みかんの日記
みかん



 黒い制服

在学中は制服が嫌いだった。

黒い車襞のジャンバースカートと
同じ黒いジャケット。

セーラー服を着てみたかったが
その機会はなかった。

卒業してみれば
なかなかいい制服だったなぁと
不思議に思った。


2010年10月16日(土)



 同窓会委員

合格が決まった途端に
頭の中にぎっしり詰め込んであったものが
ふわふわと抜けていった。

本当に面白いくらい(笑)

一時は強迫観念からか
英語で話す夢なども見たけれど
呑気モードに戻ってからは見なくなった。



担任の先生からは
既に進学先が決まった私を含む3人に

同窓会委員、お願いね、
もう決まったからいいわよね

と言われ
知らずにうなづいたが。

これってバトンタッチのない終身委員だったと後で知り、
やられた!と思った。



2010年10月15日(金)



 修学旅行

書き忘れたが。

修学旅行は高校2年生の秋だったか?
九州一周という当時ではデラックスな旅行だった。

往復新幹線で延々と時間がかかったが
それもお喋りするのには楽しく、
ひとくくりにして「いい思い出」となった。

その中で印象的だったのは
阿蘇山にバスで途中まで登り、
雪が降っていて
その中で友達が寒い寒いと言いながらアイスを食べていたこと。

そして阿蘇のホテルで
同じ修学旅行で投宿していた大阪の男子校がいて
先生方の顔色が変わり、
即厳戒態勢となって食事以外は部屋にこもりきりとなったこと。

尤もその手を掻い潜って
窓から手を振りあったりはしていたようだ(笑)

その一方、
長崎の大浦天主堂など原爆やキリシタンなどのゆかりの地はとても心に残った。


2010年10月14日(木)



 髪型はどうしよう?

卒業したら髪型はどうしよう?

自由になった後の夢を友達とあれこれ話したものだ。

今はないだろうが
当時は卒業生対象に化粧品メーカーでお化粧の講習会があった。

私は行かなかったけれど

お化粧には。。。

今までの自分とは違う自分に変われるように思える
ある種の憧れを抱いていた。

2010年10月13日(水)



 髪を結う

大学合格となり、一気に異常なまでの緊張感が解けた。
元来のおっとりのんびりの性格に戻る。

その年のクリスマスをどう過ごしたかは忘れてしまったが、
お正月を迎えるに当たり、
長く伸ばした髪で生まれて初めて日本髪を結った。


年末に小岩に住む、昔から髪結いをしているおばあさんに来て戴き
結ってもらう。

髪型は「結綿」(ゆいわた)というものだった。

桃割れよりもお姉さんぽく、
しかしおばさんぼくはないものだった。

鬢付け油をつけるのがとても痛くて
ヒィヒィ言った(^-^;

そして夜は箱枕で
元旦まで髪を崩さないように眠るのが辛かった(汗)


昔の日本女性は大変な思いをしていたのだなぁと身を以て実感。

2日には美容院でガチガチの鬢付け油を時間をかけて流してもらい
スッキリして(^-^)
翌日家族でスキーに出かけた。


日本髪での写真は実家にまだあると思う。

2010年10月12日(火)



 3人に1人

推薦の試験の話に戻す。


毎年1人が推薦入学で入っていたが
今年は3人が受験。

それだけでドキドキ。。。
仲が良かった友達もライバルとなってしまった。

その上そのうちの一人は自分と同じスペイン語スペイン文学科。。


試験は英語と国語と面接だったように憶えている。


面接はスペイン人のシスターと男性の先生だった。
外国人のシスターと思っただけで
日本語で質問されているのに緊張のあまり英語で答えてしまった(^_^;)


結果が出たのは2週間後。
もう生きた心地がしなかった。
話題に出されるのもいやだった。

12月の初め。。
朝、学校に連絡があり、職員室に呼ばれる。


果たして・・・3人皆合格だった。

ほっとした。
よかった。
嬉しかった。

試験の際ライバルだった友達は
四年間仲良しのお友達となった。

三人合格で本当によかった。




2010年10月09日(土)



 思うようにいかず 弐

好きだった先生が紹介した後輩の先生は
私が先輩を好きだったのを解っていた。

その時は全く気がつかなかったが
その先生は私を好きだと思っていたようで
エドウィンのこげ茶のスリムジーンズを私が履いていたら
しばらくして同じものを買ってきたのか
・・・履いてきた。

しかし、それに気がついたのもずっと後(^^;
かなりの鈍感だった。

学園祭で英語の暗唱コンテストの司会をした時も
父親と一緒に見に来たりと
かなり積極的に自分の前にチラチラとうろついていた。

よく言えばポール・マッカートニー、
悪く言えば西川きよしに似ていた (笑)


大学が決まって3月に卒業したら鎌倉に行こう、と誘われていた。



2010年10月08日(金)



 思うようにいかず

学業だけでガリ勉だったわけではない。

夢多き年頃、ほのかな恋心も抱いていた。
中学3年の頃に習っていた家庭教師の先生。

今思うと・・・?と思うような
あまり性格のいい人ではなかったと思うが
W大の大学院の学生。

件の弁護士の先生が紹介した家庭教師の先生の弟だった。


幼い思いを寄せていた先生は
今思えば半ば渋々だったと思うが大学祭にも連れて行ってくれた。

単なる大学祭見学だったが
自分にとってはドキドキするデートだった。

その先生は卒業してTという電機メーカーに入社内定し、
後輩を先生に紹介して下さった。

なかなか面白い先生だったが
その時自分の中では単に「先生」という目でしか
見ることが出来なかった。


2010年10月07日(木)



 推薦まで

推薦を戴くまでも悩み多き日々だった。
小心者だった。


高校一年の時に現代国語を甘くみていたツケが
二年になって回ってきた。


資格がないかもしれない…と
通知表をこわごわ見た二年の一学期終業式が忘れられない。

2010年10月06日(水)



 推薦を目指す

今 思えば
大学受験にあたり高校から推薦のチャンスを貰って
仮に落ちたとしても
二度受験出来る機会を持てた訳だから
それほど気に病む事ではなかったかもしれないが…。

当時はかなり思い詰めていた。
それしか道はないと考えていた。


例年その大学には推薦で一名が入学していた。

が、今回は希望者が自分を含めて3人いた。


学校側からは
美智子様の出られた大学にしませんか?
はたまたJ大学にしませんか?とも言われた。

でもすっかり自分が行きたいのはここ、と決め付けていた。

仮に気持ちが変わって
そこを受けていたら…
…入学していたら…

また人生が全く変わっていたかもしれない。



2010年10月03日(日)
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