて、我が家からも通院できる範囲・・・
幾つかの病院をピックアップして、各々の眼科へ電話してみて、一番感触がよかったのと、助教授が円錐角膜の専門医だったこと、ハードコンタクトでも痛みが酷くなった時には直ぐ移植ではなくてピギーバック(Piggy Back)(ソフトコンタクトの上にハードコンタクトを装着する方法)を取り入れている今の病院を選んだ。

 日記にもあるように、普通の人が使用するコンタクトでは度が出なくなってしまったので、円錐角膜用のコンタクトを使用する事になったが、ハードコンタクトをしていて違和感(痛み)が全く無いというのが、救いである。

 普通はもう進行が止まっている年代・・・マァ私の目は若いってことですね(笑)。




高円宮憲仁殿下 薨去

2002年11月22日(金)

大学時代に戦前の底辺社会を専門にしていたせいもあって、制度としての「天皇制」には積極的に賛成ではない。
はっきりいえばあってもなくてもいいと思っている。
憲法の「平等の精神」から鑑みれば違憲だとは思うが、今の天皇制だったら存続しても毒にはならないだろうから、敢えて潰す必要もないだろう。
尤もあちらの使うお金がこちらの代金だと思うと納得出来ないけど。
それに今の愛子さまフィーバーには、ほとほと愛想がつく。
あの年齢の幼児は可愛いに決まっている。
親バカを承知でいえば我が家の子供たちの方が可愛かった。

前置きが長すぎた。

流石に基本的知識として今の皇族の系図は頭に入っている。
しかし名前と顔が一致するのは天皇一家にとどまる。
あの「ひげの殿下」が若かれし頃ゲスト出演した深夜放送は聞いて事があっても名前は?と聞かれると心許無い。
昨夕ニュース速報で「高円宮殿下緊急入院」と流れてもどの殿下か写真を見るまでわからなかった。もちろんひげの殿下の弟であることも。
詳細がわかるに従って、驚いた。
皇室の中でも一番元気そうで溌剌としていた方ではないか。
ご両親がご高齢の上に長兄(ひげの殿下)が7回のガン手術で無理はきかない、次兄も車椅子生活で公務などの責任が全て殿下にかかり、知らずのうちに無理が重なっていたのだろうか。
多分スカッシュは彼にとって息抜きの時間だったであろうに、皮肉で最悪の結果になってしまった。

突然ご子息を失ったご両親悲しみ、いつもお元気だったお父さまを失ったまだ年若いお嬢さまたちの悲しみはいかばかりか。
それ以上に生命補助装置を外すことに同意した(するしかなかった)妃殿下のお気持ち。

人間の生命のはかなさ、人間の悲しみに皇族も一般市民も区別はない。

合掌


読売巨人軍 渡辺恒雄オーナー殿

2002年11月21日(木)

前ヤクルトのロベルト・ペタジーニ選手の巨人への入団が決まったそうですね。
先日貴方が「これで松井の穴は埋まった」と、嬉しそうに記者たちに話していられるのをテレビで拝見しました。

松井の穴が埋まった?
何故、巨人以外の選手に頼ろうとするのでしょう?
松井の穴さえ埋まれば、いいのですか?
そのために、私たち巨人ファンが厭な思いをしているのがわかりませんか?
これで優勝しても「また、巨人はお金に物を言わせた」と言われ、優勝できないと「あれだけの戦力を持ちながら優勝できないなんて〜」と言われるのですよ。

巨人には優勝しなければならないという使命がある?
それって、驕りのような気がするけどね。
仮にたとえそうだとしても、何をしてもいいっていうことじゃないと思いますよ。
巨人ファンでさえ、嫌気がさしています。

いい加減にしろ〜!

間違っても、もうこれ以上他の選手に手を出すなんて事はしないで下さい。


 
ロベルト・ペタジーニ選手へ
どーも、早々に巨人入りを決めてくださったようで・・・
マァグズグズ揉めなかっただけ良しとしますか。
私個人としては、別に貴方の入団を望んではいなかったのですがね。
入団した以上は、巨人の足を引っ張らないで、せいぜい頑張って下さいませね。


ワンちゃんとネコちゃんの違い

2002年11月20日(水)

ネコちゃんやワンちゃんを拾ってきたとしよう。

そのネコちゃんとワンちゃんの飼いネコ(犬)かどうかわからない場合(首輪などをしてない)、野良猫(野良犬)と見なされる。
なので、お家に連れ帰って飼うのは構わない。
でも、お家に持ち帰って飼い出した後、本来の飼い主が現れて「返して」と言われた時には返さなくてはいけない。
この場合、拾って飼っていた間の餌代などは、要求する事が出来る。

ネコちゃんとワンちゃんが首輪をしていて、明らかに飼われていたものだとわかる場合は、拾得物と(つまりはおとしもの)と見なされる。
拾得物なので届け出なくてはいけない。
ここまでは、ネコちゃんもワンちゃんも同じ。
ところが、届けなかった場合が違ってくる。
ネコちゃんは拾得物横領罪が適用されるが、ワンちゃんの場合はなんと窃盗罪となる。
何故か?
ワンちゃんの場合には、元々お家に帰る本能があるので、それを勝手に盗んでしまったという事になるらしい。

嘘のような本当の「法律」のお話でした。


日米野球観戦 ・・・松井、日本での最後のユニフォーム姿

2002年11月17日(日)

日本シリーズが終わってすぐにFA宣言・大リーグ行きを表明し、その後も優勝パレードをはじめとする色々なイベントも続き、心身ともに疲れているのだろう。
この日米野球の松井は、日本のプロ野球で最後の姿だというのに(数年たって帰ってくるのなら別だけど)、大した活躍もせずに終わってしまった。
ヤンキーズの関係者も来ていたのにね。

今日の松井選手の成績
1回1アウト1・2塁三塁ファールフライ
3回2アウトシングルヒット(センター前)
6回1アウトファーボール
7回2アウト1・2塁ファーボール(ウォーク)
9回2アウト1塁 セカンドゴロ

9回は1番から始まったので、一人でも出れば松井まで回る。
松井(西武)が内野安打で塁に出たあとは、勝負というより「ダブルプレーを打つな」という観客の声援。
清水(巨人)と中村(近鉄)のプレッシャーは凄かっただろうナァ〜。
今日、いい所のなかった中村のあたりはセンターの頭上を襲う素晴らしい者だったが、ハンターの超ファインプレーに阻まれた。
敵も味方もなく割れるような拍手・・・敵であろうと素晴らしいプレーに拍手を惜しまないのは、サッカーのワールドシリーズの時も指摘されたが、日本の観客の素晴らしいところ。
因みにハンター選手は超ファインプレーでこのシリーズのMVPを獲得した。
松井にホームランが出れば同点というお膳立ては揃った最終打席だったが(尤もあまり打てそうになかったけど)、結果は内野ゴロで終わった。
ここぞと言う時に打つという千両役者は、やっぱり清原の方が上かなぁ〜。

試合が終わった後、暫く観客は席を立たなかった。
表彰式が行われていたせいもあるけど、その後松井がもう一度登場する事を期待するファンが多かった。
ドームのファンの前で最後の挨拶をしてもいいのに・・・


それにしても(特別ファンっていうわけじゃないけど)、イチローはやっぱり凄い。
このシリーズ前半は全く打てなかったけど、徐々に調子をあげ、今日は4打数4安打で、バントヒットあり、盗塁ありで、今日の試合のMVP。

オーロラビジョンに移る文字
ファーボールはWALK、点数が入るとWELCOME HOME

2階席には売り子さんって来ないんですね。
お弁当のメニューが席に置いてあって、注文する人は、手をあげて係りの人を呼ぶ・・・最初はそのメニューに気がつかなかった^^;

賞金、勝利チームに1000万、優勝チームに5000万。

さて、火蓋は切られた。
何処のチームに行く事になるかわからないが、巨人の4番打者はあの程度かと言われない成績だけは残して欲しいものだ。




旧正田邸はどうなる?

2002年11月16日(土)

美智子皇后の生家の取り壊し問題が二転三転している。
軽井沢・群馬が「移築」を申し出て一件落着するように思えたが、美智子皇后の「生家を残すつもりはない」との発言で、また振り出しに戻った。

相続税の物納だから、移築するのにまた億単位のお金がかかるわけだから、皇后としても真意はどうであれ、ああいう発言をするしかないだろう。
私自身は父が所謂転勤族で、社宅住まいが続いたのでとっくに「生家」なるものはない。
だから嫁いだ女性が「生家」を失う寂しさは想像するしかない。

でも、どうなのかな?
ご両親がご健在の時ならまだしも(それでも里帰りは中々出来なかったであろうが)、誰も住んでいない今、建物だけ残されてもねぇ〜。
頻繁に見に行ける訳でもないし・・・

最近では品川区が買い取って公園にするという話も持ち上がっている。
公園にすると結構色んな人が寄ってきて、下手をすると夜でも煩くなるけど、廻りの住民はそれでいいのかな?
結構住宅地だったような気がするけど。

誰かお金持ちがバーンと買い取って住めばいいのに。
紀宮が結婚後に住むとか・・・(旦那さんになる人が買い取らなくては駄目?)

個人的に言うと、どんなお家か覗いてみたい野次馬根性は持ち合わせているけど、記念写真を撮りに行ったり、署名する程までには興味がない。


脱北者

2002年11月15日(金)

脱北者・・・所謂北朝鮮から他国へ逃げた人々の事である。

この1ヶ月、拉致問題を中心とした北朝鮮関係に埋め尽くされたメディアであったが、北朝鮮との交渉が表立ったところでは進展がないのと、帰国した拉致被害者たちの生活も落ち着いたせいか、今度は北朝鮮の現状を伝える事に終始している。

北朝鮮とは国交もないし、当然限られた情報しかないが、報道カメラマンが取材してきた写真・話がクローズアップされている。
当のご本人たちが「今まで見向きもされなったのに・・・」と苦笑するほどに。

平壌のごく限られた一部のエリート以外、特に地方の人々の生活は惨憺たるものである。
その生活に耐え切れなくなった人々は、正に「命をかけて」中国へ・韓国へ・他国へと逃げる道を選んでいる。
それを伝える映像は、日本でのほほんと生きている人間にとっては、まるで映画を見ているように遠い世界の話のように思えるが、現実に起こっている。
「命をかけて」逃げ延びた他国での生活も幸せに満ちているわけではない。
見つけられ北へ追放されたら、待っているのは「死」なので、隠れて生きていくしかない。

それを韓国人は「可愛そうに」といい、日本人は「北朝鮮政府が悪い」という。

しかし、在日朝鮮人は「酷のようだが」という但書をつけながら、
「今の北の体制のもとでは、脱北者を援助する事は出来ても北朝鮮自体がまるで変わらない。命をかけて脱北する勇気があるなら、何故国内で民衆の力を結集して立ち上がらない。また、脱北者も隠れて生きるのではなく、何故立ち上がらない。中国にしても韓国にしても戦後血を流して民主主義を勝ち取ったではないか。何故北朝鮮民族だけが、援助を頼りに甘えているのか。今立ち上がれば国際世論は味方してくれるが、北朝鮮人自体が動かないで、他国が金正日を倒してくれるわけがないではないか」と反論する。

同じ民族が言っている言葉だけに重い。

全然関係ないけど・・・
平壌の地下鉄ってシャンデリアなんかあって、凄く豪華。(利用できるのは外国人をはじめとしてごく僅からしいけど・・・)
国内が飢餓状態にあるというのに、あの金正日のお腹って・・・(苦笑)。
金日成も金正日も何故名前に「日」が付くんだろうね?ニックキ「日本」の「日」の字なのに。


S30系

2002年11月12日(火)

元ビートルズのポール・マッカートニーが9年ぶりに来日中。
今年還暦を迎えたおじさまだけど、昨夜のコンサートでは30曲以上歌いまくっていたらしい。
お元気・・・

ビートルズが正式に結成されたのが昭和30年代。
昭和30年代には、長嶋巨人名誉監督のプロ野球デビュー・石原慎太郎・裕次郎兄弟から流行った「太陽族」・・・などなど。
そして、現在、新横浜にある「ラーメン博物館」、お台場に出来た「お台場商店街」(両方とも行った事ないけど)をはじめとして、昭和30年代がブームらしい。

その事を「S30系」って言うんだって。
何処かの衛星の名前みたい。

昭和30年代というのは、1956(昭和31)年の経済白書で「もはや戦後は終わった」と歌われ、高度成長期に入る直前。
まさに戦後日本の「青春時代」であり、元気な時代だった。

私は、そんな時代に生まれてきたのだ。
今では「おばさん」って呼ばれると年齢になっちゃったけど、まだまだ萎んでいられないね。


若い人たちを見る機会が多いけど、
彼(彼女)らたちの口からよく聞かれる言葉が「疲れたぁ〜」。

何をそんなに疲れているの?って聞きたくなる。


「北へ帰ったお二人へ」 

2002年11月11日(月)

日本への約1ヶ月にも及ぶ長期出張お疲れさまでした。

貴方たちの今回の任務が何だったかは、よく存じ上げませんが、日本のメディア・国民に見張られて中々出歩く事も出来ずにさぞ退屈だった事でしょう。
「見張られる」という事がどういう事が少しは学習して下さったのだといいのですが・・・

どうせやることがないのなら、日本の紅葉を堪能していただきたかったですね。
あ、やっぱり駄目、貴方たちが出歩いて又日本人が消えたら大変だわ。

最初は1泊3万円台のホテルだったのに、途中で1万円台のホテルへお引越し、しかもお食事はコンビニのお弁当だったようですね。
それでも貴方たちのお国の飢餓に苦しんでいる方たちの事を考えれば、贅沢。
日本にはまだまだ安いホテルが沢山ありますよ。


帰国する時に、成田空港で好きな事を言ってお帰りになりましたね。

日本政府が5人を永住させる方針を決めた事について
「日本側は、親と子を引き裂くという非人道的な問題を生じさせた」
24年間も親子のを引き裂く結果となった「拉致」を行った北朝鮮は非人道的ではないのでしょうか?
今の状態だって、貴方たちの将軍様がさっさと拉致被害者のお子様を日本へ返して下れば、親子は会えるのですよ


また、被害者本人も「子供を日本に呼びたい」との意向を示していることについて
「日本に到着した瞬間から5人と全く接触できなくなったため、その後の精神状態を知ることができなくなった。(気持ちに)変化が生じたとの報道は信じられない。」
5人の人たちの精神状態がわからない?
お暇だったから、ずーとテレビを見ていたのではないですか?
映像に写る彼らの表情の変化で精神状態わかりませんでした?
「わからない」とおっしゃるのなら、人間の感情を持ち合わせていないのですね。


帰国してから、心配している家族や子供たちに状況を伝えないといけない」
ちゃんと正直に伝えてくださいね。
貴方たちのご両親は祖国で暖かいご家族の愛情に包まれて、平穏な日々を過ごしつつ、貴方たちが日本へ帰国するのを心待ちにしている・・・とね。
間違っても自分たちの保身のために、嘘八百を言ってはいけませんよ。
それこそ「非人道的」行為です!


最後に、朝鮮語はわからないために、日本語で書く事をお許しください。
工作員のお二人だったら、十分日本語の読み書きもお出来になるでしょう




あ〜、こんな事書いちゃって、北朝鮮の情報網に引っかかったらどうしよう。
イヤイヤ、偉大でお優しい将軍様は、日本のか弱い一主婦の戯言なんか、聞き流してくださるでしょう。


追伸
5人に帰国する意志があるのか北朝鮮で聞きたいから、外務省が同行してもよいから、5人を一度北朝鮮に戻して欲しい、という希望を言ったそうですね。
あの5人・そしてお子さまたちも紛れもなく日本人です。
日本人が祖国に帰国するかという意思確認は日本側が行えばいい事で、貴方たちには関係有りません。
24年前、こちらから5人のお世話を貴国にお願いしたわけではありません。
貴方たちは誘拐犯だと言うのをお忘れですか?
貴方たちに何の権利もありません!

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