みかんの日記
みかん



 乳児院

学校の敷地内に乳児院があった。

小さな赤ちゃんがたくさん小さなベッドに入れられていて
そこはさながら新生児室のよう。

夏休みに何故かわからないが
お友達と乳児院でお手伝いをした。

大きな洗濯機におむつが入れられ
グルグル動いていた。

洗濯の手伝いだったのか、何をしたのか今となっては記憶がおぼろげだが、

赤ちゃん…、
それも丸々と太ってはいなくて
表情が余りない赤ちゃんがたくさん、自分を見つめているのが印象的だった。

クレゾールとおむつの匂いの混じったそこは
自分にとっては異空間だった。

2010年09月23日(木)



 そして見たもの

中学2年くらいの時にこっくりさんが流行った。

学校ではしてはいけません、と言われていたが
放課後、面白半分で始めた友達が居た。

たまたま教室に居た私。
他にも数人居たと思う。

色々質問をして盛り上がっていた彼女達の様子が
やがて変わってくる。

何か変だな、と私もそばに寄って話を聞いた。

お帰り下さいと言っても戻らない。
何度お願いしても戻らない。
手を離すと祟りがあるからと離さず
ひたすらお帰り下さいとお願いする彼女達。

なぜ戻らないのですか?と聞けば
「チ・ガ・ホ・シ・イ」(血がほしい)とコインが文字の上を動く。

泣き出す子も居た。

「そばに○○病院があります。そこなら血があります。
そちらに行って下さい」と気の強い子が言えば

ひたすら「血がほしい」と文字が動く。


とうとう職員室に先生を呼びに行った友達が居た。
とても穏やかなメガネをかけた男の先生がいらした。

先生は事の次第を聞いて
静かに友達に「やめなさい。手を離しなさい」と言う。

言われた友達は
「だって離すと祟りが起こるんです。」と泣いて訴える。



「離すんだ!」

その先生からは聞いたこともない大声で
皆びっくりして手をひっこめた。



皆早々に下校した。
その教室は後日聖水で清められたと言われていた。


2010年09月07日(火)



 語られていたこと 

学校の校舎は今はとても綺麗なものに変わっているが
当時の校舎は陸軍病院の病舎を使ったものだった。

とても古いものだったが掃除が行き届いた清潔なものだった。
日々授業が終わった後に私達が掃除をしたのだった。
教室は勿論、トイレ、廊下、体育館まで。
今の子達はそんなことはしてないのか。
勉強の時間も大切だがこういう事も大切だと思うのだけど。


学校の奥には森があり、
森のそばにプールを作った時には人骨がたくさん出てきたという。

そんなことがまことしやかに伝えられていたから
朝早く登校したら教室に兵隊さんが立っていた、という話や
夕方忘れ物を取りに行ったらやはり兵隊さんがいた、という話なども
聞いたことがあった。

こんな掘り出したら何が出るかわからない状況だったので
地下に新幹線が通る、という話が出た時は
学校側は大騒ぎ。

学習環境が損なわれる、と
校長様はNHKに出てインタビューを受けてしまったりと
それが決まるまでは大変なことだった。
かなり時間が掛った。


きっと掘られると色々出てきて困るんだよね、と
シニカルな仲間達は言っていたのだ。

2010年09月06日(月)



 校則の思い出

校則が厳しいと書いたが
本当に事細かに決められていた。

髪は眉に届けばピンで止める。
肩に届けばゴムで二つに結ぶ。

パーマ、カール、髪染めは禁止。

スカートの丈は膝まづいてスカートが床に届くくらい。
鞄の幅をつめない、などなど。


週に一度は風紀検査があった。

今ならば「プライバシー侵害」だと
生徒や保護者から訴えが起こりそうなほどの検査だった。

鞄の中はこまなく検査される。
勉強のもの以外のもの、
雑誌や漫画、ファンシーグッズ、レコードなどは没収。


幅を細くしようと水に漬けたりして細工された鞄には
容赦なく分厚い木片が底にはめ込まれる。

スカート丈を長くしている子には
即風紀の怖い先生に長時間説教され、
カールやパーマの恐れのある子は
保健室に連れて行かれ、髪を水につけて更に検査。

こんな面倒なことを掻い潜ってまでして
おしゃれにしたりする気力は全くなかったし
「いい子」でいなければならない自分にとって
それに違反しないキャラクターになっていた。
一番面倒な髪は伸ばして無難な三つ編みに。

学校の帰りにお店に立ち寄ることも禁止されていて
I袋のパルコの地下などには先生が時々見張っていたらしい(^_^;)
まれに見つかって先生に捕まり、注意を受けた友達がいた。

自分はそんな危ないところは寄らず、
地元の沿線の地味なあんこやさんにお友達と寄ったことがある。

当時の自分としては精一杯の
そしてささやかな抵抗だったのだろう。






2010年09月05日(日)



 コンサートについて

中高時代、校則が厳しかったが
コンサートなどに行ってはいけない、という校則があった。
学校に「右へ倣い」の家では
もちろん、それは許されなかった。


自分が好きだったGAROのコンサートは行くことが出来なかった。
尤も・・・
駄目、と言われればそれを無理に押し切って決行するほどの行動力はなかった。

当時QUEEN、KISSなどのコンサートに行っていた友達がいた。
自分はもっぱらビートルズだけしか聴いていなかったが
あの時それが許されて一緒に行っていたら
また今とは違う自分になっていたかもしれない。

後年、それが自由に叶わなかった事が大変悔まれた。
それから自分が行きたいと思う時は
状況を見て行かれる限りは優先にしたいと思うようになった。

2010年09月04日(土)



 先生と言えない先生

高校2年生の時、生徒会で保健部の副部長をやっていた。

保健部の仕事はこの頃、
やっと取りつけられるようになった
トイレットペーパーの補充や、
ポスター貼り、石鹸の補充、
体育祭や行事の救護などだった。

特にこの時期にトイレットペーパーが取りつけられたのは
自分達の生活に取って大きな進歩だった。

保健部となれば保健の先生と密接な関係をもつようになるが
この先生が曲者だった。


大柄で派手な顔立ち、髪は茶色に染めて服装も派手だった。
とても気性が激しい先生だった。
お子さんは某有名私立に通っていると自慢していた。

そして何故かスリップを着用するようにと
生徒達に厳しく言う先生だった。

自分が着けてないんじゃないの?と
元気のいい子達は陰で言っていたが(爆)


その頃大学進学に際し、推薦を希望していた自分は
かなり真面目に真剣に高校生活を送っていたが
何が気に入らないのかこの先生が

「○○さんは、職員室で有名なのよ!」

とある日私に言い出した。

それもとある宗教行事の救護の場で二人だけでいた時に。

それはまさに虐めに近い状態で
その後心配で早速担任の先生に相談するが
そんなことはないわよ、と先生はおっしゃる。

しかしながらその先生は会う度に私にその言葉を言い続けた。
これで真剣に悩んでしまった。
大きなストレスになってしまっていた。


後日、母が機会があってその先生にご挨拶すると
掌を返したように待遇が変わった。
頭を撫でられたり褒められたり・・・。

信じられなかった。

先生という職業は聖職だと思っていたが
この時見事にこの考えは崩れた。

ある種の挫折感を抱いたものだった。



とても先生とは言えない先生。

心から尊敬する先生もいらっしゃったが
反面こんな人間も居た。




2010年09月03日(金)



 怪しい先生

当時の学校の校長はシスターだったが
英語の先生を紹介して下さった。

奥様が同窓生で故人。
男の子が二人いらっしゃる先生だった。


しかし、この先生、
どうも怪しい先生だった。

他にも二人同級生が習っていたが
お父さんが死別されていたお友達宅では
不自然にお宅に居座ったりと
怪しい行動をしていたらしい。

シスターの人を疑わない心を逆手に取って
同じ後輩の生徒宅で何か目論むとは以ての外。

教えてもらう場所はとある教会のお部屋。
テキストは全て先生の手作りで
それを訳して勉強していくスタイルだったが、
内容的に怪しい部分があった。

訳していく自分も口にするのを躊躇う表現があった。

しかしそれに動じると相手の毒牙に嵌るので
知らん顔してスルー。

ギラギラした中年の男の汚い顔が見え隠れし
気持ちが悪い、と思った。

しかしながら誰もそれに対し
紹介して下さった校長様に苦情は言わなかった。

亡くなった奥様はきっと悲しんでいただろう。

2010年09月02日(木)



 英語にはまる

スペイン語を学びたいからという理由ではなかったが
英語はかなり勉強した。


学業の他に百万人の英語や大学受験講座を聴いたり、
ブリティッシュイングリッシュの先生宅には
先生がご結婚後にももう1人のお友達と通い続け、

自分が吸収出来そうな機会と時間があれば惜しみ無く使った。

高校一年生の時より
年に一度、学園祭の日に英語の暗誦コンテストを始めることになり、
自分も早速応募のテープを録音して提出する。

が、父の仕事の印刷の機械の音が雑音で入り、
聞き取りにくくて落選となる。
この時ばかりは口惜しかった。

しかしながら
担当の英語の先生から話があり、
コンテスト出場は出来ないが
司会…Chairmanをお願いされる。

何だか思ってもみないことで
かなりの大役を仰せつかり、
単に出場するよりも自分には大変勉強になった。

この先生には後々も大変お世話になった。
ご縁に感謝するばかりだ。

2010年09月01日(水)
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