2007年06月26日(火)  消費者が 悪いも一理 ありますが


ミートホープの社長が、「安いものばかり求める消費者も悪い」と言っていたが、それをあの立場の人間が言っていいのかということは抜きにして、私も実際そう思う。消費者はもっと自分の体に入ってくるものの原材料に関心を持つべきだ。

「腐りかけの肉を使ってた」とか、「赤く染めてた」とか、「水増ししてた」とかを聞いて「なんてこと!」と騒いでいるが、みんなが食べているハムやソーセージだってそうやって作ってある。ただ、それを表示していたか否かという差だろう。大半の消費者は原材料名なんて見ないのだから、あの会社もはっきり表示しておけばよかったのだ。


100キロの豚肉から130キロのハムができるそうな。100キロのどうしようもない肉に水やらそれを固める添加物がごっちゃり30キロも入っているのがハム、だ。スーパーに行って、ハムを裏返して原材料名を見てみるがいい。ハムだけでは国の定める添加物の量を超えていないだろうが、国民がそれをほかの添加物まみれの食品と一緒に食べることまでは考慮されていない。なんか調子が悪いという人や落ち着きのない子どもがやたら多いが、そりゃそうだろう。

ハムがそんななのだから、人間の食べるモノほど制限がきつくないペットフードはもっとすごい。ペットフードに使うくず肉(というか内臓や骨)を運ぶトラックは冷蔵車じゃないそうな。普通のトラックで運んだ腐った肉に添加物を加えたのがペットフード。

私は、市販のハムやソーセージや練り物やハンバーグの類は絶対買わない。ペットフードもそうだ。材料の素性があまりにもはっきりしないから。というか、そもそも普通のスーパーには買うものがないので行かない。

スーパーに仕方ないものしか売ってないのは、それを消費者が求めるからだろう。安いだけで飛びつき、原料には一切関心のない消費者がこの国の食文化をダメにしている。日頃自分が食べているものが何でできているか知れば、どんなにおいしそうでも食べる気が失せるというものだ。


あの素性の知れない会社の肉を学校給食にも使っていたというのは驚きに値しない。子どもの味覚なんていくらでも騙せるだろうから、いくらでも安い材料を使うだろう。

まなティに食物アレルギーがあって逆によかったかもしれないと最近思う(もちろんないのが一番いい)。市販の菓子やファーストフードを食べられないというのは、幸せなことだ。食べられればどうしても食べてしまうだろうし、その味を占めればもっともっととなるだろう。わけわからん給食だってパスできる。

まなティには、正しい味覚と正しい食に関する知識を身につけさせたい。


つづく。


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2007年06月22日(金)  いけないわ 小さい子供と カーペット


「ほぼ日手帳」を使ってるんだけど、ページの下に毎日1つずつ短い文が書いてある。5月22日の文がいい。

 やりはじめないと、やる気は出ません。
 脳の「側坐核」が活動するとやる気が出るのですが、
 側坐核は、何かをやりはじめないと活動しないので。
 <『海馬』より>

これ、毎日実感中。朝、やることがたくさんあるのにいつも「めんどくせーなー」と思う。だけど、えいっとやり始めるとシャキ神が光臨してあれもこれもあっという間にやってしまえる。パソコンの前に座ったりテレビを見出すと、とたんにエンジンがストップしてしまうので、やるべきことは一気に終えないといけない。今も、エンジンがかかってるうちに大嫌いな掃除機をかけ終えたところ。汗だくになった。冷たい麦茶がうめー。


掃除機かけててひしひしと思ったが、小さい子供がいる家はカーペットは厳禁だ。うちは中古のマンションなんだが、買ったときにすでにリフォームが入っていて、床がカーペット敷きになっていた。カーペットはなんだか不潔なような気がして嫌いだったが、あまりにいい物件だったので買ってしまった。で、去年の夏、ここに引っ越してきた早々リフォームで無垢のフローリングにする予定だったんだが、予算の問題で暗礁に乗り上げていた。

まなティがもっと小さい頃はあんまり問題なかったんだが、好き放題動き回れるようになって、食事も自分でできるようになった今、カーペットに何かをこぼす頻度が増した。一日に一度は何かをこぼしている。お茶とか、ジュースとか、味噌汁とか。しかもトイレトレーニングもやっているので、そこにオシッコも加わっている。

今のカーペットって優れもので、すぐに拭けばたいていの汚れはキレイに取れるし、うちの掃除機は奮発してものすごく強力なヤツにしたので、ゴミや毛は根こそぎ取れている感じだけど(毎回えっ?!というほど取れる)、やっぱりなーんか汚いよなー。汚れが取れてると言っても、少しずつ少しずつ取り損なったヤツが残っていくだろうし。


ということで、この夏どうにか金を工面してリフォームに漕ぎつけたい。まなティももう少ししたらハウスダストに反応する年齢になることだし。相方と同じアレルギー体質なので、たぶんハウスダストにも反応するだろう。また借金だ! リフォームローンだ! こうなったら借金しまくれ!


つづく。


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・面白そうなページですね! 読んでみます。
 はい、この調子で頑張ります。

2007年06月21日(木)  おっぱいを 隠してはにかむ 女だもん


梅雨入りしてたんだ。知らなかった。それにしても、今日もいい天気ですごく暑い。

今からクーラーをつけたらおしまいな気がしてまだ手を出してないんだが、まなティがいつも汗だくでかわいそうだ。自分より汗かきの人間を見たことがなかった私と、それを軽く越えてしまった相方の子なのだから、しかたあるめー。

暑かろうと思いオムツ一丁にしておいたら、宅配の人がきてまなティもいつものように私についてきて玄関まで来て(私の父か母か相方だと思うらしい)、宅配の人にオムツ一丁の姿を見られてしまったのが恥ずかしかったのか、おっぱいのところを押さえてはにかんでいた。まあ、私が教えた「恥ずかしいときのポーズ」なのだが。


そんなまなティが言える言葉の中で、あかちゃんらしからぬモノ。

 ・アナ(穴)
 ・ウコッケイ(鶏の仲間)
 ・アミ(網)
 ・ズコッ(こける真似をして)
 ・カッコイイ!
 ・オッケー!
 ・イーヨー(プーさんに出てくるロバ。ちなみに「プー」は言わない)
 ・ワピチ(旭山動物園にいる鹿の種類)
 ・フタ(蓋)
 ・チャリ(三輪車)
 ・バッグ
 ・ジョウロ
 ・ダイジ(大事なモノのこと)
 ・メン(麺)

とりあえず、スポンジのようになんでも覚えるので教えるのが楽しい。サ行が一番難しいみたいで、サ行が入るものはなかなか言わない。サ行も何も入ってないし、頻度が高いのに絶対に言わないのが「クマ」だ。なぞ。


つづく。


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・誰から来てるかわかりません。
 なんとなく文面から、前のあの人かな?位はわかりますが。
 まなティも歩いたのは、あと少しで1歳3ヶ月の1歳2ヶ月でしたよ!
 私なんて、1歳3ヶ月だったし、うちの母は1歳半だったと言っていました。
 離乳食も、まなティもまだ柔らかいものの方が好きなので、
 1歳半になった今でも、おじやとか柔らかくした麺とか食べてます。
 1歳2ヶ月の頃なんて、普通に離乳食だったと思います。
 あと、言葉のことですが、
 言葉の発達スピードは、頭の良し悪しと全く関係ない、
 というのをよく聞くので、ぜんぜん問題ないかと。
 2歳くらいまで全く話さない子も多いみたいですよ。
 お母さんは母国語で育児をした方がいいというのを何かで読みました。
 (英語だと感情が込められないのよくわかります!
 私も英語の絵本を読んであげるとき、すっごく違和感あります)
 アメリカに住んでるならなおさら、日本語を強化した方がいいと思います。
 もう少し大きくなったら友達はみんな英語を話すことになるので、
 英語の方が断然得意になると思います。
 なので、逆にお母さんは絶対日本語しか話さないと決めた方がいいと思います。
 私の友達でオーストラリアで国際結婚して英語で子供を育てた日本人がいますが、
 子供はまったく日本語を話せません。もったいないなーと思います。
 もう一つ、オーストラリアに住んでる私の親戚は、
 香港人の女性と結婚して、父親は日本語、母親は広東語で子供と会話しています。
 幼稚園に行くまでは、日本語と広東語しか話せませんでしたが、
 それ以降はなんなく英語もマスターしています。
 というか、友達が話す言葉が一番上手になると思うので、
 バイリンガルにするつもりなら、
 家庭ではできるだけ日本語で話した方がいいと思います。
 外国での育児ってほんと心細いですよね。
 私なんてそれで帰ってきてしまったクチなので、気持ちよくわかります!

・ありがとうございます! ありがとうございます!
 32歳も頑張ります!

2007年06月18日(月)  ヒトとして 心と心が 通じ合う


今日で32歳になりやした。朝、相方におめでとうと言われるまで気がつかなかった。なんとなく今週だとは思っていたけど、月曜だったとは。毎度のごとく、プレゼント何がいい?と聞かれても全く思いつかない私だが、今年はなんとなく気になっていた→『田中宥久子の造顔マッサージ』 ←という本を昨日買ってもらった。マッサージクリームがないのでまだ試してないけど、評判ではかなりいいみたい。とりあえず、昔から目の下の隈が気になっていたので、ちょいと習慣にしてみようかと。

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1歳半児、あなどり難し。もう話はほとんど通じている様子。例えば、○○してるからちょっと待っててとか、××取ってきてとか、お茶がこぼれるから気をつけてとか、足元に気をつけてとか、ここでは静かにしてシーッだよとか、はたまた、食事中足を上げるのがお行儀悪いとか、ぬいぐるみを乱暴に扱うとイタイイタイとか、そういうことまで理解できている。

というか、心と心が通じている感じで、もう同じことで笑えたり、ハッと気づく場面が同じだったり、と気持ちを共有できているのをヒシヒシと感じる。なんか完全にヒトだ、もう。

今日、小さな動物図鑑に載っている魚のエイを指差して、「オトト(魚のこと)、パパ、オンブ、オッキイ(大きい)、(両手を広げて)ヒラヒラ」と立て続けに言っていて仰天した。この前サンシャイン水族館に行ったときに、まなティは相方に肩車されて大きなエイを見たのだった。そのときのことを、図鑑のエイを見て突然思い出したのだろう。


今まなティの中で、「パパやママは大きい、まなティは小さい」というのが流行りで、私たちのTシャツを指差して「オッキイ」、自分のを指差し「チッチャイ」と言ったり、絵を見て大きい人を「パパ」、小さい人を「まーてぃ」と言ったりする。1日中、何かを指差して「パパ」「ママ」「まーてぃ」「オッキイ」「チッチャイ」と繰り返している。


トイレトレーニングは、タイミングを見て「おしっこ出る?」「ウンチ出る?」と聞くと、したいときは「うん」と答えるので、オマルにのせる、ということをしている。自分でも、「チッチ」とか「ウンチ」とか言いながらオムツを押さえて教えてくれたりもする。実際したいみたいなんだけど、オマルに座るとひっこむらしく、成功したのは数回だけだ。

この前は、ノーパンにしておいて、「おしっこでるときはこれでするんだよ」とオマルを示したら、私が台所にいる間に上手におしっこをしていた。どうも、見られていない方がいいみたいだ。


つづく。


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・「マズローの欲求五段階説」、とーってもわかりやすかったです!
 ピラミッドの下の土台部分がその先を支えているという考えですよね。
 その土台部分を幼少期に作っておかないと、
 その後、どんなに高く積もうと思っても崩れるばかり、という感じですよね。
 私はその大事な時期に殴られながら深夜まで勉強させられていたので、
 土台がぐらんぐらんなのです。
 痛いくらいよく理解できます〜。
 その土台を、今更ながら構築中です。

2007年06月15日(金)  雨乞いを していた砂漠の 農民か


なんだ晴れた。しかもすっきりと。梅雨入りしたかと思った。今日も洗濯できないと思っていたので、嬉しい。ベランダの花々も喜んでいる、たぶん。


最近、まなティが毎日のようにベランダで水遊びをするので、私はその横でベランダの掃除をしている。デッキブラシやタワシでゴシゴシと。毎日掃除する場所を開拓しながら。なので、必要以上に美しい我が家のベランダ。裸足で歩いても大丈夫。


それにしても、子供って水が好きだ。まなティも前世が砂漠の農民だったんじゃないかと思うほど、水に対する執着はすごい。1日に何度も、ベランダを指差して「チャプチャプ?(水遊びしていい?)」と聞いてくるし、雨の日は大興奮で、全ての水溜りに入らずにはいられない。なので、慌てて長靴を買った。

それだけじゃなく、傘や長靴などの雨具を見るだけで、人が変わる。散歩中に人の家の玄関にある傘はすべて目ざとく見つけ「アイシャ(傘のこと)」と指摘し、子供番組で傘が出てきたら(雨の歌とかこの時期多い)、自分も傘をささずにはいられず、玄関に走って行き傘の入っている戸棚をバンバン叩いて自分の傘を所望し、ひとたび傘を与えると、やれ開け、やれくるくる回せとうるさい。振り回したりして危ないのでしまおうとすると、キーーーッだ。

晴れなのに、長靴を履いて外に出ると言って聞かなかったりもする(その場合は、ドアを開けて外を見せて雨が降ってないことを確認させると諦めてくれる)。


昨日は雨だったので、さすがにベランダ水遊びは中止だったんだが、夕方になってまなティのイヤイヤ病が最高潮に達したので、夕飯の後、ザアザア降りの雨の中散歩することにした。長靴履いて傘さして(と言ってもまだ自分で持てないので、私が先っちょを持って支えてまなティは柄につかまってるだけ)、マンションの前の道を行ったり来たりした。

「アメ!アメ!」と興奮しながら水溜りで激しく足踏みしたり、溝を流れる水を眺めたりしていたら、だんだんおとなしくなってきたので、「家に入ろうか?」と聞いたら珍しく「ウン」と言う。家に帰ってずぶぬれの服を脱いでお風呂に入って、その後もずっといい子だった。オムツもパジャマもすんなり着て、歯磨きだけは少しイヤがったけど、寝るまでいい調子だった。


どうやら、欲求が晴れれば少しはイヤイヤ病が緩和されるようだ。思うに、この時期の子供って、当たり前のようにできることも増えて少し退屈してるんだろう。「イヤイヤ!」と拒否することを覚えたので、早速それを使って生活に変化を与えようとしているのかと。そういうわけで、思い存分体を動かして遊んで、欲求を晴らすことに焦点を当ててみようと思う。


つづく。


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・ああ、そうですそうです!
 よい親で素直に育った子は、
 説教するとすんなり受け止めてくれるみたいです。
 世の中そんな子供ばかりだといいんですけどね〜〜。
 前にも書きましたが、いつの時代も世の大半の人間は歪んでいるので、
 説教する側もされる側も歪んでいたりして、
 まったく効力を持たないことがほとんどですよね。
 私もそのクチなので、よくわかるんです。

2007年06月14日(木)  イヤイヤよ なんでもかんでも イヤイヤよ


まなティ、イヤイヤ期突入。

「●●しようか」と言うと、てのひらを突き出し首を激しく横に振りながら「イヤイヤ! イヤイヤ!」ですよ。「オムツ替えようか」とか「帰ろうか」ならわかるが、「イチゴ(まなティの大好物)食べようか」とか「お散歩行こうか」でも何でも「イヤイヤ!」だ。反抗できればなんでもいいみたいで、内容なんて聞いちゃいない。下手すると私が立ち上がっただけで、「イヤイヤ!」である。

私はとりあえず、「じゃあ、いいよ」と言って特に無理強いしないそぶりを見せることにしている。無理強いすると逆効果なので。それが「イチゴ食べようか」だったりすると、すぐに「あ、うっかりイヤって言っちゃったけど、食べたい」と思うらしいが、激しくイヤと言った手前気前悪いらしく、私のそばでモジモジしたり、冷蔵庫の前に行って、「そうだ、今気づいたけど、イチゴ食べようよ!」という顔をして「ゴッ!(イチゴのこと)」と言ったりする。

「オムツ替えようか」なんかの場合も、「イヤイヤ!」に対して「じゃあ、いいよ」と返すと、しばらく遊ぶが、オムツのことが気になってしかたがばいらしく、しばらくすると「しょうがないなぁ、替えてくれてもよくってよ」という高飛車な態度で私のところにやってきて、おとなしくオムツ替えに応じる。


まぁ、そうは言ってもこれはうまく行ったときの話で、少しでも虫の居所が悪いと、まったくもってダメである。

この前はお風呂から出ないと言って聞かないので、「じゃあ、先に出てるよ」と言って風呂場のドアを開けたまま脱衣所で服を着たりしていたら、ドアを閉めろとキーキー言って、閉めないでいたら、自分で閉めに来た。それで中で遊んでいるのを遠巻きにすりガラス越しに見ていたら、私がいないと思ったのか「マーマー!」と呼ぶ。それで「もう出るの?」とドアを開けたら、キーキー言ってドアを閉めに来た。ドアを開けるなということらしい。

そんなことが延々と続いて、出たら出たでオムツやパジャマを着ないと言って聞かない。しかたがないので素っ裸で遊ばせていたが、これでは埒が明かないので、しばらくして「オムツ履くよ」と言うとまた断固拒否する。なんだか私が疲れてきて、「あ〜なんだかママ眠くなっちゃった。もう寝ちゃおうかなぁ」と言ったら、さすがにヤバイと思ったらしく、「オッパイ!オッパイ!」と言いながら私のTシャツをめくってきたので、「オムツ履いてない子とはオッパイしないよ」と言ったら、焦ってオムツを持ってきて履かせてくれと言う。それで履かせようとしたら、「イヤイヤ!」である。脱力。


この「イヤイヤ!」は駄々をこねてる感じではなく、どちらかというとイタズラ心でやってる様子なのが、いかにも成長の一過程といった感じだ。私は当然の権利を主張しているのよ!というような自信ありげな顔なのである。どこまでワガママ言っても大丈夫なのか、ということを試しているのもあるかもしれない。

そう思えば微笑ましくて、「しょーがねーヤツだなぁ」くらいに思えるが、何でもかんでも一日中「イヤイヤ!」と言われ続けると、さすがに時にはカチンときたり、ぐったり脱力したりする。これが下の子の出産と重なったりする人もいるんだろうなぁ。地獄だな。

早く終わんねーかなー、イヤイヤ期。世のイヤイヤ期の子を持つお母さんたち、一緒に堪えようぞ!


つづく。


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・確かに、小学生くらいなら時にはお説教も効果があるかもしれませんね。
 最近の子は、お説教され足りてないというよりも、
 お説教が効果を発揮するほどに、大人との信頼関係を築けてない、
 と言った方が正しいと思います。
 お説教している親は本当によく見かけますよ。
 それが子供の心に届いてないのでしょう。

2007年06月12日(火)  ごまかして 「あとで」はもはや 通じない


ベランダの花の話。

5月いっぱいまで芽を摘みまくって花を我慢したペチュニアとロベリアが咲き出した。ペチュニアは今1輪だけ咲いて、ロベリアは6輪ほど咲いて、2つともとても元気で、ほかに蕾がたくさんついている。単純にうれしい。

植物を育てるのって枯らし魔の私にはとても難しかったんだけど、ちょっと真面目にやるようになった今、やっぱり難しいなあと思う。機械的に芽を摘んだり水や肥料をやったりしてたんじゃダメで、その植物の様子をじっくり見ないといけない。植物も人間と同じで、「●●をやっていればいい」というのはない。私にはまだ植物の心はうまく読めていないらしい。

若い苗で買ってきたのは、ロベリアとペチュニアのほかに、カスミソウとアメリカンブルーとリトルチュチュの全部で5種類(私は小花が好き)なんだが、ロベリアとペチュニアに一日中日の当たる特等席を奪われたほかの3つが、少し元気がなくなってきた。かわいそうなので、日向が移動するたびに、できるだけ移動させている。

種から育てているのが、センニチコウと朝顔とジニアとかいう赤い花の3種類で、そのうち朝顔だけが元気に育っていて、ジニアは芽は出たがそのまま育たず、センニチコウは元気な芽が出たんだが、大きな植木鉢に定植したら、それがショックだったのか立ち枯れしてしまった。センニチコウなんて、すごく丈夫な植物のはずなのに、私って……。


失敗も多いが、かなり楽しい。庭がホシイ。

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まなティは自分のことを「まーてぃ」とどこぞの外人のように呼ぶようになった。ご飯中に私の箸を指して「ママ」、自分のフォークを指して「まーてぃ」と言ったり、鏡の中の自分を指差して「まーてぃ」と言ったりする。「他の人と自分は別人格」という観念を持ち始めたか。

言語発達が加速中で、すでに90語くらいは理解し且つ言える。この前、アンパンを割ってあげたら、「あんこ」と中を指差して言ったのでビビッた。特に教えてないのに、大人が言ってるのを聞いて覚えたんだろう。猫も「にゃんにゃん」と言っていたと思ったら、突然「ねこ」に変わっていた。

理解だけして言えない単語は無数にある。というか、私が言ってることはほとんど理解できる。やっていいかダメかわからないこと(例えばどこかのボタンを押すとか)は、「いいよ?」と言いながら首をかしげて聞いてきたりする。「ダメだよ」というと、「ばっちい」か「いたい」か「あつい」と判断するらしく、そのどれかの単語を発しながら去っていく。もうむやみに何でもかんでも触ったりしなくなった。


そんなまなティなので、もう子供だましなことはできない。例えば、「じゅーじゅ(ジュース)」と言ったときに「あとでね」と言って我慢させ、そのままあげないなんてことはもうできない。しっかり覚えていらっさる。あげるつもりがないなら、ちゃんと「ダメだよ」と言わないといけない。「さっき飲んだでしょ」とか「もうご飯だからね」とか言えばだいたい納得するので、面倒臭がらずに真実を述べるに限る。

仕事に行くときも、今までは昼寝しているすきに出たり(もちろん誰か大人がいます)、ご飯中や何かに夢中になっているすきにこっそり出たりしてたが、その後私を探しまくって泣くようになったので、正々堂々と「仕事に行ってくるね。お昼寝して起きてちょっと遊んでたら帰ってくるよ」などと言って玄関で別れるようにしたら、納得して笑顔でバイバイしその後も機嫌よくいられるようになった。


思うに、子供だろうとなんだろうと人間というものは「納得」すれば安心なんじゃないかと。特になんでも自分で納得しないと前に進めない私の子なのだから尚更だ。その安心感が落ち着きや、人への信頼、外界へ出る自信につながっていくんじゃないかと思う。

それに、私が塾で常日頃感じているのは、幼い頃に安心感を培って初めて、中学生や高校生になったときに、勉強を始めるスタート地点に立てるんじゃないかと。幼い頃に焦って勉強させるより(私がまさにこれ)、安心感を培って落ち着いた人間に育てる方が、あとあと高いところまでいける(相方がこれ)と思う。勉強する基盤を育てるということ。

安心感の中核は、親子の信頼関係だろうから、これからもウソはつかずに、真実を述べるようにしたい。親がウソをつかず首尾一貫した態度(←これ重要)をとって信頼関係をうまく築ければ、だだをこねたり、言うことを聞かなかったりする頻度が減ると思う。


つづく。


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・子供のやる気の無さは、
 いろんなことが複雑に絡み合って起きてるんでしょうなあ。
 一人の教師がなんとかできるレベルじゃないですよね。
 でも、まあ、千里の道も一歩からですからね、
 私のようなちっぽけな教師でも
 少しでも役に立っていると信じるしかありませんね。
 「説教〜」の件はどうでしょうかねぇ。
 説教で人が動かないのはどの時代でも同じだと私は思います。
 もちろん説教が生きてくることはあると思いますが、
 説教はマイナス要素の方が多いのが問題です。
 説教がうまく生きるのは、説教の内容はもちろん、
 タイミングや声色、相手の心理状況、場所、説教する人との関係、
 などなどなどなどなどなどなどなど、
 見えない要素が何重にもかさなりあって起きる奇跡のようなものなので、
 始めから「説教では人は動かせない」と肝に銘じて、
 別の角度から生徒のためになることを考えることに専念した方がいいと思います。
 説教で人が簡単に動くスポコンドラマや学園モノが、
 世の教師に勘違いを起こさせている嫌いがあるかと。
 説教って楽ですからね。当然それで動けば一番楽。
 もちろん、「説教をしない=生徒とドライに接する」という意味ではありません。
 説教しないで、生徒と気持ちでぶつかり合うことはいくらでもできます。

2007年06月11日(月)  水族を 家族で見に行き 爆睡か


なんか異様に眠い。昨日は久々に電車の中で爆睡。相方の話を聞いていたはずが、コックリコックリと失礼なヤツに。電車の中ではいつもあんまり寝ないし、ましてや人と話してる最中に寝たのなんて初めてだ。それで夜も9時半に寝たのに今日もスッキリせずに、昼も気づいたら仕事をうっちゃらかして1時間半も床で寝ていた。なぜに。

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昨日は、サンシャイン水族館で水族を見てきた。私も相方もまなティに、「今日は何見に行くの? 水族だよねー」「家族で水族見に行こうねー」「水族泳いでたねー」とか言い続けているので、いつか水の生き物を「すいじょく」とか言うだろうなー。かわえーなー。


まなティの昼寝時間はだいたい13時頃から1時間半なので、それにぶつからないように行動する必要がある。なので、どこかに行くなら朝早くに出て、午前中に目的のものを済ませて、昼ごはんを食べてまなティがベビーカーでお昼寝中に帰宅or移動orカフェで大人の時間or本屋、というスケジュールだ。

ところで、今月末にまなティの1歳半検診があるんだが、開始時間が13時なのだ。どういう時間設定してやがるんだ。世の中の1歳半児はたいていその時間が昼寝時間だろうに。眠たい1歳半児が無理やり目を覚まさせられて集合し、しかも順番を待たされてみーよ、どんな地獄絵図が繰り広げられるのか。今から恐ろしい。いや、ちょっと楽しみ。

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相方に仕事の引き抜きが。引き抜きなんてかっこいいぞ、相方! ドラマみたいだぜ! さすが私の選んだ男! と浮かれている私の横で悩む相方。


つづく。


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・確かに、最近の子って好奇心がないですよね。
 ダラダラしてるし、やる気がないし、面倒くさがるし、
 なんでもかんでも与えられて育ったせいでしょうかね〜。
 私の持説「食べ物が悪い」というのもあるんじゃないかと思います。
 落ち着きがないとか、集中力が持たないとか、絶対関係しているでしょう。
 でも、まあ、こういう時代だからこそ、
 よい教師が育つとも思っています。
 試練が多い分、頭も使わないといけませんしね。
 私は逆に燃えてしまいます。

・「人は説教で動かない」とわかってしまうと、
 説教する原動力を失うのでいいですよね。
 要は、北風と太陽ですね。

2007年06月08日(金)  晴れ多し 今年の6月 清清しい


家事は大抵面倒だが、率先してやりたいと思うのは洗濯だ。毎日翌日の天気を確認して、「よし、明日はあの大物も洗ってしまおう」と考えたり、朝家中を巡って洗うモノを探すのも楽しい。まなティが生まれて、洗濯物が増えたのでやりがいがある。子供は本当によく汚して、1日に何度も着替えたりするので。

洗いすぎると生地が傷むので、うちは手拭きタオルやキッチンタオルの類は毎日だが、バスタオルや足拭きマットは2回使ってから洗うことにしている。相方に、「これもう2回使ったっけ?」と聞いて、「いや、まだ1回」と言われると、チッという気分になる。なら、洗えば?という感じだが、そこは私ルールなので、洗わない。

干すのも好きで、乾きにくいモノはこっち、紫外線を当てたいものはこっち、と計画的に干す。完全に乾いて尚且つ乾きすぎない頃合を見計らって取り込むのもよい。

しかーし、取り込んだらもうどうでもよくなるのか、畳むのはすっごく面倒だ。とりあえずカゴの中に放置しておいて、夜しぶしぶ畳む。その頃にはしわしわになっていて、取り込むまでが完璧だっただけにがっかりな仕上がりだ。

一方、相方の率先してやりたい家事は、なんとアイロンがけである。私が大嫌いなアレである。しわしわのものが真っ直ぐになるのが爽快なんだと。うちのアイロンは私が選んだのでピンク色だが、私はまだ一度も使ったことがない。


人って、それぞれだなぁ、と。だからこそ世の中はうまく回っているんだろう。自分でも意外だったのが、私は料理が好きだと思っていたが、日本に帰ってから面倒で仕方がない。近くに住む母が、しょっちゅうというかほぼ毎日、何かしらのおかずを持ってきてくれるので助かる。あとは、ちょこちょこ作って終わりだ。ザ・スープの冷めない距離 バンザイ!

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ところで、子育てに関して最近発見したこと。

例えば、子供が楽しく遊んでいるときに「オムツ替えるよ」とか「もう帰るよ」などと水をさすようなことを言うと、大抵の子供は無視するかグズるかだろう。よく、泣きじゃくる子供を引きずって帰ったり、「アイス買ってあげるから」とモノでつっている親をよくみかける。

まなティもその例にもれず、最初は「イヤイヤ」と言う。それを無理やり引き離すと、ギャーーーーーッとなる。そうなるたびに、軽く「もうっ」と思っていたが、よくよく考えてみるとイヤで当たり前だろう。自分だって、何かに夢中になってるときに、「ちょっとこっちに来て」とか言われたら、「ちょっと待って」と言うだろう。

で、「そっちに行く」ための心の準備というか、気持ちを切り替えることをしてからようやく今やっていることをやめて、そっちに行く気になるわけだ。突然連れていかれたら、大人だってイラッとくる。子供だって何も特別じゃない。


これを思いついて、まなティにも、「もう帰るよ」「オムツ替えるよ」と言っておいて(当然のように「イヤイヤ」と返ってくる)、近くで様子を見ておいて、しばらくしたらもう1度か2度「帰ろう」「オムツ替えよう」というと、案外すんなり遊んでいたおもちゃを置いて次の行動を起こしてくれることがわかった。

いや、まだイヤイヤ期の走りのまなティなのでうまくいっているのかもしれない。でも今後たとえ失敗しても、子供の気持ちも大人同様尊重しよう、というスタンスは変わらず持ち続けるつもり。


つづく。


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・私もすーぐ言っちゃうんです、その台詞。
 最近いかんなーと思い始めたところなのですよ。


2007年06月07日(木)  飼い馬に 水辺で水を 飲ませる法


今日は塾の話。

この前NHKでどこぞの社会心理学者が、「人は説教では動かせない」と言っていたのが印象的だった。

私がずっと仕事で取り組んでいるのは、「知らず知らずのうちに大量の課題に取り組んでしまうシステム作り」。


志望校に入るためにどんだけ課題に取り組まないといけないかを切々と説いたところで、高校生なんて中身はまだまだ子供と一緒なので、頭ではわかっていても体が動かない。ちなみに、私は勉強(特に英語)には王道しかないと思っているので、できるようになりたきゃ量をこなせ、と思っている。テクニックなんぞ入試直前に数点上げるためにしか教えない。

で、その大量の課題をやらせるために重要なのはテキストなのだ。特に苦しんでもいないのに、いつのまにか家にやり終えた課題の山が築き上げられていた!という状況を作るために、日夜あーでもないこーでもないとテキストを書きまくっている。

モチベーションを上げるためには難しすぎてもいかんし、逆に簡単すぎるのも飽きるのでダメだ。字の大きさはどうだ、レイアウトはどうだ、ページを開いたら一度にどれだけの情報が目に飛び込んでくるか、解説がわかりやすいのは当然のこととして、解説を見ただけで問題が解けるか、一人で問題を解決しながらどんどん進めるか、次に進もうというやる気を起こさせるか、つまずいたら正しい解説に戻ってこられるか、などなどなどなど。


生徒が全然勉強しなくて困る、という台詞は私もときどき吐いてしまうが、これって教師の怠慢だ、と私は思うことにしている。

うーん、というか、何事も「相手が●●だから困る」という文句は、言わないほうがいい。相手の態度は自分の態度を映したものであり、自分が変われば相手も変わる場合が多い。

という正論を頭ではわかっていたんだが、まなティを育てて初めて実感としてつかめた。


つづく。


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2007年06月06日(水)  意識して 心を添わせる 練習を


まなティ、ゴリラブーム到来。なぜか中腰で肘を張って「ドンドンドン」と言いながら胸を激しく叩いております。

そんなまなティのアレルギーその後。卵、乳製品を使わない料理生活にも慣れて、うっかりアレルギーだったことを忘れてしまうほどに普通だ。全粒粉のうどんを食べると口の周りが少し赤くなるので、ああアレルギーだったんだと思い出す程度。全粒粉はアレルゲンが強いみたいでダメだけど、白い小麦粉のものは加減しながら食べさせている。パンとかパスタとかうどんとか。トマトは全然OKの様子。卵と乳製品はさすがに一切与えていない。

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昨日ふと思いついた、まなティを育てる上での親らのスタンスのようなもの。


 「心を添わせる」


同じ極限状態に置かれた男女は必ず恋に落ちるというが、それって結局同じ目標(例えば生き残るとか)に向かって心が添うてしまった結果だろうと思う。ほかにも、一丸となって戦うとか、同じ趣味で感動するとか、なんかそういう、心の針が大きく振れたときに同じ方向を向いていた人とは、無条件で仲良くなってしまったりする。

人って、自分以外の人間と心が添うと気分がよくなる。この前の日記で書いた、子供が求めている「情動調律」というのはこのことなんだろう。乳幼児期に、どれだけ親と心が添うたかで、その後の情緒の発達が決まると言っても言い過ぎではない。

重要なのは心を添わせることなので、子供が泣いているときに一緒に泣くというのとは違う。泣いているのは単に表出した部分であり、その涙の奥に隠れた子供の気持ちに心を沿わせることが重要なのだ。転んで痛いのか、眠くてグズっているのか、何かが怖いのか、おなかが空いたのか、泣く理由はたくさんあるので、それを想像し深い部分で心を添わせる。

抱っこしてやればいいだろうとか、「痛いの痛いの飛んでいけ」と言ったからいいだろうとか、何かをやれば安心だということはなく、心が添うてなければ何をやっても意味がないし、心が添うてないことを子供はすぐに見抜き、余計に悲しい思いをしたりする。


心を添わせるのは、親と子の関係だけでなく、全ての人間関係に通用すると思う(私の場合なら生徒との関係とかも)。例えば夫婦の場合、「毎日ゴミ出ししてるからいいだろう」とか「ご飯を作ってるからいいだろう」とか、そういうことではなく、何をやっても心が添うてなければダメだ。逆に言えば、心がしっかり添うていれば、ダメ夫でも、グウタラ妻でも、大丈夫だろう。

恋愛関係にあるカップルなら、放っておいても心は添うてしまうかもしれないが、長年連れ添った夫婦は、あえて心を添わせる必要がある。

同じように、まなティとも「心を添わせるぞ」と意識しながら接しようと思う。忙しいときに、何かわけわからんことでピーピー泣かれると、「もうっ」という気分になるが、一旦気持ちを落ち着けて、「心を添わせるぞ」と心の中で言葉で何度も反芻し、今やっていることを一旦やめてまなティと向き合い、静かに心を添わせる。最近はそれを意識的にやるようにしたら、泣きやむのも早いし、機嫌もいい気がする。まなティは納得顔でまた遊びに戻っていく。


これを意識してしばらく続けてみようと思う。より深い部分でまなティと心を沿わせる。「心を添わせてるからいいだろう」と思い始めたら危険信号。こう思ったら心は添うてない証拠だ。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・He is not so much a husband as a best friend. です。

2007年06月03日(日)  人生の 最大課題 取り組み中


塾の窓にキャンペーンのお知らせなどを貼ったら、その日のうちに問い合わせ電話が1件きた。しかし、結局体験には来なかったが……。前回チラシに大枚はたいて何万枚もまいたのに、それを見て来た人がたったの2人しかいなかったので、チラシは当分やめてみようかと。金もないし。やっぱ、駅前だし、窓広告が効果的だろう。タダだし(これ1番デカイ)。あとはもちろん口コミ。商売ってゲームみたいで楽しい。行動を起こせば、反応がある。

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ここんところの日記の子育てネタで、ちょっと言葉足らずで誤解が生じたかもしれないので、今日はそれについて。

まず、私の母は別に子供を愛さないダメ母じゃなくて、そこら辺にいるようなフツーの母親です。いや、教育や食育に関しては、人並み以上のスーパー母ちゃんで、教育に関しては金に糸目をつけずあらゆるチャンスを与えてくれたし、食育なんてやりすぎの感ありだった。

問題だったのは、厳しすぎたこと。小学生の頃から勉強勉強で殴られながら泣きながら夜中まで勉強し(西洋だったら完全に虐待)、お陰で一流校には入れたが、心が歪んだ。歪みまくった。子供心に、自分以外の誰も頼りにならないと思った。母の母(私の祖母)もめちゃくちゃ厳しい人だったので、母はそれが母のあり方だと思ったみたいだ。まあ、それが母の子供に対する愛の形だったんだろうが、私の求めているものじゃなかったわけだ。そこに母子のボタンの掛け違えが。

母とは未だにぶつかり合うが、母も今ではすっかり丸くなって、過去のことも反省しているし、まなティにはそんな気持ちを味わわせないと言ってくれるので、私の気持ちもほとんど晴れている。オマケに私には心の友の相方がいる。一度受けたトラウマは一生トラウマなんだろうが、私はそれを引きずっているわけではない。(←ここ重要)

問題は、私の中で確固とした「愛ある母親像」というのがないので、自分の思いのままにぐらんぐらんと子育てしていたんじゃ、連鎖を断ち切れないと思うのだ。あらゆる人の話に耳を傾け、まなティの様子をじっくり観察して、「やっぱダメだ」と自信を喪失したり、「これでいいかも」と持ち直したりの毎日。

私は物事にこだわり出すと、納得いくまであーでもないこーでもないととことんまでこだわる職人タイプで、根っからの教育者ということもあって、教育に関しては人一倍こだわりがあるのだ。それが、「思いつめた」ように見えてしまうのかもしれないが、私自信楽しんでいる部分も多いということを声を大にして言いたい。


ここからが重要なところなんだが、前の日記で「世の中の人は大抵どこかしら歪んでいる」と書いたことがある。完璧な親なんてそうそういるもんじゃないし、家庭は閉ざされた世界なので、自分で気づかぬうちに、親からの歪みが連鎖してきてると思うのだ。(まあ、その歪みが個性となるのかもしれない)

家庭が閉ざされた世界であり、子にとって親が絶対的な存在であるからこそ、自分に歪みが連鎖していることに気づかず、その歪みを子に向けて子を苦しめている無神経な親がいかに多いか。自分が受けた歪みを自覚し、それを自分の世代で断ち切ろうと努力することが親の使命ではないかと(それでも伝達してしまう歪みも当然あるだろう)。

そういうわけで、育児に関しては考えすぎるくらいでちょうどよいと思うのだ。前回の日記で、「ご心配なきよう」と書いたのはそういうわけなのです。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・上にも書いたんですが、
 私の日記を読むと思いつめているように見えますが、
 大丈夫ですよー。丁寧なメールありがとうございます。
 子育てって体力要りますね。人生最大の課題という感じです。
 紹介していただいた本も、探して読んでみます!
 そういう関連の本は好きなので。

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