2009年02月20日(金)  兄弟が 生まれて最初の 社会かな


なんかいろんなことが一気に終わった。水曜に塾の3年生が全員卒業して、木曜に最後の原稿を仕上げた。

生徒の吉報は未だ聞けず、まなティが実家に遊びに行ったので、とりためてた番組をこうティとなんとなく見ていたが、気持ちが入らない。生徒の合格の報告というのは、私にとっても勲章のようなものなので、卒業しましたハイおしまいとはいかないのだ。

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話は変わるが、姉兄気質というのは生まれながらに持っているものではなく、下が生まれて少しずつ身につくもののようだ。

まなティはこうティが生まれて、始めて自分のテリトリーが荒らされる(遊びの邪魔をされたり、おもちゃを取られたり)という経験をし、最初はかなり戸惑ってキーキー言っていたが、今では大人も感心するほどにこうティをうまく受け入れている。子供って本当に柔軟だ。

前は、こうティが自分のおもちゃに指一本触れるのもいやがっていたが、今では大事なお人形をベロンベロンとヨダレだらけにされようが、大好きなプーさんの本の背表紙を引きちぎられようが、涼しい顔をしている。どちらかというと、親の方が「まなティが怒るんじゃないか」とアタフタしてしまうほどだ。

床に何か並べて遊んでいるところに、豪傑なこうティが歩行器でガーーっとやってきて、車輪で床のおもちゃを轢いても、「こうちゃん、一緒に遊びたいの?」と言って、なぜかそれがかくれんぼのようなことに発展して、一緒にキャッキャッと遊び始めたり、とにかくフトコロの深さがどんどん出てきたようである。


まなティはかなり神経質な方だ。それは持って生まれた気質なので仕方がないが、私たちはその神経質さを少しでも和らげるように気を遣っている。

おもちゃが壊れたり、楽しみにしていた番組がお休みだったり、そういうどうしようもないことってある。まなティは当然ながら、そういうことにも執着していつまでも泣いていたり、機嫌が悪くなったりしていたが、「残念!」と笑って言うことを教えたら、最初は泣きながら「ざんね〜ん!」と言っていたが、今では笑いながら両手を広げて「ざんね〜ん!」と言って、さっさと次の行動に移れるようになった。

しめしめと思っていたら、「残念効果」が効き過ぎたらしく、先日、あまりにおもちゃが散らかっていたので、「片付けないなら捨てるよ!」と言ってゴミ袋を持ってきたら、例の両手を広げるポーズで「ざんね〜ん」である。昔ならキーキー言って泣きながら片付け始めたのに。

私は引っ込みがつかなくなって、「本当に捨てちゃうんだよ」と言いながらゴミ袋におもちゃをどんどん入れていても、横で「残念残念。本当に残念」と言いながら見ているだけなのだ。「さあ捨ててこよう」と大げさに言って、キッチンのゴミ箱に入れると、それを見届けてからソファに座って、「あ〜残念」と言いながらくつろぎ始めているではないか。

結局、その一部始終を見ていたうちの父が間に入ってくれて、まなティに「ママに謝っておいで」と言って、ゴミ箱から一緒におもちゃを拾って片付けるところまでやってくれて、一件落着した。


それはさておき、とにかく神経質なまなティは一人っ子だったら神経質に拍車がかかっていただろうと思う。人と仲良く遊ぶ知恵も得られなかっただろう。一人っ子の相方は今やまなティに学ぶとこ多しである。

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この冬、ずっと仕事仕事だったし、家族全員風邪に翻弄されっぱなしだったし、家族の特別なイベントもなかったので、来週泊まりでディズニーランドに行こうと思っている。相方の休みも取れたし。少し暖かくなってきたし。楽しみ。

そして、円高の今年こそは海外旅行を!と思っている。フライト時間の少ない近場で、赤ちゃん連れなのである程度清潔な国で、アレルギー持ちのまなティが食べられるものがたくさんあるアジア、と絞っていくと、香港か台湾あたりがいいだろうと思う。韓国は辛いものばかりで小さい子供の食べるものが少ないと聞いたので却下。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・まなティはパスカリーナが怖いみたいで近寄りませんが、
 こうティは動物が大好きらしく、
 ガツガツ近寄りすぎて引っかかれたりしていました。
 今は学習してある程度距離を保ちつつ眺めることを覚えました。
 かわいい女子を見るように、いつもニヤニヤニヤニヤしながら見ています。
 お弁当日記、楽しそうですね。励みにもなりそうだし。
 まったく自信ないですが、少し慣れたらやるかもしれません。

2009年02月10日(火)  弁当よ 私が相手だ かかってこい


まなティは実家にお泊り、こうティは昼寝中で静かな午前。仕事の手を休めて更新。

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もうすぐまなティが入園。週の半分は給食の幼稚園なんだけど、アレルギーには対応してくれないらしく、毎日弁当の気配(それでも給食費は払うのだろうか…)。

私はどんな心境かというと、めんどくせー以前に恐れおののいている。弁当なんてほとんど作ったことがない。しかも我が家は揚げ物をしない(酸化しやすい油を何度も使うというのに抵抗があるから)。園児の弁当ともなれば揚げ物だって避けては通れないだろう。どうするんだ。

何も知らずに恐れてばかりいても仕方がないので、先週は1週間まるまる「弁当みたいな夕飯週間」と銘打って、いろいろと作ってみた。「園児のおべんとう」系のレシピ本を1冊買ってきて、あとは手持ちのレシピ本の中から弁当に向きそうなものをいくつか作ってみた。

揚げ物は、母から教えてもらった、「揚げ焼き」という手法で乗り切ることに。フライパンに大目の油をしいて両面をカラッと揚げるみたいに焼く。フライのパン粉を卵を使わずつける方法も教わった。これでエビフライも唐揚げもちゃんとできた。あとは、短時間で弁当全体が完成するように、手際を考えよう。便利グッズも揃えたい。

毎日の昼食の外食に飽きた相方も、4月から弁当生活に便乗すると言っているので、相方と強力しつつ頑張ろう。

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最近の特大ニュース。

先週まなティが左耳がよく聞こえないと言う。先月インフルエンザで入院したので、まさか難聴になったかと思って耳鼻科に行ったら、なんと、ものすんげー耳クソが出てきたんである。耳クソって言うか、あれは耳栓だ。大人の小指の先大の。あれが入ってたんじゃー、聞こえなくて当たり前だ。もう片方の耳からも同じようなものが出てきた。どうやら、まなティは耳垢が外に出てきにくい体質らしい。さぞかしスッキリして、よく聞こえるようになっただろう。

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先週の土曜は、結婚記念日だった。私たちは結婚生活6年目に突入した。

私たちはオーストラリアで出会ってちょうど7年だ。この7年の間に、猫のパスカリーナ、まなティ、こうティという家族が増えて、生活もシドニーから日本へと移って、相方も何度か仕事がかわったり、私の仕事が浮いたり沈んだり、いろんなことがあったなぁと思う。基本的には大きな病気や災難もなく、つつがない生活とはこのことぞ、という感じだ。

相方とは夫婦というよりも、人生というプロジェクトに取り組むパートナーという感覚で、できることをできるときにできる方がやるという協力体制は万全だ。こんな関係は相方じゃないと築けなかっただろう。

向上心や野心は2人とも旺盛な方なので、お互いが仕事や生活でステップアップしていけるように、励ましあったり、助け合ったりしている。(例えば、勉強のために5時に起きるとか。2人でやれば寝坊も少ない。これは氷山の一角)

とにかく、相方と一緒にいると、気楽で、頼もしく、安心できて、未来が明るくて、何よりも楽しくて、可笑しくてしかたがない。子供が生まれて自由な時間も減ったけど、この感覚は2人だけだったときと変わらない。

これからもよろしく、相方よ。

関係ないけど、今私の仕事が忙しいこともあり、記念日の夕飯は前日の残りのカレーにしようと思っていたら、どうせそんなことだろうと思った母が寿司を持ってきてくれた。ありがたや。


つづく


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2009年02月01日(日)  性格は 育て方より 素質かな


来る日も来る日も仕事。もうすぐ大学入試のシーズンだ。

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こうティ、歩行器で走るようになった。廊下の向こうにいるときに「おいで!」と呼ぶと、満面の笑みでダカダカダカと走ってくる。足腰丈夫。

気づくと視界にいなくて、玄関にあるまなティの三輪車のベルをチリンチリンチリンチリンと100回くらい鳴らして満足して戻ってきて、次はカーテンにグルグル巻きついて、本棚から本を何冊も引っ張り出す。自由な男である。

まなティは赤ちゃんの頃、何か不満があると泣いて訴えていたが、こうティは人に訴える前に行動するタイプだ。例えば、何か目の前のおもちゃがほしくて手を伸ばして届かない場合、まなティはすぐにイライラして泣いていたが、こうティはなんとか手が届かないか、必死な形相であの手この手を試してみる。派手にドタバタやってるうちに大人が気づくというパターン。泣くことはまれだ。

まなティは3歳になっても未だに何か不満があるとすぐに泣いて訴える。泣かずに言いなさいと注意するんだけど、癖というか弾みでつい泣いてしまうみたいだ。あかちゃんのときの性格って、そのままだ。性格って、生まれたときにすでに決まっていると思う。

2人の性格は正反対だけど、どちらも良い面悪い面がある。まなティは悪く言えば「泣き虫で自分で試してみない」だけど、良く言えば「用心深くて安心」だ。一方こうティはよく言えば「行動力がある」だけど、悪く言えば「無鉄砲」だ。まなティは道路に飛び出すなんてことなかったけど、こうティは歩けるようになったらひもをつけておかないといけないかもしれない。

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子供が生まれて、「生きてること」が当たり前じゃなくなった。あまりに静かに寝てるといつも顔を近づけて寝息を確認してしまうし、外に出たらガッチリ手をつないで離さない。何があってもうっかり目を離したりしない。

自分だって相方だってそうだ。いつ何時病気になったり死んだりするかわからない。こんな気持ちになったのは初めてだ。

この幸せな時間は有限。すべての瞬間を大切に、目をちゃんと開いて、二度とない今を生きたい。

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関係ないが、女には母性がある。特に子供を産むと強くなる。私は元来子供が嫌いだ。子供を産んでもかわいいと思えるか心配だったが、いざ産んでみると、もう無条件でかわいいんである。何かこう腹の底の方からグワッとこみ上げてくる感情だ。

生まれたばかりの赤ちゃんって、泣くか寝てるかで、表情も乏しく面白みがないが、それでももう食べちゃいたいほどかわいいと思えるから不思議だ。我が子のみならず、よその赤子を見てもニンマリしてしまう。女性ホルモンの仕業か。

一方男はどうだ。母性なくして、どうして面白みのない赤子をかわいいと思えるだろうか。もともと子供好きならまだしも。人でなしと思われたくないがために、「かわいくない」とは口がさけても言えないだけじゃないのか? 相方に聞いてみたら、あっさりと「かわいくないよ。自分の子供だから忍耐強く世話するだけ」と認めてしまった。

正直でよろしい。そうだろう。男は理性と責任感で子供を育てているんだろう。少し成長すれば、人と人との絆のようなものが生まれてきてかわいいと思えるのだろうが、赤子は無理だろう。初対面の他人みたいなもんだ。

中には男でも子を持って母性が強くなる人もいるらしいが、大抵は「理性」と「責任感」が支えているのだろう。そうなると、理性も責任感もないようなアホな男が赤ちゃんを泣き止まないという理由で殺すというニュースも頷きたくないが頷ける。


つづく。


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