written by 田村 MAILHOME
#業者の人
2003年07月14日(月)

業者と仕事の打ち合わせをした。


相手は二人だったのだが、そのうちの一人の目鼻立ちが綺麗だったので、つい見とれてしまった。男女構わず、顔立ちの美しい人は私は大好きなのである。じっくり見つめてしまったので彼にはいぶかしく思われたかもしれないが、別にそんな趣味はないのでどうか安心して欲しい。誰に?無論、女性諸君にである。相変わらずファンレターは受付中だ。幸いなことに、送信フォームも設けた。こんなもんでいいだろうか。



その彼の顔であるが、そう言えば誰かに似ている。


と思いしばらく見て居たのだが、そうだ、イエローモンキーの吉井和哉に似ているのだ。





写真中央が吉井和哉である。
イエローモンキー、早く復活しないだろうか。





誤解を恐れず言うが、私は吉井さんのような顔が結構好きなのだ。ああ、できれば(できなくても)あんな顔に生まれたかった。しかしそれは遺伝的にも無理な話だ。せめて目の前にいる吉井のそっくりさんを見て心を和ませよう。吉井さーん。





・・・と思いまたしばらく見つめていたのだが、ああ、なんだか別の有名人にも似てるなあ。














思い浮かんだのは野口吾郎であった。
野口吾郎か・・・。





何故だか分からないが、想いは急激に冷めてしまった。それ以来、彼の顔はどう見ても野口吾郎にしか見えない。気が付かなければ、ああ、幸せだったのに。野口吾郎の馬鹿。




つまり何が言いたいかというと、吉井和哉ソロ復活ということである。



#新種というか珍種
2003年07月13日(日)

会社から帰ってきたときのこと。


我が家のポメ子(ポメラニアン メス 年齢不詳)は誰か帰ってくると、いつも玄関まで出迎えてくれる。きっと家族が帰ってくるのが嬉しいのだろう。時には唇まで奪ってくれる始末で、サービス精神旺盛だ。どうせなら人間にやってもらいたい。いや、なんでもない。


その日も、ドアを開けるとポメ子がこちらへ向かってくる「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」という足音が聞こえた。ポメ子が来ると思い、唇を奪われないよう身構えた受け入れる態勢を整えた。


物陰から現れる白い影。
ポメ子だ。
相変わらず元気なやつだ・・・。




・・・・・・えっ??















ええと。
誰?



おかあさん、これは?


母「あ、サマーカット」


ポメ子なのか・・・。


私「あの、切り過ぎでは・・・」

母「ああ、いつも行ってるところがしばらく休むってことで、その分もあわせて切ってくれたみたい」


その分もあわせて切っていいものだろうか?買い溜めじゃあるまいし。
お前、それでいいの?














いいのか・・・・・・。


という訳で、いつにも増して大幅に体毛を切られたポメラニアンのポメ子は、もはやポメラニアンというには程遠い存在となって我が家に帰ってきた。



知り合いに見せたところ、


「なんだかポメラニアンって言うより、ポメ子って種族だよね、これ」


というありがたいお言葉をいただいた。
個人的には宇宙人っぽいと思う。





・・・ポメラニアンって、どういう犬だったろうか。







激しく頭を振るポメ子。
明るく振舞っていたものの、彼女は彼女なりに悩んでいたらしい。
トラウマにならないか心配だ。
ちなみにポメラニアンとはこういう犬である。




#例の12歳
2003年07月12日(土)

テレビでもネットでも盛んに取り上げられている例の12歳の件について、この前知り合いと話す機会があったのだが、最終的には「どうにもならないんじゃないか」という結論に到った次第である。


思ったことは次の通り。



若年層による犯罪は、メディアに注目される以前から今とさして変わらず同様にあったのでは?
サカキバラ事件よりメディアで取り上げられる機会が増えたと思うが、ではその報道するメディアが若年層に与える影響は一体どうなのだろうか?その責任までメディアは取れるのか?それを抜きに加害者やその保護者、家庭や社会だけに原因を求めるのは、責任転嫁と言えないか?


報道に、その手口や被害者・加害者のプライバシーに関する詳細な情報まで、本当に必要だろうか?発生した原因を探る考察には必要だろうが、多くの人にとって、その情報はワイドショーなだけではないか?


保護者や学校がその少年の予兆に気付かなかったことについて、自分であれば気付くことが出来たか?自分がその立場になった時、自信を持って気付くことが出来ると私はうなずくことは出来ない。子供とは言え他人だ。


では原因や責任はどこにあるか?今回の件はその少年の個人的な特質に大いに依るところが大きいのではないだろうか。成長過程の多感かつ不安定な状態と個人の素質からなる嗜好、そこに数多くの要素が数多く重なり合い、その結果起きてしまった。といってしまったらあまりに乱暴だろうか。少年個人の責任といえば責任だし、取り巻く社会すべての責任といえばそうなる。まったく結論になっていないが。


ただ、その重なり合った要素を紐解いて、注意を払うことは出来るんじゃないだろうか?何がどんな影響を与えるか、その都度最大限注意を払って、最大限考えて・・・などと自分が親だったらきっとやってられないであろう。そもそもそんな気遣っていかなければならないほど切迫しているんだろうか?そんなに生きにくくしてどうするんだろうか。


と、考えれば考えるほど訳の分からないことで、深刻になりすぎるのも考え物だと思う。勿論深刻になるときも必要だが。他にも色々考えた気がするのだが、ただ、「自分にも関係があるかもしれない」「誰にでも当てはまる可能性がある」ことを忘れてしまっては、つまらない結論にしかならないかもしれない。





ああ、やっぱりよく分からない。
彼はもっと音楽聞いていれば、こんな事件も起こさなかったんじゃないだろうか。そんなことはないか。




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