ヒカリよりも迅く
リュカ



 「感性」と、人間関係を築くもの。

別のトコってかmixiでやってる日記で書いたモノの中から、こちらにも少しずつ移していこうかしらと最近思うようになりました。
時系列がバラバラになることもありますが、ここを見てくれている人もまだいるようなので。
mixiはブログ形式ですが、ここはコメントをもらう場所というよりは、あたしのハキダメなので、書きっぱなし主義です。
書かないっぱなしの放置プレイよりは、なんぼかマシやね。


今日UPするのは、今日書いたものです。

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最近、ネット上での人間関係を真剣に見つめる機会が多いです。
あたしはこれまで、リアルとオンラインとに拘らず「感性の合う人が好き」というスタンスで人付き合いをやってきました。これからもそうでしょう。
でも、感性ってなんなんだろうなぁ。冷静に考えてみたら、感覚的な意味合いでしか判っていない。
ピーンときたから、心にぐっとくる何かがあったから、それで惹かれた。
そういうフィーリングでいいんだと思っていますが、しっかりと自分の思うところを言語化するきっかけがあったので、ここに載せたいと思います。

人に宛てたメールなので、一部加筆・訂正を行っています。


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相手の感性を瞬間的に見極める眼があれば、人間関係やなんかで苦労することもないやろなと思ってます。
相手と感性が合うかどうかを見極めるなんて不可能だし愚の骨頂、たとえそう言われても、あたしはきっとこれからもあたしの心に響く感性を持つ人との出会いを求めていきます。

ネット上だから、顔が見えないから、いくらでも演じられる。確かに、その通り。相手を欺くことなんて、きっと簡単なんでしょう。
でも、リアルでも同じことです。顔を見て直接話している分、言葉以外にも表情や語調で汲み取ることができるからいいけど、笑顔で嘘ついていいように誤魔化されて、なんてこともザラです。
ネットでは逆に顔が見えない分、言葉だけが判断材料です。ニュアンスを汲み取るのも難しいし、そこでのすれ違いも多い。でもその中で、また言葉だけで分かり合おうと歩み寄ることで、相手を想うやさしさを得ることができると思うんです。
適当なこと書いといて相手を軽くあしらっておけば上っ面の付き合いもできます。でもそんな中からも、本当に自分のことを想ってくれる人もでてきます。
それは、自分が相手に誠意を持って対応すること、時間を割いてコメントをくれた人たちに感謝の心をわすれないこと、そういった真摯な働きかけで得られる信頼だとおもっています。
ネットでのやりとりは、少ない手段の中で相手との繋がりを築くものだから、人を想えるココロを豊かにできると思います。だから、あえて「感性」という言葉を持ち出してます。
相手の文章のセンスや行間に滲み出る想い、綴られたひたむきな情熱や見苦しい心情吐露の中に垣間見える本音、そういうモノを見て、仲良くなりたいなと思う人たちと繋がりたいと思うんです。

同じ種類の人間とだけ付き合っていたいとは思いません。
でも、自分を理解してくれる相手、そして自分が理解しようと歩み寄れる相手と仲良くしていきたいです。傷の舐め合いでも趣味が同じ仲間でも、互いを想える人と付き合っていきたいです。
「感性」が近くても「価値観」が近いとは限りません。同じモノゴトを違う観点から受け止め、それについて言葉を交わす中でぶつかることがあってもいい。
ただしそこには
「相手を思いやる気持ち」
「価値観の違いを理解した上で相手の意見を受け入れられる心のウツワ」
「自分が間違っていたら素直に認められる謙虚さ」
そういうものがなければ、いけないと思います。
あたしは、そう信じています。


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これは、キレイゴトを嘯くためのモノじゃない、あたしの心からの言葉です。
時間をかけて文章に起こしてみて初めて、あぁ、こういうとこだったんだなと理解できましたw
言うだけじゃなくて、実際にできる人間になりたい。


「相手を思いやる気持ち」
「価値観の違いを理解した上で相手の意見を受け入れられる心のウツワ」
「自分が間違っていたら素直に認められる謙虚さ」


これは、簡単なようでいてとてもむずかしい。
あたしには、まだ持てていない。
円滑な人間関係を築く上で基本なのは、相手の立場に立ってみるということなんですよね。
でも、自分が心から相手を想ったつもりでいても、相手になりきることはできないから正しいかどうかを判断することはできません。
独り善がりでは、人間関係は成り立たない。
でも、自分を主張しなければ、やはり関係は築かれない。

やさしいだけでも、厳しいだけでも、生きてはいけない。
自分にも、他人にも。
ほんとに、むずかしい。むずかしいけど、生きてるってそういうこと。


自分という存在に向き合うきっかけをくれた、出会ったすべての人に感謝します。

2006年03月27日(月)



 もう嫌。責めまくりたい。叩き落したい。

3ヶ月放置か。。
生きてはいるんです。見た目は元気です。


先日ようやく受診。精神科。
軽く3年越し。
この日記のログ持ってったら、じっくり読んでもらったら、口で説明するよりも早く様子をわかってもらえるかしら、なんて思いながら罹ってきました。

鬱、らしいね。
そうだろうなとは、思ってたけどさ。

ねぇ、それは貴女が原因なの。
少なくとも、原因のひとつだ。
占める割合が非常に高いんだよ。
親子?母と娘?そんなん関係ないね。
「あんたとは『人として』決定的に合わないからやっていくのは無理だ」
そう言われて、誰があんたを母として慕えるの?

「帰ってきたら経済的にもラクだし仕事もあるし、まっとうな人生送れるでしょ」
あんたといることで精神的に限界まで追い詰められていくんだよ。
何百キロ離れてたってコレなのに。
一緒に住まなくても、同じ街にいたら苦しすぎるんだ。



病名がほしくて行ったんじゃない。
クスリがほしくて行ったんじゃない。
心配かけさせたくて行ったんじゃない。
大変だねってちやほやされたくて行ったんじゃない。


だったらとうの昔にそんなこといくらでもやってんじゃないのか。
不安だから行ってきた、とりあえずの不安は払拭できた、それで何が悪い!?



あの人のことを思うとまた憂鬱になる。
決定的に合わない。それはすべてあたしの所為で。
それが彼女にとっての正論。

だから、嫌だったんだ。



どうせならあんたも精神科かかれば?一緒になんてゴメンだけど。
どうかんがえてもその物言い、自己愛型だろ。
悲劇のヒロインぶって金切り声あげるなよ。気色悪い。
「あたしは正常、あんたは異常」
「誰もあたしをおかしいなんて言わない」
「あたしの言うコト間違ってる?」

はいはいそうだね。そのとおりだね。
なにもかもあたしが悪ぅございました。申し訳ない。

「何なのその言い方」
「いいかげんにしなよ」

いいかげんにしなかったらなんだって言うの?
親子の縁でも切るつもり?なら、勝手にしたら?
あたしは、母親であり人としてセンパイである貴女の物言いを見習っただけ。
言われて腹の立つ物言いなら、自分がしなきゃいいでしょ。
自分だけが許されるとかいうそのスタンス、いいかげんにうんざりなんだよ。
娘なら、母親の理不尽な言動にもハイハイ従わなきゃならないんか。

そんなんまっぴらごめんだ。



理解してほしいなんて、もう思ってない。
あなたは自分の手の届く範囲の理解しか示そうとしない。
虚しくなるだけだから、もうなにも願わない。
ただ、貴女の理解が及ばないところで、貴女が信じられないような考え方をする人間もいるってことを覚えておいてほしい。
それが、たまたま自分の娘だっただけのことで。




意地でも、帰ってやるもんか。
ここでのたれ死んでも、あたしの骨は水のあるところに散骨してもらおう。
骨は京都に埋めるか、海へ還すか、それでなきゃ、嫌だ。


2006年03月06日(月)
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