あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 終わりました 2003年03月31日(月)


締め切りその日に便概を書くという暴挙を犯しつつも、どうにかクリアしました。
久しぶりに、書くことに集中して頭が沸騰しております。
次は、ちゃんと計画的に行動したいものです。

次の中篇まではまだ間がありますので、サイトの方の整理をしたいと思います。
IE6の方限定にはなりますが、縦書きで読める場所も作りたいし。
色のほうも、もう少しいじりたいなあ、と。




暫く放置することになってしまったこの場所も、ゆっくり耕し始めたい。

人は、重層的な意識で生きていると、常々感じています。
まったく現実的に、目の前の出来事を処理する意識、とか
動物的な欲求や生存本能に依拠している意識、とか
言葉、で目の前の世界を分析して理解する意識、とか
身体一つ、眠って目覚めて食事をして仕事をして、
けれど意識は世界を多層的に経験しているのです。

ものがたり、あるいは詩、という形で日々を紡ごうとするのも
その複層的な意識のうちの、ある部分が行っていることで、
けれど例えば現実的な事項に意識が集中しすぎると、見えなくなる。
感じていても、それが言葉にならなくなる。

そんな状態でした。

ふつん、と錘が切れたように意識が表層に移動してしまって、
潜って戻ることは、未熟な私にはとても難しい。

しばらくは、リハビリから。
ゆっくりと、息を止めて、耳を澄ませて。

また、宜しくお願いいたします。




 日の、残る (中途) 2003年03月10日(月)


ひそめて、夜の話をしよう

瞼を硬く閉ざしていた頃
光も、輝きも、
向こう側のもので
ただ
ぬくもり、という言葉だけがあった

手放さぬように握り締めながら
遠く、ひだまりを欲して
開くこともできずに
幾度も、幾度も
泣いたのだった

誘われて、いつしか歩き出した
掌はほどかれ
すりぬけてゆく
その、暗がりの

ひそめて、私は思い出す
繰り返された音節
水の中で、揺れていた
あの、彼方の、ひかり

いつか帰り着いた日に
ここに

掌に残されている

その

ひかり

ひそめて、静かに待ちながら





 異議申立て 2003年03月07日(金)


いいえ。
全ては等しい重さで、廻っています。

言葉だけの世界であろうと、身体を伴う世界であろうと。
経験は、ココロの働きは、等価であります。
温もりに目隠しをされるだけ、現実のほうがむしろ空疎でありましょう。
寂しさも、孤独も、希求も。
なぜ、言葉だけの世界の孤独が、偽りだと言うのでしょうか。
ここに。
寂しさは、ここに。孤独は、ここに。
それは、私という存在の根底に刻まれた感情であって。
ココロが活動する場によって、変質するものではないのです。

ここに、あります。
すべてが、等しく。



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 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe