駄文 2002年06月29日(土)
十二国記も出た(それも二冊!) マレー鉄道の謎も出た。 次は 「オンモラキの瑕」か。 それとも 創竜伝の続き(本編)か。 個人的にはパナ・インサの冒険の続きを読みたいのだけれど、これはおそらく絶望的だろうと思う。漫画家本人がストーリー忘れたって言ってるんだから(!) ついでにもひとつ。 少年魔法師があっちへ移動して、最遊記があっちへ行って、それからあれがあっちで、これがこっちで。 ………ってなあ(怒) そうやって掲載誌をいろいろ移動して、雑誌をリニューアルして、本当にメリットあるのか? なあ? 今日久しぶりに立ち読みしに行って、なんか泣きたくなったよ。 もっと読者の事も考えい。 そんな土曜日。 卯の花くたし 2002年06月28日(金) こっそりと君をおもう 君の立つ場所は 夜と昼のあわい 夏と春のゆきあい 不確かな場所で 息を吐き息を吸い ささやかな反復を繰り返しながら 君の声はいつだって 震えていた 僕らは喉を震わせ 幾つもの音を生み出したが 単なる空気の振動が どうして幾つもの温度を持つのか 不思議に思いもせずに ただ君という小波の心地よさだけに 僕は溺れていた 耳朶でふるい落とした幾つもの声を思い出し 少し切なくなる 拾いに行くにはもう遠すぎて まだあの場所に転がっているだろう 欠片たち 並んで歩きながら こっそりと君をおもう 手を繋いでも繋がらないのは 置き忘れてきたからだと (とりあえず帰ってきました。)無題 2002年06月27日(木) 歩きつづけるために必要なものは 二つの足だけ 不実な言葉など 鳥にでもくれてやれ 目を閉じ耳を塞ぎ口をつぐみ 自転する大地のことすら忘れ それでも 前へ進む衝動があるのなら 歩け 歩け その先など 見えずとも 2002年06月26日(水) 饒舌な鳥が 僕の足跡を克明にうたうので 歩くことを止めようと思うのです 土踏まずの不完全な丸みが 柔らかな泥に触れてしまう事は たいそう恥ずかしい秘密だったのに 六月の雨が窪みを満たして ますます鳥が笑うのです 水浴びするにも足りないと 冬の土くれをかじり 春の若菜をはみ 雨にくたされる蔦をねぶりながら まだ まだ もっとと 歩いてきたのに 足りないのです 鳥ですら満たせぬのです ならばいっそ 噤んでしまえば 固く閉ざして立ち止まれば 宿り木ほどにはなれるでしょう 雨が降ろうと 日が照ろうと 夢で飛べ/行ってきます 2002年06月19日(水) 丁度いい具合に(?)出張が入りました。 一週間くらいで終わるかな。再び木曾路の果てへ。 心の洗濯をしてきます。 そして夢ネタ。今回は夢の内容ではなく、夢で飛べって事で。 私、かなり昔に明晰夢を見る訓練をしました。 そのついでに、「落ちない」訓練を。 その訓練をするまでは、とにかく夢で落ちる・踏み抜く・追いかけられるの連続だったんですが。今は全然平気。 とりあえず落ちる夢を克服するためにすべきことは。 「徹底的に落ちる」 これにつきます(笑) いや冗談じゃなくて、これは本気のお話。 落ちるのです。とにかく落ちるのです。 落ちて落ちて、その最後までを見届けるのです。これが重要。 現実で落ちるのと一緒で、夢で落ちたって最後ってのはあるはずなのです。 だから、その最後が何かを見届けるのです。 というのも、落ちる夢ってのは大概、その恐怖感から逃れようとして目を覚ましてしまうもんなんですね。 ここを、ぐっと堪えるのです。 夢なんだから、地面に激突する所まで見てやろう、と。 起きてる間に「最後まで見るぞっ」と何度も自分に言い聞かせていると、そのうちに夢の中の意識が、ふっとその事を思い出すんです(私の場合) で、落ちる夢を最後まで見られるようになる(笑) そこまで行けば、多分後は簡単かと。 私の場合は、地面に激突するぎりぎりでぱかっと緑色の扉が地面に開いて。 その扉を潜り抜けたら、別の夢の世界の空にいました。 あ、つまり次の夢の中で飛んでたって事。 この後は順調でしたねー。 もともと夢を見やすい体質だったけど、面白い夢を見る見る。 副産物として、 暴れん坊将軍の最終回の日に、夢の中で新さんと「お別れするの寂しいです」と握手をしてみたとか。 H×Hのキルアと殺人ごっこして遊んでたりとか。 あと夢の中でGPMの戦闘パートをシュミレートしてみたりとか。 結構意識的に夢で遊んだりしております(笑) まあ精神的に余裕があり、かつ萌えパワーが充実してないと出来ませんが。 (しかし何故新さん) 今はー。現実に疲れてるのであんまし見ません、楽しい夢。 覚えてられるコンディションじゃないというか。 あー。楽しい夢が見たい。 ではでは。 心の洗濯、出張に。 行ってまいります。 浮上しつづける 2002年06月18日(火) ジャンプを立ち読みして、アキラくんの可愛さに少しだけ浮上。 続いて家へ帰ってヘルシングを読み直す。ドルネーズのおじ様、やっぱり素敵(笑) それから五條瑛に手を伸ばして、サーシャ様の薔薇にときめく(笑) そんな感じで浮上していく。 こんなもんだよね。 いつまでも後腐れを引きずりたくはないので、相手様の所へ殴りこんで思う存分叫んでくる(これは大人気ない) んでも、子供の頃から抑圧されて真面目ぶってた私には、なかなか刺激的な体験でした(←をい) つか、怒るっていいよね(笑) 自分が何に対して怒るのか、確認するってのは必要だよ。 譲れないものが何かを、確かめるって事だもの。 大概のことは笑ってへらへら流しちゃう自分が、今回だけは流せなかった。 そういうもの、じぶんにもあったんだ(鈍!) ね。 それから、たった一人に力一杯言いたい。 君が生きてること、元気で笑ってること、それは君が護ってる人たちにとっては最高の宝物なんだよ、と。 君は負けてなんかないし、戦うことを放棄しても無い。 帰る場所を作り続けてあげる、それは他の誰にも出来ない、君だけの戦いなんだ。 と。 これは心から、本気で思ってる。 尊敬しているという言葉は、時に薄っぺらく感じるけど、本当に尊敬している。 つーか。 本当は全部の人に長生きして健康でいて欲しいよな。 特に子供を持っているお母さんお父さんにはさ。 それは叶わぬ願いなんだけど。でも、真剣に願う。 で、とりあえず私は、私の手が届く場所にあるものを慈しむ。 慈しもうと、そう思う。 ケロケロフラッグ 2002年06月17日(月) 昔、雨の道で蛙を拾った 「蛙の皮膚は毒なんだよ」 握り締めた緑色の生き物は 手のひらに渇いた皮膚を残して潰れた それ以来ケロケロ 僕の手のひらは蛙だ 水の匂い雨の匂い朝露の匂い 薄い皮の部分は敏感に嗅ぎ分けて ケロロ水が欲しい ケロロ水が欲しい ゲゲゲ触れば敏感すぎて失神する ああ、水を求める生き物の純粋な欲求の形 昔、雨の道で蛙を拾った 冬の間は眠くて仕方の無い手のひらも この時期は呆れるほど貪欲に動く ケロケロ素敵な恋をしたいなあ それは蛙の欲求だろうか それとも僕の欲求だろうか 雨が降る田が満ちる匂いがする 仲間達の恋の声に皮がぴくぴく震える ケロロ恋がしたい ケロロ恋がしたい ガラス窓にへばりつくメス蛙を 拾い上げてやるべきなんだろうか 薄い皮膚どうし触れ合う感覚を想像して ちょっとだけ、あはは 僕も誰かに触れたくなった 弱い。 2002年06月16日(日) どうしてもどうしても気持ち悪い、ので。 前の日記帳を破棄。新しく作り直しました。 自分がめちゃくちゃ心が狭いことは解ってる。けど。 やってる事がネットストーカーに近いよ(涙) 検索使って、名前を変えた日記を探そうとしたり……。 ああ、変なリンク元解析が残ってるからって、鬼門を覗きに行くんじゃなかった。 あたしみたいな年寄りの書くモンに、そんな執着するなや。 つか、そんな大層なモン書いてないよ。ほっといてくれよ。 相手をするだけの気力はないよ。 つか、気持ち悪いよ。・゚・(ノД)・゚・。 あーあー。友人にも教えないで、ひっそりひっそりエンピツの中で遊ぶつもりだったのに。 エンピツで日記なんて公開しなければいい、のかもしれない。 でもあたしはあたしで欲があって、誰かに読んで欲しい。 心の赴くままに書いて、それが週に一回とか、二週に一回とか、ぽちっと投票が入ってるっていう、そういうのが嬉しい。 ひっそりと、でもひっそりでなく。 ああ、自己矛盾してるーー(--; でも好きなのー。エンピツ。 他の日記を借りてた事もあるけど、自分の好きな日記を探すとか、いろんな機能がエンピツが一番使いやすいのよー(涙) あう。あうあう。 わざわざ前の日記の内容をコピペして持ってくるあたり、あたしも偏執狂だよねえ。 はーーーーー。 沈黙の世界 2002年06月14日(金) 出てこないときは出てこない。 だからつらつらと書く。 そもそもココ、一日一行でも何かを書こうと思って借りたのに。 当初の目的をすっかり忘れていた私。 ここ数日、夜になると決まって雨が降る。 蛙たちが喜ぶ。 蛙の声も雨の音も好き。耳を澄ませて目を閉じれば、意識が静まる。 (実際のところ、蛙は懸命に恋の昂ぶりを訴えているのだろうけれど) いいねえ。 どうしてこんなに良い声を、消してしまいたいと思うんだろうねえ。 蛙の声が煩いっなんて苦情を役所に訴える人って、あたしには理解できないな。 理解できないといえば、キャンプに来て朝の鳥を聴いて、キャンプ場に「あのテープを止めてくれ」って苦情を出したとかいう若者も。 「田舎は静かだ」なんて幻想。 森も、田んぼも、林も、世界は音で満ちている。 真夜中も、真昼も。 夜に鳴く鳥もいれば、昼に鳴く蝉もいる。 耳を澄ませたまえ。世界は一瞬だって沈黙などしないのだ。 語り続ける世界の片隅で、人は時に沈黙を選択する。 文字を綴り、想いを託し、耳を塞いで祈るのだ。 しかしどうだろう。 言葉は文字と声とに分かたれ、伝えるべき想いを包みきれなくなったのではないか。 うっ。何を書いているのでしょう私。 本当ーーーにネタが無いのですね(しくしく) 雷がなってます。 夜の神鳴も美しいです。 ああ、夜の生き物になりたい(笑) つれづれ 2002年06月12日(水) 誰かを嫌うってことも、関わることだ。 だからそういう相手を私は作りたくない。出来れば。 相手に対して、嫌うってエネルギーを回すなんてもったいないとか。 ずっとそう思ってた。 わざわざ自分と考えの会わない人間に対して、憎しみというエネルギーを向けるよりは、自分が一緒にいて心地いいと思う人間に、全部をまわしたい。 ……嫌われたいのかねえ。 わざわざ誰か一人に向けて書いている文章じゃないと書いたにも関わらず、その後に更新した内容を自分ひとりへの嫌味だと勘違いして、苦情のメール送ってくるってのは。 つか、読みに来てたってのが驚きなんだけどね。 嫌がらせ以外の何物でも無いことをしておいて、自覚が無いんだね(溜息) 自覚があってなおかつ、そういう行為をしているなら、馬鹿を通り越してるか。 関わることに飢えてるのだろうか、とも思う。 傷つけられることも、傷つけることも、それは関わることだ。 愛すること、愛されることと同様に。 身近な人間と、深い関わりを持つ事はたぶん、難しい。 一度亀裂が入ってしまった相手と、仕事を一緒にしたり生活を一緒にする事はしんどい。そんな事態を迎えるくらいなら、当たり障りの無いつきあいをしていたほうが良い。 ネットを隔てた相手なら、傷つけても、傷ついても、それはある意味絵空事で、物語のように浸れるのかもしれない。 と。 そんな風に考えてみたりもする。 ただの電波な人なのかもしれないけれど。 いや、現実にそっくりの人が身近にいるからなーーーー。 あたしゃその人の相手で手一杯なんだけどさ。ぶっちゃけた話。 雨の名前 2002年06月11日(火) 輪郭をなぞるのに適しているのは やっぱり指ではなく 舌なのだろうと思う 君の声 雨のように降る その暖かさを聞きながら 耳の後ろでは生えたばかりの羽が 細かく震えて やはり私の言葉は 飛び立ってしまうのだ 少し窪んだ場所から 捕える間もなく 貴方に見せることも出来ない 湿ってゆく大地に 縫いとめて ささやかな羽音でさえも 貴方に聞かせられたなら 雨よ、降れ 雨よ、降れ 激しく私の虫を撃ち落せ なんだかねえ 2002年06月07日(金) いやなんか、タイムリーにあちこちで紛争というかゴタゴタが起きてますのね。 ネットってのは好意善意は1/2、悪意は10倍。善意の残り1/2は、単なる「うざい」になってしまうんじゃないかと最近。 現実で人間関係の距離を上手に取れない人間は、ネットではもっと距離を作れなくて苦しむんじゃないのかなあ、と。 これはあくまでも自分自身の事、ですが。 なんかねえ。あんまりにもタイムリーで野次馬してみたんだけどねー。 ふーん。 へー。 へーーーーーーー。 ってそんな感じ。 あれね、一昔前の少女漫画読んでるみたいだわ(謎) 転校生が真面目に文芸やろうと思って文芸部はいったら、実はそこはなれあいの仲良しサークルで批判はタブーで気づかないままに地雷を踏んだ転校生がやんわりと袋叩きにあって追い出された。 ように見えますー。なんか可愛そうっすね。どっちも。 そもそも日記で内輪ネタを書き連ねて、自分達の仲の良さを見せ付けてるようにしか見えないんですけど気のせいですか。 んで、そんな関係ない人間が読んで全然面白くない日記がランキング上位ってのも謎なのです。組織票? ランキング下のほうが、気に入った詩や短歌が見つかるんですけど。 マンガの学園にある「サロン」メンバーが自分達の特権意識を見せびらかせているみたいですねー。ええ。 なんつーか。 こんなことじゃ、ネットでも引きこもりしたほうが楽なんだろうなーって。 つい思っちゃいますね。うるうる。 つれづれ 2002年06月05日(水) 夢の中ですら、人は恋焦がれ、哀しみ、怒るのだ。 ましてや言葉のみが行き交うネット世界では。 言葉は現実生活以上に力を持つのだと。もうすこし自覚すべきでしたね。 というわけで。 ゴタゴタ関連さくっと削除しました。 自分自身、見返すのがめちゃ辛いし。 第三者であるはずの人にまで愚痴きかせて、申し訳なくてですね。 なんといいましょうか。 ネット上であれ、あるいは紙上であれ、読み手にとって書き手は一人でしかないのですな。 私、誰にあてるでもなく、それでも誰かに向けて(わかりずらいね)ここに書きなぐっております。 対象を固定することなんて、殆どありません。 あったとしたら、誉め言葉限定でここを確実に見る人。 で、愚痴ならば絶対にネットに繋ぐ事がないと解っている人。 んー。これって、日記を書いて公開している人は殆どそうなのではないかしら。 内輪ネタに終始する人は別として。 本当に個人的な日記なら公開する必要はないし、誰か個人にあてての言葉ならば、メールに書いて届ければいいもの。 そういう意識って、自明の理としてあると思ってました。 が。しかし。 それを読みに来る側にとっては、自明ではないのだとようやく気づきまして。 んー。 ぞんざいに扱っていた言葉に、しっぺ返しを食らった気分。 馬鹿ですねえ。 はー。 (欠片) 2002年06月04日(火) 外国(とつくに)の響きで 放たれる子の声 そらがまばたきしているよ ほら もうすぐねむるんだね 私の眼には決して映らぬ世界を たどたどしく探る幼い舌を 差し入れた指で止めるべきか それとも 口うつしに 空の苦さを教えるべきか 木蓮の木に 2002年06月02日(日) くちづけて、それから、 てをつないで、それから、 それから、僕は何を言えばいいのだろう 君の眼差しの先にあるのは空、果てが無い いや果てが無いと思うのは僕だけで 君は見ているのかもしれない 果て、を 限界という稜線を 積み重ねてきた言葉の数を数え上げて 庭の木蓮の先までも届かないと笑ってみる 君は泣いてしまいそうだけれど 僕らの時間はまだ、 軒に届く枝ほどにも伸びてはいない 目覚めたばかりの幼い瞼で 紫のふっくらとした鳥のような形を 僕らは心のどこかに刻みこんだのではないか 今、緑の葉を茂らせる木を見上げ 同じ形を思い出しているのではないか 優しい色を差し出して 君の眼差しを遮りたい 果てなど探さなくていいのだと くちづけて、それから 手を繋いで、それから それから、君が泣いたりしないように 花の形を探してみようと思う 逃げる。 2002年06月01日(土) 言葉というものは、常に誰かに向かって発されるもの。 ……なのだろう、基本的に。 でも。 信頼できない、信用できない。言葉、が。 というのは中学生の頃からあって、家族意外と一言も口をきかない日が三年以上続いてみたりとか。したのだ。過去。 そして今、こうやって書いている。 誰にというのでもなく、自分自身のみにむかっていうのでもなく。 語りたい気持ちを、語りたいように。 でもその根本に言葉への信頼が無い私の言葉は、きっと空疎で届かないものなのだろうとも思う。 スタンド立てたまま、自転車のペダルを踏みつづけているようだ。 古文をちょっとでも学べば、現代と表記上は全く同じ単語が、かの時代では全く違う意味合いで使われていたことが解る。 いったい、その言葉が人々の間で交わされるうちに、どんな風に変質していったのか。時は決して断たれてはいない。 人の営みは絶えることなく続き、言葉は交わされつづけ、変わりつづけて。 髪の毛ほどのずれが蓄積され、蓄積され、辞書なしに理解できないほどに変わり果てる。既に異国語と思うほどに。 そういうのを考えると、怖い。 本当に、言葉をつきつめようなんて思うなら、積み重ねられた人々の営みの、その底のほうまでさらってこなきゃいけないんじゃないか、なんて。 そもそも、私の思う怖いが、この一言で伝わるのかといえば。 多分伝わらないだろう。 じゃあなぜこうして書き連ね吐き出すのかと問われれば、言い返す言葉を持たないのだけれど。 だから、逃げてるんだろう。 書き捨てて、逃げる。逃げる。 |
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