みかんの日記
みかん



 

前日ネット注文が多くて
仕事が山積していたので
今朝辛かった。

力を振り絞ってお弁当を作り、
送り出してぼうっとしていると
電話が鳴る。

仕事の方の電話だったので
9時からだよーん、と出なかった。
切れて今度は自宅の電話が鳴った。
あれ?と出ると病院からだった。
舅の容態が急変したので来てくださいとのことだった。

今夜先生から呼ばれて話を聞くことになっていたのに。
夫と駆けつけるともう息を引き取った後だった。

あっけない臨終。
こんなものなのだろうか。
すっかり色艶が黄色くなってやつれた顔に
取っておいた入れ歯をまた入れてもらうが
酸素マスクを装着したままだったので
口が大きく開いてしまって
それを閉じるために包帯をあごから頭に縛られている。

あのすごい勢いで怒鳴りまくってた爺さんが
もう物になってしまった。
ぼんやり考えながら霊安室で車を待つ。
安置所に置いてもらってから
薬局に戻り仕事をする。

親戚や知人に電話をかけて知らせる。
葬儀などの打ち合わせは明日にしてもらった。
連休明けにする予定。

久しぶりに仲人さんの奥様とお話しして
あなた、苦労なさったでしょう、と言われると
その時になって堰を切ったように涙がこぼれてしまった。
泣いてしまった。

色々長い間に積もり積もって
言いたくても言えなかったことも山ほどあるのだ。


2004年04月30日(金)



 洗濯ばかり

洗濯の山と格闘の一日。
アイロンがけもすごい量だった^^;

お昼も夕食もその上手作りだというと
お休みなのに
勝手ながら疲れたなぁ、と思ってしまう。

2004年04月29日(木)



 慌しい

何だか慌しい毎日。
ほっとできる時がほしい。

午後に娘の同級生だったお友達のママが来店。
外でちょっと一緒にお話しした。
彼女とはもう本当に長いお付き合いで
中学のPTAの学年も以前一緒にしたし^−^
お話しできて元気が出た。

その後、もう一人お友達と
そばのスーパーでお茶を飲んだ。
ちょっと彼女、疲れていた様子。
身体壊さないようにしてほしい。
お子さんがせっかく留学先から帰ってきても
何かとバタバタしているようだ。



2004年04月28日(水)



 旬の味

日曜日に次男がボーイスカウトの行事で掘ってきた筍を
昨夜茹でる。

この作業は大鍋を取り出して
ぐつぐつと煮るものなので
けっこう取り掛かるまでが面倒。
美味しいんだけど、面倒なんだよねぇ、とぼやいていたら
次男がご親切にも一つの筍を全部皮を剥いて下さった^^;
皮剥かないで茹でるというのを知らなかったのだった。
茹であがって固くなった表面を少しだけ削いだら
普通の状態になった 笑 

根元の大きなものが二個あったので
二度に分けて茹でる。
準備が悪くてぬかも鷹の爪も持ち合わせず、
もういいや、とそのまま何も入れずに茹でた。

昨夜は夫がおいしいおいしいと
固いあたりをお鍋から切って食べていたという 汗
(次男談)
夕食はそれを使って筍ご飯を作った。

手間はかかるけれどやはり季節の味という感じ。
子供の頃は筍って独特な匂いで嫌いだったのだけれど
今は大好き。
家族でおいしく戴きました 笑

2004年04月27日(火)



 忘れ物

午前中夫と舅の病院に行く。

帰りに携帯を見ると公衆電話からの不在着信が入っていた。
薬局に戻るとどちらからかはわからなかったのですがと、
息子から電話があったらしい。
いないと言うと用件は言わず切ったという。
おそらく次男からか?
忘れ物があったのでは、と自宅を見に行く。
果たして朝に畳んで持っていけるように置いておいた体操着が
そのままになっていた。
これだな、体育の授業に間に合えばいいけど、と
慌てて中学まで持っていく。

門を入ると体育の授業らしき光景がちらりと見えた。
間に合わなかったかな 汗
入り口を入り、職員室の廊下を覗くと
3年の別のクラスの先生が歩いていらっしゃった。

すみません、と経緯を話すと
渡しましょうと預かって下さった。
ほっとして帰宅し、そのまま仕事をする。

帰って来た息子はちょっと照れ臭そうに笑いながら、
有難うという。
間に合った?と聞くと、
ええとね、と言い難そうに話す。
実はあの体操着ではなくて
給食衣とテーブルクロスだったんだ、という。
え〜〜それは前日日曜の夕方に渡したのに。。

忘れ物を持っていったけど
結局忘れ物になっていたのだった (−−;
ぢぶんでしっかり忘れず持っていってほしい。


2004年04月26日(月)



 のんびり

この頃意識不明になって眠るのが早いせいか、
朝すぐに目を覚ます。

長女は陸上の大会があるとのことで
6時に出掛ける。
新学期入ってすぐに同じ部の彼と別れたと言って
一時もう部活には行かない、などとぼやいていたけど
気持ちがまとまったのかな 笑
よかったよかった 笑
次男は今日ボーイスカウトの周年行事で筍ほりに出かける。
お弁当を作り、7時に送りだす。
夫も調剤薬局の休日当番なのでお弁当持参で出掛ける。

長男は何もなくのんびりお休み。
土曜日も補習が4時限あり、
平日も二日間、7時限まであるハードスケジュール。
おまけに予備校も行ってるし、
大丈夫なんだろか 汗
先週初めから腰が痛いと言っていて
月曜日にお医者に診て貰う予定。

午後にハリーポッターを映画チャンネルでやっていたが、
吹き替え版だった(><)
日本語を聞くか、英語を聞くか迷った末に
英語で聞くことに。
意味なんて難しい単語がけっこうあるから
半分もわからんかったけど
何とかなるもんだ。
(動きがあるストーリーだから 笑)
後日字幕版が必ず放映されるから
そうしたら見直そうと思っている。


2004年04月25日(日)



 保護者会

午後から息子の高校の保護者会だった。
連日学校に通うというのは
こんな感じか、と思いつつ
地下鉄に乗る。

今朝のお弁当は勘弁してもらった 苦笑
家事を時間までして出かける。
クラスに分かれての委員決めは何とか免れた。

担任の先生はとても元気のある男の先生で
数学を教えていらっしゃる。

息子の今後の活躍を祈りたい。



2004年04月24日(土)



 総会&引継ぎ

朝、お弁当を長男が忘れて出かける。
何もしないで置こうかとも思ったが、
まだ始めのことなので今日だけ学校に持っていく。
小一時間かけて地下鉄に乗り、届ける。

夕方は今日のメイン、中学のPTA総会があった。

この日は議長の役目を負わないとならないので
ちょっと緊張。
でもこれであとその後の3学年の引継ぎをすれば
無事お役御免になる 笑

議事進行の虎の巻をもらい、
それをちらちら見て読み上げながら終える。

引継ぎのノートは
卒業前に書く暇がなくて
結局今日の午前中に書き上げた。
これでこれも渡せばいいのだし、
引継ぎをしてほっと肩の荷が下りる。

それにしても学年委員のメンバーが
去年の委員さんとあまり変わり映えがしないで
同じ感じなのが不思議 笑
でも皆頼りになりそうな方達ばかりなので
今年の卒業式は感動的なものになるだろう 笑

私は優しく見守ることにして
息子の進学を第一に考えようと思う。

2004年04月23日(金)



 間違えた 汗

今日は中学の次男の修学旅行の説明会だった。

当日集金をする(53000円)ので
遅れないようにしなきゃ、としていたけれど、
仕事の流れで20分遅れて学校に着く。

見るとがらんとした体育館だった。。
あれ?^^;と一瞬不安になって
役員さんがいる、ミーティングルームに入る。
今日の説明会って何時からだった?
えー2時半からだよ。

ああああ、またやってしまった。
時間を見たつもりが
明日の時間と間違えてしまった。
時間やお金のことなど間違えるのって
ボケの始まり?^^;
気をつけなくちゃ。

先生の所に行ってお金を渡す。
さすがに先生には時間を間違えたとは言えず、
仕事がずれ込んで遅れてしまったと弁解する。

それからゆっくりと買い物をして帰宅する。
思いがけずミスをまたしてしまったけれど
ちょっと自由な時間が出来たみたいで
嬉しいのだった 笑


2004年04月22日(木)



 春らしい

春らしくなってきた。

用事があって出かけたけれど
上はオレンジ色の半そでのサマーセーターなのに
下はライトブラウンのスエード調のスカート^^;
紺のジャケットを羽織って行ったけど
いらないくらいの陽気だった。
早く服の入れ替えしないと 汗

お天気や気温などは
日中仕事で室内にいると
あまり季節感や温度の差などわからないけれど
やっぱり外に出ると気持ちがいい。

明治神宮やどこか広い公園にでも行きたい^−^

2004年04月21日(水)



 いい天気

朝からいい天気になるかどうかは
分からない具合だったけど昼過ぎから晴天に。
洗濯物が干したい。。
けど最近は夕方に干すという
なさけない事態になっている 涙

お弁当は娘が今日は学食と言ってくれたので
ほっとして、また意識不明の睡眠状態になり、
いいの?と起こされたら6時半だった 汗
慌てて長男のお弁当を作る。
(前日考えてあると楽だ 笑)

昼前に夫と舅の病院に行く。
大きな音量でテレビがつけられていたが
それも見てはいないで
口をあけたまま酸素マスクをつけている。
大きな声をかけてやっとわかったと言う感じ。
ううう。。病状よくなったのだろうか、
それとも?

実は縁起でもない話と言われそうだけれど
日曜日にとある近くの斎場に出掛けていって
色々細かいことを聞いてきた。
万が一そういうことになったら
あたふたしていたら困るし、
実際GWが近いので
その頃にそうなったらどうするのか、など、
わからないことが山積していたのだ。
一応話を聞いて色々不安な点もわかり、
ちょっとほっとする。

もっと感情的にメソメソするのが
本当なのかもしれないけど
私は割と事務的に淡々と受け止めている。
(自分自身、情が薄いはずはないのだけど、
長い間にこうなっちゃった事情もあるんだわ)

これからそうなったらお願い、と夫に言われつつ
そういえば遠い昔に
銀行の顧問弁護士さんの葬儀のお手伝いなどしていたなぁと
思い出したのだった。



2004年04月20日(火)



 眠い

朝お弁当作りに5時半に飛び起きて
子供達を送り出す。
それから仕事。
前日日に当たったためか、
やけに疲れて眠くてならないので
午前中仕事が一段落すると自宅に戻って
仮眠を取った。
まだ両腕ひりひり。赤い^^;

怒られたって
疲れてたらこちらが具合が悪くなっちゃう。
(怒らないでよって ^^;)

お昼過ぎにやっと活動開始。
洗濯物はまだ干せなかった 汗
お客さんが来たり、電話が鳴ったり落ち着かない。
5時前にやっと落ち着いたところで仕事を切り上げた。

が、支店の調剤薬局の薬剤師君が具合が悪いらしく、
夫が交替して大変だったようだ。
本来あまり健康体ではない彼が
ネットに調剤にと頑張りすぎて
このところ体調を崩しているらしい。
早くお元気になられますように。

2004年04月19日(月)



 フリーマーケット

商店街の婦人会主催のフリーマーケットがあった。
会計なのでつり銭などを金曜日に両替しておくなど、
色々な余計な仕事があった。

担当はガラガラポンという、
福引を引いてお菓子をあげるというもの。
盆踊りでも何度もしていたのでお安いご用だった。

陽射しの強いのが閉口したけれど
お天気が悪いよりは人出も出るのでいいのかもしれない。
2時過ぎに売れ切れになる。

終了後の金勘定が面倒だけれど
それはそれでお役目だから仕方のないこと。

収入は10万ちょっと。
今回は我が家からは出品する余裕も時間もなかった。
次回には色々と出そうと思う。



2004年04月18日(日)



 美容院&保護者会

午前中に美容院に行く。
S君がかなり慣れたのでこうやって
のんびり安心して来られるようになったのだ。
有難いことだ 笑

その後お昼ご飯に巻き寿司を買って帰り、
早めに食べて娘の高校に出掛ける。
2時から保護者会だった。
いつも遅刻をしているので
今日は早めに出掛けられてうれしい 笑
駅のバス停に行くとすごい長い行列ができていたので
あきらめて徒歩で学校まで向かう。
かれこれ20分ほど歩いてたどり着くと
少々また遅刻してしまった 汗
担任の先生は二年生の時と同じ先生だった。
委員さんも無事に決まりほっとする。

帰りにちょっとドトールに入りお茶を飲む。
娘の受験の日にここで待ったところでもある。
昨日のようだけれどももう3年近く前の話なのだ、と
しみじみ時の流れの早さに驚く。

駅ビルの本屋さんで本を物色。
買った本は渡辺淳一の「泪壷」と
柳美里の「生」とあと通販関係の新書一冊。
息子が白い巨塔を読みたいといっていたけれど
4巻もあった。
以前読んだけれどそんなにあっただろうか 汗
荷物になるので結局買わずに帰る。

駅で長男の同じクラスの女の子のお母さんに偶然あった。 
同じクラスで娘と同じ高校に3人も入学したのだ。
五反田まで色々な話をして帰る。
本を読む時間がなくなったかな^^;

帰宅して夕食は広尾のラーメン屋さんに行くことになった。
ここのラーメンならおいしいかも 笑

2004年04月17日(土)



 金曜日は

金曜日はS君がお休みで新入社員のAさんと二人なので
何かと気を使うし
あまり席を外すことも出来ない。

午後出張所まで届を出しに行く。
近所の回覧版を回してくださいと持ってきてくださるお婆様から
自分が定年になるので民生委員にならないか、と
お誘いがあった。
再三おっしゃられたが無理ですとお断りしていたら
今度は町会長さんも一緒にお願いに見えてしまい、
結局泣き寝入り状態に。。

まあ これも私にしなさい、と
神様が仕向けたことかもしれない、と
半ば諦めてお受けする。
そのための書類だった。

先週から急遽舅が具合が悪くなったので
今ひとつ活動をするとしても足枷があるかな、と
いう感じなのだが。

明日はS君が出勤なのでフルタイムお休みする予定。
午前中に美容院に行って
午後は娘の高校の保護者会に出席する。

2004年04月16日(金)



 また一つ

年を重ねる。

それにしても時間に気持ちがついていけない。
自分にプレゼントは何にしようかな 爆
(ぢつはEのヴィヴラートがほしいっす。)

繰り上げるともう。。。ううう
○代に。。(−−;

とにかく
健康に気をつけて楽しく生きようっと♪

2004年04月15日(木)



 一日だけで

毎夜、病院に呼ばれる。

それが結構気が重く、
身体に疲れを残してる感じがする。
かといって夫一人で行かせるのも
あまりに負担が大きすぎるような気がして
一緒に行くことにしている。

今日も夜8時に呼ばれる。
レントゲン写真を見せられ、
一日で肺が真っ白に悪化しているということを
知らされる。
病室は内科に移されて個室となった。
重い病状のはずなのに、
相変わらずマスクを取り除けようとし、
ベッドのふちのパイプを拳骨でゴンゴンと叩く 汗
87歳なのにすごい気力だ。
その気力で回復できるよう
お医者様や看護婦さんの言うことを聞けばいいのだが。

お医者様のお話はかなりシビアなものだったが
そういうことも遠くないと思っていたので
淡々と受け止められる。
自分は薄情なのか、事務的なのか。
悪い嫁としてずいぶん虐げられたから
こうなってしまったのか 苦笑

こちらまでも病気にならないよう、
生きていかなくてはならない。



2004年04月14日(水)



 慌しい

朝は5時から起きてお弁当を作り、
それぞれ長女長男が出て行く。
その後次男が起きて出掛ける。
それから家事をするといってもあまり時間はなく、
結局バタバタと仕事場に行き、
データ入力を始める。

病院から今日は電話がかかってきて
夜8時に夫と行き、先生の話を伺った。
全く気がつかなかったのだが
肺炎になっていたという舅。
酸素マスクと点滴を打たれているが
それがいやだといって振り払ってしまうため、
ベルトで拘束されている。
外すと危ない状態になるというのだから
仕方がない。
どこまでの治療をしてほしいか、など
けっこうシビアな話になる。
若い担当医の先生は言いにくそうに話すが
こちらは割と淡々と事務的に聞くことが出来る。
その後、舅の様子を見に行く。

食べ物は食べることが出来ず、
飲み物も水も駄目。
砕いた小さい氷のかけらだけ
時々スプーンでもらっていたようだった。

こちらの顔を認めるなり、
マスクをつけたままでふがふがと話したてる。
取ってよ、とか家に帰りたいとか。
コーヒーを作ってくれとか。
今まで自由な生活をしていたのに
どうしてこんな思いをしないといけないのか、と
かすれた声で訴える。
今の状況は健常者に比べて肺に入る酸素が
半分もない状態だという。
だから我慢して治そうよ、と夫が言っても
聞こうとはしない。
今まで運転もお酒を飲んでしていたし、
何を言っても言うことは聞かない。
耳を貸さない。
ほとほとこちらは閉口して、
何も言わないで放っておいたのだった。

自分のことばかり考え勝手気ままに生きるだけで
相手に対する思いやりということがなかった舅。

自分がこうなったらどうする、と
色々考えさせられる。

2004年04月13日(火)



 入院

夫が朝一番に舅と病院に行きたいところだったが
S君が珍しく寝坊をして出勤が遅れ、
それによって病院行きも遅れた。

仕事もごたごたと忙しく、
夫からも連絡も気がついたら夕方だというのに
まだなかった。
そしてやっと電話があって帰って来た。
お昼も食べられなかったという。
結局入院することが出来たとのこと。

とにかく住まいが4階で
おんぶをして上り下りをしていたら
こちらは無理だし、
ずっと出来るわけがない。
病人がまた増えそうだ。
日頃からボケが自分で始まったようだと
大学病院の精神科に自ら通っていた舅。
その先生に診てもらい、
入院することになった。
科が科なだけに、色々と細かく了解を求める話が多く、
目の前にはその手の患者さんがうろうろとしていて
気が滅入ってたまらなかったという夫。
元気な人だってあそこに二日でもいれば
同じになりそうだ、という。

夕方慌てて入院の荷物をまとめ、
夫と病院に行った。
エレベーターを降り、
施錠してあるドアの前で
インターホンで看護婦さんを呼んで入室。
開放していると脱走する患者さんがいるのだという。
金属類やとがったもの、ガラス製品などは持ち込み禁止で
全て入院する持ち物をチェックされ、
部屋に入った。
舅は眠っていた。
枯れ枝のような身体で顔は生気がない。
お箸やコップなどは果たして使えるのだろうか。
そんなことを思いながら片付けて早々に退出した。
かつてお前の家とは身分・家柄が違うんだ、と
尊大に勝ち誇った顔で先祖の話をしていた舅。
もうそこには見栄も体裁もなかった。

夫とファミレスで食事をして帰る。
僕もそのうちにあそこに入るかもなどと
弱音を吐いているから、
何を言ってるの!と叱咤激励をする。
(10歳上なのになんで私がこうするんだか^^;)

夜中に病院から電話があり、
肺炎になっているとわかったので内科に移るかもしれないとのこと。
酸素吸入や点滴などを嫌がるので拘束していいですか、と
確認をとる。
そんなこと、そちらがやりやすい形でやればいいのだし、
相手はわけがわからないのだから構わないのに。
(患者側でも今は文句が多いのだろう)

色々と学ぶことの多い数日間だ。








2004年04月12日(月)



 介護二日目

朝また内線で呼ばれる。
慌てて行くとおむつが濡れているようで
自分でどうして出来たのかは不思議なのだが
取り替えてあった。

夫がカレイの煮付けの卵だけ、
食べさせればいいよ、とお皿に入れて持っていく。
そんなもの、何だかぼそぼそして
食べにくそうなのにな。。と思いつつ
外出した。

帰ってきて様子を見ると
みかんが食べたいと言った舅の言葉に従い、
夫が買いに走ったらしいが
みかんは見つからず清見オレンジだった。
布団と畳が汚れていてシートを買ってきて応急処置で敷く。
大きい方は便秘のようでずっと出ていないようだ。
私は浣腸したほうが楽になるのでは、と言ったが
夫は汚れ物を見るのがいやなようで、
はっきり返事をしない。
病院で明日してもらえばいいよ、という。
何と薄情な息子だこと 爆

皮に切れ目をいれておいてある。
これで食べられるかな?と思いながら
切って皮をむき、食べやすく小さく切って持っていく。
食べますか、と見せるとうんうんと言う。
喉が渇いたらしい舅はどんどんと口を開けて
おいしいと言いながら
小さくきったかけらをたちまち平らげる。

ふと子供達をちゃんと育てろ、と
文句を言っていたことを思い出して
お父さん、娘は弁護士になりたいって言ってますよ。
長男は医者になるって言ってるんですよ、と話す。
今まで私が話すと
何を言っても聞こえない、と言っていたのに
そうか、と答えて相好を崩す。
医者と弁護士がいたら敵なしだな、と嬉しそう。
ちゃんと成長してるから心配しないで、と
私は言いたかったのだ。
(たとえ結果的に実現しなかったとしても、だ)

オレンジ二個目を切っていると
今度は夫にまんじゅうのような
あまいものが食べたいと言ったらしい。
昨日と同じでいいかな、と羊羹と抹茶を点てて
食べさせる。
すると冷たいお抹茶が飲みたいという。
思わず笑ってしまう^^;
中に氷を入れて冷やす。
何だかわがままな大きな世話の焼ける子供が
一人増えたという感じ。

夕食はカレイの身と小松菜を入れたおじやを作る。
みかんが食べたいというのでまたオレンジを切って
小さくして食べさせる。

そのうちに夜に何度も内線が鳴る。
これはいつもそのまま言うことを聞いてばかりでは
こちらが先に参ってしまいそう、と思う。

やはり明日病院に行って是非とも入院をお願いするか
結果的に養護ホームに行くという形になってもいいから
今のここで過ごすということはなしにしてもらわないと
だめかな。。と話していた。

2004年04月11日(日)



 到来

朝5時半に起きて長男のお弁当を作り
朝食を出していると内線電話が鳴る。
4階の舅のところからだった。
こんなことは今までそうなかった。
胸騒ぎを覚えながら外階段を上る。

階段を上がりきってベランダ沿いの窓の外に
下着がまとめておいてあった。。。
これは。。もしや。

果たして部屋の中で舅は寝転がっていた。
それも下半身何も身につけていないで。
言葉を失う。
夫を呼んで、というので慌てて呼びに行く。

すぐに二人で慌てて行く。
身体の力が抜けて動けないという。
あまりに急なことなので呆然とする。
台所の流しの中を見た夫が洗いものをしてもらうから、と
舅に言うと子供のように
汚いのは仕方がないんだ、
年寄りにそんなことを言うな、と駄々を捏ねる。
補聴器をつけていないから
こちらが話しても聞こえるように話してよ、
どうしてちゃんと大きい声で言ってくれないの、と
泣き出して駄々を捏ねる。

私に向かっても子供の育て方をちゃんとしろだの、
最後なんだからそんな顔をするな、とか
店の前に村八分になっているから
皆にゴミをばら撒かれている、
それを片付けろとか。。
意味不明のことをわめき散らす。

ううう。。絶句。
とうとうこの日がきたか。

息を殺しながら台所のものを洗っていく。
腐った食べ物やごみが山のようにあって、
それを纏めていく。
汚れた食器類にベタベタと油がこびりついていて
なかなかきれいにならない。

コーヒーが冷蔵庫に作ってあるから出せ、と
夫に言う。
夫はそれを間に受けて
冷蔵庫を見てないよ、と答える。
ボケた言葉を間に受けてはだめ、
作ってほしいってことでしょ、と小声で言って
お湯を沸かして作る。
コップはこういうのだとか事細かに色々と指示をする舅。

パンツを履いていないのは
もしかしては替えがなくなってしまったのか、と
部屋のあちこちに転がっている衣類を集めた。
やはり、おしっこをもらしてしまったらしく、
汚れ物だった。
念入りに手洗いして、洗濯機を回す。
夫の下着を持ってきて
こちらから言うとまた聞こえないと言って
機嫌が悪くなりそうなので
さりげなく、見えるところに置いておく。

入れたコーヒーを出すと横になりながら飲む。
食器を洗い、
悪臭を放っていた排水口のゴミ受けをきれいにし、
抹茶茶碗らしい入れ物を見てふと思い立つ。
名古屋生まれの舅はよくお抹茶を飲んでいた。
部屋に戻って届いたばかりの桜のちらしたきれいな羊羹を切って
持ってくる。
抹茶は。。いつも大きい缶をうちは買っているのだ、と
舅も姑も言っていた。
きっと冷凍庫にあったはず。。と見ると
やはりあった。
茶筅をお湯につけてきれいにし、
お薄を点てる。久しぶり^^
羊羹とお抹茶を目の前に出す。
不機嫌な、憮然としていた舅の目が変わったようだった。
珍しい、とぽつんと言う。
羊羹を小さく切って、と言う。
フォークで小さく細かく切る。
自分で口に運んで食べ、
抹茶をすすった。
あっという間に平らげる。
気のせいか、そのときからすっかり大人しくなったようだ。
不思議なことに
今まで散々苛められ、いやな思いをしていて
舅に対して大変深い嫌悪感を抱いていた私は、
その様子を見て憎悪が消えてしまっていった。
何だか子供みたい、と思ってしまった 笑

洗濯機が舅のフロアにもあったのが助かった。
自宅の洗濯機と一緒に洗ったら
また分けて持ってきたりする仕事が増えてしまうところだった。
これも、あれも、と目に付くものをどんどんと洗っていく。
自宅のもういらない、と思うようなバスタオルやタオルを持ってくる。
布団を引きなおし、タオルを敷いてシーツを敷きなおす。
入れ歯を持ってきて、と言われて
さすがに申し訳ないが素手では持つのがしんどくて
ビニールをかぶせて掴んで手渡す。

掛かっていた病院の先生に電話をして
指示を仰ぐ。
下着を替え、夫のパジャマに着替えさせる。
何もかもされるがままでまるで人形のようだ。
あれほどがみがみ言っていた舅が別人のよう。

出勤していたS君の手を借りて
おんぶして4階から下ろしてもらい、
病院に夫と連れて行ってもらう。
私は留守番で仕事。
と、S君が戻ってきた。
途中の道が渋滞していて困っていたら
たまたま救急車が通りかかってそれに乗り換えさせてもらって
病院に行ったとのこと。
S君は乗ってきた車を運転して帰って来たのだった。
結局月曜日にもう一度行って
よく診察してもらうということになったらしい。
連絡を受けてまたS君が迎えに行く。

戻ってきて部屋に下ろし、
交代して様子を見に行くとおしっこを漏らしていた 汗
これはもうおむつのお世話にならないと駄目そう。
夫にそう言って売り物だったものを持っていき、
おむつをつけるよ、と説得する。
思いのほかあっさりといいよ、と答えたのは意外だった。
そして舅はおむつ姿になった。
あれだけ高ぴしゃでえばり散らしていた舅が
まったく別人のよう。

とうとう「介護」をするのだ、という気持ちが
頭の中を渦巻いていた。
夫とこれからどうしよう、と話しながら
つい先日部屋まで上がるのがつらいから
ビルの中にエレベーターを取り付けると
舅が言い出したとんでもない計画は
何とか実現せずに済みそうだと胸をなでおろした。
(子供部屋のところにエレベーターの空間が出来てしまうところだったのだ)


2004年04月10日(土)



 制服

次男の制服のブレザーが小さくなっていたので、
兄のお古を着せようと思っていた。

弟が兄にもらっていい?と話したら
えーしばし待ってと、渋い顔をしたそうな。
なんでだろうと思い、服を見たら
第二ボタンがなかった 爆
これは、 卒業後に絶対女の子に取られたんだよ〜、
或いは頂戴と言われて上げたんだよ、と次男に話す。

するとそういうこと兄ちゃんにからかって聞いたら
絶対に怒るから言うなよ、と
先に口止めされてしまった(;^^A

美しい兄弟愛を見た母でした 爆

2004年04月09日(金)



 自分と娘

娘は今朝オールだとかいって
お友達と朝まで飲んで?^^;騒いで帰って来た。

ただいま、と薬局に来て
自宅に戻りお風呂に入り
制服に着替えてお友達の家に行くという。
学校は明日からで、
今日はお友達の家にお泊りをして
そのまま登校するらしい。。汗

昨日出かける前にその予定を聞いて
えーーーそんなの絶対に駄目!
11時までには帰ってらっしゃい!と言った。
なのに、もうそんなこと言ったって
決まっちゃったもん==と涼しい顔の彼女。
決まっちゃったって言ったって。。と絶句。

自分が親に駄目と言われたときは
色々決めていたことも諦めて言いつけに従ったけど。
かといって無理やりそうさせようと対決する余力なし。
自分の日々の生活で精一杯なのだ。
そう言って自分で娘のすることを窘めないで
正当化しているような気もするし。

そしてちゃっかりと出掛けていった彼女。
テーブルの上にはお泊りするお友達の名前が
メモにして書いてあった。
うーん・・。

こういう私は他の人から見たら手抜きの悪い母かもしれない。
が、自分が娘時代に始終あらゆることに対して
駄目駄目と制限を与えられて
育てられたことについては
少々今更ながら後悔しているところもある。
自分の子供にはもう少し自由(放任ではなく)にして
自分で考え、失敗したり色々と経験を重ねて
成長してもらいたいと思っているのだ。

でもこれって言い訳っぽいかしらん 汗


2004年04月08日(木)



 入学式

息子の高校の入学式が午後2時からあった。
時間が中途半端なのは
12時から中学のがあったかららしい。

珍しく夫が僕も行こうかな、という。
考えてみれば長女の時にも
入学式だけは行ったのだった。

支度をして待っていたらもう出掛ける時間だというのに
そろそろ着替えた方がいいかな、という^^;
早くしてよーと気持ちは地団駄を踏みながらも
遅れそうだよ、と引きつりながら笑顔で話す。
果たしてギリギリの到着。
新入生と前後しての入場になってしまった 汗

息子の姿は退場の時に認められただけ。
それでもりりしいなぁ〜と親ばかにも
惚れ惚れしてしまった 爆
夫は一足先に帰り、
私も息子より先に帰ってデパートに寄ってから帰宅する。

かなり疲れた^^;
その後仕事をちょっとして夜しようと思ったけど
気がついたらまた眠ってしまっていて
明け方になっていた 爆

2004年04月07日(水)



 親ばか

入学式前日で昼前から登校した長男。
詰襟姿がきりっとりりしいなぁ。

但し、帰宅後いきなり
ローファーが足にまだ馴染まないらしく、
これいやだーと言うし、
ズボンの裾が外に折れているのが
引っかかり嫌だと言って
縫い直してよ、と言う顔は
まだ幼かったかな^^;

帰りに神保町に立ち寄って
本を色々見てきたらしい。
新しい靴で沢山歩けば辛いに違いない。

2004年04月06日(火)



 

長男が本屋を色々見たけど売ってなかったという。
話を合わせたわけではないのだろうが
夕方次男も同じことを言っていた。

何を買いたいと思って探したの?と聞くと
長男は医学系の癌の本を予備校で見たから
ほしいなと思って探したという。
そんな本は近くのスーパーの本コーナーには
置いてないって^^;
蒲田にあるかもしれないけれど、
神保町なら絶対ある。
一番いいのは取り寄せるといいよ、と話す。

次男は老人と?(海ではない)とかいう本が読みたいな、と
思ったのでそれを探したようだ。
彼はダ・カーポという雑誌が大好きで
それでいい本が紹介されていると
読みたいな、と思って探すらしい。
次男にも蒲田か川崎ならあるかも、と話す。
中学で始業前に読書の時間があるようだ。
先般入手して読む?と手渡した「蛇にピアス」は
彼には「ビミョウ」とのコメントだった 笑

これも面白いよ、と
昔読んだパール・バックの「大地」を見せる。
4巻あるけど私は面白いと思ったよ、と言うと
夕飯前に黙ってしばらく読んでいた。

2004年04月05日(月)



 お墓参り

お彼岸に行き損ねたお墓参りに夫と行く。

実は前日実家の両親と泊まりに行っていた長男も
お墓参りに行っていたのだが
それはナイショにしておいた。
(おへそ曲げてやめた、と言いかねないから)
行く前にそばのジャスコにより、
お花とお菓子を買う。
故人の好きだった黒棒のお菓子や
亡くなる前に次男の出産のお見舞いに来てくれた姑が
食べたいと手を出したのに
トイレが近くなるから駄目、と
舅から食べるのを禁じられたみかんを買う。
買いながら故人の色々な思い出が甦る。
仕事だけであっけない一生を終えた姑達。
お気の毒だ。

すぐそばの同じ敷地に鈴木その子のお墓が出来たので
何だかグレードアップした感じの霊園の一角。
雨が今にも降りそうでとても寒かったけれど
桜が綺麗に咲いていた。
夫がここで待っていて、と
車で少し待たされる。
故人に色々祈りたいこと、
話したいこともあるのだろう。

その後、昼食を取ってから
千葉の家にいらない荷物を置きに行く。
舅がたまに泊まりに行くだけになってしまっているそこは
あまり自分達が行きたい場所ではなくなっていた。
まだ子供達が小さい頃は海もそばだし、
防火用も兼ねた小さなプールも作ってあって
夏には必ず一度は行ったのだが。
草木の背丈の伸びた様子が年月を物語っていた。
あと何回親父は行かれるかな、と呟く夫。

帰りに幕張の飲食業の会員専用の卸店に立ち寄る。
私は初めてだった。
外資系の「METRO」というお店だが、
業務用の食料品ばかりなので
売っている量が半端でなく多い。
鮮魚のコーナーにはすっぽんや
見たことのないような蟹や海老が色々あった。
イタリアンで使う珍しい茸やハム・チーズなどが
ごろごろ売っていた。
チーズは大好きなので少しだけ買った 笑
こういうお店を見るのは大好き。

帰ったら7時前になってしまった。
長男は昼過ぎに実家から帰って来たようだったが
ボーイスカウトの集会に出掛けていた。
雪中キャンプで借りた荷物などを返しに
大きなザックや雪遊び用のそりなどを持っていたようだ。
次男は間もなく帰って来た。
彼は今日で塾が終わり。
春休みと言っても一日だけの休日で大変だったろう。
僕は理科社会が弱いから
塾の先生にも教えてもらいに休日に行こうかな、と呟く。
長女は予備校の後またお友達とお食事会?飲み会?^^;

皆それぞれに予定が出来る年頃になってきた。

2004年04月04日(日)



 お休み

土曜日はS君が出勤となったので
仕事を敢えてしないことにした。

一日自宅でのんびり家事をする。
これってやはり私に取って大切な時間なのだと
しみじみ思う。

2004年04月03日(土)



 フレッシュマン

入社した彼女は高卒。
オリーブみたいに華奢で、眼鏡をかけていて
お化粧っ気は全くなし。
娘とは全く感じが違う。
まだまだ緊張しているようで
お昼ご飯を食べようとしない。
緊張すると食べられないのだそうだ。

割とギリギリに出勤してくるが
(初日はバスに乗り遅れて遅刻だった 汗)
それでも何かすること、ありませんか、と
声を掛けるから感心。
教えれば一生懸命覚えようと努力しているから
それも感心。
電話にはまるで無反応なので
電話は好き?と聞くと恐いんです、と答える。
うーん、嫌いでも出るようにならないといけないよ、と
優しく諭す。
来週以降にじっくり
電話が鳴ったらまず取る、ということから始めるか。

こちらもけっこう気を使うので疲れた 笑

2004年04月02日(金)



 4月

もう四月になってしまった。
時の過ぎる早さにただただ驚く。

入社してきた女の子はとても静かで
几帳面で内に秘めたる頑張りやさん、といった感じ。

初日は緊張もするだろうし、
精神的に疲れただろう。
こちらも疲れた 笑

2004年04月01日(木)
初日 最新 目次 MAIL


My追加