2010年06月16日(水) 社会から 切り離したら ウツ病か
まなティが、幼稚園の年中になって給食を嫌がらずに完食できるようになった。ピーマンもタマネギも。家では、どうやっても食べさせられなかったのに、だ。幼稚園の個人面談のときに、「家で食べないのが信じられないくらい普通に食べてますよ!」と先生は目をまん丸にしていたが、私も目がまん丸になった。ありえない! ありえない!
これぞ、「社会が子供を育てる」だ。まなティは友達の目、先生の目を気にして、給食でグズグズするのはカッコ悪いと思ったのだろう。自分の美学はしっかり持った子なのである。
先日保育参観に行ったとき、親も給食を一緒に食べた。先生が「全部食べたら、お皿を先生に見せてね」と子供たちに言っていたので、2分で食べ終えた私は、まなティの耳元で「ママ、食べ終わったんだけど、先生に見せた方がいいかな」とささやいたら、まなティはギロリと私をにらんでフンッとそっぽを向いた。
ママ、恥ずかしいからちゃんとして!と顔に書いてあった。家ではフザケまくっているまなティも、幼稚園では優等生みたいにちゃんとしているのである。私自身、みなの前で体を張って笑いを取るタイプなので、外でちゃんとしろなんて言ったことがない。それなのに、まなティはしっかり社会からいろんなことを吸収しているのだ。
思えば私も昔、オーストラリアで執筆業をやっていたときは、パジャマ姿で昼夜逆転した生活をして、誰にも会わず、常に半ウツ病状態だったが、今はどうだ。毎朝4時半に起きて仕事して、着替えと化粧を済まし、午前中には洗濯や掃除や買い物を済ませ、頻繁に幼稚園のお友達を家に招待したりされたりして、クラス委員までやっている。社会性ゼロのこの私が普通に主婦業が務まっているではないか。
これは何もかも、まなティが幼稚園に行き始めて、近所の交友関係が広がってからだ。私を変えたのは「社会の目」と言わずになんと言う! 恐るべし社会……。人は社会から切り離したらロクなことにならない。
ちょっと話はそれるが、最近「大人になること=社会の役に立つこと」だと悟った。そんなの当たり前に身についている人もいるだろうが、私はこの歳でやっと気づいたので仕方がない。
人が社会から切り離せない以上、ひとりひとりが社会の一員として何らかの形で自分の能力を社会に役立てるのが筋だ。そして、それに見合った報酬をもらう。そうやって社会は回っていくのだ、とふむふむと感心したわけである。
私は30歳越えて、このことにようやく気づいたのだが、もっと早く例えば小学生のときに気づいていれば、「私の存在とはなんぞや」などと思い悩む時間もグンと減って、ウツ病をあんなに長期間患うこともなかったんじゃないかと思うと悔やまれる。
国の教育のせいにするのも違うかもしれないが、もっと声高に「大人になったら社会の役に立つべし」と小学校あたりから子供に教え込んだら、もっと世の中がよくなるんじゃないかと思うが、どうだろう。私は自分の子供らにそうやって接していこうと思うのである。
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twitterを始めてみた。ちょっと前に登録したんだが、まったく使っていなかった。昨日iphoneのアプリで見られるようにしたら、使いやすくなったので、これからはちょくちょくどうでもいいことをつぶやきたい。
@tamarismでやっているので、もしよろしければ。
つづく。
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